ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

上杉隆著 「ジャーナリズム崩壊」 幻冬舎新書

2009年05月31日 | 書評
ジャーナリズムをだめにしているのが、記者クラブと匿名記事だ 第1回

序(1)


 そもそもジャーナリズムの存在理由はなんだろう。日本のジャーナリズムは明治元年、明治新政府が成立するやいなや活動を開始した。政府が厳重な取締令を発したので、佐幕派新聞は続々と廃刊を余儀なくされた。明治二年「新聞紙印行条例」を公布して、はじめて正式に新聞の発行を認められた。しかし自由民権運動、議院開設運動の挫折によって、日本の新聞の活動は変形し、提灯記事から大政翼賛会があって、昭和以降は全く政府の宣伝機関に堕して、戦前は健全なジャーナリズムは育たなかった。そもそもジャーナリストの仕事は権力の監視であり、現在を切り取る作業である。権力に擦り寄る事は愧ずべきである。それによって同時代に生きる国民(読者・視聴者)に、権力内部で起きている不正や真実をを知らせることができる。

 私は始めて上杉隆氏の著作を読むので、まず氏の略歴をみた。東京都出身、都留文科大学文学部英文科卒業。卒業後NHK報道局で記者見習いとして働く。26歳から鳩山邦夫の公設第一秘書を5年間務め、ニューヨーク・タイムズ東京支局の契約社員記者になる。2000年、文藝春秋誌上で、外務大臣就任前の田中真紀子批判キャンペーンを開始。2002年フリーランスジャーナリストとしての活動を開始。主に政治記事を執筆。この分野に関しては、議員秘書時代に築いた人脈が役に立っているという。また、日本のジャーナリズム・マスメディアのあり方に対しても批判をしている。2003年には北朝鮮に入国し現地からのルポを送る。その後は、国内の政治取材を中心に活動。安倍晋三内閣の発足にあたっては、その翌日の新聞インタビューで1年で終わることを予測。2007年8月、安倍内閣の内幕を描いた『官邸崩壊』を出版し、政治関連本としてはベストセラーとなった。著作には「石原慎太郎五人の参謀」(小学館) 、「田中真紀子の恩讐」(小学館) 、「田中真紀子の正体」(草思社) 、「議員秘書という仮面―彼らは何でも知っている」(小学館) 、「小泉の勝利 メディアの敗北」(草思社) 、「官邸崩壊 安倍政権迷走の一年」(新潮社)、「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎)がある。
(続く)

読書ノート 小田実著 「中流の復興」 NHK生活人新書

2009年05月31日 | 書評
民主・平和主義は日本国憲法と中流生活に支えられている 第4回

1、戦争と平和と民主主義

 1990年旧ソ連邦と東欧諸国の社会主義国が崩壊してから、アメリカを唯一覇権国家とする大きな世界政治の潮流に巻き込まれつつある。野党もそれに流されてゆく傾向が強い。アメリカはアフガニスタン、イラクで泥沼に陥っている。ベトナム戦争の時と変らない。朝鮮戦争、ベトナム戦争の時も日本は重要な基地となっており、日本が存在しなければ、アメリカはこれらの戦争を遂行できたとは思えない。アフガニスタン・イラク戦争には日本政府は2回も臨時特例法を作って自衛隊の給油活動・現地派遣活動を可能にし、日本はまさにアメリカ軍の後方部隊であった。アメリカは自分らの戦争を「正義の戦争」といい、「テロ撲滅」を錦の御旗にして他国への侵略をほしいままにしている。第2次世界大戦で5000万人以上の民間人が犠牲になった。アメリカ軍は地上戦では自軍の損耗がでるので、徹底的に空爆で敵を撃破する臆病な軍隊である。無差別爆撃が基本なので民間人が犠牲者になるのだ。「正義の戦争」なんてないことをはっきり日本が自覚して生まれたのが日本国憲法第9条である。「紛争の解決手段としての武力の行使は、これを永久に放棄する」と宣言したのだ。欧州でも「良心的兵役拒否」制度が確立した。東西の壁の崩壊によりEU(欧州連合)も生まれた。確認は出来ませんが、9.11同時テロはアメリカブッシュ大統領とその勢力の「自作自演の危険なショー」として、徹底的に用意周到に「待ってました」とばかり、世界制覇をめざした賭けに出た。やはり旧ソ連と云う抑止力がないとアメリカは羽を伸ばして世界を侵略する。

 小田実氏らは大阪地裁にイラク派遣違憲訴訟を起こした。原告は1048人で2006年7月に大阪地裁での判決は「棄却」と云う敗訴であったが、高裁に控訴した。「原告らの願いは政策批判活動などによって実現されるべき」というもので、違憲判断はしなかった。これにたいして小田氏らは「議会民主主義の多数決で憲法を踏みにじる行為をしていいのかを判断するのが裁判所であり、裁判所の使命を立法府に譲り渡した、3権分立の民主主義政治の根本原則に反している」と抗議した。民主主義とは「主権在民」の政治を実現することである。そのてだてとして議会民主主義と云う方法もある。しかしそれはいつも正しいとは限らない。議会多数派の横暴や間違いに対しては、直接民主主義の手として、抗議デモ、ストライキ、国民投票などの手段を使うことが出来るのが民主主義である。
(続く)