旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

食道楽の街 リヨン

2007-12-13 22:03:03 | 

 

 フランスはどこに行っても食べ物は美味しいと言われているが、中でもリヨンは食道楽の町として名高い。《フランス料理大使》ポール・ボクセはリヨン生まれと聞くし、世界的に名高い料理競技会もリヨンで行われているそうだ。
 わが友セルジュ君は、最初の夜家庭料理でもてなしてくれて、次の日は、昼食を19世紀から続く老舗ビヤホールとして名高い『ブラッスリー・ジョルジュ』へ、夕食は『SUD』という素敵なレストランへ案内してくれた。
 料理も確かに美味しかったが、記憶に残るのは、ブラッスリー・ジョルジュではリヨン市長と隣の席になり、親しく話し合う機会を持てたこと、SUDでは待望の赤ワイン『エルミタージュ』を飲むことが出来たことだ。
 そもそもブラッスリー・ジョルジュは500名近くは入るような大きな店、その満員の中で、ちょうど行き合わせた市長が隣の席になるのは相当な確率ではないか? すぐに気がついたセルジュ君が、「日本から来た客人が貴方と話をしたいと言っている」と持ちかけると、社会党員と聞く気さくな市長はわれわれの席へ入ってきて、いろいろと話した。(写真)
 後でわかったが、横浜市と姉妹都市であることでもあり、何度も日本に来ており、次の訪日ではぜひ会おう、などとなったが、相手は覚えているのだろうか。さすがに付き添い数名の中にはカメラマンもいて、バチバチと写真を撮られた。
 なにかマスコミの片隅にでも載ったのだろうか・・・?

 SUDでは、私がエルミタージュを飲みたいと言っていたので、セルジュ君がワインリストから見事に探し出してくれた。フランスワインは、ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュが三大産地となっているが、東南部ローヌ川沿いのコート・デュ・ローヌ地方も『ミュスカデ』や『エルミタージュ』など得がたい名品を産出している。その地に行く以上、是非とも飲みたいと思っていたエルミタージュにありつけて大満足であった。2005年物でやや若かったが、持ち前の重厚な赤ワインの味をたっぷり味わった。
 これこそ旅の醍醐味である。
                     


鎌倉とリヨンーー世界遺産の観点から

2007-12-11 16:58:53 | 

 

 鎌倉が世界遺産の申請を検討していることをニュースで知った。聞けば、頼朝の町つくりに城壁をめぐらした町の構想があり、その跡もあるので、それらを総合した町全体を取り上げられないかを検討しているという。これは一つや二つの神社仏閣を申請するのとわけが違う。面白いと思うが難しさもあると聞く。
 
9月下旬に訪問したフランスのリヨンは、古リヨン地区、旧市街地区を中心にした町の一部全体が世界遺産に指定されている。しかも、紀元前のローマ支配時代の遺跡から中世の大聖堂、ルネッサンス期から産業革命時代の建物や機械類(主として絹織物の織機の発展史)など壮大な人類史が含まれている。
 
鎌倉も歴史遺産として多くが残されているが、せいぜい鎌倉時代以降のものが主流であろうからスケールが違う。
 
リヨンの友が私に一番力説したのは、リヨンが過去をいかに破壊せずに保存したかということであった。中世の大聖堂建設に当たっては、ローマ遺跡を破壊してその石を使った形跡が一部にあるようであるが、ルネッサンス期の商人や銀行家たちは過去の遺跡を残しその隣接する地域に町を広げていった。これが現在の「古リヨン地区」だ。1719世紀の産業の変革期は、ソーヌ川を渡った半島部分に町を広げ(これが現在の「旧市街」)、古リヨンを守った。20世紀の発展期には、もう一つローヌ川を渡った地域に街を広げていった。
 
人類は、政治経済の大変革期に旧来のものを壊してその上に新しい物を建て、それを「発展」としてきた。リヨンは隣接地に町を広げていくことにより歴史遺産を守り、新旧共存して生きてきたようだ。だからリヨンに行けば、ローマから現代までを見ることができる。
 
鎌倉の保存してきたものに、リヨンに見るような「人類史的普遍性」が見出されていくならば、当然のこととして世界遺産に指定されていくのだろう。

 淨光明寺の貴重な仏像の解説を受けながら、そのようなことを考えた。
                            


初冬の北鎌倉と大根料理

2007-12-09 14:43:11 | 

 

  昨日予告したとおり、久しぶりに鎌倉に行って来た。
 北鎌倉駅でメンバー(総勢6名)と待ち合わせ、東慶寺から亀が谷の切通しを抜け扇が谷へ、浄光明寺、海蔵寺を経て化粧坂の急坂を越えて銭洗弁天へ、最後は「福来鳥」(ふくとり)という店で大根料理を食べるというコース。
 途中、盛りを過ぎたとはいえ初冬の陽光に美しく映える紅葉を随所に見ることが出来た。風もなく、12月にしては暖かい午後を、十二分に楽しんだ。
 東慶寺は駆け込み寺として有名、わがメンバーで対象となるのは私のワイフだけであったが、何とか駆け込むこともなく無事通過。 
 浄光明寺では重要文化財である「本尊阿弥陀三尊像」(中央に阿弥陀如来、右に観世音菩薩、左に勢至菩薩を配した三尊)の説明をたっぷり聞いた。寄木木像の粋といわれる三像を、普段は入れてくれない本堂の中にまで入れていただき説明を受けた。
 化粧坂の急坂を上りつめると、小高い丘に頼朝の彫像が立っていた。清盛、頼朝の歴史的評価をしばし交わしながら、坂を下りると銭洗弁天。みんなせっせと洗っていた。私は洗うことはしなかったが、おみくじを引くと「大吉」・・・、金運の項を読むと「金運は絶好調です」とある。身を振り返り、かくも事実と違う表現はないと思ったが、又ほとんどのくじが大吉であろうとも思ったが、まあ、悪い気もしないのでカバンにしまって持ち帰る。
 それはさておき、福来鳥の大根料理は結構であった。酒も純米酒(仙台の勝山)が取り揃えられてあり、やや飲みすぎたことを除けば大満足であった。
 何よりも、紙芝居入りの「女将の話・・・大根料理に賭ける思い」に感じ入った。何ごとも一念を通すことに勝るものはないのだろう。
                      
 


久しぶりの鎌倉

2007-12-08 10:54:32 | 

 

 今日は今から鎌倉に行ってきます。
 北鎌倉の残りもみじを楽しみ、大根料理を食べようという数人での企画です。
 鎌倉は今、世界遺産登録を企画中と聞いております。9月下旬に訪ねたフランスのリヨンは、町の大半が世界遺産に指定されていますが、東西の古い町の比較なども頭に片隅において、久しぶりの鎌倉を楽しんできます。
 早く帰宅できて時間があれば続きを書きます。
               07年12月8日午前11時

                               


セルジュ家のディナー

2007-12-07 14:05:09 | 

 

 一般の海外ツアーで、どうしても味わえないのが地元家庭の生活に触れることだ。手づくり旅行の一番うれしいことは相手の生活の一部に踏み込ませてもらえることである。
 リヨンの友セルジュ君は、「二泊とも我が家の泊まれ」とまで言ってくれた。さすがにそこまでは甘えるこはしなかったが、『フランス家庭のディナー』は楽しませてもらった。彼は事前に、ハム、ソーセージ、肉類で駄目なものは無いかなど、こちらの嗜好までメールで問い合わせてきて気を配ってくれた。それだけに大変楽しいディナーであった。
 先ずセルジュ君が取り出したのは、一メートルはあろうかと思われる太くて長いフランスパン! これを彼が、みんなが見つめる中をスライスして配ってくれる。それをナンシー夫人が心を込めて作ってくれた様々な料理で食べた。中でもソーセージが美味しく、ワイフはその銘柄を記憶した上、翌日観光した旧市街の街角で見つけ、一本購入して日本にまで持ち帰った。
 私にとってうれしかったことは、セルジュ君が思いを込めて選んでくれた白ワインが、ことのほか美味しかったことだ。『SAVOIE MARIGNAN』という2002年ものシャトーワインで、肉類にも負けないしっかりしたボディーを持ちながら、スッキリしたのみ口で、実に美味しかった。
 私が酒好きであることを知っているセルジュ君は、「これは簡単には手に入らないワインだ。もう一本用意してあるので持って帰れ」と奨めてくれたが、軽装バッグしか持っていなかったので割れることを恐れ、手荷物では空港チェックで必ず没収されるのでついに辞退した。
 あのワイだけは、持ち帰らなかったことが未だ悔やまれ、彼が丁寧にはがしてくれたラベルを、今も時々開いて眺めている。

 酒は、その時の料理と係わる人との思い出の中で、いつまでも生き続けるのだ。
                     


リヨンと絹織物

2007-12-05 15:09:06 | 

 

 リヨンはすでに中世には絹織物の評判を高めていたようであるが、その後の発展は諸要因が重なっているようだ。言われてみれば当然だが、織物工業が発展するには絹をつむぐ技術もさることながら、立派な織物に仕上げる織機の発展と、もう一つ図工の発展が必要だ。つまり優れたファッションデザイナーを必要とするのだ。
 たとえば「1790年代には24人の図工がリヨンで働いていたし、その中のフィリップ・デ・ラサールとい人は特に有名で、発明の才に富む発明家であり、職工で、商人で、また機械工でもあった」(セバスチャン・グリフ『ディスカバー リヨン』24頁)という。このような何でもや超人が、いい織機をつくり、いい絵を描いて、いい織物を作って行ったのであろう。こうしてリヨンは、絹とファッションのフランスにおける中心地になっていったようだ(同書)
 こんなことを学びながら織物博物館を出ると、この旅ではめずらしく小雨がぱらついていた。中世風の雰囲気の細い石畳の道を歩きながら昼食の場所を探す。我が友セルジュ君からは、ベルクール広場の南端にあるレストランを勧められていたが、あまりお腹も空いていない。歩いていると素敵なケーキ屋の前に出た。ワイフが「私はケーキで十分だわ」という一言でその店に入る。
 美味しいコーヒーを飲みながら二人ともケーキを注文する。ところがこれが意外にでっかくて超甘い・・・、この量と甘さが西欧婦人の「三段腹、二重あご」の原因に違いない、などと言いながら挑戦するが、ついに私は半分を消化する前にダウン。ケーキなら目がないはずのワイフも、かなりの量を残した。
 勘定を払う催促をすると店のマダムが残し物を見つけ、「もったいないから持って帰れ」と丁寧に包んでくれた。この風景は日本ではあまり見ない。フランスなどでは一般的なのだろうか? 正直言って辟易していたのであるが、私たちはその親切を断りきれず、おし戴いて店を出た。

 ホテルに着くと、セルジュ君が長女ナデージちゃんを連れて迎えてくれた。いよいよ本格的な《リヨン散策》が始まった。
                            


「星の王子様」の街リヨンに降り立つ

2007-12-02 12:09:46 | 

 

 07年9月28日、私たちはサン・テグジュペリ空港(リヨン空港)に降り立った。出発したフランクフルト空港に比して、こじんまりとした、むしろ静かな感じのする空港であった。なんと言っても空港の呼び名がいい。
 そう。この町リヨンは『星の王子様』の作者サン・テグジュペリの生きた町である。街のまん中に、その夢見るような像が建っている。そしてリヨンという街は、まさに夢見るような美しい街であった。

 空港からタクシー40分ぐらい(料金50フラン、8千円強)で、ホテル「ボスコーログランドホテル」に着いた。旧市街のほぼ中央、ローヌ川に面した実にいいホテルであった。町の中心ベルクール広場にも、また市庁舎、オペラ座、美術館などが集中した観光中心地にも、徒歩で10~15分ぐらいで行ける。
 チェックインは15時となっていたが、12時過ぎに到着して無理を言って部屋に通してもらった。しばらく休んで早速街に繰り出す。夕方、「フランスの友人」セルジュ君と落ち合うまでたっぷり時間がある。
 まず訪問したのは、「織物歴史博物館」と「装飾博物館」、・・・そう、リヨンは絹織物の町であった。この博物館訪問を最初に望んだのはワイフであった。ワイフは、中学生のとき社会科で「絹織物工業の発展とリヨン」について学んだことを、強烈に憶えているというのだ。私などはせいぜい、リヨンでは「ローヌ・アルプ地方の銘酒エルミタージュ」を飲もう、などと思っていたのだが、自分の水準の低さを恥じたのであった。
 それは、さすが絹の町と思わせる立派な博物館であった。展示物もさることながら、織物の歴史は同時に織機の歴史であるだけに、初期の手織りの織機から大掛かりな自動機まで、その発展の歴史が繰り広げられていた。

 なにごとも、行って見なければ分からない、のである。                                                                                               


オックスフォードのパブ「The Eagle and Child」

2007-12-01 17:25:59 | 

 

 イギリスでもっともパブらしいパブに行ったのは、オックスフォードの「イーグル・アンド・チャイルド」(鷲と子供?・・・そういえば丸い看板に《子供を銜(くわ)えて飛ぶ鷲》の絵が描いてあった)であった。
 既に9月26日のブログで簡記したが、あの店の思い出は深い。
 そもそもオックスフォードには、コッツウォルズを回ったあと日が暮れて着いて、翌日は真っ直ぐロンドンに向かったので、オックスフォードは、いうなればこのパブの思い出に尽きるわけだ。
 大学都市オックスフォードの街の様子を見る余裕はなかったが、このパブの雰囲気は、落ち着いた大学の町の姿を示していた。学生と一般市民が半々ぐらいの客層で、お年寄りの体の不自由な人が来ると、若い学生らしき客が立ち上がり、その年寄りのテーブルと椅子をうまくセッティングしてあげるなど、気持ち良い風景が見られた。それは若者がよく教育されていることもあるのだろうが、これが「パブという社会」なのだ、と言っているようにも見えた。
 またこのパブは、『ナルニア国物語』などを書いたC.Sルイスなどを常連客としたらしいので、そもそも《大学の町の雰囲気を持ったパブ》ということなのだろう。

 私はここで、「ロンドンプライド」と「EXモア」という二つのエールを飲んだ。つまみもイギリスパブでのつまみの典型「フィッシュ・アンド・チップス」としたので、まさにザ・イギリスを食べたのだ。
 ただこのビールが、前回書いた「典型的なエール『カスクビア』」(注)であったかどうかを確かめていない。かなり美味しいビールであったが、忙しそうなパブリカン(パブの経営者)に訊ねる時間も勇気もなかったのだ。
 これもまた「いつかの楽しみ」として未来に託しておこう。
                    

(注)カスク(cask)と言うのは樽のことで、醗酵を終えたエールを大きな樽(カスク)に詰めてパブに持ち込まれるが、中ではエールが二次醗酵を続けている。これをセラーマンやパブリカンが管理しながら、「生きたままで一番美味しいときに」客に出すのが典型的なエール(カスクビア)である。

 

                                

 


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