スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

南三条⑥&往復

2018-07-27 18:58:44 | 歌・小説
 で知った意外な事実によって,歌い手は新たな感情に捉われることになります。
                                     

     そんなこと知らなかった
     彼といると思ってた
     ずっと憎んで来た無駄な日々返してと
     何を責めればいいの


 で歌っていたように,歌い手は相手の女のことを憎んでいました。本当は相手の女は自分にとって憎まれなければならないことをしたわけではないということを知りつつ憎んでいました。それは恋人を失った心の傷は,そうした八つ当たりでしかない憎しみによってしか癒したり贖ったりすることができなかったからです。ところがその男と今もいると思っていた女は,そうした八つ当たりの憎しみすら成立しない女であったのです。だから歌い手の女には,その憎しみ自体が無に帰し,憎んでいたこれまでの日々が無駄だったと感じられました。
 歌い手は何を責めればよいのかと問うています。しかしそもそも,憎んでいた日々が無駄でなかったとしても,相手は自分の憎しみを受けなければならない存在ではないということは知っていたのですから,この問いの答えは難しくありません。

     許せないのは許せなかったのは
     あの日あいつを惚れさせるさえ
            できなかった自分のことだった


 最終的には責任はすべて自分に帰ってきます。この「南三条」の終幕から,僕は「ノスタルジア」や「かもめの歌」の一節を連想します。

 通所施設と僕の家との往復は,まず僕の家の最寄りのバス停から根岸駅に出て根岸線で洋光台に行き,駅前からバスに乗るのが最速です。ですが通所施設と洋光台駅を結んでいるバスは上大岡駅の発着なので,最寄りのバス停から上大岡駅まで出て,バスを乗り換えるという方法もあり,僕は基本的に,というのはよほど急がなければならない場合を除いてという意味ですが,こちらを採用しています。その理由はふたつあって,ひとつはこれらはいずれも横浜市営の路線バスで,僕は市営バスについては定期券を持っていますから,定期代を別にすれば乗車賃を払う必要がないということです。もうひとつは,妹と一緒の場合,バスに乗る方が電車に乗るより楽ということです。改札からホームまでの往復というのは,意外と負担がかかるのです。
 ですからこの日も僕はひとりでしたが,上大岡経由でバスで行き,同様にバスで帰りました。ただ,契約を終了した時点で正午が近くなっていましたから,上大岡で昼食を摂ってから帰宅しています。帰ったのは午後1時45分で,この時点では呼吸器科の診察を終えた母は先に帰っていました。
 12月5日,火曜日。お寺の住職の奥さんが来訪しました。お寺とはK伯母が亡くなってからは,別の信者を通して連絡し合っていたのですが,その信者の方が体調を崩され,この時期にはこの奥さんがお寺と僕の家の連絡係のような役回りになっていたのです。このときの来訪の意図は,この年にお寺のために要した費用の清算がひとつと,もうひとつは今後のことについてです。その中にはもちろん,母は治癒の見込みはなかったわけですから死んだときの話も含まれていましたし,また,お寺に新たに建立される予定の会堂,これは納骨堂を兼ねたものですが,その会堂の話なども含まれていました。
 奥さんと話をしたのは基本的に母で,母は会堂が建立され,そこに納骨堂ができたら,今は日野公園墓地にある僕の家の墓は返し,入っている遺骨,父と父の両親の3人の遺骨は納骨堂に移し,自分と僕と妹もそこに納骨してもらうということを希望していました。納骨のためには費用が必要で,そうした話もあった筈です。

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