スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&第二部定理一九

2008-11-12 21:25:26 | 将棋
 女流王位戦五番勝負第五局。振駒で石橋幸緒女流王位が先手となり,清水市代女流二冠は三度右四間飛車。今日は△6五歩と打っていたところで△6五銀と出たので,いきなり激しい戦いになりました。
           
 これで潰れては先手もやっていられませんから,厳密には無理な仕掛けなのだろうと思います。実戦は双方に疑問手があったようですが第2図に。
           
 ここは☗6三香と打てば,解説されている手順は必然に思えるので,そのまま先手が勝ったのではないかと思いますが☗6三桂。これはその前の☗1五角との関連もやや薄く思えます。この後,おそらく先手が馬を取られることを気にしたために,後手の飛車が捌ける形になりました。
           
 ここはひとまず☖3五歩と突く手ではなかったかと思いますがいきなり☖5九成銀。このあたりはすでに観戦していて,実戦の手順でも後手はそれなりにやれそうにも思えましたが,第4図の☗2六香という手がありました。
           
 後手はこの手に対して一旦は受けに回るべきだったようですが攻め合いを選択。しかしこのために一気に先手の攻めを食らい,あとはほとんど一方的といっていい内容で先手が押し切っています。
 3勝2敗となり石橋女流王位の防衛。連勝後に連敗で,流れは悪かったのですが,最終局となり,あるいは開き直れるような部分もあったのではないかと思います。

 明日から竜王戦七番勝負第三局が指されます。羽生善治名人の連勝で迎えますので,渡辺明竜王としてはもう負けられないところです。

 第二部定理一七表象の種類としては知覚を示す定理Propositioです。しかし,人間の精神mens humanaが事物を知覚するということのすべてが,この定理のうちに含まれているとは僕は考えていません。なぜなら,人間の精神が事物を知覚するというときには,この定理に示されているように,外部の物体corpusを知覚するというだけではなく,外部ではないような事物,すなわち自分自身を知覚するということも含まれなければならないからです。実際,僕たちは,自分自身が現実的に存在すると観想するcontemplariことがあると思いますが,このことは,この定理では説明できていないといっていいでしょう。
 次に,人間が自分自身を知覚するという場合には,ふたつの意味があります。それはいうまでもなく,人間というものが延長Extensioの個物res singularisである身体corpusと思惟Cogitatioの個物である精神mensが合一unioしたものであるからで,つまり自分自身を延長の様態modi,modusとして知覚する場合と思惟の様態として知覚する場合,いい換えれば,自分の身体が現実的に存在すると知覚する場合と,自分の精神が現実的に存在すると知覚する場合とのふたつがあるということになります。そこで知覚についてというか表象imaginatioについて考察するのであれば,これらふたつの知覚についても,『エチカ』に訴えて考えておかなければならないということになるでしょう。
 まず先に,自分自身の身体の知覚を考えます。ただしこのことについては外部の物体の知覚のように,知覚するということがそれ自体だけで示されている定理がありませんので,第二部定理一九を援用することにします。
 「人間精神は身体が受ける刺激〔変状〕の観念によってのみ人間身体自身を認識し,またそれの存在することを知る」。

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