ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート デカルト著 谷川多佳子訳 「方法序説」 (岩波文庫)

2016年05月31日 | 書評
近代科学思想の確立を告げる、新しい哲学原理と方法 第2回

さらに吉田氏の「方法序説」は次のような教育論を展開しています。子供を一律に無邪気ととらえる見方は誤っている。子供も生存競争に曝されており自己防衛本能の虜になっています。これを正しく教育することが「躾」であり「教育」の役割なのです。子供は極めて利己的な存在で、早く大人になりたいという憧れを持っています。子供に「民主主義」を教えることは、次期尚早です。大人の論理である極めて政治的な概念は理解できないでしょう。教えるべきは言葉であり、文化そのものでなければならない。文明は物質・技術であり、文化は精神です。読書こそまず始めなければならないことです。読書とは言葉を仲介として他人を理解することで、それを鏡として自身を知る行為です。どのような人でも先人の肩に乗っていろいろなことを見渡すことができます。資源を持たない日本では科学技術を国是としていますが、科学者は専門を持たないことが普通です。「科学的な考え方」を唯一の武器として、困難に立ち向かいます。そういう意味で科学者は「狩猟民族」で、専門性を持つ技術者は「農耕民族」といえます。アインシュタインは「理解できることこそ不思議である」と言い、朝永振一郎は「不思議だと思うことこそが科学の芽です」といっている。数式が出てくると拒否反応を示す人が多い。数式の効用は筆舌に尽くせないほどあります。文章だけですと曖昧になり、一目瞭然という理解ができません。式の簡潔性は言うに及ばず、概念、数値などの情報が手に取るようにわかります。「方程式はその作者よりも賢い」と言われます。もしその物理的意味合いは異なっていても、数式が同じなら裏のからくりは同じとなります。たとえば電気と磁気の関係で、マックスウエルは電磁波という概念で両者を統一しました。あらゆる無駄を省き研ぎ澄まされた表現こそ数式の醍醐味なのです。これを嫌っていては一歩も前に進みません。概念が演算できるのです。すると目に見えなかったからくりが形を表します。例えば万有引力の法則とケプラーの第2法則(面積速度一定)を数式に表して、推論を重ねてニュートンは微分積分法を作り上げ、さらに角運動量の保存則に発展した。数式とは「抽象性の高い言語」に翻訳することで、その本質を抉り出すことが出きるのである。物理学は実験科学の側面だけでなく、論証科学としての能力を持っている。論理学の方法には「帰納法」と「演繹法」があることはよく知られている。現象から法則を導くのは帰納法によるが、法則から現象を説明するのが演繹法である。文章だけでは帰納と演繹の能力は低く、数学的に表現することが不可欠である。青年期には帰納すべき具体例を楽しむ根気が必要である。膨大な天文学データーからケプラーは天体運動の3原則を発見したし、ガウスはたゆままず循環小数の動きを計算することから整数論を発展させた。小中学校時代の計算は馴れることで便利なやり方を考案する「数覚」を磨くことになる。天才少年ガウスの級数の和の求め方は今でも公式となっている。努力や忍耐なしには達成感や満足感は起りえない。こうした手間や努力を厭うとどうなるだろうか。私は文系だから数学は敬遠したいという人は人として大成しない。ナイチンゲールは天使とあがめられた人だが、実は衛生の統計学を収め、英国陸軍病院の死亡率を半減させたことは意外に知られていない。森鴎外は陸軍医統監に上り詰めた人だが、脚気による死亡率を激減させた人手でもある。文系・理系とか、東洋・西洋とかいう2分法はほとんど益がない。だから中庸がいいということも浅薄である。また理系の人が人文を嫌ってはいけない。読む能力、書く能力、文の内容を掴む能力はすべての学問に必須の要件である。数学的に自然および文化の諸現象を見ることが本質的理解には求められている。著者はここで宇宙の誕生ビックバン(太陽系の誕生を含め)から生命のの誕生、人類の誕生、文化(4大文明)の誕生に至る150億年の歴史を概観する。そして我々とは何かをという質問をする。「歴史とは何か、それは私である」という結論をだす。人間が知性という営みを身につけ、情緒を下支えとして人間的な意義を持つ、それが本書の題名の由来である。そこで若者の旅立ちを応援する教育の意味を授けたのである。ニーチェの言葉は「高く上りたければ、自らの脚を用いよ」という。さていよいよ本題に入ろう。

(つづく)

読書ノート デカルト著 谷川多佳子訳 「方法序説」 (岩波文庫)

2016年05月30日 | 書評
近代科学思想の確立を告げる、新しい哲学原理と方法 第1回

おそらく高校生の頃に、このデカルト著 「方法序説」は読んでいたと思う。なぜ今頃「方法序説」を読むのかというと、吉田武著 「虚数の情緒ー中学生からの全方位独学法」(東海大学出版部 2000年)という大著(全体で約1000頁)にも、これと同じ「方法序説」という時代がかった言葉を見たからである。この本は第Ⅰ部「方法序説」、第Ⅱ部「数学」、第Ⅲ部「物理」からなり、第Ⅰ部「方法序説」には何のためにこんな大著を書くのかという、著者が本書に掛ける思いのたけを述べている。そこでは、次のような著者の考え方が披露されている。要約すると、巻頭言には「自分の頭で、他人の干渉を許さない絶対の意志の下で、基礎的な数学の訓練を受けておく必要がある」という本書の趣旨が書かれている。何故なら今日頼りになる大人が全くいない情けない状況であるからだ。現在の日本型教育の最大の問題点は「教え過ぎ」である。知識に溺れる者は、考えることを放棄するものである。詰め込み教育は浅薄な訳知りの「10歳の老人」を生み出す事を目的としているようである。必要なのは「驚く能力」を持つ「百歳の少年」である。時間に余裕があり、先に進むことを目的とせず、じっくり数学の古典を学ばねばならない。本書は好奇心溢れる健全な精神を持った人間を作ることを目指している。では第1部「方法序説ー学問の散歩道」に入ろう。吉田武著 「オイラーの贈物」には、この方法序説という内容はない。なぜ数学を学ばなければならないのか、数学を学ぶと何が変わるのか、吉田氏はここから数学教育を論じたかったようである。むろん知識の体系から言うと数学は一部に過ぎない。すべての学問の中の数学という「全人的数学」を学ぶ意志があるのかということが求められる。第1部は全1000頁の本書からすると120頁に満たない、約1割強である。だから気楽に読んで著書の気持ちを知っておくことが重要である。数学教育の問題点は公式を暗記すると考えると、もう万事休すである。公式はいつどこでも自分の力で導出できるようでなっていなければならない。そのためには概念の定義を知り、そこから導かれる定理の展開に目を見張ることから数学への興味が始まるのである。公式はメモ程度の備忘録である。そうでないと前提条件を忘れたり、適用範囲を誤り、無益な演算をやることになる。数学から生徒を遠ざけたのは、教師の怠慢であり、おそらく自分で導くことができない公式を無暗に生徒に憶えさせたからである。定理や公式よりまず定義が大切なのである。そうでないと問題設定ができないからだ。数学教育の目的は出来上がった公式を使って計算させることではなく、定理を証明する論理を学ぶことである。そのためには初等幾何学は格好の演習の場となる。2次方程式の解の公式を使って、解を計算することは計算機(電卓)に任せておけばいい。文部省式教育指導はお題目のように「選択の自由と個性の重視」を謳ってきた。読み書きそろばんの最低限度の知恵が身についていれば、大学教育はそうであってもいいのだが、小学生や中学生にそれは通用しない。勉強は服装のファッションではない。論語の素読と同じように数学の基礎は訓練を施さなければ身につかない。個性とは自分自身で考え、他人になりえない精神の独自性をいう。個性とは精神のことである。個性化教育とは付和雷同の流れやすい人間を作ることでしかない。自己と必死に格闘した精神が個性になる。自由とは何かからの逃避に過ぎず、その逃避の仕方を個性と言っているようである

(つづく)

吉田武 著 「虚数の情緒ー中学生からの全方位独学法」 (東海大学出版部 )

2016年05月29日 | 書評
全人的科学者よ出でよ! 好奇心に満ちた健全なる精神を持った人のために 第25回 最終回

第Ⅲ部 振り子の物理学

第12章 波と粒子ー量子力学(その5)


電磁場は無限個の調和振動子に等しいことを先に示した。そして光も電磁波であったことが示された。そこで量子力学における調和振動子の量子化を行おう。古典力学での調和振動子の運動方程式はD^2x=-ω^2xであり、(D+iω)(D-iω)x=0 調和振動子の全エネルギーは、E=p^2/2m+(1/2)mω^2x^2(p=mv →mDx)であった。Eを因数分解すると、(1/2m)(ip+mωx)(-ip+mωx)となり、b=(1/√(2m)((ip+mωx) b*=(1/√(2m)(-ip+mωx)と定義すると、全エネルギーはE=b・b*=|b|^2となる。ここで強引に量子化演算子を導入する。x'=x×、p'=-ih'Dで置き換え、量子力学的演算子a',a'†(量子力学的共役複素数記号†はダガーとよむ)を、a=(1/√(2mh'ω))(mωx'+ip')、a'†=(1/√(2mh'ω))(mωx'-ip')を定義する。位置演算子x'と運動量演算子p'は、x'=√(h'/2mω)(a'+a'†)、p'=-i√(h'/2mω)(a'-a'†)となる。ここで演算子a',a'†の互換関係を調べると交換可能でないことが容易にわかる。固有方程式はH'φ=Eφ ただしH'=h'ω(N'+1/2) N'=a'†a'である。N'演算子は「数演算子」と呼び、a'は「消滅演算子」、a'†は「生成演算子」と呼ぶ。こうして固有方程式はH'φ=h'φ(N'+1/2)φ=h'ω(n+1/2)φ=Enとなる。n=0を基底状態として、(1/2)h'ωをゼロ点エネルギーと呼び、(3/2)h'ω,(5/2)h'ω,(7/2)h'ω・・・という飛び飛びのエネルギー値をとる。エネルギーh'ωの粒子がn個存在することで、アインシュタインの光量子仮説に他ならない。「数演算子」N'は光子の数を表すのである。つぎに本書はファイマンの量子電磁気学について述べているが、これはR・Pファイマン著 釜江常好・大貫昌子訳 「光と物質の不思議な理論ー私の量子電磁力学」(岩波現代文庫)に詳しいし、吉田武氏の演算の独自性はなくファイマン説の紹介に過ぎないので割愛する。そして最終節「場の量子論」に入る。アインシュタインの「特殊相対性理論」はニュートン力学をマックスウエルの電磁気学基礎方程式と同じ変換則「ローレンツ変換」に従うように作り変えたもので、電磁気学と極めて相性がいい。ディラックは「相対性量子力学」を作り上げた。プランクの定数h'と光速度cが同じ方程式に同居する「相対的波動方程式」いわゆる「ディラック方程式」を作った。数学の様式美を追求しその成果は、電子スピンの理論、反粒子の存在など多くの副産物を生んだ。粒子の生成消滅を扱うためには、先に見たように電磁場の量子化という「生成・消滅演算子」の因数分解により、電磁場を量子化し粒子数の増減を含む理論として「量子電磁気学」が必要であった。量子電磁気学の成功は、場の量子化をもたらした。電子は古典的な粒子ではない。電子を電子場の量子として捉え、それから陽子場、中性子場、中間子場として考えることができるようになった。場同士の相互作用が物理的な実態であり、その場にその力を仲介する「媒介粒子」が存在するということが規範の見方になった。これを「場の量子論」という。ニュートン力学は「遠隔作用」の肝上げで理論が構成されている。波を伝える要素「近接作用」のように何かが起れば順にそれを伝えてゆくそういう空間を「場」と呼んでいる。場には過去の履歴が準備されている。重力場、電磁場など構成された作用に従って現象が生じるという考えである。重力や電磁気力を波動として伝える媒質、それは現代物理学では「真空」と呼ばれる確かな存在である。場の量子論では考察対象である粒子が何もない空間を真空と呼ぶ。それは最低のエネルギー状態を意味する。あらゆる粒子が生まれる場である。真空にエネルギー光子を与えると粒子に変身する。これらを「対消滅」、「対発生」という。R・Pファイマン著 「光と物質の不思議な理論ー私の量子電磁力学」に詳しく描かれている。不確定性原理はエネルギーと時間に関して、ΔEΔt≧h'/2という関係をいう。幅を持った関係である。真空はエネルギーを得て粒子を生成し、消滅させて元に戻ることができる。エネルギー固有値がnh'ωである状態はn個の光子が同じエネルギーレベルの存在することである。いくつでも同じ状態に存在できる粒子を「ボース・アインシュタイン統計」に従う粒子「ボソン」という。それと反対に電子は同じ状態に2つとしてはいらない性質を「パウリの排他原理」といい、これを満たす粒子は「フェルミ・ディラック統計」に従う「フェルミオン」と呼ぶ。電子はフェルミオンの代表であり、陽子や中性子はスピン値を持つフェルミオンで原子あるいは広く物質はフェルミオンから構成されている。スピンが整数値を持つ粒子はボソン、半奇数値を持つ粒子はフフェルミオンとなる。光子のように「生成・消滅演算子」は、ボソン一般に利用しうる。素粒子論における現在的問題は、南部陽一郎著 「クオーク」、小林誠著 「消えた反物質」(講談社ブルーバックス)を参考にしていただくとして本書の紹介は終了する。

〈完)

吉田武 著 「虚数の情緒ー中学生からの全方位独学法」 (東海大学出版部 2000年2月)

2016年05月28日 | 書評
全人的科学者よ出でよ! 好奇心に満ちた健全なる精神を持った人のために 第24回

第Ⅲ部 振り子の物理学 

第12章 波と粒子ー量子力学 (その4)


プランクの「エネルギー量子」とアインシュタインの「相対論」と「光量子仮説」の二つの革命によって20世紀は切り開かれた。それに続いたのがデンマークのボーアで、彼の原子模型は古典物理学との折衷案で今日では「前期量子論」と呼ばれている。ルイ・ドブロイは粒子説と波動論の折衷みたいな「物質波」を提唱し、どちらかの説に肩入れするわけではなく、電子も波、光も質量を持った物質といった混然一体の理論構築につとめた。1926年理論家シュレージンガ-はド・ブロイのアイデアを練り上げて「波動力学」を創設した。ハイゼンベルグが数学的な整理を行い、ボルン、ヨルダンは「行列力学」という行列式による整理を行った。ディラックは波動力学と行列力学が同じものであることを示し、量子力学の定式化が行われた。ではこれから量子力学の内容に入ろう。コンプトンはX線と電子の衝突実験から、光もエネルギーEを持つと同時に、粒子と同様運動量pを持つことを示した。E=cpを見出し、アインシュタインのE=hν=h(c/λ)を適用して、p=h/λを得た。これがド・ブロイの物質波のことになる。角振動数ω=h'ω、角波数k=2π/λを用いて、粒子と波動の2重性を与える関係式「アインシュタインード・ブロイの関係式」 E=h'ν、p=h'k  (ここにh'=h/2π ディラックの記号)を得る。波動の方程式はオイラーの公式を使って、φ(x,t)=Ae^i(kx-ωt)であった。そして粒子性は「アインシュタインード・ブロイの関係式」よりk=p/h'、ω=E/h'(粒子のν=波動のω)を波動の方程式に代入すると、φ(x,t)=Ae^i(px-et)/h' となる。これは強引なやり方で、波動方程式の量子化ができたことになる。この式は「運動量pとエネルギーEをもち、x方向へ進行する粒子の如き波」と理解される。位置xについて2回偏微分をすると、指数関数の関数形保持のおかげで、Dx^2φ=(ip/h')^2φ=-(p/h')^2φとなり、E=p^2/2mより、-(h'^2/2m)Dx^2φ=Eφ が得られる。ここで左辺の演算子-(h'^2/2m)Dx^2と右辺の定数Eが等価の形になる。ここでH'=-(h'^2/2m)Dx^2という演算子を定義する。するとH'φ=Eφに簡略化された。ある関数fにある演算子を作用させたものが基の関数の定数倍(これが指数関数の微分形の最大の特徴であった)となるとき、関数fを、その演算子の固有関数という。定数を固有値と言い、この方程式を固有方程式という。時間tについて減微分を行うと、同様にDtφ=(-iE/h')φより両辺にiを掛けて整理すると、Eφ=ih'Dtφが得られ、先のH'φ=Eφと組み合わせると、H'φ(x,t)=ih'Dtφ(x,t)が得られる。これが自由粒子にたいする「シュレージンガ-方程式」であり、φ(x,t)は量子力学における波動関数になったという。この式の右辺に虚数iが堂々と存在する。量子力学は虚数なしには成り立たない。これは実在という意味を持っている。電子と光子を扱う物理学を量子電磁気学というなら、原子核の基本粒子を扱う物理学を素粒子物理学という。素粒子の構成とクォークの統一像は現在混迷を続けているが、素粒子の測定には対象を傷つけずに実行することは不可能である。量子力学の測定では、その対象の位置と運動速度を同時に確実の求める方法は存在しないことを「ハイゼンベルグの不確定性原理」という。そういう意味で量子力学は力学ではない。量子力学には「力」トウ言う概念はほとんど使われないのである。量子力学は厄介であるが、数学的手法が駆使される。しかしそれが物理像と乖離していては意味をなさない。ここでシュレージンガ-方程式の導出の逆を考え、方程式H'φ(x,t)=ih'Dtφ(x,t)があったとして、それを解いて解φ(x,t)=φ(x,t)=Ae^i(kx-ωt)を得る数学的取扱いと物理的意味を議論しよう。つまりハミルトニアン演算子H'の交換可能性を検討するのである。ここで方程式をH'φ=p'φと置いたとき、H'=p'^2/2m、p'=-ih'Dxと定義した量子化演算子である。波動関数φ(x,t)は対象の状態を表している。運動量を知りたい時はp'φ(x,t)=-ih'Dx[Ae^i(px-et)/h']=pφ(x,t) となるので、p'→pに対応している。エネルギーが知りたければ、H'φ(x,t)=(p'^2/2m)φ(x,t)=p^2/2m=E 方程式の右辺はih'Dtφ(x,t)=ih'Dt[Ae^i(px-et)/h']=Eφ(x,t)と同じことだから、H'(ih'Dt)はEに対応している。波動関数φは、エネルギー演算子H'と、運動量演算子p'の同時固有関数となっており、その固有値はそれぞれEとpである。次に位置と運動量の測定について調べると、x'=xを乗じるとし、p'=-ih'Dxという二つの演算子の互換関係は、x'p'φ(x,t)、p'x'φ(x,t)の演算結果を比べることである。それには差をとってx'p'φ(x,t)ーp'x'φ(x,t)=-ih'(xDx-Dxx)φ=-ih[x,Dx]φ=ih'となり、[x',p']=ih'という結果になり両演算子は演算の順序によって結果が異なるため、位置と運動量は厳密に測定できないことになる。(エネルギーと運動量は同時測定が可能である。) これをボーアは「相補性原理」と呼んだ。最後に波動関数の物理的意味を考えよう。これには朝永振一郎氏の「光子の歳晩」という名著があるので、思考実験のほとんど省略するが、2つのスリットを抜ける光子は観測をすると干渉縞が消えるという現象は光子は観測されない場合は二つのスリットを同時にすり抜けるのであるという。つまり波動関数は光子の存在確率を意味し、ボルンは「波動関数の絶対値の二乗で与えられる」という確率解釈である。ベクトル表示するとφ=φ1+φ2, |φ|^2=φ1^2+φ2^2+(φ1φ2*+φ2φ1*)  φ*は共役複素数であり、(φ1φ2*+φ2φ1*) は干渉項である。光子は干渉する能力を持ち、大量の光子の場合干渉縞となる。これが「波動」の意味であり、それに対して個別に数えられることが「粒子」の意味である。「光子が波でもあり粒子でもある」ということが本当の意味である。

(つづく)

吉田武 著 「虚数の情緒ー中学生からの全方位独学法」 (東海大学出版部 2000年2月)

2016年05月27日 | 書評
全人的科学者よ出でよ! 好奇心に満ちた健全なる精神を持った人のために 第23回

第Ⅲ部 振り子の物理学

第12章 波と粒子ー量子力学(その3)


19世紀に至って電気と磁気に関する数々の法則が発見された。「クーロンの法則」、「ガウスの法則」、「オームの法則」、「ジュールの法則」、「キルヒホッフの法則」、「フレミングの法則」、「ビオ・サバ―ルの法則」、「アンペールの法則」、「ファラディの法則」などである。電気・磁気の物理に統一的理論「電磁気学」を与えたのが「マックスウエルの方程式」であった。電磁波の予言も含まれていた。今日の物理学を導いたのはいうまでもなく、「ニュートン力学」と「マックスウエルの電磁気学」と「アインシュタインの相対性理論」であり、ここまでを古典物理学と呼ぶ。1864年に提出された「マックスウエルの4つの方程式」とは、①▽・E=ρ/ε。 ②▽・B=0 ③▽×E=-(∂B/∂t)  ④(1/μ。)▽×B=ε。(∂E/∂t)+Jである。本書では電磁気学は詳しく解説していないし、マックスウエル方程式の意味も説明していない。このようなきれいな形に方程式をまとめたのは実はマックスウエルではなくヘルツである。電磁気学とは電気と磁気を統一した理論であっただけでなく、物理学に場の考えを導入した最初の理論である。重力のような遠隔作用ではなく、近接作用としての「場の作用」を考えたのである。Eが電場、Bが磁場のベクトルを表す。場の理論如って、力学的機構は考える必要はなくなったのである。ε。は真空の誘電率、μ。は真空の透磁率であり、マックスウエル方程式を展開すると、(Dx^2+Dy^2+Dz^2-ε。μ。Dt^2)E=0 (Dx^2+Dy^2+Dz^2-ε。μ。Dt^2)B=0 が導出される。なんとこれは一次元の波動方程式(Dx^2-(1/v^2)Dt^2)φ(x,t)=0 を3次元化した波動方程式である。スカラー表示、ベクトル表示の違いはあるが。すると電場、磁場は何らかの波動であり、その伝搬速度はv=1/√(ε。μ。)となる。電場と磁場は共に横波で独立な波ではなく同じ位相で互いに直交している。つまり波動方程式に従う無限個の振子と考えられる。だから電磁波の正体は変動する電磁場のことであった。そしてv=1/√(ε。μ。)は計算の結果、光速に一致した。マックスウエルは光は電磁波のことであると結論した。1888年ヘルツは電磁波を人工的に作りだすヘルツの実験」に成功した。再短長波長のガンマ線は10^(-15)メーター、最長波は10^5メーターまでさまざまの長さの呼び名がある。波長の短い方から順に言うと、γ線、エックス線、真空紫外線、紫外線、可視光線、赤外線、遠赤外線、マイクロ波、ミリ波、センチ波、極短波、短波、中波、長波、超長波である。ですから光は電磁波です。光を理解することを光学といいますが、17世紀デカルトは、光はエーテルという完全弾性体を伝わる圧力波と考えました。屈折の法則は1621年スネルにより発見され、1657年フェルマーは光路の「最小時間の原理」を発表しました。薄膜の干渉現象は「ニュートンリング」と呼びますが、ボイルとフックが発見しました。フックは回折現象の発見者としても有名です。光でさえ有限の速度を持つことをレーマーが木星の観測で示した。光のプリズムによって光が波長によって屈折率の違うことで色分解されることを1666年ニュートンが発見した。彼は光の「粒子説」を唱え、「光学」を著した。これに対してフックは「波動説」を唱え、ホイエンスは波動説を発展させた。彼は光の反射と屈折を波動説から説明し、偏光現象から光は横波であると主張した。オイラーは公然と光の波動説を支持したといわれる。19世紀になるとヤングは波動説に基づく干渉理論を1801年に発表した。ラプラースやビオは光の粒子説を強力に支持したが、フレネルは回折現象を波動説の立場から見事に説明した。彼は地球上の光と宇宙からくる光に一切違いはないことを主張した。ハミルトンは解析力学として知られる力学的手法で光学の理論を整備した。エーテルを媒質とする光の波動説は19世紀の光学を支配した。トムソン、キルヒホッフらがその旗手であった。19世紀中頃マックスウエルは電磁波の存在を予言し、電磁気学と光学は統一されていった。1888年ヘルツが実験的にマックスウエルの予言を実証した。マックスウエル方程式は力学的モデルを持ちえなかったが、こうして波動論が勝利したのである。電磁気学と力学が分離された結果、場の理論が生まれたのである。1905年アインシュタインは「特殊相対性理論」を著して、ニュートン力学とマックスウエル理論を統合し、光のマックスウエル波動論に軍配を上げたのである。彼は光の速度cの普遍性の基礎をおいて、時間と空間の「時空」が変化するという破天荒な理論を発表した。こうして力学との折り合いを求めるエーテル媒質説は完全に葬られた。光は媒質なしでも伝わる電磁場であることが確立した。反対に光と物質の相互作用に波動論は無力であった。光が物質に吸収されることは、19世紀にフラウエンホーファーやブンゼンらが「吸収線」として発見した。光学は、光を吸収する物質すなわち原子核物理学に変容していった。20世紀になって、革命がおこった。プランクは新しい原子論を、溶鉱炉の温度測定から展開したのである。彼は光を調和振動子と考え、振動子のエネルギーは振動数νに応じた一定の量hνを単位として放出するという、不連続なエネルギーを導入した。これが量子力学の始まりであった。プランク定数hは、ε=hν h=6.6260755×10^-34 J・sという小さな値を持つ普遍的な定数である。アインシュタインはプランク説を受け入れ、光電効果を説明するために「光量子(フォトン)仮説」(新たな粒子説の衣替え)を発表した。プランクの不連続エネルギ放出とアインシュタインの光量子仮説によって、20世紀前半の量子力学の建設が開始された。「粒子と波動」論争が再開されたのである。

(つづく)