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晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「菊とギロチン」(17・日)70点

2019-03-23 12:12:35 | 2016~(平成28~)


・ エネルギッシュな瀬々監督の演出が画面に溢れ出る189分。


「ヘブンズ・ストーリー」の瀬々敬久が8年ぶりに監督した大正末期を舞台に女相撲一座とアナーキスト集団との交流を描いた青春群像劇。脚本は相澤虎之助。新人木龍麻生と東出昌大の他、韓英惠・筧一郎・渋川清彦・井浦新などが出演。ナレーションは永瀬正敏。

 大正末期は関西大震災を機に大正デモクラシーが停滞し、閉塞感がいっぱいに溢れ右傾化社会に移ろうとしていた。無政府主義者・大杉栄の逮捕虐殺事件(甘粕事件)が発生、格差のない平等社会を信条にした「ギロチン社」というアナキスト集団があった。

 主導メンバーの中濱鐵(東出昌大)と古田大次郎(筧一郎)は潜伏中に女相撲一座「玉岩興業」が到着するのを知り、興味津々で見物に行った。一座は力自慢の女力士たちのほか、家出娘の花菊(木龍麻生)や遊女だった十勝川(韓英恵)らが混じっていた。

 実在のアナキスト中濱鐵・古田大次郎と女相撲一座興業を絡ませたフィクションだが、いうことは立派だが自己矛盾に苛まれ単なるテロ集団に陥ろうとする男たちと、貧しさや差別から強くなって自由を得ようとする女たちを対比しながら、時代を投影したエネルギッシュな瀬々演出とスタッフたち。

 それに応えた出演者たちの熱気が画面から溢れ出ていた。とくに東出の不甲斐ない危うさは特出もの。大河ドラマ「花燃ゆ」(15)での久坂玄瑞役の熱演で片鱗は見えたが、近年の演技の多様性は突き抜けた感がある。

 新人木龍は、女相撲には如何にも不似合いな身体ながら監督の叱咤激励に応え、今作がデビュー作で佐藤浩市の息子・筧一郎とともにこれからが楽しみ。
 テーマがぴったりというだったことを差し引いても韓英恵の悲劇のヒロインぶりがひときわ光っていた。

 女相撲という特殊性を時代に絡ませた着眼点は素晴らしいが、その描写には偏見があって諸手を挙げては共感できない。
 
 だが、3.11以降ますます不寛容な時代となりつつある現在、<猥雑さを徹底的に排除しようとする権力社会が正常ではない>という主義主張のある映画の素晴らしさはヒシヒシと伝わってくる。

 












「運び屋」(18・米)80点

2019-03-21 09:29:59 | 2016~(平成28~)


 ・ C・イーストウッド監督・主演による肩の力を抜いたサスペンス風人間ドラマ。


 「ニューヨーク・タイムス・マガジン」に掲載された記事をもとに、麻薬を運ぶ90歳の男を描いた人間ドラマ。「グラン・トリノ」(08)のニック・シェンク脚本で、監督・主演は10年ぶりのクリント・イーストウッド。共演は「アメリカン・スナイパー」(14)のブラッドリー・クーパー、オスカー女優ダイアン・ウィースト、「マトリック」シリーズのローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシア、マイケル・ペーニャなど。

 第二次大戦の退役軍人で、デイリリー栽培事業に失敗した90歳のアールは自宅を差し押さえられる。仕事一筋で家庭を顧みなかった彼は、家族とは疎遠になっていた。
 途方に暮れていたアールに無事故無違反という腕を買われて、車で荷物を届けるという仕事を持ち掛けられる。引き受けた仕事はメキシコ・カルテルの麻薬運びだった。

 シリアスなサスペンスを連想するが、88歳のC・イーストウッドが10年ぶりに監督・主演したのは自分の人生とオーバーラップするような哀切溢れる人間ドラマだ。
 父親への冷ややかな態度を取る娘のアイリスを演じたのは実の娘アリソン・イーストウッドなのも、自省を込めたお洒落なキャスティング。
 このアールという男は陽気で愛すべき不良老人で、老いを感じる後ろ姿とはウラハラに目的地のメキシコまでカーステレオから流れる音楽を口ずさみながら何度も往復する。最近免許を自主返納した筆者にとっては驚きだ。
気ままに寄り道しながらドライブを楽しむ風情は、黒人を<ニグロ>と呼んだり、女性ライダー集団に<ぼうや>と呼びかけたり時代錯誤を気にしない。

 稼いだ金で自宅や農園を取り戻し、退役軍人施設を復興したり孫娘の結婚式準備金を援助したり友人のバーを救済して、家族・友人との交流を復元できたかに思えたが、高い代償が待ち受けていた。さらに愛妻との別れは「時間はお金では買えない。」「最後に大切なものは買えない。」と悟って行く。

 メキシコとの国境の壁が国政を揺るがす社会問題となっている現代のアメリカへのメッセージは随所にあるものの、<家族との絆の大切さ>という普遍のテーマをイースウッドのスタイルで描いた116分だった。

 
 

 

「500ページの夢の束」(17・米)70点

2019-03-12 13:56:32 | 2016~(平成28~)


・ D・ファニングの代表作となったハートフル・ロードムービー。


 天才子役が24歳になり演技派女優への第一歩を踏み出したダコタ・ファニングによるハートフル・ロードムービー。原作のマイケル・ゴラムコが脚本化し、ベン・リューインが監督。

 <スター・トレック>をこよなく愛する自閉症で施設に暮らす21歳のウェンディ。コンテストの脚本を届けるためカリフォルニアのベイエリアからハリウッドまで数千キロの旅に出るなかで、少しづつ変わって行くさまを描いたハートフルなストーリー。

 主人公・ウェンディをD・ファニング、ソーシャルワーカーのスコッティに「シックス・センス」(99)「リトル・ミス・サンシャイン」(04)の名脇役トニ・コレット、姉オードリーにアリス・イヴが演じている。

 D・ファニングといえば、7歳で「アイアム・サム」(01)11歳で「マイ・ボディガード」(04)で好演し一躍脚光を浴びた天才子役。名子役必ずしも名俳優になるとはいえない世界だが、彼女は本作がきっかけで名女優への第一歩を歩み出すのでは?

 実年齢より3歳年下で自閉症を抱えている21歳の女性役だが、決してオーバーではなく自然にウェンディに成り切っている。

 原題にある「PLEASE STAND BY」は<スター・トレック>での合い言葉で、ファンなら嬉しくなるほどあちこちに連動する逸話が隠れているが知らなくても充分楽しめる。

 ウェンディにとって、一人でハリウッドへ行くことは宇宙の旅に出るに等しい冒険の旅。現実にはあり得ない出来事も彼女の旅の目的がわかると思わず応援してしまう。

 米国では<スター・トレック>はスタンダードなものらしく、ソーシャルワーカー・スコッティの息子サムやクリンゴン語で会話するスコッティ警察官(パットン・オズワルド)が名サポート役を担っている。

 旅に同行する愛犬ピートも愛くるしく、イマドキには珍しい家族そろって楽しめるハートフルな作品だった。

 

 

 

 


「search / サーチ」(18・米 )70点

2019-02-05 14:12:40 | 2016~(平成28~)

・ いまが旬の全編PC映像によるミステリー。


M・ナイト・シャラマンを尊敬してやまない27歳のアニーシュ・チャガンティ監督・共同脚本による長編デビュー作は、二転三転するアイデア満載のミステリーで全てがPC画面という斬新作。

3年前ガンで妻を亡くしたデヴィット・キム(ジョン・チョウ)は16歳の娘マーゴット(ミシェル・ラー)との二人暮らし。娘が友人の家で試験勉強をするという連絡のあと、消息を断つ。

行方不明事件としてヴィック捜査官(デブラ・メッシング)が担当することになったが、家出か誘拐か不明のまま37時間が経過。
デヴィッドは手掛かりを見つけようと娘のパソコンを開け、ANS インスタグラムなどを駆使して情報をヴィック捜査官に伝える。

筆者は未見だが、全編PCの映画には先駆者がいるがスカイプ映像主体で、本編のように最新のネットを駆使して観客を惹きつける作品ではなかったようだ。

現役当時、仕事で初めてPCを使ったときがWindowsXPだった。懐かしい映像からスタートする本編は、主人公一家の16年間が分かる出だしから画面にくぎ付けとなる。

字幕がとても見にくく、画面変換が速いため筆者のような後期高齢者には視神経が疲れるが、構成の巧さに弾き込まれ眼が離せない。画面から得られる情報を少しでも知ろうとする自分がいた。

PCで現れる情報は膨大な量で、ヒントが隠されている面白さとミスリードを誘う無駄な情報が混載されているところがこの映画の斬新さ。ストーリーはオーソドックスなミステリーで、もしこの手法でなかったら簡単に見抜けたのでは?

Your Castのユーザーネームがfish_n_chipsというのがヒントで、昨今よくあるネットで知り合った若者たちの危うい事件を連想してしまう。

父親と年頃の娘の疎遠という普遍的なテーマをネット社会に反映したテーマだが、今が旬の手法映像は決して暗い結末にならないエンタテイメント作品だった。




「ウィンド・リバー」(17・米 )80点

2019-02-03 14:05:49 | 2016~(平成28~)

・ T・シェルダン監督デビュー作は、濃密なクライム・サスペンス。


メキシコ国境の麻薬「ボーダーライン」(15)、テキサスの銀行強盗「最後の追跡」(16)の脚本で知られるテイラー・シェルダン監督デビューはフロンティア三部作最終章。

アメリカ・ワイオミング州、深い雪に包まれた先住民保留地区。地元の野生動物管理局のベテラン・ハンター、コリーが若い女性の遺体を発見する。遺体はナタリーで、亡くなった娘の親友だった。
FBI新人捜査官が派遣されるが、地元警察は人手不足のうえ慣れぬ土地柄から捜査は難航。コリーに応援を頼む。

生きて行くには過酷な辺境に住む人々の貧困・差別・暴力など過酷な環境を背景に、二人の視点で描かれ見応え十分な現代版西部劇の趣。

主演のコリーを演じたのはジェレミー・レナー。3年前に娘を亡くし持って行き場のない怒りを内に秘めた抑制的な男に扮して、キャリア・ハイともいえる好演だ。先住民の妻とは離婚しているがこの地に残り、幼い息子には生きて行くための躾けは怠らない。

かたや新人捜査官ジェーンに扮したのはエリザベス・オルセン。慣れぬ土地で悪戦苦闘しながら懸命に職務を全うしようとする。パワハラに近い境遇だが、その一途さが地域に認められるかがカギ。

医学的には自然死であるナタリーは、明らかに事件に巻き込まれたのでは?

ジェーンたちが捜索で辿りついた石油掘削所のドアをノックするシーンで、遡って新事実を映像化する手法が斬新だ。
さらにエンタメたっぷりな迫力の銃撃戦と<白い地獄>の終盤が続いてエンディングを迎える。

現地は「ガンよりも高い死亡率」で「ネイティブ・アメリカンの失踪者統計は存在しない。人数も不明」というところ。

米国最大の失敗は<先住民保留地政策>だといわれながら、忘れ去られてしまったような舞台に脚光を当てたT・シェルダンに拍手を送りたい。






「ボヘミアン・ラプソディ」(米/英)70点

2019-02-01 15:56:53 | 2016~(平成28~)

・音楽伝記映画の定番ながら、大画面・大音響で神話を再現。


「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などロック・バンド<クイーン>伝説のボーカル、フレディ・マーキュリーの半生を描いた音楽伝記映画。

20世紀フォックスのタイトルがいつもと違う音声でスタートした本作。
クイーンの音楽がどのように誕生したか、F・マーキュリーの栄光と挫折そして復活という絵に描いたようなストーリーは、ファンにとっては周知の事実で目新しくはないが、筆者のようにCMでしかその曲を知らなかった者にとっては、人となりを知るにはもってこいのストーリー。

監督のブライアン・シンガーが途中降板ながらデクスター・フレッチャーが手際よく纏め、ギクシャクしたところは見られなかった。

成功の要因は孤独なスーパースター、F・マーキュリーに扮したラミ・マレックの好演によるところが大きい。
風貌がそっくりではないにも関わらず、英国ではハンデとなる人種・容姿・学歴というコンプレックスをバネに独自の音楽づくりに没頭した自信家のマーキュリーを演じ切っている。
4オクターブの声域は出せないが一部は歌声も披露し、そのスタイルに違和感は全くなかった。

ファンには周知の事実だが、デビュー前は<パキ野郎>と侮辱されながらブライアン(グイリム・リー)とロジャー(ベン・ハーディ)のバンド・ボーカルに参入、ジョン(ジョセフ・マッセロ)が加わってクイーンが誕生したこと。
車を売ってスタジオを借りレコード・デビュー、実験的な音楽はキワモノと言われながらロックの世界だけが彼らを受け入れてくれた。

恋人メアリー(ルーシー・ボーイントン)との経緯、ゲイであることの自覚とドラッグ・パーティやメンバーとの確執、マネージャー・ポール(アレン・リーチ)との亀裂、エイズの発症、新恋人でマネージャー・ポール(ジム・ハットン)との出逢いなど、フィクションも取り混ぜながらのフレディの神話が進んで行くが、如何にも定番メニューという気も・・・。
親日家だった彼の描写がもっとあれば日本のファンは喜んだことだろう。

ハイライトとなるウェンブリー・スタジアムでの<バンド・エイド>の再現は圧巻のシーン。大観衆を前にした渾身のライブは、恵まれないアフリカの子供たちへのチャリティ・コンサートでメンバーと久しぶりに再会。「善き思い、善き言葉、善き行い」を説いた父親の教えを実践し、母への愛を伝えた最大の親孝行でもあった。

感動で涙した観客のリピーターが多いのに驚くが、彼らのライブがスタジアムの大観衆と同じように大画面を通して熱いエネルギーで伝わってきた証しでもあろう。


「判決 ふたつの希望」(17・レバノン/仏 )75点

2019-01-28 15:02:22 | 2016~(平成28~)


・難民・移民問題を抱える中東を舞台にしたエンタメ・法廷ドラマ。


レバノンの首都ベイルートで起きた、レバノン人男性とパレスチナ難民男性による住宅排水工事を巡っての口論が、だんだんエスカレートし裁判沙汰となる。
はじめは些細なケンカから始まった裁判だったが、メディアが大々的に取り上げたことから政治的問題に発展してしまう。

レバノンのジアド・ドゥエイリ監督の長編4作目で、原題は「The Insult(侮辱)」。

筆者にとっての中東は、宗教・人種の違いによる変遷から歴史的にもとても複雑で、理解するのが難しい地域。

本作でもレバノン人・トニーとパレスチナ難民・ヤーセルの諍いには、些細なケンカとは言えない本質的な民族問題を抱えているのが明らかになってくる。

とはいえ本作は、社会的テーマをダイナミックに取り入れながら普遍的テーマである<家族のドラマ>を織り込んで、エンタテイメント法廷ドラマへ仕立て上げている。

監督と共同脚本を担当したのは離婚手続きの最中だった元妻のジョエル・トゥーマで、裁判シーンではトニー側を監督、ヤーセル側をトゥーマが担当しているのが巧く噛み合っていたのが成功要因のひとつ。

演技陣では、主演したトニー役のアデル・カラムがキリスト教右派「レバノン軍団」党大会集会に参加する熱血漢でありながら、自動車修理工場を叩き上げで経営する愛妻家の男を好演している。
対する無口で骨太な男・ヤーセルに扮したカメル・エル・バシャは舞台俳優で、映画初出演のため撮影に不慣れで監督を悩ませたという。ところが結果はベネチア最優秀男優賞を獲得し本作の高評価に繋がった。

トニーとヤーセルの裁判にはそれぞれの弁護士がつくが、親子であるというのもエンタメ要素を盛り上げているし、男たちが意地を張っているのに夫々の妻や判事など女たちの冷静な対応ぶりも印象的。

法廷ドラマとしても充分楽しめるのは、監督が19歳で渡米してタランティーノのアシスタント・カメラなどハリウッド修行したことと、弁護士である母親の協力を得たからかもしれない。

中東問題は世界に波及し、いまや遠い国の出来事とは言えない。人間同士の交流や女性の社会参加がモット大切では?という気にしてくれる作品である。



「運命は踊る」(17・イスラエル/独/仏/スイス )80点

2019-01-24 15:48:37 | 2016~(平成28~)


・ S・マオズ8年ぶりの新作は、ギリシャ悲劇のような独創的ミステリー。

「レバノン」でヴェネチア金獅子賞を受賞したサミュエル・マオズの監督・脚本で、ヴェネチア審査員グランプリ(銀獅子賞)を獲得した。

軍から息子の戦死という衝撃的な報告を受けた、イスラエルのある夫婦の物語。

3幕構成からなるストーリーで、第1幕はミハエル(リオール・アシュケナージー)とダフナ(サラ・アドラー)夫婦を中心とする一家3代に起こる<運命のいたずら>を描いている。

ミハエルは愛犬に八つ当たり兄の言葉も上の空で施設にいる母を訪ねるが、独逸語しか話さない母には兄と間違えられる。

息子の戦死が誤報と分かりダフナは喜ぶが、ミハエルは激怒し息子をスグに呼び戻せと要請する。

静寂の中突然大きな音を出しドキッとさせたり、アップと俯瞰映像を多用する1幕は、意表を突くカメラワークと部屋の冷たい佇まいから閉塞感を醸し出す。この手法でこの監督の好き嫌いがはっきりしそう。

筆者は好みのタイプだが、思わせぶりだなという気もありながら観ていた。

第2幕は息子ヨナタン(ヨナタン・シライ)の駐屯地がシュールで中東の特異性が鮮やかに描かれ、このドラマのキモとなっている。
戦場とは思えない、のどかな風景と地の果てにいる寂寥感が漂う。国境警備のため置かれた検問所は、ラクダが通るか車の通行証のチェックがある程度。
エル・マンボを踊る兵士など4人の若者が傾いたコンテナを宿泊所に常駐しているさまは、どこか不穏な空気が漂う。
その場で起きた銃の乱射は精神的疲弊がなせる業ともいえるが、ヨナタンには父と同じ道を辿るトラウマになる出来事だった。

第3幕で夫婦の亀裂が明らかになる。それはアニメ映像で描かれたミハエルが母の大切にしていた聖書を自分の欲望からプレイボーイ誌と交換し神を冒涜したことや、戦場で起きたトラウマに囚われていたことより、大事な息子の思いもよらぬアクシデントをどう受け止めればよいのか?で持って行き場のない虚しさからだろう。

マオズは戦争という個人ではどうしようもない巨大な生き物に翻弄される人々を描くことによって、イスラエルという国の宿命をいずれは元に戻るというFoxtrot(フォックス・トロット)という1910年代米国で流行った社交ダンスに例え、人間の運命の不条理さを描いている。

無神論者の夫婦は神に委ねることもできず、娘・アルマの言うように二人でいるのがお似合いのようだ。邪険にされていた愛犬が愛おしそうにしていたのがせめてもの救いだろう。




「輝ける人生」(17・英 )70点

2019-01-18 11:43:20 | 2016~(平成28~)

・ 熟年世代に勇気を与える英国製ハートフル・コメディ。




「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」(14)のリチャード・ロンクレイン監督が、英国に戻って描いた熟年世代への人生賛歌。ハリポタ・ファンにはお馴染みのイメルダ・スタウンストンとティモシー・スポールが共演し、セリア・イムリー、デヴィッド・ヘイマン、ジョアンナ・ラムレーなど達者な英国ベテラン俳優たちが脇を固めている。

サリー州の豪邸に暮らす専業主婦サンドラ(I・スタウントン)は、35年間支えてきた警察官である夫がナイトの称号を授与されレディと呼ばれる絶頂期にあった。
その記念すべき日に夫と親友の浮気現場に遭遇、怒りのあまり満座の前で罵倒してしまう。

家を出て10年間疎遠だったロンドンのアパートで暮らす姉ビフ(C・イムリー)のところへ居候する。傷心のあまりアルコールに溺れ、中華レストランで暴言を吐き警察沙汰に。

そんなサンドラをビフは慰めようと自分が通うシニア専門のダンス教室へと誘う。 そこには訳アリだが、ダンスを目いっぱい楽しむシニア達がいた。

I・スタウンストンは「ヴェラ・ドレイク」(05)でヴェネチア主演女優賞を獲った名優だが、どちらかというと地味な風貌でシリアスな役や「パレードへようこそ」(15)の<世話好きな地方の主婦のイメージ>があった。いわば英国版・市原悦子だ。

対するS・イムリーが「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」(13・16)のような華やかな恋多き都会的な女の雰囲気がある。

役柄を交代したほうがいいのでは?と思うほどミスキャストの感があったが、そこはベテランのふたり。見事に役柄に収まって見えてくる。

特にスタウントンは、気位が高く傲慢な女から途中で可愛い直向きさを垣間見せ、最後はチャーミングな女へ大変身して、熟年女性の共感を独り占めしてしまう。

「ターナー 光と愛を求めて」(15)で主演したT・スポールは「肯定と否定」(16)のようなクセのある役柄がお似合いだが、本作では認知症の妻のため家を売ってボートハウスに住む誠実な夫の役。ドーバー海峡を渡ってクロワッサンを食べに行く夢を持つロマンチストでもある。

こんな3人が見事なアンサンブルで50年代からの様々なダンスミュージックやロンドンやローマのロケ現場とともに物語が進行するうち、原題の「Finding Your Feet」である自立する熟年への応援歌となっている。

脚本にはかなりの無理があるが破綻を吹き飛ばすハートフルなストーリーは、幾つになっても人生はやり直せることを教えてくれる。

「フジコ・ヘミングの時間」(18・日 )75点

2019-01-12 12:58:29 | 2016~(平成28~)


<魂のピアニスト>の人間性に迫るドキュメンタリー。

20世紀末NHKテレビのドキュメント番組でブレイクしたフジコ・ヘミングの現在を通して彼女の人間性に迫るドキュメンタリー。

監督は音楽・ダンスのミュージック映像を専門にドキュメンタリーを手掛けてきた64年LA生まれの小松壮一良。企画・構成・撮影・編集もしている。

親子ほど年齢差がある二人が、素で向き合った約2年間はフジコが運命にもメゲズ自分のスタイルを貫いて生きる姿が映し出されている。

大好きなパリでクリスマス休暇を過ごすフジコ。傍から観ると一見孤独な老人だが、その装いや住まいのインテリアはとても華やかで個性豊か。動物愛護家で自宅には数匹の猫がいて、中でも<ちょんちょん>がお気に入り。そのせいかベジタリアンだが長年の愛煙家でもある。自身は16歳の少女と変わらないという。

その数奇な人生を14歳の時書いた絵日記とともに明かされて行く。東京・下北沢で暮らす幼少期に別れたロシア系スウェーデン人の父、ピアニストの母・大月投網子とベルリンで結ばれる。

ピアノの才能に恵まれ、母の厳しい教育やハーフであることへのイジメにメゲズ、ポジティブに過ごす少女時代が描かれている。

当時は母・投網子のピアノ教師をしながら女手一つの子育てが如何に大変だったことは窺えるが、弟ウルフとともにスクスクと育ったように見えるのは彼女本来の性格によるものか?

画家で建築家の父とピアニストの母の血が、80代半ばを過ぎても彼女の生き方に脈々と息づいていている様子が窺える。

いまでもマネージメントは自分で行い世界中を駆け巡り、車も運転するバイタリティは高齢女性の憧れでもある。何故か樹木希林や黒柳徹子を連想させるキャラクターが私生活から垣間見られる作品だ。

17年12月1日東京オペラシティコンサートでの「ラ・カンパネラ」は圧巻の演奏風景。古風だとかミスタッチが多いとか世評を気にせず、音一つ一つに色を付け歌うように弾く演奏スタイルは画面を通して観客に迫るものがある。

ハンディキャップにメゲズ邁進する音楽家は数多いが、彼女のように時代に翻弄されながら晩年で花が咲き実を結ぶ人生は世の人々を勇気づけてくれる。

今でも毎日4時間の練習は欠かさないという彼女。信仰に支えられながらの生きる力を映像で伝えてくれた。演奏会を聴く機会があったが、妻に譲ってしまったのが悔やまれる。