スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&真理の獲得

2023-09-30 19:11:02 | 将棋
 27日に指された第31期倉敷藤花戦挑戦者決定戦。西山朋佳女流三冠と加藤結李愛女流初段は公式戦初対局。
 振駒で加藤女流初段の先手。西山女流三冠の角交換中飛車に先手の玉頭位取りという戦型になりました。
                                        
 ここで後手が打った☖3五銀という手はかなり重苦しく感じる手で,先手は角を逃げておいても十分だったように思います。しかし☗同角と取りました。☖同飛で一時的に駒損ですが☗2六銀と飛車角の両取りに打つのが返し技。ただこれは後手の読み筋だったようで,☖4五飛とただのところに寄りました。
                                        
 ここで☗同銀と取ると☖4七角成で,後手は銀損の代償に馬を作るという展開になります。ただ先手の2六の銀は使いにくいので得した銀をそこに使ってしまっているとみれば,先手は銀得ほどの利はないかもしれません。駒の損得と駒の働きのどちらを重視するかという局面で,先手は働きの方を重視してここから☗4六歩☖同飛☗2五銀☖4九飛成☗3六銀と,駒得は諦め龍も作らせますが銀と飛車を働かせにいきました。ただこの場合は龍を作らせるという代償が大きすぎて,苦しくなってしまいました。駒の働きの方を軽視して駒得の順に進める方がよかったようです。
 西山女流三冠が勝って挑戦者に前期に続いての挑戦。第一局は11月7日に指される予定です。

 第二部定理三七でいわれているように,共通概念notiones communesは個物res singularisの本性essentiaを構成するわけではありません。しかしそれを思惟の様態cogitandi modi,あるいは客観的有esse objectivumとしてみるなら真verumです。共通概念は真であるがゆえに,理性ratioによる推論の基礎となる概念なのです。そしてこうした共通概念は,現実的に存在するすべての人間の知性intellectusの一部を構成しています。そしてそのことが,僕たちが観念ideaを神Deusに帰していることを知ること,神に帰している観念と神に帰していない観念の相違を知ること,その相違を知るがゆえに僕たちがいかなる方法で観念を神に帰するのかということを知ることの,必要十分条件を構成します。したがって,実は僕たちは,そのことを意識しているか否かは別にするとしても,これらすべてのことを知っているのです。
 私見ですが,僕たちはこのことを知っているがゆえに,むしろ自由な意志voluntas liberaによって観念を神に帰したり帰さなかったりすることができる,あるいは実際にそのようにしていると錯覚してしまうのです。僕たちは現にいくつかの共通概念を有していて,それがその共通概念を神に帰しているということだということは知っているのですが,その共通概念が僕たちの知性のうちに発生する原因causaというのは分からないので,それを自分の意志によるものだと思い込んでしまうのです。このために,当初の疑問,すなわちそれではいかにして僕たちはある観念を神に帰することができるのかという疑問が生じてくることになるのです。
 ここまでの考察から理解できるかもしれませんが,実はこのことは,スピノザの哲学において真理獲得の方法とはいかなるものであるのかという疑問と関連しているのです。このことについてはすでに探求しましたからここでは結論だけを述べておきますが,スピノザの哲学では,知性が真理veritasを獲得するということなしには真理を獲得する方法を知ることはできないということになっています。つまり,真なるものを認識するcognoscere以前に,真理を獲得する方法を単独で知るということはできないのです。しかしひとたび真理を獲得するならば,真理を獲得する方法もそれと同時に知ることができます。そしてこれが必要十分条件となっているのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 王座戦&必要十分条件 | トップ | スプリンターズステークス&... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

将棋」カテゴリの最新記事