ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

金融危機による大不況 深刻化

2008年12月26日 | 時事問題
asahi.com 2008年12月26日8時32分
非正規社員の失職、8万5千人に 来年3月までの半年で
 厚生労働省は26日、契約期間の満了に伴う「雇い止め」や期間途中の契約解除による解雇などで、今年10月から来年3月までに職を失う非正社員が、全国で8万5千人に上る見込みだと発表した。11月の前回集計では3万人だったが、わずか1カ月で2.8倍に膨れあがった。同省は、来春の就職予定者のうち、内定を取り消された大学生や高校生が769人に上ることも公表した。こちらも前回の331人から倍増した。雇用情勢は厳しさを増しており、どちらも今後、さらに増える可能性がある。

asahi.com 2008年12月26日9時57分
鉱工業生産、最悪の8.1%減 11月、生産調整加速
 経済産業省が26日発表した11月の鉱工業生産指数(05年=100、季節調整済み速報値)は94・0と前月より8.1%低下し、下げ幅は53年の統計開始以来、過去最大となった。世界的な景気悪化を背景に、企業の生産活動が縮小している姿が浮き彫りになった。

世界はいつ不況から脱出できるか、日本の生きる道はどこか
 実体経済への影響は2008年11月より深刻化してきた。これが危機の第3段階である。実体経済への影響の象徴は自動車産業である。
 アメリカの不良債権はいつ解消されるかといえば、それは住宅価格がどこまで下がるかできまる。銀行の不良債権では名目ベースの住宅価格が決定するのだが、住宅価格傾向線の延長線上より2008年度は40.2%も高い状態である。2002年度レベルの乖離率に戻すには名目ベースでは29%下がる必要がある。下落ペースを年10%とすれば3年ほどで下げとまる事になる。不良債権処理には3年ほどかかり、1兆2700億ドルの不良債権処理になりそうだ
 アメリカ経済と日本経済はコインの表裏である。したがってアメリカ資本の日本株の換金が一段落した時が日本の株式の回復期になる。アメリカが借金を返済した時に日本の株式が回復する。
 これから日本には雇用切り捨てによる就職氷河期、円高による輸出産業への影響、中小企業の経営難、賃金低下、社会制度というセーフティネットへの影響が襲ってくる
 これから日本が本当に成熟した形で輸出立国を目指すなら、新興国の中産階級をターゲットにする必要がある。そうした実質成長経済の地域と一体化することが、本当のグローバル化でしょう。資金面では日本は欧米に一歩遅れている。だから高い技術力で勝負することである。


全日本フィギュア 男子SP 織田がトップに立つ

2008年12月26日 | 時事問題
asahi.com 2008年12月25日21時17分
男子SP、織田がトップ 全日本フィギュア
 フィギュアスケートの全日本選手権が25日、世界選手権(09年3月、ロサンゼルス)代表選考会を兼ねて長野市のビッグハットで開幕。男子ショートプログラム(SP)は、2年ぶりの出場で初優勝を狙う織田信成(関大)が86.45点で大差をつけてトップに立った。

読書ノート 梅棹忠夫著 「文明の生態史観」 中公クラシックス

2008年12月26日 | 書評
京都学派文化人を代表する文化人類学者 野外フィールド研究のパイオニア 第4回

東と西のあいだ

1956年2月雑誌「知性」に掲載された。1955年5月京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊(隊長木原均ら60名)に参加した著者はヒンズークシ班に属して人類学を担当した。私はこの「探検隊」とか「学術調査団」という言葉にすべからく植民地主義、帝国主義的なにおいを嗅ぐ。昔の「宣教師」とおなじ機能を果たしているような気がする。支配のための地ならし的調査で、そのあとから軍隊と企業がやってくるようなパターンを思い起こすのである。今西錦司氏の戦前の「学術調査」はまさに帝国陸軍の支援と保護がなければ実現できなかった。人の国を興味半分で「学術調査」すると云うセンスは今では許されないだろう。戦後の高度経済成長前の時代であったからできた事かもしれない。ということはさておいて、梅棹氏の論文はインドとパキスタンが中心で、紀行文というよりはかなり文明論的考察が主となっている。

アジアをその西側からではなく、東側から見たらどう見えるのかという視点が斬新であった。インド・カルカッタの貧しさ、人口密度のすごさには度肝を抜かれたと著者は語る。ヒンズー教のインドと、イスラム教のパキスタンが分離されたが、日本のような変わり身の早さが自慢されるのに対して、その社会のどうにも変わらない姿は「大盤石」のようである。英国植民地時代の価値体系はそのままに残っている。インドの言語はヒンズー語と云う共通言語はあるが、地方言語がそのまま存在する。インド文化の精神的優位性を信じきっているようで、新聞などは自己礼賛的である。インドの宗教は美とは縁の無いもので、逆に日本人の偶像崇拝とか宗教なのか美術なのか不分離な方がおかしいのかもしれない。イスラム教、ヒンズー教のいずれも宗教が主導の社会で、やはり西側との共通点があるようだ。日本や西欧のような政教分離ないしは世俗優位という体制にはない。キリスト教とおなじ「一神教原理主義」の国である。インドには既に仏教は存在しないといっていい。インドはむしろ西洋と文化的連帯感を深く持っているようだ。土着のドラヴィダ人と北から来たアーリア人との結合でインド・ヨーロッパ語族という親戚的分類にあるといわれる。インドは東洋ではない。むしろイスラム社会と歴史を共有している。東洋でもなく西洋でもないという意味で「中洋」という言葉も適当かも。インドは社会内部の革命を経験していない。外からの侵略と外国の力で動かされてきた。長子相続という封建制度も経験していない。インドには近代化に際して乗越えなければならない障壁が多い。カースト制、一夫多妻制、人口過剰、貧困、飢餓、資本の欠如、非識字、宗教の重圧などを筆者は指摘するが、執筆以後40年たった今、インド,中国は日本を乗越えるような経済発展を迎えている。著者が指摘した問題ははたして乗越えたのか、そのままなのか我々が今検証しなければならない。なにか基本的状況はそのままにして、経済的発展を迎えたような気がする。経済と社会の重圧は無関係なのか。これも外圧なのか。


東の文化・西の文化

1956年2月「毎日新聞科学欄」に掲載された。アフガニスタン・パキスタンの旅行記の短文である。ここで住民の面白いしぐさに文化的興味を覚えたということだ。子供を抱えるしぐさが子羊を抱えるしぐさに似ていることから、牧畜民族に思いを馳せ、挨拶の握手とキッスに自然さを覚えたらしい。日本人はぎこちないという。日本人のおじぎや合掌の習慣は何処から来たのだろうか。日本の仏教の祈りの合掌は東南アジアでは普通の挨拶になっている。というようなことに興味を持つことで文化の深淵に迫れたらいいなという小文である。


読書ノート 今西錦司著 「生物の世界」  中公クラシックス

2008年12月26日 | 書評
棲み分け理論からダーウインの自然淘汰進化論批判まで  第8回

第2章 「構造について」

 世界はでたらめではなく、一定の構造を持った世界であると云うのが今西氏の確信である。形ある物が空間を占める事が物の存在である。生物は内部形態と外部形態と云うべき構造を持つ。生物体の構造とは生物が細胞から構成されると云うことである。生物と無生物を分かつ基準に、生物が細胞を構成単位にすることがあげられる。生物個体が一個の細胞から分化した多細胞統合体である事は発生学によって実証された。生物はさまざまな機能を発揮しうる構造である。組織や器官がそれに対応する。生物の構造は最初から出来上がったものはなく、有機的統合体である生物の構造とは生成発展するものである。生物が成長することはすなわち生きるということである。生物が死ぬと、解体によって無生物的構造に変わり無機物に還元される。生物は無機物からスタートして有機的統合体なる生命を得、死ねば又無機物に戻る元素の循環体系をなす。この構造と機能の一体化はもはや生物の原理にとどまらず、この世界を構成するあらゆる物の存在である。万物存在の根本原理であると今西氏はいう。今西氏の言は同じことの言い替えや繰り返しが多いのでまとめてみれば簡単で短くなる。最期に今西氏は生物の起源を偶然とする説を退け、無生物的構造が生物的構造に変わり、生物に進化したのだと云う。この世には命の無いものは無いという、いわば浄土宗の仏教観に到着した。万物の生命を認めるアニミズムや万物霊魂説に通じる。私のような科学の徒には、ちょっとそこまで行くと付いてゆけない。ただ生物の体を構成するのは元素であるから、無機物から生命が発生したと云うことは自明である。

文藝散歩 「ギリシャ悲劇」

2008年12月26日 | 書評
啓蒙・理性の世紀、都市国家アテネの繁栄と没落を描く 第27回

ソポクレス 「オイディプス王」 藤沢令夫訳 岩波文庫 (1)

 ソポクレス「オイディプス王」の物語の筋書きは丹下和彦編 「ギリシャ悲劇」に書いた。数多くのギリシャ悲劇の中で傑作の誉れ高いこのソポクレス「オイディプス王」はアリストテレスの称賛するところであった。不気味な運命を通奏低音にした、最高度に発揮された緊迫した劇進行から、真実の発見がそのまま運命の激しい逆転をもたらす構成は見事の一言に尽きる。安っぽいサスペンスドラマは足元にも及ばない。オイディプス王家をおおう残酷な運命にもてあそばれる英雄的な人々はソポクレスの手でいかにも悲劇に仕立て上げられた。ソポクレスは90年に及ぶ一生(前496-406年)はギリシャ古典時代の最盛期で、祖国アテナイの興隆と衰退を歩いたソポクレス自体が古典の象徴になっている。全部で123篇と伝えられる彼の悲劇作品のうち、今日完全な形で残るのは、「アイアス」、「トラキスの女たち」、「アンティゴネ」、「エレクトラ」、「オイディプス王」、「ピロクテテス」、「コロノスのオイディプス」の七篇である。

 プラトン「ソクラテスの弁明」においてソクラテスは劇詩人との対話において「作家は自分が語っている事柄を何一つ知ってはいない」と言った。ソポクレスはアイスキュロスに対して「貴方は知りながら創作していない」といった。ソポクレスはエウリピデスに対して「自分はあるべき姿を詩作の中に描き、エウリピデスはあるがままに描く」と言って作風の違いを表現した。自覚して創作すると云う態度は悲劇という形式に理論的考察を行い幾つかの重要な変革をもたらしているのである。三部形式による劇の構成法を棄てて、同時上演の三つの劇をそれぞれ完結した独立の作品とした。同時出演の俳優の数を二人から三人に増やした事。合唱隊の数を十二人から十五人に増やした事、舞台における背景画の使用などである。これらは構成の複雑化や劇中の緊密度を高め、合唱隊の歌の占める分量的な割合を少なくした。