桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

たんぽぽの会

2010-02-23 | Weblog
今日の下北沢での講演と懇親会を終えて帰る電車に乗った。
近くのビジネスホテルに泊まればと言う誘惑があり、心が傾きかけたが、明日もあれば、残念ながらの思いで帰って来た。
今夜は、まず塚越弁護士さんが布川事件の経過を語り、更に水戸が作ったDVDを見て頂き、その後に俺が話した。
俺の持ち時間は70分ほどだったが、少し足りない感じだった。俺の持論である、不運が不幸にはならないのが人生、明るく楽しい布川事件を、まあ語り尽くせたと思うが、質問が活発で時間は足りなかったし、懇親会に予定を越える人が着て下さったことに、今日の成功を感じた。
今日の参加者は200名に少し欠けたようだが、耳の不自由な方も多くて、ハンディが人生の不運でも不幸にはならないこと、足りないことや苦難からこそ、得たり、判るモノがあると思う俺の言葉が、皆さんに伝わったとも感じた。
布川事件は使命がある、俺にはやるべきことがあると、再確認の講演だった。

亀山継夫に科す刑

2010-02-23 | Weblog
今日は世田谷区で講演だが、その前にテレビ関係者から取材を受けた。
今日はインタビューだけだったが、自分の思いを話しているうちに、足利事件で有罪判断をした最高裁裁判長の亀山継夫に与える刑罰、司法過失罪の罪が確定した。
司法に携わり、誤った判断をした人は有罪だが、勿論、総てが実刑にはならない。情状酌量もあるのは当然だが、証拠を無視したらば、これは実刑だね。亀山継ぐ夫は、弁護人の提出したDNA証拠を認識すらしない過失を犯した。これでは、もう司法過失罪から逃れる術は無いね。
よって、亀山継夫には、菅家利和さんが獄にあった歳月と同期間の実刑、17年余の判決とする!
決まったね。
冤罪作りに加担した人は、冤罪を受けた人と同等の刑罰を受けるものとする。ただし、裁判員に付いては、この罰則を適用されないものとする。
この法律、作りたいねぇ。

講演

2010-02-23 | Weblog
何時も講演と要請があっても、そんなに話をするのに難しいと感じることはない。体験を語って行けば、すぐに3、40分くらいになる。でも、一時間以上となれば、少し事情は違う。一時間以上のときは、やはり準備か必要だが、今夜は90分は話すスケジュールになっているから、そのままとなれば大変だ。
まあ俺には奥の手、歌があるけれども、今夜は耳の不自由な方の団体が決めてくれたモノだから、そこも流れがあるし、少しばかり緊張している。
さて、どんなことになりますか?

2010-02-23 | Weblog
一気に気温が上がり、春めいた陽気になった。
自宅から布佐駅まで歩く間に汗ばんで来てコートを脱いだ。何日かは温かい日が続くらしいから、本格的な春の芽生えが始まるだろう。
布川事件には楽しみが続く3月に春。今年は花見にも行きたい気分になってきた。

寄り道

2010-02-22 | Weblog
今朝は熱海駅まで歩いた。小一時間は掛かると言われたが、下りばかりだったせいか、30分くらいで着いてしまった。
途中にあった熱海梅林には、沢山の見物客が来ていたが、無視して通過。更に、来宮駅前を通過し、熱海駅では河津桜見物行きに迷ったが、独りで行っても面白くないと思って止めた。
各駅停車の東京行きに乗り、辻堂駅に下車した。行き先は山川豊弁護士のお墓。まだ最高裁決定後に行ってないので、帰り道に寄らない手は無い。
バス停を乗り過ごすドジはあったが、無事に先生に報告出来た。

磯田事件

2010-02-22 | Weblog
35年前に勝った冤罪を闘った皆さんが集まる集会は、救援会のお歴々と言った皆さんの顔が揃っていた。歴史を作って来た皆さんの中に布川事件も勝利の名前を刻めたんだなぁ、と思ったらば、何だか嬉しくなった。
勝つというのは素晴らしいし、我が布川事件も磯田事件のように長く集いを重ねて行きたいとも思った夜だった。

熱海へ

2010-02-22 | Weblog
日野町から名古屋に行き、更に熱海に移動した。
昔、ラジオ関東と言う放送局があった。今はラジオ日本と会社名を変えたが、そのラジオ関東で組合弾圧のでっち上げ事件があり、磯田さんという方が冤罪に巻き込まれたのだが、見事に闘って無罪を勝ち取った。その勝利35周年集会に招かれた。熱海駅に着いたらば、河津桜バスツアー客がいて、駅前に咲くカン匕サクラを見上げる俺に「河津桜は最高に綺麗でしたよ」と声を掛けてくれた。
寒い日野町事件集会だったが、気温も上がって、どうやら今年も春が来たのを感じた熱海駅前だった。

東海道

2010-02-22 | Weblog
日野町事件で大学生たちが金庫発見現場に現地調査に行った朝、俺は発見現場行きを辞退して寝ていた。
9時からの総括集会に顔を出して挨拶し、俺は名古屋のYさんの車で名古屋へ移動した。
名古屋では旧東海道の街並みを保存してある地区を見に行った。大津市に残る街道よりは広かったが、旧東海道は想像より狭い。黒い格子の古い家が軒を連ねた道筋を散歩する人も多くて、心安らぐ風景だった。
歴史好きの俺には、最高の場所だった。

日野町事件

2010-02-20 | Weblog
今日は冤罪仲間、日野町事件の集会だった。
俺は招かれたわけでは無いが、広島刑務所にいて体調が優れず、体重が35キロくらいという阪原弘さんと家族を励ましたくて来た。足利事件の菅家さんが招かれていたから、勿論、テレビカメラが来ていた。
第一部の総会後、第二部で我々が体験を話した。
今日は東京経済大学生も参加して、137名の参加者だつたが、地元からも来ていたのは嬉しかった。
テレビカメラに要請されて菅家さんと一緒に事件現場に行き、インタビューをされたが、近くの人が出てきて気さくに話をしてくれた。その雰囲気は地元の人が真実を理解していると判ったのが、凄く嬉しかった。
阪原さんの娘さんも参加していたが、病に衰えていく父親をみている苦しさをはなしていて、思わず涙がこぼれた。自分に出来る限りをしたいし、今日来て良かったと思った。

変わらない

2010-02-19 | Weblog
最高裁で勝った後、俺の心理には変化があった。意固地に拘った部分が気にならなうなり、凄く気楽になったが、変わらない部分も感じる。
金だ。金銭的に疑われてるのかと感じるとき、腹が立つ。相手は、そんな気持ちでは無いと、少し考えれば判るのだが、なんだ疑っているのか!と不愉快な思いが押さえられなくなる。
未熟だなぁ!
自分が犯した罪、窃盗罪の重さを忘れずに再審活動もして来たつもりだが、そのことに拘るのは当然だとしても、頑なに自分を守る意識みたいのは解消したいものだ。