スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流名人位戦&混乱した観念の本性

2008-02-21 18:56:04 | 将棋
 今までずっと女流名人戦と表記してきましたが,女流名人位戦が正しい名称だという指摘を渡辺竜王がしていました。ということで今日からは女流名人位戦と改めます。その五番勝負第三局は昨日指されたわけですが,できれば同日に別のタイトル戦を行うのは避けてほしいです。これは将棋界のためにもならないことのような気がします。
 先手,斎田晴子女流四段の作戦は四間飛車。矢内理絵子女流名人は得意の左美濃。互いに金銀4枚で固める持久戦に。後手の方から第1図のように開戦し,中盤の戦いに入りました。
         
 6・7筋に2・3筋の折衝も絡んで第2図。この△6三飛は部分的に変な形ですが,ここへ逃げたのは好判断だったのではないかと思います。
         
 この飛車が馬と交換になって後手は桂馬をきれいに捌いて第3図。ここでは後手がうまくやっているような感じがします。
         
 この後,後手は飛車を取るチャンスがあったのですが見送って第4図に。ここでは先手も勝負はできそうな形勢になっているように思えます。
         
 実戦はここから△3一銀打と受けました。先手は▲1五歩△同歩を入れてから▲2二桂成と取り,△同銀に▲1三歩と叩いて△同銀で第5図。
         
 1筋の突き捨てをさらに生かすならここで▲1四歩もあると思いますが実戦は▲2三香成。しかしこの攻めは切れてしまいました。第6図の▲2五歩で角が逃げられず,部分的には厳しいですが,この形は後手玉が安全。ということで後手から決めに出ました。ここでは1筋の突き捨てもかえって仇となってしまった印象です。
         
 第7図の△2六桂が最終的な決め手といえるでしょう。
         
 以下▲同金に△1七銀と打ち,▲2九玉に△2六金が詰めろ。▲3九玉には△5七角と王手し,▲4八飛に△6八とで先手玉は必死。後手玉はまったく詰みませんので後手の勝ちとなりました。
         
 矢内名人が3連勝で女流名人3連覇達成。清水市代女流二冠から奪取し,中井広恵女流六段を相手に防衛した後,斎田四段相手にも防衛を果しましたのでこれは価値が大きいです。

 明日から別府競輪場で東西王座戦が開催されます。

 それが外的特徴から判断されるような観念であるがゆえに,真の観念の本性なるものはないと考えることができるわけです。するとこれと同じことによって,誤った観念にもそれに固有の本性はないということが理解できます。誤った観念は真の観念の対義語であり,同様に外的特徴からそうみなされる観念だからです。
 したがって観念と本性との関係でいえば,残る問題は混乱した観念にはそれに固有の本性があると考えられるのかどうかということになります。いい換えれば,真の観念の本性というものを考える場合には,その真の観念が十全な観念とみなされるようになるのと同様に,誤った観念の場合にも,誤った観念の本性を考えようとする場合には,それが混乱した観念とみなされるようになるのかどうかという問題です。
 ここではこのことを,十全な観念と混乱した観念との関係において考えてみます。実のところこれらふたつの観念の関係は,ただ十全な観念が真理であり混乱した観念が虚偽であるというだけでなく,十全な観念が実在的なものであるのに対し,混乱した観念は非実在的なものであるということになっているのです。つまり十全な観念と混乱した観念の関係は,有と無の関係にあるわけです。
 そこでこのことに注意して第二部定義二をみれば,この定義のうちには,事物の本性はその事物の実在性を定立するようなあるものであって,それを排除するようなものではないという意味が汲み取れます。よって,無であるようなものに本性があるというのはそれ自体で不条理な主張であるということになります。なぜなら,無であるものに固有の本性があるなら,その本性によって無の実在性は定立され,したがってこの無は有であるということになってしまうからです。よって,混乱した観念にはそれに固有の本性はないと考えるべきであろうと思います。

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