大レースのはざまに位置する関係で,あまり有力馬が集まらない傾向にある第31回浦和記念。
スマートファルコンが今日も逃げの手に出ました。ただし,前走の猛烈なラップに対して今日は前半の1000mが63秒9と一転してスローペース。このペースで逃げられてはすでに勝負ありといったところ。
2番手で追っていたディアーウィッシュも直線に入るところでは苦しくなり,あとは独走となったスマートファルコンが6馬身差をつけての圧勝。途中から動いていったボランタスが2着に入り,外から追ってきたブルーラッドとドリームトレジャーの追撃を凌ぎきったディアーウィッシュが3着。
優勝したスマートファルコンはJBCクラシックから連勝で重賞12勝目。浦和記念は一昨年も優勝していて2勝目。距離適性という面からは,本当はもう少し短い方がいいのだろうと思いますが,どうやらすんなり行けた場合に最も力を発揮できるということがここにきて明らかになってきました。そういう意味では主導権を奪いやすいこのくらいの距離が,今後も活躍の舞台となってくるかもしれません。父はゴールドアリュール,兄に1999年の東京大賞典を勝ったワールドクリーク。
前走に引き続いての騎乗となった武豊騎手は2007年以来の浦和記念2勝目。管理している小崎憲調教師は一昨年以来の浦和記念2勝目です。
一般的にいって,ある事物を常に見続けている場合と,ある程度の間隔を開けて見ている場合とを比較するなら,もしも対象となっている事物に何らかの変化が生じているときには,後者の場合の方がその変化に気付きやすくなります。これは僕たちの経験から確かなことだといえるでしょう。たとえば僕の父の場合,母と妹が渡米している間にも体調は悪くなっていったのですが,一緒に生活していてずっと父を見続けていた僕と,渡米している間は父の様子を見ることがなかった母とでは,やはり母の方が父の変化というものをより敏感に察知したといえるでしょう。
僕は連日にわたって磯子中央病院に通い,母の見舞いをしていました。もちろん家で一緒に生活をしていたときと比べれば,母の様子を見ている時間というものは間違いなく減少していた筈ですが,それでも看護師をはじめとする病院の職員というのを別にすれば,だれよりも母のことを見ていたということになります。したがって,母の変化にはむしろ気付きにくい立場にあったということができるのではないかと思います。実際にもしも母の変化というものが,それこそ薄皮を1枚ずつ剥いていくような,ごく些細なものであったとしたら,僕はそれには気が付かなかったかもしれません。
しかし実際には,この父の百日法要の前後における母の変化,その回復ぶりというのは,僕の目にもはっきりと顕著であり,驚くほどであったのです。まさにこの頃の母は,昨日よりも今日,今日よりも明日といった具合に,1日という単位で明らかに前進していました。
この点について,母自身は,薬の変化がよかったかもしれないと言っています。入院した後の母は,手術はしませんで投薬治療を続けていたのですが,この投薬は2種類あり,ひとつは出血を止めるもので,もうひとつは吐き気と目眩を抑制するものでした。これを栄養剤と一緒に点滴で投与されていたのです。
しかしこの吐き気と目眩を抑制する薬が,飲み薬に変化してから,回復が顕著になったようなのです。ただし,それはたまたま回復の時期と薬の投与方法の変化とが重なったというだけであって,このふたつの事柄の間に,本当に第一部公理三でいわれるような因果関係があったかどうかは分かりません。
スマートファルコンが今日も逃げの手に出ました。ただし,前走の猛烈なラップに対して今日は前半の1000mが63秒9と一転してスローペース。このペースで逃げられてはすでに勝負ありといったところ。
2番手で追っていたディアーウィッシュも直線に入るところでは苦しくなり,あとは独走となったスマートファルコンが6馬身差をつけての圧勝。途中から動いていったボランタスが2着に入り,外から追ってきたブルーラッドとドリームトレジャーの追撃を凌ぎきったディアーウィッシュが3着。
優勝したスマートファルコンはJBCクラシックから連勝で重賞12勝目。浦和記念は一昨年も優勝していて2勝目。距離適性という面からは,本当はもう少し短い方がいいのだろうと思いますが,どうやらすんなり行けた場合に最も力を発揮できるということがここにきて明らかになってきました。そういう意味では主導権を奪いやすいこのくらいの距離が,今後も活躍の舞台となってくるかもしれません。父はゴールドアリュール,兄に1999年の東京大賞典を勝ったワールドクリーク。
前走に引き続いての騎乗となった武豊騎手は2007年以来の浦和記念2勝目。管理している小崎憲調教師は一昨年以来の浦和記念2勝目です。
一般的にいって,ある事物を常に見続けている場合と,ある程度の間隔を開けて見ている場合とを比較するなら,もしも対象となっている事物に何らかの変化が生じているときには,後者の場合の方がその変化に気付きやすくなります。これは僕たちの経験から確かなことだといえるでしょう。たとえば僕の父の場合,母と妹が渡米している間にも体調は悪くなっていったのですが,一緒に生活していてずっと父を見続けていた僕と,渡米している間は父の様子を見ることがなかった母とでは,やはり母の方が父の変化というものをより敏感に察知したといえるでしょう。
僕は連日にわたって磯子中央病院に通い,母の見舞いをしていました。もちろん家で一緒に生活をしていたときと比べれば,母の様子を見ている時間というものは間違いなく減少していた筈ですが,それでも看護師をはじめとする病院の職員というのを別にすれば,だれよりも母のことを見ていたということになります。したがって,母の変化にはむしろ気付きにくい立場にあったということができるのではないかと思います。実際にもしも母の変化というものが,それこそ薄皮を1枚ずつ剥いていくような,ごく些細なものであったとしたら,僕はそれには気が付かなかったかもしれません。
しかし実際には,この父の百日法要の前後における母の変化,その回復ぶりというのは,僕の目にもはっきりと顕著であり,驚くほどであったのです。まさにこの頃の母は,昨日よりも今日,今日よりも明日といった具合に,1日という単位で明らかに前進していました。
この点について,母自身は,薬の変化がよかったかもしれないと言っています。入院した後の母は,手術はしませんで投薬治療を続けていたのですが,この投薬は2種類あり,ひとつは出血を止めるもので,もうひとつは吐き気と目眩を抑制するものでした。これを栄養剤と一緒に点滴で投与されていたのです。
しかしこの吐き気と目眩を抑制する薬が,飲み薬に変化してから,回復が顕著になったようなのです。ただし,それはたまたま回復の時期と薬の投与方法の変化とが重なったというだけであって,このふたつの事柄の間に,本当に第一部公理三でいわれるような因果関係があったかどうかは分かりません。
看護師の転職って大変ですよねw
新しい職場を探すのも良いかもvvv
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