桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

大津から前橋

2008-11-16 | Weblog
滋賀県と群馬県の救援会大会に呼ばれて行って来た。滋賀県には日野町事件がある。俺と同じに強盗殺人事件で犯人にされた。でも、俺たちのように若くなかったから、もう年だし、病気でも刑務所にいる。家族は大変だよね。もう限界、切羽詰まってるとの言葉を聞いて胸がつまったな。
群馬県は解雇などの争議が多い。冤罪も大変だが、解雇も大変。苦しみは変わらないんだ。暮らしを抱えて闘う言葉は重かった。
どこへ行っても思うのは、布川事件の幸せ、俺の幸せだ。若くして逮捕され、元気に闘える俺は幸せだなぁ。そんなことを、今日も感じながら帰ってきた。

記念日

2008-11-16 | Weblog
「1967年10月10日、夜風に金木犀が薫って、初めての手錠は冷たかった」こういう書き出しで始まる俺の「記念日」という獄中詩がある。
冤罪の歴史であり、かつ人として喜びを得た歴史でもあったが、犯人にされ、有罪にされ、刑務所に入れられた月日を書いたものだ。
12年前、仮釈放で社会に帰ってから、また違う記念日が作られてきたが、記念日風に書けば「1996年11月14日、風景も空気も煌めくのを感じながら仮釈放で社会に帰った」となろうか。
その14日を迎えて12回目になる今年は、翌日の大津行きに備えて都内に泊まり、独りで迎えた。
たまに行く上野駅のパンダ出口そばの店で飲んだが、そこの料理が不味かった。ふろふき大根なんて、筋はあるし、味噌は塩っぱいし、最悪。これは何だ!と思ったね。
実は、田原町にある五十鈴と言う店で食べたふろふき大根が絶品。そこの味を知ったから、かよい路の不味さが判った。
この12年、色々とあったが、ふろふき大根の味を知ったに代表されるように、本物を知った月日でもあった。勿論、知ってしまったことは苦しみでもあるのだ。今まででは満足できなくなるのだから。
人生、難しいねぇ。

反論書

2008-11-16 | Weblog
検察の特別抗告書に対しての弁護団の反論がなされた。俺がブログでも書いた通り、検察の申し立て内容は中身が無い。要は、一度確定した判決は守れ!と言うことに尽きる。常識的な判断力があれば抗告などは出来ないが、今の検察には常識の欠片も無い。
我々を有罪にした根拠に渡辺昭一と言う目撃証人がいることは、前にも書いたが、この証人は面白い人で聞く度に違う目撃談を語ってくれる。偶然に街のスナックで出会ったときは、俺に「見たとは言ってない」なんて言うのには、さすがにアタマに来て厳しく言ってやったが、まあ笑える人であることは間違い無い。
この「見ていない」渡辺に目撃者の役を与えたものだから、本当の目撃者が邪魔になり、隠して来たのが検察だ。
本当の目撃者の目撃時間と俺たちが現場に行ったとされる時間が食い違うことから隠して来たわけだが、だから「渡辺が見た二人とは違う二人を見た」と新説を発表した抗告書も笑える。苦しいよね、検察。短時間に犯行現場に別々に二人組が訪ねたと言うのだから。しかも、その二組を見たと語る目撃者が、全くと言って存在しない。
当時の杉山は利根町一の有名人。知らない人はいないワルだった。杉山が布川を歩いて見た人がいないなんてあり得ない。
真犯人は、きっと当時の列車ダイヤを知った奴だと思う。被害者宅にいた二人連れを見た人は「7時の列車が着いて帰宅する人の自転車で道路が混む前に行った」と語ってる。これは地元の人の感覚だ。その道路が混むほどに通った人が、誰も被害者宅にいる人を見ていないのだから、混雑時を避けたのだろう。列車ダイヤが7時6分着だったかの次が7時何分だったかな。とにかく、その混雑の間に二人連れがいたことになる。
そこが判るかな判らないかで、ことの本質が見抜けるか見抜けないかにもなる。さて、最高裁判所は、これが判りますかねえ。先ずは調査官と呼ばれる裁判官補助者が調べる。さてはて西野調査官、どうします?