NHKマイルカップを勝ったピンクカメオの母系を紹介します。
この馬の母は1985年にアメリカで産まれたシルバーレーン(5-g)。競走生活を日本で送ったわけでもなく,アメリカとイギリスで繁殖生活をして後の輸入ですので,日本での歴史というのはほとんどない母系です。
この馬が輸入されたのには理由があります。Nureyevとの間に産まれた1994年産まれの牡馬,すなわちピンクカメオの半兄は,日本人に買われ,輸入されて日本で競走馬として走りました。買ったのはピンクカメオのオーナーと同じ金子真人さん。調教を任されたのもピンクカメオと同じ国枝栄調教師でした。それがブラックホーク。ピンクカメオのように早くから頭角を表したわけではありませんが,5歳の暮れにスプリンターズステークス,7歳の春には安田記念と,大レースを2勝した活躍馬でした。
イギリス産と日本産という違いはありますが,大レースの勝ち馬を2頭出したわけですので,このシルバーレーンも名繁殖牝馬であると思います。
明日は棋聖戦五番勝負第三局。先手の佐藤棋聖が勝てば,このタイトル六連覇ということになります。
もう一度月の例に立ち返って考えてみた場合に,たとえ人間の精神mens humanaのうちに,月に関して何らかの十全な観念idea adaequataがあった場合にも,人間の精神による月の表象imaginatioはそれによって変化するわけではありません。つまり人間の精神のうちに月に関するある十全な観念があるかないかには関係なく,自分の身体corpusが月から刺激される限りにおいて,その人間の精神のうちには月の混乱した観念idea inadaequataが生じることになります。しかしもしもこのときに,この人間の精神のうちに,月に関する十全な観念があるという場合には,まさにそのことによって,この人間が,月の表象については,それが十全な観念ではないということ,つまり混乱した観念であるということを同時に認識するでしょうから,この人間の精神の一部が虚偽falsitasによって構成されていることは間違いありませんが,同時に誤謬からの脱却を果たしているということになります。これはおそらくそれ自体で明らかで,とくに説明するまでもないと思います。
そこでこれを一般的にいうならば,Xについてその十全な観念が人間の精神のうちにある場合には,Xの混乱した観念がその人間の精神のうちに生じたとしても,その混乱した観念が混乱した観念であるということを同時に知ることができるので,Xについて誤るということはないということになります。そこで人間の誤謬errorからの脱却について大きな問題となるのは,そうした十全な観念が人間の精神のうちにないという場合でも,人間の精神のうちに生じる混乱した観念について,それが混乱した観念であるということを,人間は知ることができるのかどうかということになります。
この馬の母は1985年にアメリカで産まれたシルバーレーン(5-g)。競走生活を日本で送ったわけでもなく,アメリカとイギリスで繁殖生活をして後の輸入ですので,日本での歴史というのはほとんどない母系です。
この馬が輸入されたのには理由があります。Nureyevとの間に産まれた1994年産まれの牡馬,すなわちピンクカメオの半兄は,日本人に買われ,輸入されて日本で競走馬として走りました。買ったのはピンクカメオのオーナーと同じ金子真人さん。調教を任されたのもピンクカメオと同じ国枝栄調教師でした。それがブラックホーク。ピンクカメオのように早くから頭角を表したわけではありませんが,5歳の暮れにスプリンターズステークス,7歳の春には安田記念と,大レースを2勝した活躍馬でした。
イギリス産と日本産という違いはありますが,大レースの勝ち馬を2頭出したわけですので,このシルバーレーンも名繁殖牝馬であると思います。
明日は棋聖戦五番勝負第三局。先手の佐藤棋聖が勝てば,このタイトル六連覇ということになります。
もう一度月の例に立ち返って考えてみた場合に,たとえ人間の精神mens humanaのうちに,月に関して何らかの十全な観念idea adaequataがあった場合にも,人間の精神による月の表象imaginatioはそれによって変化するわけではありません。つまり人間の精神のうちに月に関するある十全な観念があるかないかには関係なく,自分の身体corpusが月から刺激される限りにおいて,その人間の精神のうちには月の混乱した観念idea inadaequataが生じることになります。しかしもしもこのときに,この人間の精神のうちに,月に関する十全な観念があるという場合には,まさにそのことによって,この人間が,月の表象については,それが十全な観念ではないということ,つまり混乱した観念であるということを同時に認識するでしょうから,この人間の精神の一部が虚偽falsitasによって構成されていることは間違いありませんが,同時に誤謬からの脱却を果たしているということになります。これはおそらくそれ自体で明らかで,とくに説明するまでもないと思います。
そこでこれを一般的にいうならば,Xについてその十全な観念が人間の精神のうちにある場合には,Xの混乱した観念がその人間の精神のうちに生じたとしても,その混乱した観念が混乱した観念であるということを同時に知ることができるので,Xについて誤るということはないということになります。そこで人間の誤謬errorからの脱却について大きな問題となるのは,そうした十全な観念が人間の精神のうちにないという場合でも,人間の精神のうちに生じる混乱した観念について,それが混乱した観念であるということを,人間は知ることができるのかどうかということになります。
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