自身では公言していませんが,馬場は自分が力道山の後継者であるという自負は持っていたと思います。では馬場が生前の力道山のことをどう思っていたか,資料を参考に類推してみます。
力道山は弟子に暴力を用いて指導したけれども,馬場は一度も殴られたことはなかったという話を聞いたことがありますが,これは嘘だと思います。馬場の右手は力道山の特訓で強化されました。木槌で叩いたことを暴力とはみなしませんが,馬場はもしも痛さで手を引っ込めれば拳骨が飛んでくるという主旨のことをいっています。この特訓時にそういうことがあったかもしれませんし,少なくとも過去に殴られた経験なしに,このようなことはいわないでしょう。ただ,頻度でいえば,ほかの弟子たちより暴力的指導を受ける機会が少なかったというのは,たぶん事実だろうと思います。
馬場が最初の渡米から帰国するとき,力道山はアメリカまで迎えにいきました。そのときホテルでふたりで話したと『16文の熱闘人生』にあります。馬場によればふたりきりで話をしたのはこれが初めてのこと。そしてこれを機に,馬場は自身の力道山観が変化したといっています。渡米前は鬼のように思っていたが,根は優しい人であると思えるようになったというのがその変化。たぶんこのような力道山観を抱いているレスラーは少数派で,もしかしたら馬場だけであったかもしれません。実はこのときの内容に,引退したら任せるという話があったそうで,馬場が力道山の後継らしきことを示しているのはこの部分だけです。
馬場は人間として,恩義に忠実なところがあります。僕は馬場の力道山観の根底にはそれがあったと思っています。急死後の帰国の決断も,それが大きく影響していたのだろうと思います。したがって,たとえばフレッド・アトキンスを師匠としても人間的にも慕うというような感情は,力道山に対しては持っていなかったと思います。むしろプロ野球選手を解雇され,路頭に迷いかねなかった自分に,新たな仕事,それも天職のような仕事を授けてくれた恩人というのが,馬場の力道山観の根源だったのではないでしょうか。
スピノザの哲学,とくに『エチカ』には二種類の因果性があると主張する識者が存在するということを僕に教えてくれたのは,松田克進でした。それは「二重因果性の問題」という論文で,『スピノザの形而上学』の第3章に所収されています。
まずはこの論文の概要をごく簡単に開陳しておきましょう。
標題となっている二重因果性とは,スピノザの哲学には,少なくとも表現の上では二種類の因果性が登場しているということです。論文の第4節で松田が用いていることばを援用し,これを永遠の相の因果性と持続の相の因果性と分類しておきます。前者の代表として第一部定理一五,後者の代表として第一部定理二八をここでは挙げておきます。
松田によれば,これら表現上の二種類の因果性を,数的に別個の因果性であると主張した代表がゲルーです。論文の第2節では,このゲルーの主張が詳しく分析されます。
しかし,一般的な解釈は,ゲルーのような解釈ではありません。むしろこれらの因果性は,表現の上で種別され得るだけで,数的には同一であるとされています。そこで論文の第3節では,ゲルーの解釈に対する批判の検討がなされます。このときに松田が採用している論者は,クレーファーです。実は僕はゲルーに関しては知っていましたが,クレーファーという学者については,この論文を読むまで名前も知りませんでした。松田がクレーファーを選択しているのには明確な理由があります。クレーファーには「ゲルーについての注釈」という論文があり,そこではゲルーの解釈が批判されているのです。そして第3節は,この論文が詳細に検討されています。
第4節で松田は,自身の結論を示します。結論だけをいえば,松田はゲルーに軍配を上げています。松田自身はゲルーの主張には問題が含まれているとしていて,ゲルーの主張を全面的に受け入れているわけではありません。ただ,数的に別個な二種類の因果性があるのか,それとも区別不可能な唯一の因果性があるのかと問われるならば,前者の方が正しいと判断しているわけです。つまり二種類の因果性があるということは,ゲルーの主張であるのと同じように,松田の主張でもあるということになります。
力道山は弟子に暴力を用いて指導したけれども,馬場は一度も殴られたことはなかったという話を聞いたことがありますが,これは嘘だと思います。馬場の右手は力道山の特訓で強化されました。木槌で叩いたことを暴力とはみなしませんが,馬場はもしも痛さで手を引っ込めれば拳骨が飛んでくるという主旨のことをいっています。この特訓時にそういうことがあったかもしれませんし,少なくとも過去に殴られた経験なしに,このようなことはいわないでしょう。ただ,頻度でいえば,ほかの弟子たちより暴力的指導を受ける機会が少なかったというのは,たぶん事実だろうと思います。
馬場が最初の渡米から帰国するとき,力道山はアメリカまで迎えにいきました。そのときホテルでふたりで話したと『16文の熱闘人生』にあります。馬場によればふたりきりで話をしたのはこれが初めてのこと。そしてこれを機に,馬場は自身の力道山観が変化したといっています。渡米前は鬼のように思っていたが,根は優しい人であると思えるようになったというのがその変化。たぶんこのような力道山観を抱いているレスラーは少数派で,もしかしたら馬場だけであったかもしれません。実はこのときの内容に,引退したら任せるという話があったそうで,馬場が力道山の後継らしきことを示しているのはこの部分だけです。
馬場は人間として,恩義に忠実なところがあります。僕は馬場の力道山観の根底にはそれがあったと思っています。急死後の帰国の決断も,それが大きく影響していたのだろうと思います。したがって,たとえばフレッド・アトキンスを師匠としても人間的にも慕うというような感情は,力道山に対しては持っていなかったと思います。むしろプロ野球選手を解雇され,路頭に迷いかねなかった自分に,新たな仕事,それも天職のような仕事を授けてくれた恩人というのが,馬場の力道山観の根源だったのではないでしょうか。
スピノザの哲学,とくに『エチカ』には二種類の因果性があると主張する識者が存在するということを僕に教えてくれたのは,松田克進でした。それは「二重因果性の問題」という論文で,『スピノザの形而上学』の第3章に所収されています。
まずはこの論文の概要をごく簡単に開陳しておきましょう。
標題となっている二重因果性とは,スピノザの哲学には,少なくとも表現の上では二種類の因果性が登場しているということです。論文の第4節で松田が用いていることばを援用し,これを永遠の相の因果性と持続の相の因果性と分類しておきます。前者の代表として第一部定理一五,後者の代表として第一部定理二八をここでは挙げておきます。
松田によれば,これら表現上の二種類の因果性を,数的に別個の因果性であると主張した代表がゲルーです。論文の第2節では,このゲルーの主張が詳しく分析されます。
しかし,一般的な解釈は,ゲルーのような解釈ではありません。むしろこれらの因果性は,表現の上で種別され得るだけで,数的には同一であるとされています。そこで論文の第3節では,ゲルーの解釈に対する批判の検討がなされます。このときに松田が採用している論者は,クレーファーです。実は僕はゲルーに関しては知っていましたが,クレーファーという学者については,この論文を読むまで名前も知りませんでした。松田がクレーファーを選択しているのには明確な理由があります。クレーファーには「ゲルーについての注釈」という論文があり,そこではゲルーの解釈が批判されているのです。そして第3節は,この論文が詳細に検討されています。
第4節で松田は,自身の結論を示します。結論だけをいえば,松田はゲルーに軍配を上げています。松田自身はゲルーの主張には問題が含まれているとしていて,ゲルーの主張を全面的に受け入れているわけではありません。ただ,数的に別個な二種類の因果性があるのか,それとも区別不可能な唯一の因果性があるのかと問われるならば,前者の方が正しいと判断しているわけです。つまり二種類の因果性があるということは,ゲルーの主張であるのと同じように,松田の主張でもあるということになります。
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