スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&逆のパターン

2020-12-17 19:14:54 | 地方競馬
 昨晩の第71回全日本2歳優駿
                                        
 内の方へ切れ込んでいったアランバローズの逃げ。向正面に入るあたりでリードは2馬身。2番手にはランリョウオーで3番手がルーチェドーロ。ほかの馬より半馬身ほど出遅れたデュアリストが4番手。3馬身差でラストリージョとバクシン。7番手にタイセイアゲインとトランセンデンス。2馬身差でラッキードリームとリーチ。11番手にアイバンホー。ここからは離れてアークエンジェル。また離れてギガキング。また離れてナインボールという隊列。前半の800mは49秒5のミドルペース。
 アランバローズはその後もリードを広げていって直線に入るところでランリョウオーとの差は5馬身くらい。直線に入ってもその逃げ足は衰えず,そのまま後ろを引き離したまま楽に逃げ切って優勝。2番手のランリョウオーもそのまま粘って5馬身差の2着。3着争いは一時的にデュアリスト,タイセイアゲイン,ルーチェドーロ,バクシンの4頭でしたが,デュアリストはすぐに脱落。さらに外のバクシンが脱落して残りは2頭。道中は3番手を追走していたルーチェドーロがそのまま粘り込む形で3馬身差の3着。タイセイアゲインがクビ差の4着でバクシンが半馬身差で5着。
 優勝したアランバローズはこれがハイセイコー記念以来のレース。デビューからの連勝を5まで伸ばして重賞制覇を達成するとともに大レースを勝利。今年はJRAからの出走馬の中に,優秀な記録を残した馬が少なかったので,地方馬にとって大きなチャンスとみていました。北海道勢と南関東勢の比較が難しかったのですが,結果的にハイセイコー記念の上位2頭がそのままの着順で入線しましたので,全体はともかくトップクラスは南関東勢の方が上だったということになるでしょう。来年のクラシックに向けては距離延長も課題のひとつになりますが,ここまでのレースぶりからみると,むしろ展開面の方がこの馬にとっては重要かもしれません。母の父はステイゴールド
 騎乗した船橋の左海誠二騎手は昨年のテレ玉杯オーバルスプリント以来の重賞11勝目。デビューから27年8ヶ月で大レースは初勝利。管理している船橋の林正人調教師は2003年のクイーン賞以来の重賞2勝目。開業から24年7ヶ月で大レース初制覇。

 ステノNicola Stenoが『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali』を念頭に,デカルトRené Descartesの哲学を新哲学といった可能性はきわめて低いと僕は思います。ただ,逆のパターンはあり得ると僕はみます。
 すでに示したように,『新科学対話』はガリレイGalileo Galileiの最晩年の著作で,1638年に出版されました。デカルトの主要な著作のうち,『省察Meditationes de prima philosophia』は1641年,『哲学原理Principia philosophiae』は1644年に書かれていて,『新科学対話』より後のものになります。しかし『方法序説Discours de la méthode』は『新科学対話』より1年前の1637年に出版されていました。なお,『方法序説』はまとまった著作の一部分,とくに哲学に関する部分のことをいうのであって,出版された著作の全体の中には,自然科学も含まれています。
 デカルトはこれより前の1633年に『世界論Le Monde』という本を書いていました。この中に,地動説を肯定する内容が含まれています。このためにこの著作は出版されず,デカルトの死後に公刊されることになりました。デカルトが死んだのはガリレイが死んだのより後のことですから,ガリレイがそれを読んだということはありません。ただ,ガリレイの存命中に,すでにデカルトは地動説を肯定していたということは重要でしょう。そうした風評がどれほどの広がりをもっていたかは分かりませんが,ガリレイがそれを知っていたという可能性を完全に否定することはできないからです。
 一方,哲学に関していえば,デカルトの存命中,とくにガリレイも存命中のうちから,デカルトの哲学が一般に新哲学,それまでの哲学とは異なる哲学という意味で新哲学といわれていた可能性はあります。ステノがこの語を用いたことから類推したように,少なくともステノがカトリックに改宗したときには,カトリック世界では一般にデカルトの哲学は新哲学と呼ばれていたと思われるのですが,そういわれ始めた時代というのはさらに遡ることができる筈だからです。そしてそれが一般にカトリックの世界での事象であるのなら,カトリックの総本山であるイタリアでは当然ながらそういわれていたと解する必要があります。よって,ガリレイがデカルトの新哲学を意識して,自身の科学を新しい科学といった可能性はあるのではないでしょうか。

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