ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

アメリカ発金融大恐慌で日本はズタズタ

2008年12月23日 | 時事問題
asahi.com 2008年12月23日5時28分
<天皇陛下75歳に「働機会持ち得ない事態…心痛む」
 天皇陛下は23日、75歳の誕生日を迎えた。今年は体調を考慮し記者会見をやめ、宮内記者会に文書で感想を寄せた。この一年を振り返り、世界的な金融危機に伴う経済の悪化について「働きたい人々が働く機会を持ち得ないという事態に心が痛みます」と案じ、「皆で、この度の困難を乗り越えることを切に願っています」との思いを述べた。

asahi.com 2008年12月23日3時7分
トヨタ社長交代、豊田章男副社長が昇格へ
 トヨタ自動車は22日、09年3月期連結決算の業績予想を大幅に再下方修正し、通期の営業損益が1500億円の赤字になるとの見通しを発表した。併せて、創業家の豊田章男副社長(52)が来年4月に社長に昇格する人事を固めた。渡辺捷昭(かつあき)社長(66)は退任する。豊田家出身者が社長を務めるのは約14年ぶり。人心を一新し業績回復にあたる。

右上がり経済は根源的にバブル体質 資本主義は本質的に不安定性
貨幣それ自体が実は純粋な投機である。「貨幣の信用」はそもそも「共同幻想」を前提としており、信用崩壊はドミノ倒しのように連鎖する。ドルは世界の基軸通貨たる地位を失う日は近いのか。

読書ノート 梅棹忠夫著 「文明の生態史観」 中公クラシックス

2008年12月23日 | 書評
京都学派文化人を代表する文化人類学者 フィールド研究のパイオニア  第1回

序(1)


 梅棹忠夫著 「文明の生態史観」は今から約40年前に著された書物である。著者梅棹忠夫氏は「京都学派文化人」に属する「何でも屋」で、いわずと知れた「今西生態学・自然学」の系譜に属する弟子である。今時の「文化人」でこれほど間口の広い何でも屋さんは、前時代的であるといわれている。専門化した研究に従事する研究者はこのような広い玄関口はもてない。間口の広い人は中身が無いとかえって怪しまれる。大英帝国で博物学が風靡した時代はニューフロンティアの植民地主義の拡大期で、啓蒙主義の知の巨人といわれる人は数多くいた。今西氏や梅棹氏らが活躍した戦中や戦後の一時期にはそのような「知の巨人」の存在が許された幸せな時代があった。しかし世界は狭くなって啓蒙主義的な知識は普及したので、人文科学の分野でも実験が必要な実証科学が要求されるようになった。そうでないと誰も信用しないと云う時代である。実証に重きを置いた現代科学の時代では高度に専門化しているので、大まかな議論は詐欺師と間違えられる。高度経済成長をへて技術主導社会になると、学者もテクノクラート化して役に立つ研究のスタイルになった。なんの役に立つかわからないような研究には金が出なくなり、皆が同じ方向を向いて文部省の指導の下の科研費補助金研究に縛られる時代になった。大雑把ではあるが知的好奇心に支えられた今西氏や梅棹氏らの自然・文化人類学は古きよき時代の思い出となった。しかし今西・梅棹氏らの研究を振り返ってみることは、学問の基本に立ち返ることであるという意義があるのではないか。

読書ノート 今西錦司著 「生物の世界」 中公クラシックス

2008年12月23日 | 書評
棲み分け理論からダーウインの自然淘汰進化論批判まで  第5回

序(5) 「生物の世界」

 本書の内容に入る前に、今西氏の生物学、特にダーウインの進化論批判を見て行こう。今西氏は「日本渓流におけるカゲロウ目の研究」によって理学部博士の学位を得て、1940年に「生物の世界」を書き上げた。時は日中戦争の戦線拡大と太平洋戦争への危機が近く迫っており、何時召集されてもおかしくない時期に遺書の意味をこめた「自画像」として書いたと今西氏はいう。本書は生物学の専門書というよりは、思索の書、思想哲学の書といえる。根源的な意味で世界と人間をとらえる知的活動であるからだ。その世界観は「この世界を構築しているすべてのものが、もとは一つのものから分化発展した」と云う世界観である。無生物的構造が生物的構造へ変わるということが、無生物から生物への進化であった。「我々の世界とは、そこで万物が存在し且つ万物の変化し流転しつつあるこの空間的即時間的な世界である」。そこで世界に存在する万物を捉えるには、類縁関係の正確な把握が必要である。「相似と相異」を全体的にみなければならない。そして生物の「構造」、生物の主体に対する「環境」、類をもって集まる「社会」、その「歴史」を考察してゆくのである。

文藝散歩 「ギリシャ悲劇」

2008年12月23日 | 書評
啓蒙・理性の世紀、都市国家アテネの繁栄と没落を描く 第24回

アイスキュロス「テーバイ攻めの七将」 高津春繁訳 岩波文庫 (2)

 アイスキュロスの一生はペルシャ戦争とアテナイの興隆と並行している。アイスキュロスは本当にアッティカ悲劇の建設者であった。自ら俳優として自作を演じ、合唱団を指揮した。仮面、俳優の衣裳(長袍)の発明者で、俳優の数を一人から二人に増やして対話の役割を増加させた。ソポクレスが俳優を三人に増やしたことよりもっと革命的であった。「テーバイ攻めの七将」は二人の俳優と合唱団とによる悲劇の傑作である。テーバイ王家の三代にまつわる悲惨な運命と破局の物語である。アイスキュロスは「テーバイス」と「オイディポデイア」という二つの叙事詩から題を取った。物語のストーリは以下である。神託により予言(王が子をなせば、その子は王を殺し母親と契ることになる)にもかかわらず、王が子を設けてこれが王家の長年にわたる不幸の原因となる。王はその子を山中に捨てるように命じたが、こは羊飼いに拾われ、子のいない他国の王家で養育される。オイディプスは捨て子であると悟って放浪の旅に出る。旅の途中で実の親であるテーバイ王を喧嘩から殺害した。そしてスフィンクスのなぞに苦しめられていたテーバイの国を救った功績により、ギリシャ母系社会によって母に伝わった王権を継承し、母と結婚してテーバイ王になる。そして四人の子(男二人、女二人)を設けた。王は自分の呪わしい誕生の秘密と母子相姦を知って自分の目を潰して放浪の旅に出た。母親も自殺した。ソポクレス 「オイディプス王」はこのあたりを悲劇とした。残されたテーバイ国の二人の王子ポリニュケスとエテオクレスが王位をめぐって争い、争うに敗れたポリニュケスは隣の国アルゴス家にたよってその武力を借りてテーバイにいるエテオクレスを攻撃する。結果は両将の相打ちで終わる。この劇の主人公はエテオクレス(テーバイ王)一人である。全体の劇は三部作で、残っているのは最後に演じられた「テーバイ攻めの七将」のみである。

自作漢詩 「窮途自笑」

2008年12月23日 | 漢詩・自由詩
冷迫駸駸奈我     冷迫駸駸 我寒を奈んせん

窮途汲汲獨長     窮途汲汲 獨り長嘆す

塵粉多事人皆老     塵粉多事 人皆老い

自笑沈淪歳已     自笑沈淪 歳已に闌なり 

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(赤い字は韻:十四寒 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)