かなり遅くなってしまいましたが、ようやくというかぼつぼつと車両整備に動く事が出来るようになりました。以前にも記したように、自作室内灯18両分を作って取り付けるだけになっていたにもかかわらず、なんだかな~病で工場の稼働が止まっていました。
今日は昨日の振り替え休日と言う事も有り、少し落ち着いて事が運べそうなのでまずは手慣らしにという事で、西武101系の室内灯の組み込みに着手しました。
一番厄介なクハから行います。この先頭車にはヘッド、テールのオンオフが床下についています。その関係でこの場所は通常の集電板ではなく、ここをばらすと厄介です。
そう言いながら床板ばらしてその部分のはめ込み爪の所で見事にずっこけました。
室内灯の取り付けは順調でしたが、これを直して調整するのに時間が掛かってしまいました。
残り3両の先頭車はこれを教訓にして、この部分を固定してから作業をすることにします。
あと9両地道にやらねばいけませんね。
通勤型ゆえ座席のことは気にせずとも、やはり運転室仕切りなどがバッチリ映えますね。
ひところの16番はディテール重視に陥り、当時使われていた米粒球がディテールを台無しにする、という理由で、高級機を自負する模型ほどライトはダミーとなっていました。その影響が残っていたせいか、LEDが出始めても、プラ製品のメーカーが本格採用するまで旧来のメーカーはライトについては進歩がなかったですね。欧州との差がここにあります。
金額は高い、走りは良くないと言った風評が初期の製品では出ていたようですが、点灯に関しては早くから再現していたように感じます。
チップLEDが出てからはライトユニットもコンパクトに出来るようになりましたから、あのグリーマックスが西武2000系のリニューアル完成品とキットを出したときにヘッド、テールユニットを装着して、実車通りに再現できたのは感動的でした。
ライトユニットは当時としては高価でしたが、グリーンマックスも頑張ったなと感心したものです。
16番を始めてみた時に感じていたのは、まさにN藤史郎さまが言われるこだわりが強すぎるという部分でした。
昔の鉄道は昼間にヘッドライトを点灯して運転はしていなかったですから、模型でも必要ではないと考えていたのかもしれません。
しかしながら、模型ではライトが点灯するかしないかでかなり印象が違います。また、運転に際してもライトが点灯する事で進行方向が確認出来ますから重要な部品であると思います。
Nゲージ初期車両は無点灯ですが、キハ82系以降は点灯化できる標準設計になっています。
プラ成型の技術が上がって小さな車体にでも、米粒球の様なものでも収めることが出来たのが大きいのですが、常に技術革新してきたメーカーの努力だと思います。
1980年代のブーム以前では、全く16番に隠れていたNでしたが、小さくてもライトが点くと言うのは見た目の印象が違い、これだけでも高級感を味わえ魅力的でした。
その後マイクロエースが次々に蒸気を出し、ライトの形状はよろしくないものの、点灯させてきたことは、後のKATO製品にも影響を与えたと思います。
他社で先進的なことをすれば、ほかの会社も更新してしてくるという柔軟さがこの世界を広げたように感じます。
16番ではユーザーが細かい事を言い過ぎるのか、それに追従してしまうメーカーの姿勢にも疑問を感じました。
実感的な物を欲するのはどの業界も同じですが、一部分だけに執着し停滞してしまう事は、その先の可能性を潰すことになると思います。
そうして自分の首を絞めつけてきたのが今の16番なのかなと思います。
天文学的な値段の先鞭をつけていったのが、天賞堂であって、それが素晴らしい事だと称賛したTMSなどの記事も偏った物の見方だったと思います。
必要以上に細密化したから素晴らしい技術だとは言いきれませんし、これだけの価値があるからと勝手に値段を釣り上げて、それを納得させるのもどうかと思います。
鉄道模型は見た目と走破性が両立していなくてはなりません。細密化によって最小半径が拡大してしまうのであれば、それは欠陥品という事です。
また、重量バランスを考慮せず牽引力が落ちるなんてことは論外です。
走ることが目的で世に出るのですから、第一は走行性能であり、そのあとは車体のバランスがとれた肉付けだと思います。
16番が売れて売れてと言う時代、再生産するたびに値段を上げてくるメーカーも、庶民から模型を奪っていった責任があると思います。
Nもそういった方向にならない事を願っているところです。