別府競輪場で行われた昨晩の第15回サマーナイトフェスティバルの決勝。並びは吉田‐平原の関東に佐藤,渡辺に村上,松浦‐小倉の中国四国,中川‐園田の九州。
中川がスタートを取って前受け。3番手に松浦,5番手に吉田,8番手に渡辺で周回。残り2周のホームの手前から渡辺が発進。吉田が続こうとしましたが松浦がそれを阻止。ホームで中川は引いて誘導は退避。松浦に阻止された吉田はバックに入って外を上昇。渡辺を叩いて打鐘から先行。松浦がすぐに反撃。捲るかに思えましたが,吉田が抵抗。バックにかけて激しい競り合いに。引いた中川が発進しましたが,先んじて出た渡辺の外から行ききることができず,最終コーナーで外に浮いて失速。先に動いた渡辺が激しく競り合う吉田ラインと松浦ラインを捲ってマークの村上と直線勝負。村上が僅かに差して優勝。渡辺が8分の1車輪差で2着。先行の吉田ライン3番手から直線で外を伸びた佐藤と,中川マークから大外を追いこんできた園田の3着争いはさらに接戦で写真判定。4分の3車身差の3着は園田で佐藤は微差の4着。
優勝した京都の村上博幸選手は2月の奈良記念以来の優勝。ビッグは2014年の全日本選抜競輪以来の7勝目。サマーナイトフェスティバルは初優勝。このレースは吉田の先行が濃厚で,すんなりとしたレースになれば平原が有利で,あとは脚力から中川がどこまでかというレースになるのではないかと想定。吉田は先行はできたのですが,松浦の反撃が思いのほか早かったため,実質的には先行争いのようなレースに。これは中川の出番かと思ったのですが,前にいた渡辺の前に出ることができませんでした。結果的には中川の仕掛けるタイミングが悪かったということでしょう。逆に渡辺は程よいタイミングで駆けていくことができたということになり,これが大波乱を産む要素となりました。
自分の身体corpusの現実的本性actualis essentiaを永遠の相species aeternitatisの下に表現するexprimere観念ideaを僕たちは知ることができないということは,ここまでの前提を踏まえれば次のことから明白です。
第二部定理一九は,自分の身体が外部の物体corpusから刺激される様式を通してのみ,自分の身体を認識し,自分の身体が現実的に存在することを知るといっています。これは自分の身体の現実的存在についての認識cognitioですから,同時に自分の身体の現実的本性の認識でもあるわけです。そしてこの定理Propositioは,この様式を通してのみ,といっているのですから,僕たちはこの様式以外のいかなる様式によっても,自分の身体が現実的に存在することを認識し得ないし,また自分の身体の現実的本性を認識し得ないということを意味します。
次に第二部定理二七は,この様式を通して認識される自分の身体の認識は,人間の身体の十全な認識を含んでいないといっています。よってこれらのことを合わせれば,僕たちは第二部定理一九の様式を通してのみ自分の身体が現実的に存在するということを認識するcognoscereのですが,第二部定理二七により,それは自分の身体の現実的存在の十全な認識あるいは同じことですが十全な観念idea adaequataではありません。観念は本来的特徴denominatio intrinsecaからみられるとき,十全でないなら混乱しているので,それは混乱した観念idea inadaequataであることになります。よって僕たちは自分の身体の現実的存在を十全には認識することができず,混乱してしか認識することができません。よって自分の身体の現実的本性についても,混乱して認識することはあっても,十全に認識することはないのです。
さらに第二部定理四一は,人間にとって虚偽falsitasの唯一の原因causaは第一種の認識cognitio primi generisであり,第二種の認識cognitio secundi generisおよび第三種の認識cognitio tertii generisは真verumであるといっています。よって,もし僕たちが自分の身体の現実的存在ならびに現実的本性を第二種の認識ないしは第三種の認識で認識するなら,それは真にいい換えれば十全に認識することになりますが,すでに明らかなように僕たちは自分の身体の現実的存在ならびに現実的本性を十全には認識し得ないのですから,僕たちは第一種の認識でのみ,自分の身体の現実的本性と現実的存在とを認識するということになります。
中川がスタートを取って前受け。3番手に松浦,5番手に吉田,8番手に渡辺で周回。残り2周のホームの手前から渡辺が発進。吉田が続こうとしましたが松浦がそれを阻止。ホームで中川は引いて誘導は退避。松浦に阻止された吉田はバックに入って外を上昇。渡辺を叩いて打鐘から先行。松浦がすぐに反撃。捲るかに思えましたが,吉田が抵抗。バックにかけて激しい競り合いに。引いた中川が発進しましたが,先んじて出た渡辺の外から行ききることができず,最終コーナーで外に浮いて失速。先に動いた渡辺が激しく競り合う吉田ラインと松浦ラインを捲ってマークの村上と直線勝負。村上が僅かに差して優勝。渡辺が8分の1車輪差で2着。先行の吉田ライン3番手から直線で外を伸びた佐藤と,中川マークから大外を追いこんできた園田の3着争いはさらに接戦で写真判定。4分の3車身差の3着は園田で佐藤は微差の4着。
優勝した京都の村上博幸選手は2月の奈良記念以来の優勝。ビッグは2014年の全日本選抜競輪以来の7勝目。サマーナイトフェスティバルは初優勝。このレースは吉田の先行が濃厚で,すんなりとしたレースになれば平原が有利で,あとは脚力から中川がどこまでかというレースになるのではないかと想定。吉田は先行はできたのですが,松浦の反撃が思いのほか早かったため,実質的には先行争いのようなレースに。これは中川の出番かと思ったのですが,前にいた渡辺の前に出ることができませんでした。結果的には中川の仕掛けるタイミングが悪かったということでしょう。逆に渡辺は程よいタイミングで駆けていくことができたということになり,これが大波乱を産む要素となりました。
自分の身体corpusの現実的本性actualis essentiaを永遠の相species aeternitatisの下に表現するexprimere観念ideaを僕たちは知ることができないということは,ここまでの前提を踏まえれば次のことから明白です。
第二部定理一九は,自分の身体が外部の物体corpusから刺激される様式を通してのみ,自分の身体を認識し,自分の身体が現実的に存在することを知るといっています。これは自分の身体の現実的存在についての認識cognitioですから,同時に自分の身体の現実的本性の認識でもあるわけです。そしてこの定理Propositioは,この様式を通してのみ,といっているのですから,僕たちはこの様式以外のいかなる様式によっても,自分の身体が現実的に存在することを認識し得ないし,また自分の身体の現実的本性を認識し得ないということを意味します。
次に第二部定理二七は,この様式を通して認識される自分の身体の認識は,人間の身体の十全な認識を含んでいないといっています。よってこれらのことを合わせれば,僕たちは第二部定理一九の様式を通してのみ自分の身体が現実的に存在するということを認識するcognoscereのですが,第二部定理二七により,それは自分の身体の現実的存在の十全な認識あるいは同じことですが十全な観念idea adaequataではありません。観念は本来的特徴denominatio intrinsecaからみられるとき,十全でないなら混乱しているので,それは混乱した観念idea inadaequataであることになります。よって僕たちは自分の身体の現実的存在を十全には認識することができず,混乱してしか認識することができません。よって自分の身体の現実的本性についても,混乱して認識することはあっても,十全に認識することはないのです。
さらに第二部定理四一は,人間にとって虚偽falsitasの唯一の原因causaは第一種の認識cognitio primi generisであり,第二種の認識cognitio secundi generisおよび第三種の認識cognitio tertii generisは真verumであるといっています。よって,もし僕たちが自分の身体の現実的存在ならびに現実的本性を第二種の認識ないしは第三種の認識で認識するなら,それは真にいい換えれば十全に認識することになりますが,すでに明らかなように僕たちは自分の身体の現実的存在ならびに現実的本性を十全には認識し得ないのですから,僕たちは第一種の認識でのみ,自分の身体の現実的本性と現実的存在とを認識するということになります。
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