ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 徳田雄洋著 「震災と情報」 岩波新書

2012年09月30日 | 書評
震災で情報はどう伝えられたか、情報空白から身を守るために 第2回

序(2)
 個人情報の重要性とあわせて、報道機関の情報空白が多くの人々を危険に曝した。日本のメディアの独自取材のお粗末さばかりが目立った。ニュースは買ってくるもの、官僚から流れてくるものとばかり考えているようだ。そしてメディアは第3の権力とうのぼれて、やたら政争に首を出し、世論を誘導して首相や政党の首を左右できると信じているようで、大地震と原発事故では直ちに現地に入ろうともせず、霞ヶ関で流される一方通行の安全宣言ばかりに終始した。被害者にとってこれは背信行為である。本書を読んで、これはニュース記事の羅列なのか、コミュニケーション論なのか、ウエブ論なのか、メディア批判の書なのか、情報の伝わり方を解析する情報論なのか迷うが、原発事故を解析する原発工学技術論やエネルギー資源論でないことははっきりしている。著者徳田雄洋氏のプロフィールを紹介する。1951年東京に生まれ、1977年東京工業大学大学院博士課程を修了し、カーネギーメロン大学、ピサ大学で研究生となり、現在は東京工業大学教授である。専攻は情報工学、ソフトウェア生成論だそうだ。主な著書には「初めて出会うコンピュータ科学」(岩波書店 1990)、「言語と構文解析」(共立出版 1995)、「コンパイラの基礎」(サイエンス社 2005)、「デジタル社会はなぜ生きにくいか」(岩波新書 2009)などである。著者の関心はやはり今回の大震災で情報が途絶えてことで、個人の危険性がいやがうえにも極大化したことであろう。「危機の中で生じる情報空白を乗り切る方法は、個人情報手段が私たちの唯一の希望のように思える」と著者はいう。著者の原発に関する個人的見解は「おわりに」一言述べられている。「日本では原子力発電は終らせよう。地震の多い日本では、リスクが巨大すぎて商業的発電方式として合理的コストに見合わないからである」と。
(つづく)

文芸散歩 マルクス・アウレーリウス著 「自省録」 岩波文庫

2012年09月30日 | 書評
ローマの哲人皇帝 ストア哲学の教えに導かれる思索と実践の日々 第10回

第6章
*死ぬということも人生の行為のひとつである。現在やっていることを善くやることで足りよ。
*支配者の理性とは、自分を知り、為すべきを知り、いかなる素材をもってこれを為すかを知ることである。
*混乱、錯綜、分散から逃れ、統一、秩序、摂理のなかに生きたい。統べ給うものを信頼して。
*度を失ったときは、大急ぎで自分の内にたちもどり、絶えず調和に戻ることによって、一層これを支配することが出来る。
*物事があまりに尤もらしく見えるとき、それを赤裸々の姿にしてその取るに足らない事を見極め、自負を戒めなければならない。
*大衆の尊ぶものの大部分は理性的普遍的社会的な魂である。何を尊ぶべきか、私は自己の人格構成に従って活動し、或いは活動を控えることである。やることやらぬことを区別する能力である。技術の目標はすべて作られたものが、その作られた目的である仕事に適応することにある。
*自分に抗議するものに対しては、好意を持ちつつ彼を避けることである。
*カエサル的(専横皇帝的)にならぬよう注意せよ。地上生活の唯一の収穫は、啓虔な態度と社会を益する行動である。
*現在のときは悉く永遠の中の一点。万物は因果関係に従って起るので、あらゆるものの源泉を考えよ。あらゆる者は原因であり結果である。
*我々は皆ひとつの目的の遂行に向かって協力している。関係ない人はひとりもいない。
*私の本性は理性的であり社会的である。私の属する都市と国家はローマであり、人間としては世界である。
*あなたに割り当てられた物質の量だけで満足しているように、時についても同じく満足せよ。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「月夜泛江」

2012年09月30日 | 漢詩・自由詩
九重江閣泛舟来     九重の江閣 舟を泛て来り

三五夜中清宴開     三五夜中 清宴開く

掻髪絃歌絲佐興     髪を掻いて絃歌 絲は興を佐け
 
哦詩朗詠酒為媒     詩を哦して朗詠 酒は興を為す


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(韻:十灰 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)