スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

いわき金杯争奪戦&比喩

2020-01-26 19:00:14 | 競輪
 いわき平記念の決勝。並びは高橋-山崎-佐藤慎太郎‐佐藤和也‐中村の北日本,小原‐山賀‐武井の南関東で鈴木は単騎。
 佐藤慎太郎がスタートを取って高橋の前受け。6番手に小原,最後尾に鈴木で周回。残り3周のホームの手前から小原が上昇。山崎の外で併走。鈴木は隊列の短くなった最後尾に構えたままで1周はこのまま。残り2周のホームで誘導が退避するとそのまま高橋が発進。その後のコーナーで山崎があっさりと小原を捌いて番手を確保。前をみていた鈴木が6番手になり,山賀がスイッチして7番手。小原は最後尾の一列棒状のまま打鐘からホーム。バックに入って鈴木が発進。勢いはありましたが山崎に番手から発進されて一杯。展開有利に運んだ山崎が優勝。マークの佐藤慎太郎が4分の3車輪差で2着。佐藤和也が4分の3車身差の3着で中村も4分の3車身差の4着に続いて北日本の上位独占。
                                        
 優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年9月の西武園のFⅠ以来の優勝。記念競輪は2015年9月の岐阜記念以来となる17勝目。いわき平記念は2007年,2013年,2014年と優勝していて6年ぶりの2勝目。さらに2010年に当地でのオールスター競輪の優勝もあります。このレースは高橋の先行が有力なので山崎か佐藤慎太郎の優勝になるとみていました。小原が番手戦にいったのは想定外でしたが,高橋がコーナーの手前といういいところから駆けていったので,競り合いは内が有利になり,簡単に番手を確保できました。高橋は自分のことだけを考えればもう少しペースを落としたまま進めた方がよかったわけですから,北日本の結束の末の勝利で,しかも上位独占という最高の結果が出たというところでしょう。

 第二部定理八備考についてはひとつ注意しておかなければならないことがあります。
 この備考Scholiumは,何らかの事柄についてそれを合理的に論証しようとしているわけではありませんし,何事かについて具体的に例証しようとしているわけでもありません。単に個物res singularisの観念ideaが神Deusの無限な観念が存在する限りにおいてのみ存在するといわれる場合と,個物の観念が持続するdurareといわれる存在existentiaを含む場合を,それ自体とは何ら関係のない円と円に含まれる相互に等しい無限に多くのinfinita矩形との関係で喩えているだけで,しかもそれがすべてです。ですからこれをそのまま正確なものとして解釈することはできない可能性は,若干ではあるかもしれませんが残るのです。なぜならここでいわれていることについては,それを合理的に解釈するということはだれにもできないのであって,ただスピノザが自身のいわんとしていることを正確に喩えていると信じるほかないからです。ですがそれは信じているだけであり,それについて僕たちが確実性certitudoを有しているということにはなりません。スピノザがいわんとしていることを正確に喩えていることに成功しているとは限らず,実際には失敗しているかもしれないからです。
 そのような危険性が潜んでいるとはいえ,ここではこの比喩が正確で,第二部定理八の個物の形相的本性essentia formalisは,現実的に存在する個物の本性を意味するのではなく,したがって,神の属性の中に含まれている個物の形相的本性のうちには,現実的に存在する個物の本性は含まれていないと解しておきます。ですから秋保は第二部定理八系を根拠に,個物は永遠なaeternusものであるといっているのですが,これを根拠とするのであれば,現実的に存在する個物について,それを永遠aeterunusであるという意味には解することができなくなるでしょう。
 それでは,第二部定理八でいわれている個物の形相的本性とは,どのような意味での本性と解するべきなのでしょうか。それはおそらく,現実的に存在する個物の本性,たとえばあの人間とかこの人間とかいわれるような個々の現実的に存在する人間の本性ではあり得ないのですから,すべての人間に共通するような人間の本性であることになるでしょう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 戸口の雑感①&第二部定理八備考 | トップ | 表彰選手&理性の対象 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

競輪」カテゴリの最新記事