スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊スポーツ賞東京湾カップ&創世記との関連

2014-05-08 19:37:39 | 地方競馬
 1着馬と2着馬に東京ダービーの優先出走権が与えられる第28回東京湾カップ。5日に藤江騎手が骨盤の腸骨骨折という重傷を負ったため,リュウチャンは酒井忍騎手に変更。
 積極的に先手を奪いにいく馬がなく,流れの中でサーモピレーの逃げに。2番手にノーキディング,3番手にパンパカパーティ。1コーナーではこの位置取りが形成されていましたが,それほどペースを落とさなかったこともあり,長めの隊列でのレースになりました。
 サーモピレーは直線に入るところで後ろに大きな差をつけ,これはセーフティリード。さすがに最後は一杯になったために,追走していたノーキディングとの差は詰まりはしたものの,4馬身という差をつけて快勝。パンパカパーティは逆に直線では2着のノーキディングとの差が開いてしまいましたが,後続の追撃は凌いで4馬身差の3着。道中の位置取りそのままの上位の決着でした。
 優勝したサーモピレーは北海道で4戦した後,昨年12月から南関東で走り始め,5戦目での転入後の初勝利となり南関東重賞初制覇。戦っていた相手はこのメンバーでは上位で,しかも崩れていませんでしたから,今日の勝利は順当なもの。レース振りからはスピードタイプという印象で,距離が長くなるのはあまりプラスにはならないように思えます。父はクロフネ。曾祖母がアンティックヴァリューで,祖母の半姉にベガ。Thermopylaeはペルシア戦争でスパルタ軍が全滅したといわれるギリシア東部の山道。
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手は先月の羽田盃に続く南関東重賞制覇。第27回に続き東京湾カップ連覇で2勝目。管理している船橋の川島正行調教師は第14回,18回,20回,24回と制しており,4年ぶりの東京湾カップ5勝目。

 神の存在の原因が何であるのかということを問う以前の問題として,神の存在の原因を問うこと自体が可能なのか否かということが,当時は広い意味での哲学的課題のひとつでした。広い意味でというのは,ここには純粋に哲学的意味があるというのではなく,神学的要素が介入していたからです。
 旧約聖書の創世記は,神が天地の創造主であることを示しています。この創造にはふたつの意味があります。ひとつは無から天地という有を創造したという意味です。もうひとつは混沌とした天地を秩序だった天地に創造したという意味です。創世記というのは多角的に語られていて,どちらの意味もその中に発見することができると僕は判断しています。ただ,無から有を産出するにせよ,カオスをコスモスに均すにせよ,それを為す神が存在するということは無条件に前提されています。つまり神がどのように存在するようになったのかは,創世記には書かれていません。そしてそれは創世記に限ったことではなく,旧約聖書全体でも同様ですし,新約聖書を加えたとしても同様なのです。
 こうした事情から,神の存在の原因に関する問いは,神学的見地からはタブーとされるべき問いでした。スピノザは,デカルトはそのタブーを踏み越えたと理解していたわけです。そして一部の保守的な神学者たちがデカルトの哲学を論難しようと躍起になった理由のひとつはこの点にあったというべきでしょうから,この点では,スピノザと保守派神学者の見解は一致していたということになります。
 保守的神学者は,聖書に書かれていないような事柄を問われた場合には答えることが不可能でしたから,そうした問いを発する者を排斥するほか手立てがなかったわけで,デカルトに対してこうした態度をとったのは,保守派の面目躍如であったといえます。また,スピノザがハイデルベルク大学教授の就任の要請を断った背景には,公的教育に関わる場合には,こうした宗教的タブーを侵さないようにする必要が生じるという点にあったといえます。スピノザにとっては,とりわけ保守的な宗教的タブーによって哲学する自由が侵犯されるなどはもってのほかであったのです。

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