ブログ 「ごまめの歯軋り」

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障害者権利条約に日本署名 当事者主権運動に加速

2007年09月30日 | 時事問題
asahi.com 2007年09月29日10時10分
障害者権利条約に日本署名 国連で高村外相
 高村外相は28日午後(日本時間29日未明)、国連本部で障害者への差別撤廃と社会参加の促進を求める人権条約「障害者の権利条約」に署名した。同条約の最初の署名式は今年3月に行われ、80カ国以上が署名したが、日本政府は「国内法の整備が整っていない」として見送った経緯がある

「自分のことは自分で決める」という声が、当事者主権である。
当事者の権利は、官僚の裁量で恩賜されるものではなく、法律として固定し監視してゆくアドボカシー(権利擁護活動)が欠かせない。
 障害者、女性、高齢者、患者、不登校児童、引きこもり、精神障害者など、社会的問題点を抱えさせられた少数の集団(マイノリティー)に生活自立運動や解放運動が1970年代から始まり、1980年代に運動の大きな盛り上がりがあって、1990年代に社会的制度や国の支援体制が整ってきた。これまで障害者や高齢者の生活自立支援事業とは国や市町村の温情的庇護主義的サービス(パターナリズム)と見られてきた。あくまでサービスの受給者は受け身で、官が良かれと思うことをやるという不備だらけのサービスのことであった。

 その考えを根底から覆したのが「当事者主権」と言う考え(パラダイム転換)である。当事者とは私の現在をこうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうでは新しい現実を作り出す構想力を持ったときに始めて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。当事者主権はなによりも人格の尊厳に基づいている。誰からも侵されない自己統治権即ち自己決定権をさす。「私のこの権利は誰にも譲ることはできないし、誰からも侵されないとする立場が当事者主権である」と定義されるのである。社会的弱者といわれる人は「私のことは私が決める」という基本的人権を奪われてきた。2000年より施行された介護保険は「恩恵から権利へ」、「措置から契約へ」と大きく福祉パラダイムが変化した。当事者主権はサービスという資源をめぐって受け手と送り手の新しい相互関係を築くものである。

 当事者主権の考えは障害者自立生活運動で鮮明に打ち出された。人々は孤立して生きているのではない。みんな何らかの相互依存する人々の集まりである。障害者は社会の人々と協力し合って自立して生活したいのである。障害者は自立するために他人の手を借りる。それは恥ではなく権利である社会を作ることが目的である。今の社会は障害者の要求に答えていないから障害者は「問題を抱え込まされる」のである。交通アクセス運動はかなり実を結んできたが、社会の設計をユニバーサルデザインで行えば、「障害者」(障害と感じる人)は減らすことが可能である。

「右翼軍国主義捏造歴史教科書を許すな」 沖縄県民大会

2007年09月30日 | 時事問題
2007年09月30日08時49分
検定やり直し「参院決議も」 民主・菅氏が表明
 民主党の菅直人代表代行は29日、沖縄戦で日本軍が集団自決を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題について「検定のやり直しを求めることが必要だ。歴史をねじまげるようなやり方はおかしいという国会決議を参院に提出することも視野に入れたい」と述べ、検定意見の撤回などを求める国会決議を検討する考えを示した。沖縄県宜野湾市で記者団に語った。

2007年09月30日08時02分
「醜くても真実知りたい」高校生も訴え 沖縄県民大会
「真実を知り、伝えていきたい」――29日、沖縄県宜野湾市で開かれた教科書検定の意見撤回を求める県民大会では、2人の高校生が思いを込めたメッセージを読み上げた。関係団体はバスや駐車場を用意し、「歴史の改ざん」への抗議に結集を呼びかけた。予想を超える11万人が集まり、「本土」からの参加者の姿もあった。 「教科書から軍の関与を消さないでください。あの醜い戦争を美化しないでほしい。たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」

歴史は個人に記憶されている。戦争を知らない人へ忍び寄る軍国主義
安倍首相の好きな「美しい日本」にはこのような醜い軍国主義はなかった。台湾・朝鮮の植民地化、朝鮮人強制連行、南京大虐殺、従軍慰安婦、治安維持法、関東大地震と朝鮮人虐殺、中国侵略などということは皆でっち上げあげで、自虐的文化人の見た夢に過ぎないということらしい。真実は天皇陛下を慕い、祖国の防衛と興廃に命をかけて戦い、アジアの国を欧米列強の植民地から救った輝かしい皇軍だったようだ。昭和初期から終戦を生きた人々は恐らくいまでは70歳以上となっている。60歳では何も記憶はない。戦後の混乱期の貧しい生活は記憶している。その延長上で戦争時を考えている。それはそれで正しいやりかなのだが、悲しいかな戦争の事実の記憶はもともとない。という私はその世代である。それより若い人には考える手立てもない。そこを右翼が狙っている。「新しい教科書を作る会」の歴史捏造教科書を文部省は少しずつ浸透を狙っている。醜い軍隊の行為を指摘すれば、自虐的といって攻撃し忘れさせようとしている。安倍、麻生など二世、三世議員は日本の支配者階級に属するか、その手先である。右翼的社会構造で利益が最大となる階層である。そんな奴らの言うことは真実ではない。

読書ノート 吉本隆明・梅原猛・中沢真一鼎談 「日本人は思想したか」 新潮文庫

2007年09月30日 | 書評
体系的な思想はなかったが、歌や宗教などに日本人の思想の流れがある 第4回

歌と物語による「思想」
 和歌の成立は記紀歌謡と万葉集にあることは自明である。記紀歌謡には明らかに七五調でない四六調のようなものもあるし韻律は定まっていない。七、八世紀を代表する万葉集の成立は律令社会の成立ということと、七五調の成立はつながっているようだ。これは中国の五言絶句や七言絶句を意識した中国の考えが反映している。アイヌや沖縄の歌はかならずしも七五調には統一されていない。五七五七七という短歌韻律は前半(五七五)と後半(七七)という二人の掛け合いから生まれたもので外国から見ると極めて特殊な形式らしい。息の継ぎ方、喩の作り方に日本人独特の形式が現れている。

 また和歌の成立の決定的な役目を果たしたのが柿本人麻呂であるというのは梅原猛氏の持論である。万葉集の編纂にも深く関係していたようだ。古事記は純然たる歴史書である日本書紀と違って歴史を主題とした歌物語と考えられる。つまり古事記には神話、歴史、歌物語という三つの要素からなるのである。軽皇子や倭建尊の悲劇には歌と物語りは切り離せないほど深い文学的関係を持っている。逆に神話の部分は余りにできすぎた作り話の感が否めない。風土記の神話のほうが流れるような物語性があるのに反して、古事記の神話はぎこちない、高度の作意が見られる。中国の歴史書「史記」には神話は無いのに、日本の歴史書「古事記」に神話を入れたのかというとそれは藤原不比等の編集者の意図が見え見えである。日本の天皇の祖先はどうも外から来たようで征服した氏族の伝承も巧みに取り入れて妥協融和する姿勢のため、異質な話を繋げるためにギクシャクしているのだろう。

 歌には反政治的人間の悲哀表現が濃厚だという梅原氏の意見を踏まえて、「竹取物語」、「伊勢物語」には明らかに現政権貴族と天皇をあざけるようなうらむような表現がある。「平家物語」は平家への鎮魂である。ということで日本の歌や物語には鎮魂という調整の意図が流れているようだ。「万葉集」では律令以前の氏族の歌が多く採用され、いわば政治の妥協産物である。しかし「古今集」では紀貫之という没落貴族が政冶を排して文学そのものが永遠がという非政冶の歌集である。それは「新古今」の幽玄へとつながってゆく。「古今集」で四季という季節感(自然)と恋歌が確立され、「源氏物語」では空間構造としての季節が構築された。「新古今」の幽玄は中世になると「太平記」の武士軍団のリズムにかき消されて、和歌のリズムからむしろ歌謡的なものへ崩れていったようだ。これで和歌の伝統の灯は消えた。近世の江戸時代には和歌は亡び、連歌からでた俳句に次がれてゆく。


文藝散歩 吉本隆明著 「源実朝」 ちくま文庫

2007年09月30日 | 書評
鎌倉幕府三代将軍源実朝の惣領としての悲劇と歌人の魂 第9回

Ⅵ 実朝伝説
 「伝説が成立するところには共通の観念が集まる。伝説にはある人物ある自然物に劇としての時代的象徴がなければならない。結果的には伝説はつまらない。うそ臭い。しかし共同の迷蒙さは時代の象徴としての不安や願望がいつも根底に横たわっているのである」と吉本隆明の思想が述べられている。我々は実朝のイメージや伝説に時代の象徴を見なければならない。実朝の伝説化を企てたのは専ら「吾妻鏡」であった。

 吾妻鏡には元久元年から建永、承元、建歴、建保5年まで頻繁に地震の記録が続くのであるが、これも歴史的事実とは合わない。いたずらに実朝の内的不安を象徴するための創作でなないか。人々が共同の不安をもっていれば、陰陽道や、密教はこの意味付けに加担するのである。全体的には実朝が神経性虚弱体質であったとする効果がある。中世には真言・天台密教と道教系の陰陽道は癒着しやすい体質を持っていた。そこへ何の体系理論も持たない神道はそこへ流れ込んだのであった。神道と密教の癒着で庶民層への浸透を図ったようだ。

 「吾妻鏡」がこれほど天地異変の不安を煽るのは実朝の独特の隠微な性格をとらえ、そこに関東武士団の内紛から来る怨嗟をすべて実朝に擦り付けるためにあり、本来北条氏に集まるべき敵意を実朝に転化することが狙いの記述である。また「吾妻鏡」が「聖徳太子転生伝説」を実朝にかぶせる狙いは、実朝を現神に祭り上げ、祭壇に供することである。生贄としての自分の運命を実朝が悟ったと読ませるためである。

 初期の鎌倉幕府とくに実朝のもとで、武門勢力の反乱はほとんどすべて北条氏への反乱であった。北条氏に歯向かうことは源氏将軍家に手向かうことであるという筋書きにした。北条氏が幕府創建いらいの宿将を次々と滅ぼし、北条家一家の支配が確立したとき、将軍家は名実ともに不要な存在となった。ただ操り人形のような将軍を置いて、北条家で律令朝廷に対応できるまで関東武士政権は成長したのである。


自作漢詩 「稲飯香」

2007年09月30日 | 漢詩・自由詩
柿熟秋郊帯夕     柿熟す秋郊 夕陽を帯びる

天高気爽晩来     天高く気爽に 晩来涼し

酒杯今夜茸羹美     酒杯の今夜 茸羹は美なり

嘉会無憂稲飯     嘉会憂無く 稲飯香し


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(赤い字は韻:七陽 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は24不同、26対、135不論、4字目孤平不許、下三連不許そして同字侵す)