7日と8日に指された第26期竜王戦七番勝負第三局。
森内俊之名人の先手で渡辺明竜王の急戦矢倉。後手が駒損を甘受して玉を堅め,猛攻するという将棋に。細い攻めをうまく繋げるのは渡辺竜王の真骨頂なのですが,この将棋では選択ミスが生じたようで,先手の反撃を喰らうことに。一時的に先手がリードしたようですが,受けに時間を使ったためにその時点では残り時間が少なく,そのために間違えて混戦に。最後は後手玉が逃げ切り,先手を即詰みに討ち取りました。
これがその局面。先手の直前の指し手は▲6五桂で,これは△6七角からの詰めろを消しつつ後手玉に詰めろを掛けた手。こういう手があるなら普通は先手の勝ちとしたものですが,この場合は第1図のように下から角を打って詰ます順もあり,受けになってはいませんでした。
第19期竜王戦で,渡辺竜王は連敗で第三局を迎えました。その将棋は相矢倉から大熱戦に。最後に妙手を出した渡辺竜王が勝ち,防衛に繋げました。
その妙手が第2図。まったく形は異なりますが,下から王手で角を打つというあたり,今回の将棋との類似を感じます。対局場も長崎で,今回と同じ九州対局だったのです。どことなく今後のタイトル戦の行く末を予感させるものが僕にはあった表象像の連結なのですが,もちろん単なる偶然の一致であるかもしれません。
渡辺竜王が勝って1勝2敗。第四局は21日と22日です。
処方箋は入手できましたので,帰路に薬局に寄って注射針も入手。帰宅したのが11時15分頃だったでしょうか。単純な所要時間だけでいえば,およそ1か月前の眼科検診とほぼ同じ。ただО眼科とみなと赤十字病院では,往復に要する時間が倍以上は異なりますから,いかに病院での滞在時間が短くすんだかということはお分かりいただけるものと思います。逆にいうならこれは,О眼科が普段から相当に混雑しているということの証明だともいえるでしょう。午後からの長者町の仕事も,事前の思い通りにこなすことができました。
この翌日,9月28日の土曜日に法事がありました。これはふたつの法事を同時に執り行ったもの。ひとつはK伯母の三回忌であり,これが主要なものでした。また今年は祖母,父の母ですが,その二三回忌の年にあたっていましたので,そちらも同時に済ませてしまったというものです。
祖母の死の直後に秋の天皇賞があり,そのレースをレッツゴーターキンが勝ちました。これは僕の精神の中で,レッツゴーで始まる名前の馬が,ある特別な存在になったことの理由のひとつであり,最初のものです。そのことは別として,秋の天皇賞というのは,その当時も現在も,概ね10月の終り頃に行われます。したがって厳密に祖母の二三回忌法要を営むとすれば,一月ほど早かったということになります。ただ,今月も翌月も法事ということになれば,集まるのにも負担が大きくなりますし,喪主にとってはなおさらです。ですから時期的にその死が近かったK伯母の三回忌に合わせて,祖母の二三回忌も執り行ってしまったのです。こうしたことはよくあることなのではないかと思います。
K伯母に関してはこれまですべての法事で父の長兄であるY伯父が喪主を務めました。一方,祖母の法事に関しては,末子相続をした父がそれを務めていたのです。したがってその流れでいけば,僕か母が務めるというのが筋だったかもしれません。しかし祖母の長男が存命であるのに,僕や母が喪主になるというのも変ではないかと思えました。こうしたことをY伯父と話し合い,そちらの方の喪主も依頼することになったものでした。
森内俊之名人の先手で渡辺明竜王の急戦矢倉。後手が駒損を甘受して玉を堅め,猛攻するという将棋に。細い攻めをうまく繋げるのは渡辺竜王の真骨頂なのですが,この将棋では選択ミスが生じたようで,先手の反撃を喰らうことに。一時的に先手がリードしたようですが,受けに時間を使ったためにその時点では残り時間が少なく,そのために間違えて混戦に。最後は後手玉が逃げ切り,先手を即詰みに討ち取りました。
これがその局面。先手の直前の指し手は▲6五桂で,これは△6七角からの詰めろを消しつつ後手玉に詰めろを掛けた手。こういう手があるなら普通は先手の勝ちとしたものですが,この場合は第1図のように下から角を打って詰ます順もあり,受けになってはいませんでした。
第19期竜王戦で,渡辺竜王は連敗で第三局を迎えました。その将棋は相矢倉から大熱戦に。最後に妙手を出した渡辺竜王が勝ち,防衛に繋げました。
その妙手が第2図。まったく形は異なりますが,下から王手で角を打つというあたり,今回の将棋との類似を感じます。対局場も長崎で,今回と同じ九州対局だったのです。どことなく今後のタイトル戦の行く末を予感させるものが僕にはあった表象像の連結なのですが,もちろん単なる偶然の一致であるかもしれません。
渡辺竜王が勝って1勝2敗。第四局は21日と22日です。
処方箋は入手できましたので,帰路に薬局に寄って注射針も入手。帰宅したのが11時15分頃だったでしょうか。単純な所要時間だけでいえば,およそ1か月前の眼科検診とほぼ同じ。ただО眼科とみなと赤十字病院では,往復に要する時間が倍以上は異なりますから,いかに病院での滞在時間が短くすんだかということはお分かりいただけるものと思います。逆にいうならこれは,О眼科が普段から相当に混雑しているということの証明だともいえるでしょう。午後からの長者町の仕事も,事前の思い通りにこなすことができました。
この翌日,9月28日の土曜日に法事がありました。これはふたつの法事を同時に執り行ったもの。ひとつはK伯母の三回忌であり,これが主要なものでした。また今年は祖母,父の母ですが,その二三回忌の年にあたっていましたので,そちらも同時に済ませてしまったというものです。
祖母の死の直後に秋の天皇賞があり,そのレースをレッツゴーターキンが勝ちました。これは僕の精神の中で,レッツゴーで始まる名前の馬が,ある特別な存在になったことの理由のひとつであり,最初のものです。そのことは別として,秋の天皇賞というのは,その当時も現在も,概ね10月の終り頃に行われます。したがって厳密に祖母の二三回忌法要を営むとすれば,一月ほど早かったということになります。ただ,今月も翌月も法事ということになれば,集まるのにも負担が大きくなりますし,喪主にとってはなおさらです。ですから時期的にその死が近かったK伯母の三回忌に合わせて,祖母の二三回忌も執り行ってしまったのです。こうしたことはよくあることなのではないかと思います。
K伯母に関してはこれまですべての法事で父の長兄であるY伯父が喪主を務めました。一方,祖母の法事に関しては,末子相続をした父がそれを務めていたのです。したがってその流れでいけば,僕か母が務めるというのが筋だったかもしれません。しかし祖母の長男が存命であるのに,僕や母が喪主になるというのも変ではないかと思えました。こうしたことをY伯父と話し合い,そちらの方の喪主も依頼することになったものでした。
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