スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&レッツゴー

2010-10-27 19:03:50 | 将棋
 渡辺明竜王の先勝で開幕した第23期竜王戦七番勝負の第二局。
 羽生善治名人の先手で相矢倉▲3七銀△6四角から先手が最も攻撃的な手順に出る定跡に。
                         
 普通は△1五同歩でしょうが△3七銀。▲3九飛と引いたところで△1五歩と手を戻しました。対して▲6四歩△同角として▲1五香。この組み合わせ手順は新構想だったようです。△同香は当然でしょうが▲6五銀と角取りに打ったのに対し△2六銀成としたところで封じ手。
 相矢倉の戦いというのは攻め続けられるならば多少の駒損は相殺できるケースが多いので,ここは優劣は分かりませんが,勝ちやすいか勝ちにくいかでいえば,後手は相当に勝ちにくいような印象を受けました。
 後手の指し方は入玉含みと思っていたのですが,2日目に入って9筋で戦いを起こし,攻め合いに出ました。やはり一方的に攻められては駒得が生きないという判断だったのではないかと思います。
                         
 ここで先手の▲8四同馬は驚きの一手。入手した桂馬を4六に打って攻めましたが,ここは後手玉の上部が手厚くなっているので先手もかなり駒を渡さなければいけない形。とくに飛車を切らなければならなくなったのが痛かったように思います。
                         
 ここで△5九飛と打ち込みましたがこれだけで先手玉はずいぶんと危険な形。この局面自体,まだ難解であるように思いますが,すでに後手の勝ち筋に入りつつあるのではないでしょうか。この後,先手も厳しく詰め寄っていきましたが,わずかに届かず,後手の勝ちとなっています。
 渡辺竜王が連勝。竜王戦では驚異的な強さをみせていますので,防衛に大きく近づいたといっていいのではないでしょうか。第三局は来月10日と11日です。

 話は祖母,の母が死んだときのことに遡ります。祖母が死んだのは1992年10月末。この週のうちに通夜と葬儀を終えると,週末の中央競馬は秋の天皇賞でした。
 僕は当時は大学4年。祖母が死んだという事情を知らなかった友人から電話があり,その天皇賞の馬券を買いに行こうという誘いがありました。当時,この友人からはよくこうした誘いがあり,その場合はこの友人が車を出し,馬券を買った後でカラオケなどに行って遊ぶというのが恒例でした。ただ,父とは違って祖母は競馬はやりませんでしたから,喪に服すというのでもありませんが,何となくそんな気になれず,このときの誘いは断りました。するとその友人は,参考にしたいからと言って,どの馬がいいと思うかと尋ねてきたのです。
 このときの天皇賞は,トウカイテイオーが人気になることが確実でした。ただ,休み明けということもあり,僕は危うい気がしていましたので,別の馬の名前を2頭あげたのです。それがレッツゴーターキンという馬とムービースターという馬でした。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが,このときの天皇賞はまさにこのときに僕があげた2頭が外を追い込んで決着したのです。レッツゴーターキンという馬は,大レースはこの天皇賞を勝っただけ,種牡馬としても大した成績は修められず,名馬には違いありませんが,超一流馬というのとは違います。ただ,このことがありましたので,僕の記憶には強く印象付けられている馬だったのです。
 そこでこの週の関屋記念の出馬表を見ていますと,レッツゴーキリシマという馬がいました。レッツゴーキリシマとレッツゴーターキンは,ただレッツゴーで始まるというだけで,ほかには何の関係もありません。それでもやはり気になりました。しかもこの馬,このときは北村宏司騎手が乗ることになっていましたが,実は僕の父の名前というのは,字こそまったく違いましたが,北村騎手と同じだったのです。
 これもご存じの方がいらっしゃるでしょう。この関屋記念はレッツゴーキリシマが逃げ切って優勝しました。そう多くないレッツゴーで始まる馬名の馬の活躍は,僕にとっては特別な記憶として残っていくでしょう。
コメント
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