スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

香港チャンピオンズデー&無限知性

2019-04-29 19:26:02 | 海外競馬
 香港のシャティン競馬場で開催された昨日の香港チャンピオンズデー。今年は2レースに4頭の日本馬が遠征しました。
 チェアマンズスプリントプライズGⅠ芝1200m。
 ナックビーナスは好発。最初は4番手を追走。3コーナーにかけて2番手まで上がり,逃げた馬と並ぶ形で直線に。コーナーの時点ではすでに手が動いていたのですが,直線でもしばらくは前を追い掛けようとしていました。しかし残り200mで一杯となり,勝ち馬から4馬身半差で6着。香港はスプリント戦のレベルが高いので,この馬の日本での実績からすると苦戦は免れ得ないのではないかと思っていました。先行してしっかりと勝ちにいくレースはできましたから,上出来だったのではないでしょうか。
 クイーンエリザベスⅡ世カップGⅠ芝2000m。
 やや出負けしたウインブライトは5番手集団の最内。リスグラシューはその集団の後ろの外。ディアドラはさらにその後ろを追走。コーナーではウインブライトはそのまま内を回り,リスグラシューは外から進出。ディアドラは馬群の只中でリスグラシューの後ろまで取りつきました。前で競り合っていた2頭の外に持ち出されたのがウインブライトで,リスグラシューは馬場の外から。ウインブライトが競り合う2頭を差し切り,後続の追い上げも封じてレコードタイムで優勝。リスグラシューは2着争いの競り合いに最後で負けて1馬身差の3着。ディアドラは馬群は抜け出しましたが時すでに遅しで4馬身4分の1差で6着。このコースは内枠が絶対的に有利。ウインブライトは1枠を引けたのが最大の勝因でしょう。騎手もそのメリットを最大限に生かす騎乗だったと思います。リスグラシューも4番枠でさほど悪くなかったのですが,結果的にやや大味な競馬になってしまいました。ディアドラは仕掛けが遅れてしまったという感は否めませんが,着差からして上位争いは難しかったろうと思われます。
 優勝したウインブライトは今年に入って中山金杯,中山記念と連勝中。3連勝で重賞6勝目。大レースは初制覇。父はステイゴールド。母の父はアドマイヤコジーン。日本馬の海外GⅠ制覇は先月のドバイターフ以来。香港では一昨年のクイーンエリザベスⅡ世カップ以来。
 騎乗した松岡正海騎手は2009年の天皇賞(春)以来となる大レース4勝目。海外重賞は初勝利。管理している畠山吉宏調教師は2013年のNHKマイルカップ以来の大レース2勝目。海外重賞初制覇。

 第一部定理一七の備考Scholiumで形相的本性essentia formalisという語が用いられるとき,ややこしくなってしまっている理由というのは,スピノザがこの部分で自分の考え方とは異なる見解opinioについて説明するときに,この語を用いているからです。これは神Deusの本性に知性intellectusが属するのだとすれば,神の知性と人間の知性は,同じように知性という記号で表現されるだけで,本物の犬と星座の犬ほどの違いがあることになるということを示す目的があります。ただ,ここではスピノザが形相的本性という語で何を意味しようとしているのかということを考察しているので,スピノザの主旨がどこにあるのかは関係ありません。ですがスピノザの思想と異なった見解を,この考察のためだけに示すと,無用の混乱を来すおそれがあります。なのでその点に注意して,入念に検討していきます。
                                   
 スピノザの哲学では,無限知性intellectus infinitusというのは思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態です。これはスピノザが書簡六十四でいっています。そして直接無限様態は第一部定理二一の様式で生じます。つまり無限知性は思惟の属性の絶対的本性を原因causaとして生じるということになります。
 一般に,Xが属性の絶対的本性から発生するといわれるなら,Xは属性の絶対的本性そのものではありません。これは結果effectusというのはその原因とは本性の上でも存在existentiaの上でも異なるものであるがゆえに,原因に対する結果であるといわれ得るということから明白でなければなりません。第一部公理三には強い意味弱い意味とがあるのですが,このうちの弱い意味というのはこのことから公理Axiomaとして成立するのだといえるのです。よって,無限知性が思惟の属性の絶対的本性から生じる直接無限様態であるということは,無限知性は思惟の属性とは本性の上でも存在の上でも異なるものであるといわなければなりません。
 第一部定義四は,属性というのは実体substantiaの本性を構成するものだといっています。そして第一部定理一四は,実在する実体は神だけであるといっています。よって思惟の属性は神の本性を構成していることになります。第二部定理一は,思惟が神の属性であることを示していますから,確かに思惟の属性は神の本性を構成しているのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天皇賞(春)&使用例 | トップ | 国際自転車トラック競技支援... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海外競馬」カテゴリの最新記事