ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 唐 亮 著 「現代中国の政治ー開発独裁のゆくえ」 岩波新書

2013年05月31日 | 書評
経済成長を追求する開発独裁と民主化のゆくえ  第4回

1) 一党支配と開発独裁路線(2)
 毛沢東時代とは1949年から1976年までをいう社会主義経済建設の時代であったが、権力基盤も弱く多くの経済・社会政策は空回りをした。1958-1961年まで推進された「大躍進運動」は経済インフラもない時代の猪突猛進の大衆精神運動であった。大飢饉によって大きな挫折を味わった。1959年の「廬山会議」で毛は批判的な彭徳懐を失脚させ、続いて1962年「階級闘争」、1964年「社会主義教育運動」、1966年「文化大革命」といった大衆運動を組織して、批判勢力であった劉少奇、小平、林彪、彭真らを次々と失脚させた。1976年毛沢東が死んで、華国鋒は「4人組」を逮捕し、1977年「4つの近代化」を唱えたが、毛の権威を承認したため、1978年小平は主導権を握って、階級闘争から経済建設中心の路線転換を宣言した。小平の「猫論」にみるプラグマティズムが浸透した。1980年以降「改革開放路線」の政府は、価格の自由化、人民公社の解体、指令型経済政策の縮小、個人経営の容認を実施し、徐々に市場化への改革を進めた。1987年の学生運動、1989年の天安門事件は東欧のビロード革命が影響した中国の民主化運動であったが、小平は趙紫陽を切って民主化運動を弾圧した。政治的な民主化運動を封じ込めて難局を乗り切った小平は1992年より市場経済に向けた流れを加速させた。現在の経済体制は市場型というよりも混合型である。いま国有企業は大きく成長し、市場の独占、政府への介入が市場を大きく歪ませている。2004年には私有財産を認める憲法改正が行なわれ、2007年には「物権法」を定めて財産の法的保障の1歩となった。1990年以来国家主席は2期10年で交代することが慣例となっている。2003年国家主席となった胡 錦濤は2012年には最後の毛主義者といわれる薄熙来中央政治局員を失脚させ、政治力学はカリスマ性を背景とする個人独裁から寡頭政治に転換し、党内のコンセンサス重視となってきた。江沢民、胡 錦濤、次期国家主席と呼び声がある周近平らは革命第2―5世代に属するテクノクラート世代(技術官僚)である。毛沢東時代を全体主義と呼ぶなら、改革開放時代は権威主義へと変わったといえる。

 こうして中国は一党支配体制を維持したまま、全体主義から権威主義へと変化した。権威主義体制は行政主導型の権力集中や自由と権利の制限によって秩序の安定化を図ろうとする。権威主義政権の多くは野党の存在を認め、大きな権力を持つ大統領制を好み、定期的な大統領選挙や議会選挙を実施する「形式的民主主義体制」を採用するものである。(ロシア、中南米、東南アジア、東欧、中近東諸国など) しかし大統領は軍隊を掌握し、選挙に介入し、規制と弾圧策を露骨に用いる。中国の権威主義は一党支配型であり野党や社会団体さえ認めないので政治的競争は最初から大きく制限されている。又中国はメディアを国営化し情報規制を行なっている。人民代表の直接選挙は県やそれ以下のレベルに限定されているので、議会民主制ではなく市以上の首長は任命制である。国会に相当する常設議会はないので利益代表が調整し合う場も存在しない。官製団体以外の利益集団が存在しないので、中国政府の政策決定は自立性が高い(?)といえる。2008年の金融危機に中国政府はすばやく56兆円の景気対策を打ち出した。これについては国民的討議もなく全人代での審議もなかった。決定のスピードは危機対応の能力ともいえるが、成功した場合は良いが失敗したら影響は甚大である。無人の敵地を行くが如くの政策決定スピードは裏面として、さまざまな利益、権利、意見を無視する権威主義的体制の独断・強引・独裁につながる。世界の自由主義国家では「小さな政府」が志向されるが中国は最初から大きな政府で、後発の国の近代化は「キャッチアップ型」であり政府が近代化に関して大きな役割をはたす。お手本がある近代化はひたすら効率が求められ、政府主導の近代化(上からの近代化)のスピードの速さは、日本の近代化の典型例、戦後復興・民主化・高度経済成長の範例がある。そして韓国と台湾は開発独裁から民主化までを成し遂げた例がある。中国の権威主義政治も「力による支配」から「同意による支配」へと向かうのではないか。マックス・ヴェーバーは国民が承認し納得する事を「支配の正統性」と捉えた。民主主義国家では国民から多数の支持を獲得することが支配の正統性の源泉である。中国共産党はその支配の正統性の論理として、建国の歴史的功績を用いるが、もはや国民への説得力は薄れてきているのではないか。社会主義イデオロギーも社会主義発生の国ソ連がなくなった今、正統性の論理としては時代遅れである。
(つづく)


文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年05月31日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第21回

34) 妖精の丘
妖精の丘では王様の娘のお見合いの準備で大忙しでした。なんせノルウエイからドウレ山の小人の主が二人の息子を連れてお見合いにやってくるのです。妖精の女中がしらは舞踏会や晩餐会に招待する上品なお客さんの連絡で飛び回っています。やがてドウレ山の小人の主が到着し、妖精の娘らの踊りが始まり、娘の紹介となりました。ところが山の主の息子二人はは野原を駆け回って結婚なんて眼中にありません。この話には落ちがない。ただ妖精の丘が騒ぎでにぎやかだったというだけのことです。

35) 赤いくつ
カーレンという名のかわいい女の子がいました。いつもは木の靴をはいていましたが、おばさんに赤い布の靴を作ってもらいました。お母さんの葬式によくないと思いながらこの赤い靴をはいて参列しました。娘は年寄りの奥様に貰われ、堅礼式を受ける年頃になり、としよりの奥様にエナメル皮の赤い靴を買ってもらいました。娘はキリストのことより赤い靴のことばかり考えていました。聖餐式に赤い靴を履いて教会に向かいましたが、途中に年取った兵隊(これが魔法使いだったのです)がカーレンの赤い靴に「なんときれいなダンス靴じゃ」と呪文をかけました。聖餐式の時もカーレンは赤い靴のことばかり考えていました。教会から出ると、外にあの年取った兵隊がいて「なんときれいなダンス靴じゃ」といいますと、足と靴が勝手にダンスを始めて奥様の足を蹴飛ばしました。そのうち奥様は病気で寝付いてしまいましたが、カーレンは看病もせずに赤い靴を履いて舞踏会に出かけました。ところが足と靴はカーレンの意思とは無関係に勝手に踊りだし暗い森の中へ入ってゆきました。墓地の中で天使は「死ぬまで赤い靴を履いて踊るのだ」と呪いをかけました。怖くなったカーレンはさらに踊り続けて、首切り役人の家にゆき、足ごと赤い靴を切り落としてもらいました。そして木の靴と松葉つえで歩くようになり、教会で賛美歌をうたい懺悔をしました。こうしてカーレンの魂は神様に召されました。キリストのことも忘れて、自分の興味にかまけていると悪魔に取りつかれ、懺悔も手遅れになるということです。
(つづく)


読書ノート 唐 亮 著 「現代中国の政治ー開発独裁のゆくえ」 岩波新書

2013年05月30日 | 書評
経済成長を追求する開発独裁と民主化のゆくえ 第3回

1) 一党支配と開発独裁路線 (1)
 まずは、1949年の建国以来の毛沢東指導下の共産党の組織体制と中央集権体制の確立過程をおさらいしておこう。中国共産党の組織はめったに勉強することは無いだろうが、この程度は知っておかないと、ニュースで現れる要人の序列さえ分からないだろう。共産党は行政区画のクラスにしたがって網の目のように党の執行部を作った。村ー郷・鎮ー県・市ー地区級ー省級-中央という順に党委員会がピラミッド状に構成された。最低単位は党員3名以上で基層委員会を作らなければならない。それは国家の組織中にも隈なく張り巡らされ、党が全国規模で根をおろすと同時に、国家をも厳しく統制してゆくのであった。党内運営は事実上トップダウン型である。党中央は重要政策の決定権を持つ。組織は方針を討論はできるが、決定には組織的に従う。党に反する意見を述べてはいけないという「鉄の規律」がある。共産党の指揮命令系統は全国代表大会が党の最高指導機関とされるが、5年に1度しか開催されない。全国代表大会は中央委員会、中央規律検査委員会を選出して終わりである。いわば用意された人事案を承認する「しゃんしゃん大会」である。地方の人々のご褒美として北京観光であろうか。中央委員会総会は1年に1度開催され、政治局常務委員会、総書記を選出する。中央委員会は政治局常務委員会の強いイニシャティヴで政治報告、決議案、重大人事をおこなう。政治局常務委員会の提案は殆ど修正もなく中央委員会総会、全国代表大会は採択する。現在の中央政治局常務委員会は9人から構成され、総書紀、全人代委員長、国務院総理、政治協商会議主席、中央書記処常務書記、国務院副総理、中央規律委員会書紀、中央政法委員会書記が兼任する。中央政治局常務委員会のもとに中央政治局委員が25名である。総書記は中央政治局、中央政局常務委員会、中央書記処の会議を主宰する。

 中国共産党の権力の実質的な中核は中央政治局とその常務委員会にある。会社の組織で言えば、総書紀が社長、中央政治局常務委員会が常務会、中央政治局委員会が取締役会、中央委員会は株主総会のようなところだろうか。中国を裏(共産党)で動かしている人々は誰かといえば、時によって重点は移動するが概ね中央政治局常務委員会の9人と言ってよいだろう。これが中国のトップである。共産党中央の事務機構では、組織部・宣伝部・統一戦線部が伝統的に3大党務機関(日本では例えば自民党の3役は幹事長、総務会長、政調会長である)といわれ、それとは別に国の行政機関とほぼ同一の区分で政法委員会が設けられ、党の行政担当機構をなしている。二重権力のように入り組んだ党と国家組織に対応関係が存在する。本書は政治機構を論じるので、また中国は北朝鮮ほど軍事政権でないので軍隊の事は省略しておこう。共産党は建国以来国家幹部の任免権を持つ。党中央は総理と各省部の幹部を任免し、党省委員会は地司庁局長級を任免し、党市委員会は県処級を任免し、党県委員会は科級を任免する。こうして数千万人とも言われる中央と地方の幹部のノーメンクラツーラ表を作成する。こうして共産党は基層社会への権力支配を浸透させ、諸団体への監視と規制の網をかぶせ、職場・機関単位による社会統制を貫徹させる。中国ではマスメディアは建国以来政府の事業部門に属して報道統政を続けている。
(つづく)


文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年05月30日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第20回

32) 鐘
遠くのほうから教会の鐘の音がきこえてきますが、だれもその場所を知りません。王様は、鐘の響きがどこからやってくるのか調べた者に称号を与えると約束しました。森の中のふくろうの声だという人もいました。堅信礼を終えた子供たちが鐘の響きの探検に出かけましたが、一人抜け二人抜けして最後に残った子供が王様の子供と貧しい家の子供でした。そして二人は高い岩山の頂上で荘厳な景色を見て、これが目に言えない聖なる鐘の響きでした。天国の鐘という、これは子供向けの宗教話です。

33) おばあさん
おばあさんはお話をたくさん知っています。そして美しい花模様の着物と銀の締め金のある讃美歌の本を持っています。その讃美歌の本にはバラの花の押し花が挿してありました。このバラの花はおばあさんの若かったころ、青年からもらったバラの花でした。その青年は行ってしまいました。果たせぬ恋の思い出のしおりです。このバラの花のにおいをかぐと、おばあさんはすっかり若くなって青年との思い出に浸ることができました。しかし子供たちにお話を終わるとおばあさんは静かに息を引き取りました。おばあさんの棺にはバラの花のしおりの入った讃美歌の本を置きました。
(つづく)