ブログ 「ごまめの歯軋り」

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公務員の採用は 議員と役所幹部の利権

2008年12月24日 | 時事問題
asahi.com 2008年12月24日6時4分
「内定取り消し者募集」取り消し 大阪・池田市

 大阪府池田市は雇用情勢の悪化を受け、企業に内定を取り消された人を対象に市職員の追加募集を計画したが、総務省から「平等を原則とする地方公務員法の趣旨に反するのではないか」と指摘されて断念した。内定を取り消された高校生や大学生の就職機会を増やそうと追加募集をする自治体は全国各地で相次いでいるが、池田市の場合、受験者を限定して直接的な効果を狙い過ぎたことが裏目に出た形だ。

教員や地方公務員採用は、不正の腐敗の典型 利権を侵害された議員や幹部の猛反撃
毎年新人の公務員は、国家公務員で3万人、地方公務員で5万人もいる。地方公務員として役所に入るには議員か幹部役職のコネがきくが、賄賂の相場は300万円といわれる。法律では職員の採用は競争試験によると決められているが、民主党の長妻氏の調査では国家公務員80万人(2003年)のうち46%にあたる37万人が無試験で採用された。
先日大分県で教員採用に賄賂が常習化してことが明るみになり、県教育委員会の要職者が逮捕された。同じ事は県市町村の職員採用でも噂どころか当然といわんばかりに話されている。それほど公務員の生活はおいしいのである。地方地方でさまざまな独自の手当が給与にプラスして支給され、厚生福利なども民間との格差は広がるばかりである。これは財源がすべて税金を使用していること、経済原理が働かず、予算内で節約のインセンティブは働かないこと、労働組合との長年の馴れ合いから来ている


読書ノート 梅棹忠夫著 「文明の生態史観」 中公クラシックス

2008年12月24日 | 書評
京都学派文化人を代表する文化人類学者 第2回

序(2) 梅棹忠夫氏の略歴

 梅棹忠夫氏の略歴を紹介する。1920年京都市生まれ。1943年京都大学理学部動物学科卒業。大阪市立大学、京都大学人文科学研究所教授となった。日本における文化人類学のパイオニアであり、梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開し、多方面に多くの影響を与えている人物。京大今西錦司門下の一人。生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す。博士論文は、梅棹の文化人類学的な研究を知るものにとっては意外かもしれないが、ヒキガエルのオタマジャクシが集団内でとる分布様式を、数理生態学的に解析したものであった。三高時代から山岳部で活躍し、京都大学在学中には今西錦司を団長、森下正明を副団長とする中国北部『大興安嶺探検隊』などの探検に参加活躍をした。モンゴルの遊牧民と家畜群の研究を基盤に、生物地理学的な歴史観を示した『文明の生態史観』は、日本文明の世界史的位置づけにユニークな視点を持ち込み、大きな反響を呼び論争を巻き起こした。この主著は後の一連の文明学におけるユニークな実績の嚆矢となった。フィールドワークや京大人文研での経験から著した『知的生産の技術』(岩波書店)は長くベストセラーとなり、同書で紹介された情報カードは、「京大式カード」という名で商品化された。また川喜田次郎氏の名をとった「KJ法」は知的議論の進め方の基礎となっている。1963年には『情報産業論』を発表。A.トフラーの「第三の波」よりもかなり先行した時期に情報化社会のグランドフレームを提示した。「情報産業」という言葉の名づけ親でもある。その後の一連の文明学的ビジョンは『情報の文明学』(1988年)にまとめられている。国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年初代館長に就任した。1993年まで約20年間の長きにわたって館長を務めた。1986年に原因不明の失明をしたため、それ以降の著述は口述筆記で行われている。1994年文化勲章受賞。

読書ノート 今西錦司著 「生物の世界」 中公クラシックス

2008年12月24日 | 書評
棲み分け理論からダーウインの自然淘汰進化論批判まで  第6回

序(6) 科学者廃業宣言

 1983年今西氏は「自然学の提唱」において、「自然科学との決別」、「自然科学者廃業宣言」をした。生涯を野外(フィールド)で生きて、目的は自然を知ることであるなら、自然科学などは手段に過ぎない。「この世界において生起する諸現象についての、検証可能な普遍的法則の体系である」自然科学は学問の一部であるが、すべてではない。今西氏は全体的に自然を捉えるためには、直感や類推と云う方法論が重要であるという。今西理論の屋台骨は「生物的自然には秩序があり、それ自身に備わった三重構造が存在する。個体、種社会、生物全体社会である」ということで、最も論点の核をなすのは「種社会」であり、「種は単に個体の入れ物ではない。概念でもない。種社会は認識可能な実在物であり、主体性を持っている。種社会の中の個体は種社会に対して帰属制をもち、常に自分の帰属する種社会の維持存続に貢献している」という。この帰属制という概念が、体制維持的、身分維持的とみなされ、政治的には今西氏を保守反動派と呼ぶ向きもある。種とは生物的には「交雑(生殖)可能」ということであり、猫と犬が交雑しない事である。そういう意味では人はまとめて同一種であるが、国家、民族というくくりでは激しく相手を攻撃しあう種で、これを生物的種社会といえるのか大いに疑問である。今人類は地球世界では支配者となった。かって爬虫類が滅びたように、自然と生物の世界から学ぶ努力が絶えた時、人類の種社会は自己完結をみることなく滅びる可能性がある。

今西氏は本書の構成について、「相似と相違」、「構造について」、「環境について」の3章は自分の専門外で、第4章「社会について」のための序をなすものであるという。本書の中心は第4章 「社会について」つまり生態学の分野である。第5章 「歴史について」は検討不十分ではあるが、第4章を書いた筆の勢いで一気に書いたという。と云うことで、私も第4章 「社会について」を中心に見て行きたい。


文藝散歩 「ギリシャ悲劇」

2008年12月24日 | 書評
啓蒙・理性の世紀、都市国家アテネの繁栄と没落を描く 第25回

アイスキュロス 「テーバイ攻めの七将」 高津春繁訳 岩波文庫 (3)

幕が開くとエテオクレス(テーバイ王)が包囲されて苦境に陥っている祖国を守るべく市民を激励している。そこに斥侯が帰ってきて敵情を報告する。王の独白に近いプロローグが終わると市民は退場し乙女達の合唱隊が恐怖を歌う。再び斥侯が帰ってきて、エテオクレスはテーバイの七つの門を攻める七敵将にたいする守りの七将を決める。最期に敵ポリニュケスと対峙するのがエテオクレスである。合唱隊は兄弟同士の戦闘を避けようとするが、戦闘に入り敵は敗走する。テーバイは救われたが兄弟王子は相打ちで死んだ。二人の王子の葬儀に二人の姉妹(アンティゴネとイスメネ)が付き添う行進で劇はおわる



自作漢詩 「冬日歳晩」

2008年12月24日 | 漢詩・自由詩
我已高齢六十     我已に高齢 六十餘

世塵奔走故人     世塵奔走 故人疎なり

四時冬日催年老     四時冬日 年の老を催し

万物秋霜逼歳     万物秋霜 歳除に逼る 

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(赤い字は韻:六魚 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)