ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 パスカル著 塩川徹也訳 「パンセ」 岩波文庫 上中下

2018年05月31日 | 書評
17世紀フランスのモラリスト文学の最高峰 パスカルの人間研究と信仰告白に迫る 第2回

序(その2)

 パスカルは、確率論を応用した懸けの論理において、神の存在は証明できなくとも神を信仰することが神を信仰しないことより優位であるということを示したのである。哲学の分野では、ルネ・デカルト流の哲学については、理性に関係する特定の分野でのそれなりの成果は認めつつも、神の愛の大きな秩序の元では、デカルト流の理性の秩序が空しいものであることを指摘した。また、「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである」とする有名な記述も残している。懐疑論を重要視するというパスカルの態度は、後の19世紀に登場する哲学者フリードリヒ・ニーチェ以後の哲学史において現代哲学の流れはパスカルの「反哲学の哲学」に共鳴したといわれる。では次に本書 パスカル箸「パンセ」について概要を紹介する。「パンセ」はパスカルの遺した文書を関係者が編纂した遺稿集であり、死後8年を経た1670年、「死後書類の中から見いだされた宗教および若干の主題に関するパスカル氏の断想(パンセ)」という題名で公刊された。これはパスカルが遺した全未刊行原稿ではなく、紙片に書き残されたメモ程度(手紙の裏に書かれた走り書きも含め)の文章・言葉で、原稿といえるものではないかもしれない。比較的主題を持ちそうな文章の取捨選択の文集である。断想という17世紀フランスのモラリスト好みの名前を付けたのもパスカルではない。したがってパスカルが「パンセ」を書こうという気で集められた原稿ではない。この観点でいえば、パスカルが宗教と人生について折に触れ記した断想に内から興味深い者を抜き出して後世の人が編集したアンソロジー(詞華集)であるといえる。実際、深い宗教体験に貫かれた信仰の書、あるいは人生の実相を抉り出すモラリスト文学、あるいは傑出した個性の魂の告白の書というとらえ方で長い間読み継がれてきた。しかし19世紀中頃より、遺稿の一部ではなくパスカルの遺した文章をすべて収録し、パスカルの人と思想の全体像に迫る編集方針がとられるようになった。これが近代版「パンセ」の目指すところです。読者もまたアンソロジー的な読み方からパンセの全容を見渡す読み方に変わりつつあります。パスカルは生前キリスト教の正しさを弁証し、その徳性と聖性を高揚する書物を構想し、その準備を進めていたことが分かっています。その構想がどのようなものであったかを推測する「パンセ」の文献学的研究が飛躍的に発展した。そこで「写本」を底本とする「パンセ」の新版が幾種類も公刊されました。なかでも邦訳の多くはブランシュヴィック版に依拠していました。訳者の塩川徹也氏は、氏の師であるメナール氏の編集方針に従い、パスカルの意図と構想を可能な限り跡付けるため、写本の配列を考慮しています。完成された初稿があるなら何の問題も発生しないのだが、この「パンセ」には決定稿がない、というより原稿の原形もない。すべては読む人の忖度にあるので、意見の数だけ版がある。そこで厄介な凡例問題が生じる。本訳書が底本としたのは既存の刊本ではなく、「第1写本」と「第2写本」だそうだ。あわせて「写本」と総称する。本訳書は結果としてルイ・ラフェマ版「パンセ」と同じ構成となった。写本を底本とする「パンセ」は20世紀中頃から各種の版が編纂された。ラフェマ版以降の研究成果に基づく版には、ルゲルン版、セリエ版が普及している。

(つづく)

文芸散歩 パスカル著 塩川徹也訳 「パンセ」 岩波文庫上中下

2018年05月30日 | 書評
17世紀フランスのモラリスト文学の最高峰 パスカルの人間研究と信仰告白に迫る 第1回

序 (その1)

本書「パンセ」にはいる前に、ブレーズ・パンセについて常識的な範囲で紹介する。ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal 1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、17世紀のフランスの哲学者、自然哲学者、数学者、物理学者、思想家、キリスト教神学者である。早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。ただし、短命であり、39歳で逝去している。死後『パンセ』として出版されることになる遺稿を自身の目標としていた書物にまとめることもかなわなかった。「人間は考える葦である」、「クレオパトラの鼻」といった多くの名文句やパスカルの賭けなどの多数の有名な思弁がある遺稿集「パンセ」は有名である。その他、パスカルの三角形、パスカルの原理、パスカルの定理などの数学・物理学の発見で知られる。キリスト教徒としてはカソリックのポール・ロワヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家の一人でもある。自然科学の分野では、パスカルは幼少の頃から天才ぶりを発揮していた。まだ10歳にもならない頃に、三角形の内角の和が二直角である事や、1からnまでの和が(1+n)n/2である事を自力で証明して見せたと言われている。パスカルが少年の時に、教育熱心な父親は一家を引き連れパリに移住する。パスカルは学校ではなく、家庭で英才教育を受けた。父親は自然哲学やアマチュア科学をたしなんでおり、その知識をパスカルに授けた。しかも、自宅には当時の一流の数学者や科学者が頻繁に出入りし、自宅は一種の「サロン」や「サークル」の状態になっていたという。1640年、16歳の時に、『円錐曲線試論』を発表し、17歳の時には、機械式計算機の構想・設計・製作に着手し、それを見事に2年後に完成させた。幾何学の分野では「パスカルの定理」、数論の分野では「パスカルの三角形」、「確率論」の創始(賭け・賭博)、微積分の分野ではサイクロイドの求積問題、物理学の分野では「パスカルの原理」(流体の平衡についての理論)の提唱(物理学における圧力の単位、パスカルに名を残している)が著名である。モラリスト、哲学者、キリスト教理学の分野では、パスカルは社交界に出入りするようになってからは、人間についての考察に興味を示す。オネットム((紳士,教養人)という表現を用いる。1654年、再度、信仰について意識を向け始め、ポール・ロワヤル修道院に近い立場からものを論ずるようになる。1656年 - 1657年、『プロヴァンシアル』の発表。神の「恩寵」について弁護する論を展開しつつ、イエズス会の道徳観を非難したため、広く議論が巻き起こった。また、キリスト教を擁護する書物(護教書)の執筆に着手。そのために、書物の内容についてのノートや、様々な思索のメモ書きを多数記した。だが、そのころには、体調を崩しており、その書物を自力で完成させることができなかった。ノート、メモ類は、パスカルの死後整理され、『パンセ』として出版されることになり、そこに残された深い思索の痕跡が、後々まで人々の思想に大きな影響を与え続けることになった。神の存在について確率論を応用しながら論理学的に思考実験を行った「パスカルの賭け」など、現代においてもよく知られているパスカル思想の多くが記述されている。『パスカルの賭け』において、パスカルは、多くの哲学者や神学者が行ったような神の存在証明を行ったわけではない。パスカルは、そもそも異なる秩序に属するものであることから神の存在は哲学的に(論理学的に)証明できる次元のものではないと考え、同時代のルネ・デカルトが行った証明などを含め哲学的な神の存在証明の方法論を否定していた。

(つづく)

文芸散歩 泉鏡花著 「歌行灯」、「高野聖」、「眉かくしの霊」、「夜叉ケ池」、「天守物語」 岩波文庫

2018年05月29日 | 書評
浪漫詩人泉鏡花の世界に遊ぶ: 傑作小説二篇 と 傑作戯曲二篇  第6回 最終回

5) 『天守物語』(1917年、新小説)戯曲

 時は封建時代で、ある城の天守閣。自害し、死後何度も洪水を起こした妖しい夫人富姫は魔のものとなっている。白鷺城の最上階にある異界の主こと天守夫人の富姫が、侍女たちと語り合っているところへ、富姫を姉と慕う亀姫が現れ、宴を始めます。その夜、鷹匠の姫川図書之助(ずしょのすけ)は、藩主播磨守の鷹を逃した罪で切腹するところ、鷹を追って天守閣最上階に向かえば命を救うと言われ、天守の様子を窺いにやってきます。しかし富姫に二度と来るなと戒められて立ち去りますが、手燭の灯りを消してしまい、再び最上階へと戻り火を乞います。すると富姫は最上階に来た証として、藩主秘蔵の兜を図書之助に与えますが、この兜から図書之助は賊と疑われ、追われるままに三度最上階へ戻ってきます。いつしか図書之助に心奪われた富姫は、喜んで彼を匿いますが、異界の人々の象徴である獅子頭の目を追手に傷つけられ、二人は光を失ってしまいますが。
「天守物語」と「夜叉ヶ池」は極く近い関係にあることは明白である。天守夫人富姫は龍神白雪姫に似ている。舞台も天守と夜叉ヶ池が出てくる。天守物語には夜叉ヶ池にような大洪水のシーンは無いが、城の垂直的な空間があって、5層以上は人の入れない妖怪の空間、それより下層の空間は人間社会である。それが舞台の上に浮き上がるように工夫されている。この「天守物語」の幻想が、江戸期の随筆「老温茶話」のエピソードを核にして発展されたことは疑いようがない。地上と天守は一方が醜い人間の社会、他方が美しい妖怪の世界として対立する構図である。播州姫路の白鷺城の5層に住む富姫のもとに、猪苗代の姫君(むろん妖怪だが)亀姫が猪苗代亀城の主武田衛門介の生首を土産に持って富姫を訪問する。この光景はサロメの舞台と同じである。おどろおどろしい魔界の世界である。白鷺城の聖所に登ってきた圖書介を一目見るなり富姫は恋に落ちるのである。天守を囲んだ播磨守の軍勢が押し寄せ、妖怪のメタフィーとしての獅子頭の目を傷つけ、二人は失明し、もはやここまでかと思われたとき工人の近江之丞桃六が鑿で目を修復し、二人は目が見えるようになるという大団円を迎える。

映画化された作品も少なくない。最後の映画だけを記すと、「滝の白糸 」は1956年版(大映) 出演・若尾文子、菅原謙二、「婦系図 」は1962年版(大映) 出演・市川雷蔵、万里昌代、「歌行燈」は1960年版(大映) 出演・市川雷蔵、山本富士子、「日本橋 」は1956年版(大映)出演 淡島千景、山本富士子、若尾文子、「折鶴お千」は1935年(松竹) 出演・山田五十鈴、夏川大二郎、「白夜の妖女」は1957年(日活) 出演・月丘夢路、葉山良二、滝沢修、「みだれ髪」は1961年(大映) 出演・山本富士子、勝新太郎、「夜叉ヶ池」は1979年(松竹) 出演・坂東玉三郎、加藤剛、山崎努、「陽炎座」は1981年(日本ヘラルド映画)出演・松田優作、大楠道代、加賀まり子、「草迷宮」は1983年(東映) 出演・三上博史、伊丹十三、「外科室」は1992年(松竹) 出演・吉永小百合、加藤雅也、鰐淵晴子、「天守物語」は1995年(松竹)出演・坂東玉三郎、宍戸開、宮沢りえであった。 これだけ映画化(舞台化)されているのを見ると、泉鏡花の作品は筋書き展開の面白さ、舞台スペクタクルの華やかさに特徴があるようだ。これらの作品を読む人は、恐らく舞台背景やセリフや演技を想像して描きながら読んでいると思われます。舞台コンテが書きやすい作品ばかりです。その点心理描写はありません。心理描写は鏡花の嫌いだった自然主義小説に任せたらいいのでだろう。鏡花は小説家というより、脚本家、シナリオライターというべきかもしれない。

(完)

文芸散歩 泉鏡花著 「歌行灯」、「高野聖」、「眉かくしの霊」、「夜叉ケ池」、「天守物語」 岩波文庫

2018年05月28日 | 書評
浪漫詩人泉鏡花の世界に遊ぶ: 傑作小説二篇 と 傑作戯曲二篇  第5回

4) 『夜叉ヶ池』(1913年、演芸倶楽部)戯曲

  夜叉ヶ池の龍神伝説を題材としている。ゲアハルト・ハウプトマンの『沈鐘』が元ネタといわれている。激しい日照りが続いていた大正二年のある夏の日、岐阜県と福井県の県境にある三国岳の麓の琴弾谷のある村に一人の男がやって来た。諸国を旅する山沢学円という学者兼・僧侶である。偶然出会った百合という美しい女性に山沢は語った。一昨年のこと、萩原晃という自分の友人の学者が各地に伝わる不思議な物語の収集に出たまま行方知れずになり、その足跡を辿って諸国を旅しているのだと。そこへ百合の夫という男が現れる。その男こそ萩原であった。久々の再会を喜ぶ山沢に、萩原は自分がこの地に住み着いたいきさつを語る。一昨年、この地を訪れた萩原は、村で鐘守を務める老人と出会った。彼によると、昔、よく暴れ回り大水を起こしていた龍神を行力によって、三国岳の山中にある夜叉ヶ池に封じ込め大水を終息させた時、人間との誓いを龍神に思い出させるために、村では昼夜に三度鐘を鳴らさなければならない決まりになっているという。この決まりを現在も一人厳格に守っていたその老人が死んだため、その意志を継ぐべく百合と結婚して村に留まり、鐘を撞いていたのだった。夜叉ヶ池の龍神・白雪は、剣ヶ峰の恋人のところに行きたくて仕方がないのだが、彼女が動くと大洪水となってしまうためなかなか行く事が出来ず、眷属たちが止めるのと萩原と百合が鐘を撞くのを疎ましく思っていた。その頃、村では代議士・穴隈鉱蔵や神官・鹿見宅膳が年頃の若い娘を雨乞いのため夜叉ヶ池の龍神への生贄にしようという、恐ろしい提案を行なっていた。そして生贄に選ばれたのは、なんと百合だった。夜叉ヶ池を見に行った萩原と山沢の留守中に、村人たちが百合を強引に連れ出してしまう。騒ぎに気付いて駆け付けた萩原と村人たちとの押し問答のさなか、百合は悲嘆のあまり自害してしまう。これに怒った萩原は撞木の縄を切り鐘を撞けないようにして、百合の後を追った。かくして、鐘を撞く誓いがついに破られ、白雪は剣ヶ峰の恋人のもとへ飛び立たんと、天翔けていった。その時、夜叉ヶ池の水があふれ出し、大洪水となって村を押し流してしまったのであった。
大正期の鏡花戯曲の双璧をなすのは「夜叉ヶ池」と「天守物語」です。おしなべて妖怪の出て来る鏡花の戯曲には、そのモティーフと構成において似ているところが多い。第1に妖怪は必ず水に縁がある。その水は人間に対して洪水のような害もあるが、選ばれた人間に対して、彼らが人間性を捨て妖怪とともに新たな生を生きる契機となる。天守物語においてはこの舞台に水は表れてこないが、天守夫人富姫が元舌を噛んで自害した受難した人妻で、その恨みによって何年も洪水が続いたという。俗世間と選ばれた人間の対立を契機として展開し、最後には人間が妖怪の庇護によって救われるか、あるいは霊界に蘇生するというパターンが多いので、水は人間社会と妖怪世界を画するための必須のエレメントであった。戯曲「夜叉ヶ池」は、鏡花が共約したハウプトマンの「沈鐘」の影響がみられる。夜叉ヶ池の主は龍神の白雪姫であり、鯉、蟹、鯰といった魑魅魍魎の眷属を従えている。白雪姫も妖怪である。鐘を一日に3回つけば人の社会を守るといった人間との約束を固く守る律儀な妖怪である。その約束が何百年も続いているのである。人間の娘である百合の子守歌を聴いて心打たれるという優しさを持つ女の妖怪である。しかしこの約束は隙あらば村中を洪水の中に沈めてやるという破壊的な意思を持つ妖怪との一触即発の危機をはらんでいた。妖怪の破壊から村を守っているのは人間の中の美しい人間の心情であった。白雪姫と百合は相似形的な存在関係で、龍神になる前の白雪姫が人間であった頃百合と同じように旱の人身御供にされ夜叉ヶ池に身を沈められた経歴があった。人間社会と妖怪世界との間の緊張した対立関係には、人間と妖怪のどちらが倫理的かというパラドックスを抱えているのである。

(つづく)

文芸散歩 泉鏡花著 「歌行灯」、「高野聖」、「眉かくしの霊」、「夜叉ケ池」、「天守物語」 岩波文庫

2018年05月27日 | 書評
浪漫詩人泉鏡花の世界に遊ぶ: 傑作小説二篇 と 傑作戯曲二篇 第4回

3) 『眉かくしの霊』(1924年、苦楽)小説

  鏡花のSM的嗜好が表れているのが「眉かくしの霊」。幽霊と虐げられた女が二重三重に重なり合う。境が宿の風呂に入ろうとすると先客がいる。どうやら女性客らしい。事情を話すと宿の者が青ざめる。実はそれが「お艶様」の幽霊。この「お艶様」と呼ばれる幽霊がなぜ出るようになったのかという因縁話を伊作という料理人が語る。それが実に奇妙な姦通(まおとこ)事件。夫を東京に残したまま、若夫人が地元に帰ってきて姑との二人暮らしを始めたが、この姑が吝嗇で傲慢なその名も「大蒜屋敷の代官婆」。あるとき大蒜屋敷に東京から夫の友人という画師(えかき)がやってきた。まんまと代官婆の仕組んだ罠にはまった若夫人は画師と二人きりでいるところに踏み込まれてしまう。若夫人は後ろ手に縛られ、裸のまま村内を連れまわされる屈辱を受ける。しかし、幽霊として現れるのはこの若夫人ではない。お艶はこの姦通事件に巻き込まれた画師を助けようと東京からやって来た芸者である。奈良井の鎮守のお社の奥に桔梗ヶ池という池がある。そこに「奥様」と呼ばれる幽霊が出る。奥様というのは眉を落としているからだが、お艶は私のような愛人がいながら、画師が木曽街道の女などに手を出すわけがないというはずが、自分より美しいかもしれない「奥様」がいると聞き戸惑う。懐紙で眉を隠してお歯黒のお艶は、「奥様」にぴたりと重なり合う。「奥様」についての因縁は何も語られることはない。しかし、「若夫人」「お艶」「奥様」が現世における被虐、死、幽霊の象徴として二重三重映しに現れるのである。
一人の画家が引き起こす芸者お艶さんと妻との三角関係に、代官婆の嫁虐待が絡み、多少ややこしい人間関係です。そして眉かくしの女の身分や死に至った事件などは省略され理解に苦しむ点がある。話の筋書きも不自然である。大正10年の未完の長編「彩色人情本」がその話を肉付けするつもりであったようだ。鏡花晩年の作品です。鏡花はお化けの存在を信じ、またしてもお化けの物語、幽霊の出る小説を書いた。現実と非現実との連鎖を信じ、容易に彼岸の世界に移行する鏡花はこの意味では前近代的であるといえる。本人が彼岸の世界を信じているかどうかは知らないが、現在の作家では浅田次郎氏もそうである。口碑伝説に残る怪異は、むしろ鏡花に取って魂の故郷なのであろう。画家のモデルは鏡花自身であった。だから「眉かくしの霊」は小説「彩色人情本」」も舞台化脚本であったようだ。雪の山家の真っ白の情緒が幽霊を出したくなる風情なのである。そして鏡花が描きたかったのは、この風情、この情緒にしたたり出現する美女の面影である。つまり本作品は散文の骨子を省略した、情緒、場面に陶酔する詩人の魂である本作品については。筋書きを追うなということである。

(つづく)