ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

1月の日本経済統計

2008年02月29日 | 時事問題
asahi.com 2008年02月29日08時43分
1月の失業率3.8% 前月と同水準
 総務省が29日発表した労働力調査によると、1月の完全失業率(季節調整値)は3.8%で、昨年12月と同水準だった。男性3.9%、女性3.7%。完全失業者数は前年同月より8万人少ない256万人、世帯主の失業者数は62万人だった。また、厚生労働省が同日発表した1月の有効求人倍率(同)は、前月と同じ0.98倍だった

asahi.com 2008年02月29日09時05分
1月の消費者物価指数、0.8%上昇
 総務省が29日発表した1月の全国消費者物価は、変動の激しい生鮮食品を除いた総合指数(05年=100)が100.5となり、前年同月比で0.8%上昇した。上昇幅は、9年9カ月ぶりの高い上昇となった前月と同じ。原油価格の高騰によるガソリンや灯油価格の上昇が影響した。上昇は4カ月連続。

失業率は低いが労働賃金は安い。原油高は何時まで続くの

読書ノート  飯尾潤著 「日本の統治構造」 中公新書

2008年02月29日 | 書評
官僚内閣制から議院内閣制へ 第7回

2:政府与党二元体制と政権交代なき政党政治ー55体制 (2)

議院内閣制が機能するには政党政治の確立が不可欠である。議院内閣制で最も重要なのは政権選択としての総選挙と衆議院での首相指名選挙である。ところが日本では55体制が出来て以来、自民党が長期にわたって衆議院の多数派政党を独占し、1党優位体制が固定化した。つまり有権者の選択によって首相や内閣が変ることが非常に少なくなった。政権の座は自民党内の派閥抗争に限定された。政権交代は自民党内部の事情できまる。こうした状況で少数野党の抵抗で,選挙で敗北したはずの野党も政策に影響力を持っている。この様な野党に対する細やかな利益配分は、自民党長期政権下に於ける重要な慣例となった。それは一定の利益を野党に与えることで政権交代のエネルギーを蓄積させないという仕組みかもしれない。中でも自民党長期政権の秘密は衆議院における中選挙区(定員が3-5名)にある。政党は同一区で複数の候補をたてるので政党中心の選挙活動が出来ない。どの候補者を選ぶかという個人選択になる。又与党自民党の公約は極めて多数の項目に渡り抽象的な表現にならざるを得ない。選挙民は公約なんか読んでいない。中央直結の利権呼び込みが魅力的に見えるのである。日本政治において最も基底的な問題は、政権交代可能な民主政治はどうすれば可能かということであろう。強い政権党が継続して政権を握っている場合、強い野党を作るためには小選挙区制の持つ魅力を利用することであろう。1994年の公職選挙法改正による選挙制度改革が必要である。

内閣提出法案に対する自民党の事前審査制によって国会審議が空洞化し、議決を行うだけの機能に低下し、「討論して決定する」という審議過程がないのである。見世物としての国会審議を「アリーナ型」といい、ドイツ、アメリカのような審議中に法案の修正形成が為される「変換型議会」は形骸化して,委員会重視になった。この委員会での妥協も難しい。「会期不継続の原則」で審議未了で廃案になる。野党としては「強行採決」は「抵抗する野党」という人気を得られるので、こういう事態も野党にとってありがたいのである。参議院どころか衆議院でもその存在意義は極めて曖昧になっている。野党が議会対策の策を弄して自民党を追い詰めるというパターンを繰り返しているが、それで政権交代になるという道筋があるわけでもない。国民には与野党のメンツの立て方による馴れ合いにしか移らない。

読書ノート  木下英治著 「福田vs小沢 大連立の乱」

2008年02月29日 | 書評
ねじれ国会 安倍首相辞任を受けた2007年秋の政治状況 第7回

福田・小沢党首会談・大連立の乱 2007年10月30日 (2)

 11月2日夜の民主党役員会で小沢から説明を受けたが、6名の役員が反対意見を言い小沢は孤立した。小沢は福田へ「党内を説得できなかった」と断りの電話を入れた。11月3日夜小沢氏は代表辞任と身柄を執行部へ預けるという書類を書いて、側近の樋高剛に岐阜にいる鳩山民主党幹事長へ届けさせた。鳩山は急遽東京へ帰り4日午後1時過ぎ小沢事務所で小沢を捉えた。小沢は午後4時に党本部で辞任会見を開くと云う。小沢は民主党を簡単に自分の意思で動くと想っていたのだろうが、民主党は大分成長していたのである。トップダウンで唯々諾々と従う民主党ではなかった。石井、鳩山、菅、岡田、羽田、渡部などは辞任に反対であった。午後4時40分から記者会見で読み上げた小沢代表の見解を以下に示す。

1:11月2日の党首会談で福田首相がねじれ国会打開の為の政策実現のためわが国の安全保障政策に関してきわめて重要な政策転換を決断した。自衛隊の海外活動は国連安全保障理事会または総会決議にかぎる。新テロ特措法にはこだわらないというものだった。
2:国民の生活が一番大事と云う民主党の政策実現を図りたかった。
3:民主党が政権をとるのが正道だが、民主党と自民党の政策協議は有効な道であると確信した
4:11月2日夜の民主党役員会で政策協議案は否決された。
と民主党から不信任を受けたも同然であるから、けじめとつける意味でも自分は辞任する。辞任届けを提出し、私の進退は執行部と民主党に委ねたい。また11月3、4日の朝日新聞と産経新聞を除く新聞報道は全く悪意に満ちた報道であり、強く抗議する。

文芸散歩  「今昔物語 」 福永武彦訳 ちくま文庫

2008年02月29日 | 書評
平安末期の説話文学の宝庫 さあー都大路へタイムスリップ  第17回

七十一話 「盗人をたぶらかして逃げる話」
 内裏から夜更けてから帰る史がいたが、たいそう頭の切れる人で、車に乗るとまず衣服を脱いで畳みの下に隠し裸で車を歩ませた。車が美福門あたりに来た時、予期した通り盗人が現れ簾を開けると裸の史がいた。問うと「あちらの都大路であなた方のような人に私の装束を持っていかれた」と答えたら盗人は笑って引き上げたと云う話。盗人より一枚上手の役者でした。

七十二話 「御読経の僧が平茸にあたる話」
 御堂関白の枇杷殿に住んでいた僧が宗像神社の境内で見つけた平茸を童といっしょに食べて中毒死した。関白殿はご同情になり葬式を出してやった。それを聞いた東大寺の僧は同じように平茸を食って平然としている。先ほどの僧が茸を食って死んだばかりなので、皆が不思議がって何故そんな危険なことをすると問うと、僧は「自分は死んでも道端に捨てられるだけですので、殿の同情にすがって葬式を出していただきたくて平茸を食いましたが死ねませんでした」と云う話。もともとこの僧は毒キノコを食っても当らない体だったと云う噂で持ちきり。

七十三話 「鼻を持ち上げて朝粥を食う話」
 池の尾の禅智内供と云う僧の寺は大変栄えた寺であったが、禅智内供の鼻は顎に下まで垂れている大きな鼻であった。三日に一度は大きな鼻を蒸して、足で踏みつけ鼻の中の虫を追い出すと小さくなルということを繰り返していた。朝粥を食べるときは、慣れた弟子が食事係りについて板で鼻を持ち上げる役をおおせつかっていたが、ある日病気になって出られなくなったので、給仕の童に代理をさせた。童は禅智内供の食事の途中、急にくしゃみが出て板をはずしてしまった。鼻が粥椀の中へ落ち、えらいおしかりを受けた。禅智内供がいうに「他の偉い人の鼻を持ち上げて失敗したらもっと大変なことになる。馬鹿者め」、それに対して小僧は「この世の中にこんなひどい鼻の持ち主がほかにいるものか」といって、皆が大笑いをしたと云う話。芥川龍之介の小説に出てくる有名な小話。

七十四話 「米断ちの聖人が見破られる話」
20歳ごろから米を食べない坊さんが「米断ちの聖人」といわれ、天皇の帰依を受け神泉院に住んでいた。これを聞いた殿上人が好奇心から聖人の家に出かけて、米を食わない人の糞はどんなものかと興味を持ち厠を調べた。便に米がたくさん混じっているのでおかしいと思って部屋の畳の下を調べると、米の壺が隠してあったという話。人の尊敬を受けるために米断ちと称して、隠れて米を食っていた。それがばれて大いに恥をかいて逃げ出した。

七十五話 「尼と木こりが山中で舞を舞う話」
京の木こりが北山に入った時、山奥から尼さんたちが舞を舞いながら姿をあらわした。茸を食べたら勝手に体が舞いだしたのだと云う。木こりたちも茸を食うとやはり体が勝手に動いて舞を舞うではないか。この茸を舞茸と云う話。