ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 中里成章著 「パル判事ーインドナショナリズムと東京裁判」 岩波新書

2012年02月29日 | 書評
東京裁判でA級戦犯無罪を主張したインド代表パル判事の評伝 第2回

序(2)
 パル判事の評伝をベンガル政治史から書き起こす中里成章氏のプロフィールを紹介する。1946年北海道生まれ、東京大学文学部東洋史学科卒業。カルカッタ大学でPh.D.を取得し、東京大学東洋文化研究所の教授を経て、2010年退官し名誉教授となった。専攻は南アジア近現代史で、研究テーマは植民地支配期インドの社会経済史、とくにベンガル地方の農村史を中心とした研究である。現在は,インド・パキスタン分離独立の背景の分析に取り組んでいる。 著書は殆どで英語で出版されており、日本語の本を紹介すると、「世界の歴史14 ムガル帝国から英領インドへ」(中央公論社 1998)、「インドのヒンズーとムスリム」(山川出版 2008)などである。中里氏はベンガル史研究者の力不足を反省して、「日本の右傾化を心配し、日印関係史の研究の一部が結果的に日本の右傾化に手を貸すことになるのではないか。特にベンガル出身のインド人、ラシュ・ビハリ・ボーズ、スバス・チャンドラー・ボーズ、パル判事らが日本の右よりの論客に利用されている」という。本書は日本の保守政治家への反論書である。しかし中里氏の潔癖さからベンガル史研究の結果が日本の右傾化を助けることを心配するが、いまや「大東亜構想」などを唱える基盤はなくなったのでは無いだろうか。アジアにおける日本の1人勝ちは太平洋・アジア戦争前のことであって、今や21世紀初頭ではアジアの中心は中国になろうとしている。冷戦終了後、中国は経済力・軍事力で次第に力をつけており、日本の保守政治家の及ぶところではない。反共という意味での「保守」という言葉はすでに死語に近い。軍事力でアジアの盟主たらんとする意志はアメリカに奪い取られた。経済力でアジアの中心にいる意識も、GDPで中国に抜かれ、企業が生き残りをかけて中国に靡いている現状では、既に昔のことである。本書が右傾化への最後の警鐘となることを願うばかりである。
(つづく)

読書ノート 小坂井敏晶著 「人が人を裁くということ」 岩波新書

2012年02月29日 | 書評
裁判とは共同体に対する反逆を封じる秩序維持装置である 第9回

第2部 秩序維持装置の解剖学 (1)
 なぜ冤罪が生じるのかを考えよう。無実の者でも虚偽の自白をしてしまう。これが冤罪を生む最大の問題である。厳しい取調べにある程度の駆け引きと、被疑者を精神的に(心理的に)追い込む必要もある。自発的な自白などありえない。被疑者の人権を守る規制が充実すれば冤罪はなくなるだろうか。1973年から1984年の確定死刑囚7534人のなかで冤罪が実証されたのは111名で1.5%であった。既に執行されたものや病死・自殺者を除いて生存する死刑囚2394人に対しては2.3%となる。米国の重刑受刑者の調査では冤罪率は1.1%であった。米国の犯罪数は1年の1000万件で、警察で把握していない犯罪はその同数あるとして2000万件、逮捕されるのは200万人、起訴され有罪となるのは100万件である。冤罪率を1%として冤罪犠牲者は年1万人になる。冤罪者一人を生む確率(1%)は犯罪者1000人を見逃す確率と同じである。裁判での有罪率を国際的に比較すると、日本では99.9%、米国90%、フランス96%、韓国99.6%、タイ99.2%である。日本の有罪率が高いのは、有罪だと検察が確信できなければ起訴しないことによるとされている。起訴か不起訴かは検察の自由裁量で、証拠があると思われる事件でも被疑者の不起訴率は37%に上る。被疑者を留置場において取調べできる時間は米国で48時間であるが、日本では警察に48時間、検察で24時間、裁判所が認めるとさらに10日間、もう1回裁判所に請求して10日間で、合計23日は被疑者を勾留することが可能である。フランスは最大6日、イギリス4日、イタリア4日、デンマーク3日、ドイツ2日、カナダ1日である。日本の拘留期間の長さはよく非難の的になる。日本の弁護士接見制限も非難される。
(つづく)

文芸散歩 蜂屋邦夫訳注 「老 子」 岩波文庫

2012年02月29日 | 書評
中国戦国時代の「無為自然」を説く思想書 第24回

第54章 「善建者不抜 善抱者不脱 子孫以祭祀不輟 修之於身 其徳及真・・・」
家、郷、邦、天下を治める者が道を修めその身に徳が充実していると、天下の人民に恩沢が行き渡る。(儒教と同じ国家修身論)

第55章 「含徳之厚 此於赤子 蜂蠍蝮蛇不螫 猛獣不拠・・・」
徳の厚い人は赤子のようだ。和の状態を心得ていることを「恒常なあり方」といい、恒常なあり方を知る事を「明知」という。生きることに執着することを「禍」といい、欲の心が起きることを「頑張り」という。

第56章 「知者不言 言者不知 塞其兌 閉其門・・・」
本当の知者は物を言わず、物言う人は本当の知者ではない。欲望を抑え、知恵の光を和らげ、世の人に同化することを、「道との玄妙な合一」という。こうして聖人は世の中の人から尊敬される。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「庭 梅」

2012年02月29日 | 漢詩・自由詩
冬去黄鶯頻弄聲     冬去り黄鶯 頻りに聲を弄し

春回雪霽紙窓明     春回り雪霽れて 紙窓明なり

簷梅郁郁暗香動     簷梅郁郁と 暗香動き
 
浅水温温疎影横     浅水温温と 疎影横る


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(韻:八庚 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)