桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

岐阜

2010-02-08 | Weblog
岐阜と言えば稲葉山城!言わずと知れた斎藤道三、織田信長の居城として有名だ。城好きの俺は、何年か前に岐阜を訪ねたときに見学したが、山城から見下ろしたときに、この世界を我が物にせん!と考えた信長の心境を感じた。
今日は時間が中途半端なので行かなかったが、また、ぜひ行きたい場所だ。
岐阜駅前を歩いたらば、広場に信長像が建っていた。右手に火縄銃、左手には兜を持ち、金ピカ!その金ぴかが信長らしくて、また良かった。

岐阜

2010-02-08 | Weblog
今日は自由法曹団岐阜支部の集まりに招かれて来た。昨夜は名古屋泊まりだったから移動は簡単。午前中に来て、まずはお世話になった救援会岐阜県本部にお礼に行った。
地名を頼りに歩いたが、結構遠くて、いい運動になった。
途中に金神社というのがあるのを見つけた。金と来ては貧乏人として気になり、帰り道に境内に入った。
何故か判らないが境内には稲荷神社も一緒に並んでいて、俺が金神社と思って拝んだのは稲荷神社だった。二つに手を合わせる気持ちにならなくて、本家の金神社の前には立っただけになり、やはり俺は金には縁が無いと思ったね。
写真はお稲荷様。金神社は、この左側に並んでいた。勿論、写真の取り直しもしなかった。

区政報告会

2010-02-08 | Weblog
先日は中野区議の集いに招かれた。区政報告会で冤罪体験を話して欲しいと依頼されたのだが、もちろん、自民党や公明党からでは無いし、民主党でも無い。共産党の議員さんだ。
俺たちが逮捕された後、地元で支援してくれる人は少なかった。人を騙したり、盗みをした俺には、真に友人と言える人はいなかった。杉山は誰彼構わずに気に食わなければ殴り、恐喝を繰り返していたのだから、これも支援者を求めるべくは無かった。
その中で共産党と言われた人が細やかに支援して下さっていた。不思議だったが、昔から警察や検察に弾圧されていた人たちだから、その経験から我々の真実を理解して社会の思惑を超えて支援してくれたのだと判ったのは、大分後だった。我々の過去は問わずに無実ゆえに支援すると、ただ真実の一点で支援してくれた人の多くは共産党や、その支持者で、自然とお付き合いも深まっての区政報告会だった。
社会の正義や真実を守るべき警察や検察であるのに、裁判所も含めていい加減でしかないのが日本の実態だ。その中にあって、社会の底辺から命を守り、正義や真実に支えられた行動をしているのが共産党だ。
もちろん、共産党とて欠陥はある、組織ゆえの権力主義的なところもあるが、俺たちのようか存在にまで、支援の力を貸してくれる一点だけで、俺は共産党を信じられると思っている。

天白

2010-02-08 | Weblog
先日、名古屋に来たときは大変だった。新幹線の事故で7時間も車中にいた。
昨日は、同じ名古屋の天白というところに来た。救援会天白支部総会に招かれたのだが、またしても遅刻をした。今回は俺のミスだった。
俺はナビタイムで電車時刻を調べて移動するが、今回も行き先だと知らされた「植田駅」を打ち込んで見たらば、何と豊橋駅で乗り換えると表示された。余り東海地方の地理関係が判らない俺は、そこが知らされた駅だと信じた。それで新幹線豊橋駅で降りる前に、名古屋の友人にメールをしたが、何となく返信の内容が噛み合わない感じだった。少し不安になった俺は急ぎ表示の豊橋鉄道に行って確認したらば、全く違うことが判った。そこに友人からの電話。
名古屋の天白には、どうしても名古屋駅からの地下鉄しかないと判り、急いで新幹線に引き返して飛び乗った。豊橋と名古屋の間には三河安城駅があることすら認識していなかった俺のミスだったが、何となく乗り継いで会場駅に着けば、改札口には友人のMさんが待ってくれていた。
Mさんの携帯電池が切れそうだったので最短の言葉でメールをしたのだそうだが、会場では最高裁決定日のニュース番組が流されていて、余り遅刻が影響していないのを見て安心した。
最高裁決定後、初めて救援会関係で長く話したせいか、改めて救援会と出会えて幸せだった月日に感謝したし、胸が詰まる思いになった。
名古屋は、俺にとって、本当に縁の深い土地になった。