ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月31日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首  第25回
巻 10
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221) はなはだも 夜深けてな行き 道の辺の 五百小竹が上に 霜の降る夜を   作者不詳(巻10・2336)
・ 「五百小竹」とは茂った笹のこと。「な行き」の「な」は禁止で、行かないでという意味である。「道の辺の茂った笹に霜が降る夜は、夜更けになってからは帰らないで、暁になってお帰りなさい」と男を引き留める女の歌である。

巻 11
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222) 新室を 踏み鎮む子し 手玉鳴らすも 玉の如 照りたる君を 内へと白せ   柿本人麿歌集(巻11・2352)
・ 旋頭歌である。前の句は新しく家を作るための地鎮祭で大勢の乙女が手飾りの玉を鳴らして踊るのが見える。下の句はあの玉のように光り輝く男性をこの新しい家の中へ入るようにお招きしなさいと言う意味である。旋頭歌では「手玉鳴らすも」で休止になり、第4句で新た起す特色がある。民謡的な労働歌というもので、旋頭歌には人麿作というものはない。人麿歌集には旋頭歌がまとまって載っているので、これらには人麿の試作品があるかもしれない。
223) 長谷の 五百槻が下に 吾が隠せる妻 茜さし 照れる月夜に 人見てむかも   柿本人麿歌集(巻11・2353)
・ 旋頭歌である。「長谷」は初瀬(泊瀬)である。「五百槻(ゆつき)」とは「いおつき」と読み、たくさんの枝のある槻(欅)(けやき)のことである。上の句は「長谷の欅の下に隠しておいた妻」、下の句は「月の光のの明るい晩に他の男にみつかるかも」という意味である。民謡的で素朴で当時の風俗を反映して面白い。短歌のように一首としてまとめ上げる必要はないので、大きく変化させることが可能である。内容が複雑になることを嫌って単純にするため、繰り返しが多いのが特色である。
224) 愛しと 吾が念ふ妹は 早も死ねやも 生けりとも 吾に依るべしと 人の言はなくに   柿本人麿歌集(巻11・2355)
・ 旋頭歌である。上の句は「かわいいと思う自分のあの女は、いっそのこと死んでしまえばいい」、下の句は「たとえ生きていても私になびきよる気配がないから」という意味で、上下入れ換えて詠んでもいい。女を独占したい気持ちが面白く逆説的に表現されている。
225) 朝戸出の 君が足結を 潤らす露原 早く起き 出でつつ吾も 裳裾潤らさな   柿本人麿歌集(巻11・2357)
・ 旋頭歌である。上の句は「朝早くお帰りになるあなたの足を濡らす露原よ」、下の句は「私も早く起きて裳裾を一緒に濡らしましょう」という意味である。別れを惜しむ女の気持ちが濃厚に出ている。
226) 垂乳根の 母が手放れ 斯くばかり 術なき事は 未だ為なくに   柿本人麿歌集(巻11・2368)
・ 「年頃になって母離れして以来、これほど苦しい思いをしたことは未だ一度もありません」と恋の苦しみを謳う女心の様です。
227) 人の寐る 味宿は寐ずて 愛しきやし 君が目すらを 欲りて嘆くも   柿本人麿歌集(巻11・2369)
・ 「味宿」は安眠のこと。「目すらを」は目を強める言い方で「目ですらも」おいう気持ち。「(この頃は物思い乱れて)世の人のするように安眠ができません。いとしいあなたの目でさえも見たくてたまりません」という女ごころを謳った。この歌の詞の中心は「目すらを」にある。
228) 朝影に 吾が身はなりぬ 玉輝る ほのかに見えて 去にし子故に   柿本人麿歌集(巻11・2394)
・ 「朝影に」は朝早く還る人の影が細く映ること。「玉輝る」はほのかにかかる枕詞である。「日の出間もないころに帰る自分の影が恋に痩せた者のようにほのかに見える」 しみじみとした恋の歌である。
229) 行けど行けど 逢はぬ妹ゆゑ ひさかたの 天の露霜に 濡れにけるかも   柿本人麿歌集(巻11・2395)
・ 行けど逢えない女のために、露霜に濡れてしまったという意味である。民謡風の歌で、のびのびと歌うことが人麿風である。
230) 朱らひく 膚に触れずて 寐たれども 心を異しく 我が念はなくに   柿本人麿歌集(巻11・2399)
・ 「朱らひく」は「あからひく」と読み、紅顔からきた言葉で、雪のような膚の色が少し紅になることをいう。官能的な言葉である。「心を異しく」は心変わりをする意味。「今夜は事情があってお前の所に行けず、美しい肌にも触れず一人寝をしたが、決して心変わりをしたわけではない」という、女に送る言い訳の歌。

(つづく)

文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月30日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第24回
巻 10
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211) 秋萩の 枝もとををに 露霜置き 寒くも時は なりにけるかも   作者不詳(巻10・2170)
・ 「枝もとををに」は「枝も撓うくらい」という意味。「露霜」は初冬の寒露のこと。「寒くも時は」の「も」、「は」の助詞が感嘆の意を深めている。
212) 九月の 時雨の雨に 沾れとほり 春日の山は 色づきにけり   作者不詳(巻10・2180)
・ 「時雨の雨に 沾れとほり」がこの歌の中心である。のびのびと秋の景観を歌い上げている。空気の温度と清涼感を現すこのような表現は成功している。
213) 大阪を 吾が越え来れば 二上に もみじ葉流る 時雨零りつつ   作者不詳(巻10・2185)
・ 「大阪」とは大和北葛城郡下田村で大和から河内に抜ける坂である。二上山はその峠の南に位置するので坂を越えると二上山の紅葉が見えるのである。「もみじ葉流る」とは、時雨が横殴りに降ると紅葉葉も流れるのである。
214) 吾が門の 浅茅色づく 吉陰の 浪柴の野の もみじ散るらし   作者不詳(巻10・2190)
・ 「吉陰(よなばり)の浪柴(なみしば)の野」とは大和磯城郡初瀬町の東にある。持統天皇も行幸されたことがある。「自分の家の門前の浅茅が色づくころ、もう浪柴の野の黄葉がちるだろう」
215) さを鹿の 妻喚ぶ山の 岳辺なる 早田は苅らじ 霜は零るとも   作者不詳(巻10・2220)
・ 「もう早稲田は実っているだろう、しかし牡鹿が妻を喚ぶ丘に霜が降る季節になっても、鹿が哀れで稲を刈り取れないでいる」 主観語は一切使用していない。人間的感情が、有情・非情に及ぶことを「人間的」と呼ぶ。
216) 思はぬに 時雨の雨は 零りたれど 天雲霽れて 月夜さやけし   作者不詳(巻10・2227)
・ 「思いがけず時雨が降ったけれど、何時の間にか雲が無くなって月明かりとなった」というだけの平明な歌であるが、すらすらと言い連ねて充実した内容になっている。
217) さを鹿の 入野のすすき 初尾花 いづれの時か 妹が手まかむ   作者不詳(巻10・2277)
・ 前半の句は序詞で、「いづれの時か 妹が手まかむ」だけが意味部分である。「いつになったらあなたと寝られるのだろう」に尽きる。入野は山城国乙訓郡大原野上羽にある入野神社辺りである。鹿の居る入野はススキか初尾花のいずれだろうかと言って、いずれの時かに結び付ける。手の込んだ序詞テクニックで、初めて読んだときは面食らうのである。
218) あしひきの 山かも高き 巻向の 岸の小松に み雪降り来る   作者不詳(巻10・2277)
・ 高い巻向の山の「山かも高き」という表現は万葉の常套句で、「岸の小松に み雪降り来る」が歌の中心である。
219) あしひきの 山道も知らず 白橿の 枝もとををに 雪の降りければ   柿本人麿歌集(巻10・2315)
・ 「白橿の枝も撓むほどに雪が降ったので、山道は見えなくなった」
220) 吾が背子を 今か今かと 出で見れば 沫雪ふれり 庭もほどろに   作者不詳(巻10・2323)
・ 「ほどろに」は消えやすい沫雪がぼったりと庭に積ったということである。雪の降る夜に今か今かと男を待つ女の恨めしい語気が伝わる。

(つづく)

文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月29日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第23回
巻 10
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201) 春されば 樹の木の暗の 夕月夜 おぼつかなしも 山陰にして   作者不詳(巻10・1875)
・ 春になって木が萌え茂り、木の間が薄く暗く感じられ、山影にあるため夕月の光もおぼつかない。「おぼつかなしも」がメインテーマとなっている。
202) 春日野に 煙立つ見ゆ 娘嬬等し 春野の菟芽子 採みて煮らしも   作者不詳(巻10・1879)
・ 「娘嬬」は「おとめ」と読む。「菟芽子」は「うはぎ」と読み、嫁菜のことである。「春日野」は平城京の東に広がる野で遊楽の地であった。「春日野に煙が立つのは、野遊びにきた娘たちが嫁菜を採んで煮ているようだ。」
203) 百礒城の 大宮人は 暇あれや 梅を挿頭して ここに集える   作者不詳(巻10・1883)
・ 「百礒城の」は多くの石で築いた城という意味で「大宮」の枕詞とした。「(今日は)大宮人は、暇なのか、梅花を挿頭にしてこの野に集まっておられる」 奈良朝の太平豊楽を賛美する気持ちが表面に出でている。
204) 春雨に 衣は甚く通らめや 七日し零らば 七夜来じとや   作者不詳(巻10・1917)
・ 女から男にやった歌で、男がやって来ないことを揶揄している。 「あの程度の春雨で衣が濡れ通ることはありますまい、もし七日雨が降り続いたら、七晩やって来ないというの」と女の肉声を聞くようである。平安時代の理知的な才気とはまた違う迫力がある。
205) 卯の花の 咲き散る岳ゆ 霍公鳥 鳴きてさ渡る 君は聞きつや   作者不詳(巻10・1976
・ 問答歌でこれは問である。「卯の花の咲き散る岳を越えて鳴き渡る霍公鳥の声が聞こえますか」 簡潔で、技巧もあって「卯の花の咲き散る岳ゆ鳴きてさ渡る霍公鳥」と持ってくるところがうまい。
206) 真葛原 靡く秋風 吹くごとに 阿太の大野の 萩が花散る   作者不詳(巻10・2096)
・ 「阿太の大野」とは吉野下市付近の原野である。「真葛原 靡く」は大野に係る枕詞ととることも可、意味を取ることも可。「葛の原をなびかせる秋風が吹くたびに、阿太の野の萩の花が散る」
207) 秋風に 大和へ越ゆる 雁がねは いや遠ざかる 雲がくりつつ   作者不詳(巻10・2128)
・ 「秋風が吹いて大和の方へ越えゆく雁は、雲の中に隠れつつ次第に遠ざかってゆく」
208) 朝にゆく 雁の鳴く音は 吾が如く もの念へかも 声の悲しき   作者不詳(巻10・2137)
・ 「朝早く飛んでゆく雁の音は何となく物悲しい。私のようにもの想いをしているからだろうか」 惻々とした哀感が伝わる。
209) 山の辺に い行く猟夫は 多かれど 山にも野にも さを鹿鳴くも   作者不詳(巻10・2147)
・ 「山の辺りに行く猟夫は多いのだが、それにもかかわらず野にも山にも、妻を求めて鳴く鹿は出歩いている」 恋は盲目というところだろう。「鳴くも」という言い方は万葉集には甚だ多かったが、しだいに感傷語に嫌気がさしてきて少なくなった。
210) 秋風の 寒く吹くなべ 吾が屋前の 浅茅がもとに 蟋蟀鳴くも   作者不詳(巻10・2158)
・ 「吹くなべ」は吹くに連れてという意味。「寒い秋風が吹くにつれて、我が家の前の浅茅の下で蟋蟀が鳴くようになった」 「我が家の前の浅茅の下」が身近な具体性を以て面白い。

(つづく)

文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月28日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第22回
巻 9
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191) うちたをり 多武の山霧 しげみかも 細川の瀬に 波の騒げる   柿本人麿歌集(巻9・1704)
・ 人麿が舎人皇子に奉った歌二首のひとつ。「うちたおり」とは「うちた折り撓む」から「多武(たむ)」の枕詞となった。多武峯は高市郡にある塔の峯、談山神社のある談山のことである。「細川」は飛鳥川の上流にある。多武の峯に雲霧がしげくかかっているのか、細川の瀬に浪がたち騒いでいる。鋭敏な感覚は人麿の特徴である。
192) 御食むかふ 南淵山の 巌には 落れる斑雪か 消え残りたる   柿本人麿歌集(巻9・1709)
・ 「御食むかふ」は「南淵山」とミを同音とするところから枕詞となった。「斑雪」は「はだれ」と読む。叙景の歌で、弓削皇子の居られる宮よりまじかに見える南淵山の景観を謳ったと言われる。
193) 落ちたぎち 流るる水の 磐に触り 淀める淀に 月の影見ゆ   作者不詳(巻9・1714)
・ 吉野の宮に行幸のあった時に詠まれた歌だが、誰の歌か、どの御代かは不明。前半は滝の落ちる流れ、後半は月の影を詠んでいる。動と静の対比、印象の明瞭な歌である。真淵は人麿の作ではないかという。
194) 楽浪の 比良山風の 海吹けば 釣りする海人の 袂かへる見ゆ   柿本人麿歌集(巻9・1715)
・ 「楽浪の」は「比良山」の枕詞といってもいい。近江の比良山から湖水の面に吹き降ろす風が、釣りをしている漁夫の袖を翻らせる。前半のさわやかな諧調音は人麿の技とみられる。
195) 泊瀬河 夕渡り来て 我妹子が 家の門に 近づきにけり   柿本人麿歌集(巻9・1775)
・ 舎人皇子に奉った歌二首のひとつ。「泊瀬河」は長谷の谷を流れ佐保川に合流する川である。「門」は「かなど」と読む。愛する女の家に近づいてゆく様子が軽快に詠まれている。
196) 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 吾が子羽ぐくめ 天の鶴群   遣唐使随員の母(巻9・1775)
・ 遣唐使(多治比真人広成)の船が難波の津を出帆した時、随員の母親が詠んだ歌。遠く唐に旅する子が宿りするあの地で霜が降ったなら、天の鶴の群れよ翼を広げてあの子を守っておくれという意味である。文学的表現に優れた歌である。
197) 潮気立つ 荒磯にはあれど 行く水の 過ぎにし妹が 形見とぞ来し   柿本人麿歌集(巻9・1775)
・ 「行く水の」は「過ぎにし(亡くなった)」に係る枕詞である。潮煙の立つ荒涼としたこの荒磯だが、亡くなった妻の形見と思ってきたという意味である。緊張感のある情景と共に哀感漂う歌である。 

巻 10
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198) ひさかたの 天の香久山 この夕べ 霞たなびく 春立つらしも   柿本人麿歌集(巻10・1812)
・ 藤原京辺りから香久山を眺めた歌だろう。「ひさかたの」は「天」に係る枕詞。「この夕べ」という分岐点の詞が妙に落ち着いてしまっている。霞がたなびいて春らしくなったことよ。屈託がなく巧まないところが気楽に作っている。
199) 子等が名に 懸けのよろしき 朝妻の 片山ぎしに 霞たなびく   柿本人麿歌集(巻10・1818)
・ 朝妻山は大和南葛飾郡朝妻のある背の低い山。「片山ぎしに」はその朝妻山の麓にあって平野に接するところ。「子等が名に 懸けのよろしき」は序詞で、親しみやすい名前だという意味から「朝妻」に係る。すると序詞と場所を除けば、この歌の本質は春の「霞棚引く」だけである。一気に詠んで、心地よい歌は人麿の歌の一つの特徴である。
200) 春霞 ながるるなべに 青柳の 枝くひもちて 鶯鳴くも   作者不詳(巻10・1821)
・ 春霞と萌え出る青柳の緑、それらを仲介するうぐいすの声で春のオールキャストは揃った。

(つづく)


文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月27日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第21回
巻 8
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181) 夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝宿にけらしも   舒明天皇(巻8・1511)
・ 秋の雑歌で、舒明天皇の御製である。「小倉山」は山城嵐山ではなく、岡本宮に近くの山であろうか。夕方になるといつも小倉山で鳴く鹿が、今日は鳴かない。多分もう寝てしまったのかなという意味である。いつも妻を求めて鳴く鹿が、今日は妻を得て寝るという意味にもとれる。調べ高くしておおらかで、豊かにして弛まないこころを現している。「いねにけらしも」の一句は古今無上の結句だと茂吉は言う。素朴・直接・人間的・肉体的で後世こうして歌はなくなったという。茂吉はこの歌を万葉集中最高峰のひとつだという。えてして茂吉は天皇の御製を無条件に賛美するきらいがある。だから茂吉は天皇主義者と言われるのである。
182) 今朝の朝 雁がね聞きつ 春日山 もみじにけらし 吾こころ痛し   穂積皇子(巻8・1513)
・ 今朝雁の声を聴いた。もう春日山は黄葉したであろうか、身に染みて悲しいという歌である。痛切な心境を暗示させるのは、但馬皇女との関係があったのだろうか。
183) 秋の田の 穂田を雁がね 闇けくに 夜のほどろにも 鳴き渡るかも   聖武天皇(巻8・1539)
・ 「秋の田の穂田を刈る」は「雁が音」にかけている序詞である。暗闇の中で暁の天に向かう夜の雁を謳った。
184) 夕月夜 心も萎に 白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも   湯原王(巻8・1552)
・ 湯原王の蟋蟀の歌である。白露のおく庭で蟋蟀の声を聴くと心も萎れるというものである。
185) あしひきの 山の黄葉 今夜もか 浮かびゆくらむ 山川の瀬に   大伴書持(巻8・1587)
・ 大伴書持(ふみもち)は旅人の子で家持の弟にあたる。橘宿祢奈良麻呂の屋敷で宴をした時の歌である。山河の瀬に黄葉が浮かんで流れゆく写像である。「今夜もか浮かびゆくらむ」が本歌の中心をなす詠嘆詞である。山にしろ川にしろ固有名詞が一切ない普通名詞で扱うところが象徴の余地を大きくしている。万葉末期の移行時期の歌かもしれない。
186) 大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに   舎人娘子(巻8・1636)
・ 舎人娘子の伝は不詳だが、舎人皇子の従者だとすると持統天皇の宮女であったかもしれない。「大口」は「真神」に係る枕詞。真神の原は高市郡飛鳥にあった。贈答歌のように、ありのままに詠んで親愛の情のこもった歌である。
187) 沫雪の ほどろほどろに 零り重けば 平城の京師し 念ほゆるかも   大伴旅人(巻8・1639)
・ 「ほどろほどろに」は沫雪の形容で、形を成さない重くて消えやすい雪の様のことである。ほどろを2回繰り返すところにその様子が強められる。線の太い、直線的な歌い方は旅人の真骨頂である。哀感を感じさせない歌い方に共感を覚えるという。
188) 吾背子と 二人見ませば 幾許か この零る雪の 懽しからまし   光明皇后(巻8・1658)
・ 光明皇后が聖武天皇に贈られた歌である。光明皇后は藤原不比等の娘で皇后となられた。説明不要であろう。

巻 9
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189) 巨椋の 入江響むなり 射部人の 伏見が田居に 雁渡るらし   柿本人麿歌集(巻9・1699)
・ 宇治川にて作れる歌2首のひとつである。「巨椋の入江」とは、山城久世郡の巨椋池のこと(今は干拓されて、ない)である。「射部人」は臥して矢を射ることから「伏見」の枕詞。巨椋の池の入り江に大きな音がする、これは雁の群れが伏見の田に向かって飛んでゆくからだという意味である。「入江響むなり」がこの歌の決定打となっている。古調の響きがいい。万葉集でもズバリ言い切る使い方は少ない。
190) さ夜中と 夜は深けぬらし 雁が音の 聞ゆる空に 月渡る見ゆ   柿本人麿歌集(巻9・1701)
・ 人麿が弓削皇子に奉った歌三首の一つである。「月渡る」は月が傾きかかることである。夜を2回繰り返し、夜がさらに更けてゆく様子を演出している。淡々と言い放つところに日本語の良さが見えるという。

(つづく)