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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

熊本記念&危篤

2010-10-19 19:38:01 | 競輪
 長い直線が特徴的な熊本記念の決勝(動画)。並びは武田-稲村の関東に渡辺-江守の南関東が続く東日本,菅原-松岡-合志-西川の九州で池田は単騎。
  前受けは武田。これを打鐘前のバックで菅原が叩き,池田も続きました。菅原は前には出たもののペースを落としたため武田も引けなくなり粘る構え。ホームに入ると西川が上昇,菅原の前に出てインを斬るとそこから菅原が発進。西川もうまく4番手に入り直し,武田が6番手の一列棒状に。バックから武田が捲っていきましたが前に届くかというところで松岡が番手から発進。松岡マークの合志が直線で差し切って優勝。松岡も2着に残って地元のワンツー。追い込んだ武田が3着。
 優勝した熊本の合志正臣選手は一昨年6月,やはり地元の熊本記念以来の記念競輪優勝で通算3勝目。西川のイン斬りはおそらく当初から想定していた作戦のひとつだったのでしょう。そういう意味では九州勢,あるいは地元勢の強い結束力がもたらした優勝であったといえるのではないかと思います。

 母は連日にわたって午前中から病院に通っていましたから,の状況に関しては僕も母から聞いていました。この頃はもう眠っている時間が多くなっていたようです。しかしこの日,僕が妹と病院に着いたとき,父は目を覚ましていました。それで僕も少し話をしたのですが,短い会話であれば成立しましたが,長い話になりますと,もう父は論理的に物事を喋るということができる状況ではなくなっていました。また,呂律もうまく回らないようになっていまして,ことばを正確に聞き取るということだけでもなかなか大変でした。よってこの日は僕は随分と父と話はしたのですが,父の言いたかったことの半分も正確には理解できていなかったのではないかと思います。
 緩和ケア病棟に移動して新しく主治医となったS先生によりますと,この時点で父は危篤とのことでした。というか,僕はこの時点ではまだこのS先生には会っていませんでしたので,母がそのように言われていたとのことです。これはこの日に帰ってから母に教えられたことなのですが,僕はびっくりしました。というのも,僕のイメージにおいては,危篤というのは意識不明の状態を指すものと思い込んでいたからです。しかしこのとき父は,単に覚醒していただけでなく,話をしたわけです。その内容は僕にとっては不分明なものではありましたが,少なくとも話をして何かを僕に,あるいはそのときその場にいたのは僕だけではありませんでしたから,僕たちにというべきでしょうが,伝えようという明確な意志があったと考えられるわけです。実際に僕は話をしたというだけではなくて,話をしている父の表情や仕種も見ていたわけで,何かを必死に訴えかけようとしているということだけは間違いなかったのです。そういう状態でもこれを危篤と表現するということに,僕は驚いたというわけです。
 その危篤ということばには驚いたわけですが,しかしその危篤のまま父の状況はその後の数日は変わりませんでした。これが7月31日の土曜日でしたから,8月を迎えることができたわけです。病室は冷房が効いていますから父は知らなかったかもしれませんが,今年の夏は暑かった。それで僕はもしも間に合えばやっておこうと思っていたことを実行しました。
コメント
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