ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年03月31日 | 書評
筑波山と桜

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その12)

2-3) 2-4) サムエル記 前書 (預言者サムエルと王サウルの物語) (その1)

サムエル記前書は全31章(岩波文庫で73頁)である。サムエルは紀元前11世紀イスラエルの士師、預言者として部族を指導した。年老いたサムエルは二人の息子を士師に選んだが、息子らは不正と収賄を行い、民は王の選出を求めた。王の選出にはサムエルは反対であったが、強い要求に負けてサウルを王とした。サウルはエホバの定めに反することが多く、サムエルは次の王としてダビデに期待した。
第1章: エフライムの山地にエルカナという人が居た。その人の系譜は、ツフ→トフ→エリウ→エロハム→エルカナである。エルカナには二人の妻がいて、ハンナとぺニンナで、ペニンナには子供がいたが、ハンナには子がなかった。ハンナはシロに出かけては祭司エリ(子ホフ二とピネハスがあった)にエホバの前で妊娠を願った。エルカナは供物をささげるときハンナには倍の量を与えた。エルカナはハンナの方を愛していたが、神エホバは妊娠を留めていた。ペニンナがハンナの願いを妨害していたので、ハンナは食事もできなくなった。ハンナはシロの祭壇において祭司エリを傍においてエホバに男の子の出産を願って誓いをした。心動かされたエホバがハンナの妊娠を許した。こうしてできた子の名をサムエルという。ハンナはこの子が乳離れするまでシロには上らないといってとどまった。子サムエルが乳離れしたとき、牛3頭、粉1斗、酒1嚢を携えてシロに上りエホバへのお礼とした。
第2章: ハンナのエホバを讃える歌が冒頭に置かれる。エルカナはラマに行き、サムエル童子は祭司エリの前に居てエホバに仕えた。ところが祭司エリの息子二人は強欲で供物を横取りばかりしてエホバのまで悪事を重ねた。エホバはハンナに、恵みを与えさらに3人の男の子と二人の女の子をハンナに授けた。ここに祭司エリは老体になり、息子らの悪事を詰問したが、息子らはこれを聴かなかった。エホバは息子らを殺すことにした。童子サムエルは神と人に愛せられた。エホバの使いがエリのもとを訪れ、祭司エリの家を断ち、息子二人は同じ日に死ぬと伝えた。そしてエホバに忠心な祭司を起こし、エホバが祝福した者が率いるであろう。
第3章: エホバが訪れることが少なくなったシロの家では、祭司エリの目が曇って見えず寝室にいた。ある夜サムエルが神の箱のあるエホバの宮で寝ていると、サムエルを呼ぶ声がした。サムエルはエリの寝室にゆきサムエルここにありと言ったが、エリは呼んではいない帰って寝なさいという。こういうことを3度繰り返してエリはエホバがサムエルを呼んでいることに気が付き、「僕ここにありエホバ語りたまえ」と言いなさいとサムセルに教えた。そしてエホバがサムエルに伝えたことは、エリの祭司の家は悪事のため維持することはできないといい、エリに言ったことをことごとくサムエルが行えということであった。このことを翌朝エリに隠さず伝え、イスラエルの人みなサムエルがエホバの預言者と定まったことを知った。
第4章: ペリシテ人はアベクに陣を取って、イスラエル人がエベネゼルに陣を取り戦ったが、4000人ほどが殺されイスラエル軍は敗れた。陣営に戻って長老らはなぜ敗れたのかエホバに信を問うべく、祭司エリの家よりエホバの契約の函を持ってくることになった。エリの二人の息子ホフ二とピネハスが担いで陣営にやってきた。契約の箱が陣営に入った時、イスラエル人は歓呼の声を出して響いた。この声に驚いたペリシテ人の陣営ではエホバが陣営に入ったことを知った。勇気を奮ってペリシテ人はイスラエルと戦を交え、イスラエルの兵3万人を殺し、神の箱を奪い、祭司の二人の子を殺した。このときベニヤミンの兵士一人シロに逃げ帰り、98歳になる祭司エリが戦いの結果を聞いて事の次第が明白となった。その時エリは門の傍で死んだ。エリは40年間イスラエルの民を導いた。産み月にあったピアネスの妻が夫が殺されたことを聞いて、産気づき産んだ子の名前はイカポデ(栄なし)である。イスラエルに神の栄光は去った。神の箱を奪われたからである。
(つづく)

「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年03月30日 | 書評
筑西市延命寺 垂れ桜

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その11)

2-3) ルツ記 (その1)

ルツ記は全4章(岩波文庫で7頁)である。ベツレヘムに住んでいたナオミと夫、そして二人の息子は飢饉により異郷のモアブに移住した。息子らはモアブの女性と結婚したが、二人の息子は早く亡くなったので、ナオミは嫁を連れて夫の親戚の家に居候することになりベツレヘムに帰ったが、嫁のうちルツだけが一行に従った。ルツは夫の親戚ポアズの家の麦畑の刈り入れ後の落ち穂拾いで生計を支えた。ボアズは落ち穂を多くするように手配して彼らを助けた。やがてポアズとルツは結婚し男子オベデが生まれ、オベデの子がエッサイ、エッサイの子がダビデである。ダビデの系図に関わる話である。「落穂拾い」による困窮者救済策はレビ記第19章に書かれているように、貧しい人たちのために一部を残すことが述べられている。また申命記第24章でも孤児と寡婦を救済するのは社会福祉の始まりのような話があった。この話を題材にしたミレーの「落穂拾い」が描かれたという。
第1章: 士師の時代に、国に飢饉が起こりべテレへムユダのエフテラ人エリメレクという人べテレムユダを去り、妻ナオミと二人の男子を率きつれモアブの地に寄寓した。二人の息子の名はマロン、キリオンである。そこの地で夫エリメレクはなくなり、ナオミと息子二人とモアブ人の嫁が残された。嫁の名はオルバ、ルツというが、10年間そこに住むうちに二人の息子も亡くなり、ナオミは嫁をモアブに置いて自分だけでユダの地に帰らんとしたが、ルツという嫁だけはナオミについてユダに移住した。二人は麦刈りの季節にべテレへムに入った。
第2章: ナオミは、故人の夫エリメレクの縁者でその地の実力者ボアズという人の家の近くに住んだ。そこでルツは田において麦刈りの人の後ろに従い穂を拾ってナオミの生活を支えた。ポアズはこれを見て刈り取り作業の監督者にあの婦は誰かと問うたところ、監者はナオミの連れてきたモアブの女で、刈る者の後ろに従って田に落ちた穂を拾っていいかと許可を求めたので許したと答えた。その婦は一日中休みなく働いたという。ポアズはルツに言った。他の田にゆかずここにいなさいと、そしてエホバにこの婦に幸いあれと祈った。刈り入れの若者には、婦に恥をかかせてはいけない、穂を故意に落として婦に拾わせるようにしなさいと命じた。
第3章: ナオミはルツに、私はあなたに落ち着く場所を見つけ幸せな生活を送れるようにしたい。ポアズさんは夫の縁者です。今日大麦の脱穀作業後の飲み食いが終るの待ち、衣服を着替えて体に油を塗ってポアズの室に行きなさいと言った。ポアズは驚いた風に、エホバの恩典があなたにありますように、町の人はあなたが賢い人であることを知っている。今夜のことは誰にも話してはいけないと言って、翌朝彼女に大麦6升を与えた。ルツは帰ってナオミに報告した。ナオミはルツに座して待ちなさいといった。
第4章: ポアズが門の前で座って売買人の来るのを待っていると、土地の売買人がやってきたのでポアズは邑の長老10人を招いて裁定を願った。ポアズは,モアブの地から還ってきたナオミが我らの兄弟エリメレクの土地を売るという、汝が買うか私が買った方がいいのかと問うた。売買人は亡くなった人の土地を買うということはその妻ルツをも買うということであり、それはできないのであなたが買うべきであるといった。ポアズは長老に向かって、今日の証人になってください、私がエリメレクの土地を買うということは息子の妻ルツを買い妻としエリメレクの名を残すことです。こうしてポアズはルツを娶りて妻とした。土地の婦人たちはエホバを褒め讃えた。ルツは7人子供を生んだ。ナオミがその長子の養育者となった。その名はオベデ、ダビデの父なるエッサイの父である。その系譜は、ペレズ→ヘズロン→ラム→アミナダブ→ナション→サルモン→ポアズ→オベデ→エッサイ→ダビデとなる。
(つづく)

「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年03月29日 | 書評
筑波山と桜

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その10)

2-2) 士師記 (その5)

第18章: 当時イスラエルには王が居なかったが、ダンの支派はその頃定住できる産業の地を持たなかった。ダンの子孫であるゾラとエシタオルは5人の勇士を派遣して、土地を窺っていた。エフライムの山に至りミカの家に宿を取った。祭司の少年は汝らが行くべきところにエホバの幸いがあるというので、5人はライシに至った。ライシの民は思慮が深くなく、安棲を第一とし、政権を取って王となるものはいなかった。還ってゾラとエシタオルに報告すると、彼らを攻めてその地を取ろうということになり、ダン人600人が武器を持ってユダのキリヤテセリムに陣を張り、ミカの家に至った。そして祭司の少年に、人の家の祭司であるより、イスラエルの支派の民の祭司とならないかと持ち掛けると、祭司はエポデとテラビムの像を持ってきてダン族に合流した。ミカの家の人々はダン人に抗議したが、強そうなので諦めた。こうしてダンの支派はライシの邑を襲い殺し邑を焼いた。
第19章: イスラエルには王が居なかった時代、エフライムの山の奥に一人のレビ人が寄寓し、べテレヘムユダより婦人を取って妾としていたが、その婦は姦淫を行いべテレヘムユダの父の家に帰ってしまった。レビ人の夫はその婦を連れて帰るためべテレヘムユダの外舅の家に行った。外舅は男を気にいって何日も飲食を共にし。ずるずると帰りそびれて5日目に腰を上げ、婦と僕と2匹のロバを連れて出発した。ギベアに宿を取ろうとしたが宿がなく、ベニヤミン人の家に泊まることになったが、邑の悪人どもが家を取り囲み一行を辱めんとして、婦人を略取して夜明けまで集団でレイプを加え、その家の前に棄てた。夫は死んだ婦をロバに載せて家に帰ったが、その妾をズタズタに切り裂いてイスラエルの四方の境に晒した。これを見る者イスラエル人が蒙った悲劇でこれほどの事はないと嘆いたという。ベニヤミン人への公憤がイスラエル人の間に燃え広がった。(イスラエル人のナショナリズムに火がついた)
第20章: ここにイスラエルの民ダンからギレアデに至るまで総決起し、ミズパの地でエホバの幕屋の前に集まった。民の長老(牧伯)自ら集会に出て、兵40万人が剣を抜いた。集会において被害者の夫であるレビ人が説明し、ベニヤミン人の野蛮な悪行行為を糾弾した。ベニヤミンのギベアに戦いに赴き復讐戦を行うことを全会一致で決定した。ベニヤミンの精兵は石投げを得意とする700人、イスラエル軍は40万人である。ユダ支派を先頭にギベアに向かって陣を取った。初戦で2万2千人の死者を出したイスラエル軍は意気消沈したが、エホバは攻め上れといい給う。そこでイスラエル軍はギベアの周りに伏兵を置き、イスラエルがギベアを攻めると、ベニヤミン軍は初戦と同じように打ち破ることができるとみて出て来るであろう、そこを伏兵1万人がギベアを襲いベニヤミン人2万5千人を殺した。ギベアの邑を焼き払うと黒い煙を見たベニヤミン人はうろたえて逃げまどった。ベニヤミンの軍隊の勇士1万8千人が倒れ、さらに7千人がイスラエルの追撃で殺された。併せて2万5千人のベニヤミン軍兵が仆れた。
第21章: イスラエルの民はミズパにおいて我らの娘は一人もベニヤミン人には与えないと誓った。イスラエルの民はべテルにおいてエホバの神を前にして泣いた。なぜイスラエルのベニヤミンの支派のが消え去ったのかと嘆いた。翌朝壇を築いて燔祭、酬恩祭を執り行った。我ら支流のものであってミズパに上ってエホバの前に出ない者はヤベシギレアデの民であった。そこで会衆の勇士1万2千人を遣わして、ヤベシギレアデの民を撃ち、婦人・子供も悉く殺した。4百人の処女の娘は生かしてカナンのシロの陣営に連行した。会衆の長老はベニヤミンの婦女が絶えることになるので、遁れて生き延びたベニヤミンの民に娘を与えた。これでベニヤミンの支派を絶やすことなく産業を与えることができると考えた。
(士師記終わり)
(続く)




「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年03月28日 | 書評
筑西市布川神社の桜3

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その9)

2-2) 士師記 (その4)
第15章: 後日サムソンは山羊を土産にして元妻に会いに往ったが、その父は面会を許さずサムソンが妻を嫌ったので離縁したまでで、妹ではどうかと持ち掛けた。サムソンはこれでペリシテ人に借りはないと往って、山犬300匹に松明を結わえ刈り取りの終っていない畑に放った。被害を被ったペリシテ人はその父と娘が災いのもとだといって焼き殺した。サムソンは攻撃の材料は揃ったとみて、ペリシテ人多数を殺した。ペリシテ人がユダに攻め入ってレヒに陣を取ったので、ユダの人3000人は支配者ペリシテ人を殺すとはどういうことだとサムソンを問い詰め、サムソンを縛り上げペリシテ人に手渡そうとサムソンをレヒに連れていった。レヒに着くやサムソンを縛っていた縄はエホバの力によって解き放たれ、サムソンはロバの骨で2千人を殺した。その場所をマテレヒとなずけた。サムソンは20年間イスラエルを治めた。
第16章: サムソンはガザの娼婦の家にいたがガザ人に密告する者がいて、取り囲み門のところで伏せ早朝に殺すつもりであったが、サムソンは夜半に起きて門の柱を引き抜きヘブロンの山に上った。こののちサムソンがソレクの谷に居た時デリラという婦人を愛した。ペリシテ人はデリラにサムソンの力は何に寄るのか、どうしたらサムソンに勝てるのかを見出せば銀貨を与えると持ちかけた。デリラはサムソンから七条の新しい縄で縛ると弱くなると聞きだし、ペリシテ人の伯に教え七条の新しい縄でサムソンを縛った。ところがサムソンはいとも簡単に縄を解いた。デリラはサムソンの力のよりどころは何かを質問したら、生まれて髪に剃刀をあてたことがない神のナザレ人だから、髪をそり落としたら弱くなると明かした。デリカがサムソンを寝かしつけている間にペリシテ人は髪の毛をそり落としたら、サムソンは力が失せて縛ることができ、目をくりぬいてガザの牢獄につないだ。ペリシテ人が祝宴を開いている時、サムソンをなぶりものにしようと宴に引き出し大きな柱に縛り付けた。サムソンの髪の毛が伸び始め力が復活し柱ごとその家を引き倒し、3000人のペリシテ人が死んだ。その時にサムソンも下敷きになり死んだ。
第17章: エフライムにミカという人が居た。その母がいうには、ミカかって1100枚の銀を盗まれたといって呪ったが、その銀は母のもとにある。母が取ったのである。エホバに祝福をするため、その銀をエホバに収めた。今それをミカに返しそこから銀200枚を取り鋳物師に渡して像を作った。ミカは神殿を持ちエポデ、テラピムを作り、ユダのレビ人である一人の子を祭司とした。ダンの子孫はその鋳たる像を安置して、国が奪われるまで神の家シロにあった間彼らはミカが作った像を安置した。イスラエルに王がいない時代には人々は自分で善しと思うことをやっていたのである。

(つづく)

「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年03月27日 | 書評
筑西市布川神社の桜2

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その8)
2-2) 士師記 (その3)
第10章: アビメレクの後、イッサカルの人トラが起こりてイスラエルを救った。エフライムのシャミルで22年間イスラエルを治めた。トラの後ギレアデ人ヤイルが立ち22年間イスラエルを治めた。かれには30人の子がいて30のロバと30の邑を持った。ヤイルが死んでカモンに葬られた。イスラエルの民ふたたびエホバの前で悪事をなし、異神バアル、アシタロテ、シドシ、スリア、モアブの神を信じ、アンモン人の子孫はぺりシテ人の神を信じた。エホバ激しく怒りイスラエルの民をペリシテ人およびアンモン人の手に売った。ギレアデにあるアモリ人によってイスラエル人は18年間苦しめられた。ここにイスラエルの民の嘆きの声がエホバに聞こえ、アンモン人からイスラエルを救うように命を下した。アンモン人はギレアデに陣を取り、イスラエルの民はミズパに陣を取った。イスラエルの軍はギリアデ人エフタが指揮を執った。
第11章: ギリアデ人エフタは妓婦の子であった。ギリアデの妻子は妓婦の子エフタを嫌って追い出し、エフタはトブの地に住んだ。放蕩者らがエフタの周りに集まりその地を出奔した。しばらくしてイスラエルとアンモン人の子孫が戦うに至って、ギリアデの長老らはエフタを呼び寄せて戦いの大将になれと命じた。長老らはエフタはエホバの神の思し召しだなのでイスラエルの首領であり我らは汝に従うといった。こうしてエフタはアンモン人の王に使者を送っていう。イスラエルは決してモアブの地を掠めることはしないアンモン人の子孫の地をもとらない、これはエジプトを出た時エドム、モアブの地の通過を乞うたが許されず、ヘシボシに居たアモリ人の王シホンにイスラエルの民の通過を願ったが拒否された。エホバはイスラエルの民に味方してアモン人を追い払った。この時のことを繰り返させるのかと半分は脅しの文句で詰問した。こう言ってエフタは20の邑を打ち破り、アンモン人の子孫はイスラエルの民に打ち破られた。
第12章: ここでエフライムの人々エフタにいう。アンモン人との戦いになぜ呼ばなかったのか、汝と闘いも辞せずという。エフタはかってイスラエルの民がアンモン人との戦いにおいて、エフライムに救援を頼んだ時エフライムは兵を送らなかった、だから命を懸けてアンモン人を打ち破ったのだといった。にもかかわらず今日汝らはイスラエルの民に戦争を仕掛けるのかと詰問し、エフタはギレアデの軍を悉く集めエフライムと戦った。エフライムを打ち破ってヨルダン川の渡しを封鎖し、遁れ来る人々を殺した。その数は4万2千人であった。エフタは6年間イスラエルを治めて亡くなった。その後べテレヘムのイブサンがイスラエルを7年間治めた。その後ゼブルン人エロンが10年間イスラエルを治めた。その後ピラトン人のアブドンが8年間イスラエルを治めた。
第13章: イスラエルの子孫またエホバの前で悪事をなし、エホバは40年間ペリシテ人の手にイスラエルを渡した。ダン人の民にマノアというゾラ人が居た。その妻は石婦(うまずめ)で子を産んだことがなかった。エホバの使いがその婦人に現われて「神のナザレ人(神に身を捧げた人)を産むであろう、その子がペリシテ人からイスラエルの民を救うだろう」と告げた。(マリアの受胎告知と同じ)マノアは神の使いの言葉を聞き、エホバの使いであることを知った。濃い葡萄酒を飲むなかれ、葡萄を食うなかれ、穢れた物を食うなかれ、これを守ったので、子どもが生まれた。名前はサムソンといい、エホバの祝福を受けた者であった。
第14章: サムソンはペリシテ人を撃つチャンスを窺っていたが、突然テムタムに住むペリシテ人の娘を嫁にしたいと父母に言った。父母は割礼を受けた者がペリシテ人から嫁を取るなんて、まるでイスラエルに娘がいないのかと思われると驚いた。サムソンは父母とともにテムタムのブドウ園にいたり、その時若き獅子がサムソンに躍りかかったがいとも簡単にこれを裂いた。後日娘を嫁に貰うためテムタムに赴くと、かの獅子の屍に蜂の群れと蜜があった。このことを黙って父母に蜜を与えるとこれを食べた。結婚の宴にて、サムソンにペリシテ人の30人の若人を伴に付けたが、サムソンは当たれば布、衣30着を与える約束で彼らに謎々をかけた。「食う者より食物いで強き者より甘き物いでたり」さてこの意味を当ててみよということであった。7日経っても分からなかったので、若人はサムソンの妻になぞ解きを教えろ、さもなくば家を焼くぞと脅かした。サムソンはこの30人を殺した。そのため妻と離縁となる妻は別の人に嫁いだ。

(つづく)