ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「山の人生」 (角川ソフィア文庫2013年版)

2018年02月28日 | 書評
柳田国男が模索する、日本先住民の末裔の生活 第7回

16) 深山の婚姻の事: 筆者が強く感心を持つ話に、陸中五葉山の娘の失踪事件がある。村の農家の娘が栗拾いに山に入ったまま帰らなかった。親は死んだものとあきらめて葬式もすましたが、2,3年後五葉山に入った猟師がこの娘に出会った。娘が言うには、恐ろし男にさらわれて今は一緒に住んでいる。逃げようにも隙がない。恐ろしく嫉妬が強く、子どもも何人か産んだが男は自分に似ていないとして殺すか棄てたようだ。猟師はこの娘を連れて帰ろうとしたが、人里近くなったところで大きな男が追いかけてきて娘を奪い返して山に逃げたそうである。これほど筋の通った話は幻覚ではないだろうと思うと筆者は述べている。三河の宝飯郡に狸が娘をさらって女房にしているという話がある。他にも猿の婿入り、龍蛇の婚姻、伊豆三宅島の馬の神など異種婚姻譚は多い。選ばれた人間の娘にはたいへんめいわくだろう。近年の例では、ほとんどが偶然の不幸になる掠奪婚で山につれて行かれた話である。

17) 鬼の子の里にも産まれし事: 親に似ぬ子は鬼子という俚諺がいまもってあり、忌まわしい事件がが発生する。江戸時代初めの書「徒然慰草」には「日本は愚かなる風俗ありて、歯の生えたる子を産みて、鬼の子と言いて殺しね」とある。英雄や偉人の生い立ちにはいかなる奇瑞を許しておきながら、ひとたび各自の家の生活には寸毫の異常も許さないらしい。胎内発生分化の神秘による異常児出産を危険視するのはいわば天下泰平の裏返しである。優れた能力を持つ子供を望みながら、農村の平和を乱すとしてこれを排斥したのである。(文部省の教育方針のようである) 鬼子の恐ろしい例としては、京都東山の鹿ケ谷村の話が「奇異雑談集」にある。三度流産し四度目の出産で生まれてすぐに3歳児のように歩きだし、目が三つあり、口は耳まで裂け、歯が上下二本づつ生えていた。父親はこれを槌でたたき殺し、真如堂の南の山際に埋めた。その翌日田舎者三人が崖の下で動くものを見て掘り返すと、鬼子が出てきた。三人は驚いてこれを鍬で撃ち殺したという。なんと二回も鬼子は打ち殺された。「越後名寄」によると、凶暴無頼の評ある酒呑童子や茨木童子も他人には狂暴であっても家族の中では善良な子で可愛がられていた申し子であった。「慶弔見聞録」に書かれた、元気な武勇に優れたはずれ者大鳥一兵衛も生まれた時がもう少し早ければ戦国の雄として活躍したであろうに思われる。人間の奇形にも不具と出来過ぎとがある。大男も片輪に数えるのは鎖国平和時代の習性である。いわゆる鬼子は神の子であることは、古事記にも八つか脛や長脛彦のような英雄であった。不寛容な時代のなせることであった。

18) 学問はいまだこの不思議を解釈し得ざる事: 明治30年ごろ愛媛県の山村のある家で、嫁が難産をした。その時腹の中から声がして「俺は鬼の子だ。殺さないなら出てやるが、殺すなら出ない」というので、 家の者は騙して藁の上でお産をさせ、出てきたところを殺したという。この近傍の村には鬼子の話は少なからずあり、とても信じられれない話であると筆者は述べている。山姥のオツクネというものを拾った家には裕福になったが、鬼子が生まれたという話が多い。屋久島では霊山の力が強力でしばしば鬼子を産むことがある。子供は隠して父方で養育したらしい。肥後の米良山では、働いている女が急に眠くなって、よく妊娠するそうである。これを蛇の所業だという人がいる。「作陽志」には美作苫田郡越畑の大平山に牛鬼という怪物がいるという。娘が睡眠中に男に会い妊娠して牛鬼のような子供を産んだ。父母はこれに憎んで殺した。昔は大切にいてきた地方神が、しだいに軽んじられ一とはなく妖怪の類になってしまったと言える。鉄が妖怪の力を滅することに使われた。山姥のオツクネというものを拾った家には裕福になったが鬼子も生まれたという話は、不可思議な童子に伴って財宝が授かる信仰である。道の怪物と称する「ウブメ産女」はお産で死んだ女性の怨恨が成ったと言われるが、児童に害を与えると誤解されている。産女は霊であって念仏で救ってやると霊は謝礼をするのである。産女に限らず道の神は女性で、喜怒怨念が気まぐれだが、幸運を得たということもある。恐ろしい危険を冒してまでなお金太郎のような子を欲しがる世の中が確かにあったことを忘れてしまったようだ。

(つづく)


文芸散歩 柳田国男著 「山の人生」 (角川ソフィア文庫2013年版)

2018年02月27日 | 書評
柳田国男が模索する、日本先住民の末裔の生活 第6回

13) 神隠しに奇異なる約束ありし事: 神隠しにあってから戻った人の話は、不可思議な運命と悲しむべき終末を考える材料である。社会心理学という勃興期の学問に照らして考えてみよう。奇異なる約束という言葉は、奇妙な約束事(共通点)という意味である。第一に信州では、天狗によって山に連れていかれた者は、跡に履物が正しくそろえてあることである。身投げをする人が履物を崖の上に並べてるという癖があるのと同じである。予め自分の運命を知っているかのような仕草であり、拉致される人間の取り乱した様は見当たらない。村人の捜索にも一定の決まりがあって、2,3日探して見つからぬ場合始めて神隠しと推断して方策を講じる。7日過ぎても見つからぬ場合もはや帰らぬものとして諦める。八王子の近くに「呼ばわり山」があった。探索の仕方も一定の順路というのがあって、各戸総出で行列し葬式祭礼に近かったという。鉦太鼓をたたいて「太郎かやせ子かやせ」と合唱しながら、お囃子風であった。鉦太鼓の他には枡の底を叩いたり、紀州田辺地方では櫛の歯で枡の底を掻くように鳴らした。播磨の印南郡では松明をともして金盥などを叩いて「オラバオオラバオ」と呼んだ。食器を叩くということは食べ物を与えるという合図であって、この神隠しにあった小さな神を招き降ろすと意味がある。神隠しに遭うのは子供ばかりではなく、成人の男女の場合もあった。戻ってくる者はわずかで、男の場合は駆け落ち・出奔として処理した。

14) ことに若き女のしばしば隠されし事: 岩手県盛岡で30年前に亭主が行商に出ていない夕方、女房が表に立っているのを町の人が見て心配したが、案の定その晩からいなくなった。岩手山の網盛温泉で見かけたが最後、それっきりであった。雫石という村でも農家の娘が嫁入りの日馬の背から忽然といなくなった。数か月後の夜酒を買いに来た娘があったが、捕まえることはできなかったという。上閉伊郡鱒澤村で村の娘がいなくなり、あきらめた頃、田に立っている娘を見たが荒らしく逃げ去ったという。三戸郡櫛引村では大嵐の吹く日には田三郎の娘が帰ってくるという伝説があった。釜石にも似たような話がある。今から200年余前、伊豆田方郡田中村の百姓の娘が17歳でいなくなった。母親の33回忌の日、還ってきて家の前に立ったが、声をかけると逃げ去った。その後も天城山でよく見かけたという。

15) 生きているかと思う場合多かりし事: 若い女が山に入って戻ってこない事象は、精神錯乱(狂女)なのか、奪略者の存在があったかどうか、畏怖に似た迷信ないしは誤解なのか、明確に線を引けない。中世以降天狗がさらうという風説が多いが、もっと昔は今昔物語の東大寺良弁僧正のように鷲にさらわれた話の方が多かった。時期的な境は鎌倉時代である。天狗や鬼の変遷や地方的な差異が決め手になる。鬼横行の時代は大江山の酒呑童子は都の美女をさらったが、天狗は僧であって女には手を出さなかったようだとなると、今度は山賊の首領が人さらいをするという具合に代わってゆく。天狗の評価は一定しない。これをグヒンと呼ぶ理由も不明で、大人山人といって山男と同一視する。山伏なのか護法といった仏寺に属する人なのか、山爺、仏法でいう鬼というのか、天狗というものに魔物の所業を一切押付けていた。とにかく人里離れた別世界にも娘は生きている可能性があるということは親の心を慰めた。不在者の生死はこの世の者にとって重大な問題となる。処理されない亡魂ほど危険なものはない。宗教はその鎮魂のためにあるのだから、死んでいるのか生きているのかでは残された者の対応がまるで異なる。

(つづく)


文芸散歩 柳田国男著 「山の人生」 (角川ソフィア文庫2013年版)

2018年02月26日 | 書評
柳田国男が模索する、日本先住民の末裔の生活 第5回

10) 小児の言によって幽界を知らんとせし事: 神隠しにあった子供のいうことは大概要領を得ないものだが、その言葉の切れ切れから意味ありげに解釈して、神秘世界の消息をえようとするのが 我が民の古い習慣であった。本人はというと成人してつまらぬ人間になっているのが常であったので、世間は「天狗のカゲマ」と馬鹿にした。この連中の見聞録は近世になって、「神童寅吉物語」は平田流の神道の怪しげな話であった。神道が幅を利かさぬ時代には、見てきた世界は仏法の浄土や地獄であった。「阿波国不朽物語」がそれである。「黒甜瑣語」に天狗のカゲマとなって各所につれて行かれる話である。神童寅吉こと高山嘉津間は7歳のとき、上野の薬売りの老人に連れられて、常陸の岩間山を本拠とする天狗社会に入ったという。修験道に近かったが神道学者はこれを神道世界に解釈した。紀州の幸安の神隠し、名古屋の秋葉大権現の神異は単に鬼術横行の原因をなしただけであった。

11) 仙人出現の理由を研究すべき事: 嘘と幻のさかいはいつも不分明で、本人もあやふやな記憶を何度も語っているうちに自分の骨肉となる。室町時代の中頃、若狭の国から自称800歳と称する八百比丘尼が京に出て、やたら義経最期のことを詳しく語ったということや、常陸房海尊という仙人のことは柳田氏の「東北文化の研究」論にくわしく書いている。八百比丘尼なる者がいたことは他の文献や日記に書かれているので疑うことはできないが、当時の平家物語や義経記が普及したことが背景にあった。常陸房海尊の長寿の話も陸前では信じる人が多かったという。この章は、柳田国男著「雪国の春」の「東北文学の研究」とほとんどかぶさっているので、省略する。

12) 大和尚に化けて廻国せし狸の事: 関東各地の名家にはに狸や狐の書いた書画というものが残っている。いわゆる狸和尚の話は、鈴木重光著「相州内郷村話」に詳しく報告されている。小仏峠を中心とした武州・相州の多くの村には、天明年間に貉が鎌倉建長寺の僧に化けて、書いて残したという書画が分布している。そしてこの僧(貉)が狗にかみ殺されたと伝える場所が、書の数よりも多い。静岡県安倍郡志には、大里村下島の名家に貉の遺したという書がある。信州下伊那郡泰阜村温田にも絵が残っている。狐狸の大多数は諸国旅行する際に、武士や商人には化けずにもっぱら使僧になっているのが特徴である。狐狸和尚は人には害を与えず、三河の長篠のおとら狐のような凶暴性は全くない。

(つづく)

文芸散歩 柳田国男著 「山の人生」 (角川ソフィア文庫2013年版)

2018年02月25日 | 書評
柳田国男が模索する、日本先住民の末裔の生活 第4回

7) 町にも不思議なる迷子ありし事: 子供の迷子がただの迷子ならその日の内に消息は判明するが、どうしても見つからぬとなると神隠しとなる(いまでは変質者による誘拐か、殺人の疑いで警察が動く)。昔はカ神隠しと判断して、神に子供の返却をお願いする村をあげての騒動となる。神隠しをする神は、天狗が疑われ、狐の悪戯も疑われた。子供が神隠しに遭う季節は旧4月の麦刈りと決まっていた。「高麦の頃」大人が農作業に忙しい時分が一案危ない時期であった。福知山では夜かくれんぼをすると鬼につれて行かれるという。他の地方では狸狐といい、隠し婆さん、子取り尼ともいう。子供殺しは取り上げ婆のなす仕業で血取り、脂取りともいう。しかしこの風伝が伝統的不安で勘違いであることが分かって来た。秩父地方では子供が行方不明になることを、隠れ座頭が隠れ里につれて行かれたという。隠れ座頭は奥羽関東では妖怪と信じられていた。子取り(誘拐)の職業人を「ヤドウカイ」とか、「高野聖」と言った。村には「高野聖に宿貸すな、娘とられて恥かくな」という諺がある。これらへの恐怖が時代を経てなくなって、新しい妖怪になったと考えられる。

8) 今も少年の往々にして神に隠さるる事: 野山の村邑には神隠しが頻繁で、約半数は永久に帰ってこなかった。発見された例もあるが、十数年まえ伊豆の松崎で3日後山の中腹で発見されたが捜索隊が通過した後の事である。上総の東金の村の話では2,3日後山の中でしゃがんでいるところを発見されたが、それから長い間は抜け殻のように過していたという。明治40年(1905年)愛知県北設楽郡段嶺村の10歳の少年が神送りの日にいなくなった。そうして村中の大騒ぎになったが、母屋の天井にドスンという音がしたので見に行くと少年が倒れていたそうだ。放心状態の少年に話を聞くと、いつの間にかお宮の杉の樹の下に立っていた。誰かに連れられてあちこちの家に行くとお餅をご馳走になったということである。祭りの行事そのものの情景で、少年は神につれられて門口で供物を戴いたようである。少年の夢のような話である。神隠しから帰還する話は、明治10年ごろ石川県金沢市浅野町の話や明治初めごろの紀州西牟婁郡三栖の話、大正15年遠州相良の話が紹介されている。

9) 神隠しに遭いやすき気質あるかと思う事: 異常心理学者のいう神隠しに遭う子供には何か他の子どもとは違う気質がありそうだという説を取り上げている。余談のように柳田氏は自分もそのような子供だったと幼少時の経験談を書いている。神経過敏で想像力が人一倍高い性質は一時性の脳疾患か、体質か遺伝などはこれを誘引するのであろう。突然驚くべき発言をする特徴は古い宗教に利用され「因童よりわらわ」と言って神託とした。周りを囲んで異様心理状態に高めてゆく方法は、今の「かあごめかごめ」遊びがその名残である。

(つづく)


文芸散歩 柳田国男著 「山の人生」 (角川ソフィア文庫2013年版)

2018年02月24日 | 書評
柳田国男が模索する、日本先住民の末裔の生活 第3回

4) まれに再び山より還る者ある事: 筆者が新渡戸氏から聞いた話である。陸中二戸郡の深山で狩人(マタギ)が昼弁当を食っていると、人が出てきた。かれは元小学校教員だったそうであるが、ふと山に入りたくて家を飛び出しほとんど仙人になりかけていた。マタギの弁当を盗み食いして以来里心が付きとうとう出てきたそうである。このような話は山では往々にして多いと聞く。主要な因は精神異常にあった。マタギとはアイヌ語で猟師の事である。奥羽の山村には小さなを作って狩猟本位の生活をしている。秋田の八郎男の話も、大蛇になる前はマタギであったという。マタギは冬に山に入る熊を追い、肉を食って毛皮と熊胆を里にもっていって、コメに換えまた山に入る生活であった。平野に生活する農民にとって、マタギを異種族視していた。北秋田ではマタギの単語にはアイヌ語が多く存在する。しかしマタギがアイヌ人の末裔であったというわけではない。言語習慣は平地人と変わらず、近世では平地にも住むようになってその区別はなくなっていた。熊野荒野を始め霊山開基の口碑には漁師が案内をしたり、地を献上したという話が伝わる。

5) 女人の山に入る者多い事: 尾州小木村に、百姓の妻が産後に発狂して山に入って行方不明となり、18年後に戻って来たという話がある。裸形で腰に草の葉を纏っているだけだったという。この女も猟師に会って、野生生活を語った。明治の末ごろ、作州那岐山の麓日本平の広野の滝のあたりに山姫が出るというので評判になった。裸形で木こりの小屋を覗いているところを人夫に打ち殺された。この女は村の人間で発狂して家出をしたことが分かった。山に走り込んだという里の女が、しばしば産後の発狂であったことは案外重要なことである。古来日本の神社に従属した女性は大神の御子を産んだという物語が多い。キリスト教の処女受胎に似ている。江戸時代の初めの「雪窓夜話」には備前因幡の武士が岩窟の中で夜叉を捕獲したところ、村の老婆が言うに昔産婦ががにわかに発狂して鷲峰山に駆け込んだ者かも知れない。しかし100歳にもなろうという。殺さずにその女を山に追い返した。もう一つの話は陸中南閉伊郡付馬牛村の山中で、30歳ぐらいの女が裸形でうろついているところを発見された。わっぱという入れ物に虫を入れて食べていたという。遠野の警察で取り調べをしているうち女は次第に記憶を取り戻し、和賀郡小山田村のもので7年前に産後に家出をして山に入ったそうである。親が引き取りに来て村ではたいそう評判となった。

6) 山の神に嫁入りすという事: 羽後の田代岳に駆けこんだ北秋田の娘は、以前から山の神のところにお嫁に行くのだ言っていたそうである。山の中の狂女の中には、こういった錯覚を起こして山に入る者が多かったそうである。案外竜婚蛇婚の類の話にはこうした原因が考えられないことはない。上州榛名山湖に入水した奥方の話、美濃の夜叉ヶ池の夜叉御前の話は、古い信仰の影響か神話というものの成り行きかか不思議な癖であった。我国の狐や狸に憑かれて奇異な行動をするのは精神病の兆候であろう。猿の婿入りという昔話がある。娘が猿に誘われて山の中に入るが、才知をもって相手を自滅させ、家に戻ってくる話で、魔界征服譚である。龍蛇退治の話も同系統の話である。大和の三輪の苧環の糸、豊後の大神氏の花の木の少女の話は全国に普及している。元は単純な命令によって服従して、恐ろしい紙の妻になることに甘んじたものの、これから遁れる智恵を持った娘の話である。それには父親の約束というという婚姻慣習の沿革もあるが、人と山との縁組を嫌う念が生じてきたのは日本近世の黎明である。

(つづく)