常陸国・出雲国・播磨国・豊後国・肥前国風土記と逸文 第23回 最終回
6) 逸文(その7)
□ 豊前国
● 鹿春郷: (「宇佐宮託宣集」より) (豊前国風土記にいう) 田河郡(今の福岡県田川郡香春町)鹿春郷に河あった。鮎が採れる。その源は郡の東北の杉坂山より出て、西に流れ真漏河に合流する。せせらぎが清いので清河原村と名付けた。今、鹿春(かはる)里というのは訛ったのである。昔、新羅の神が天下ってこの地に来て河原に住み着いた。鹿春神という。北に山があり、頂上には沼がある。
● 鏡山: (「万葉集註釈」より) (豊前国風土記にいう) 田河郡鏡山、昔、神功皇后がこの山から国見をしていった。「天の神、地の神も私のために幸を給え」と、鏡を置いて祈った。その鏡はたちまち石になって山にある。故に鏡山という。
● 広幡八幡大神: (諸社根元記」より) (ある書に曰) 菱形山広瀬八幡の大神(宇佐八幡)が郡家の東、馬城の頂に居ます。神亀4年、神の宮を作り奉る。因って広瀬八幡の大神の宮と名付けた。
● 宮処郡: (中臣祓気吹抄」より) (豊前国風土記にいう) 昔、天孫ここから日向の旧都に天下った。この地は天照大神の都であった。
□ 豊後国
● 氷室: (「塵袋」より) (記にいう) 豊後国速見郡に温泉がある。そこには四つの湯があった。珠灘の湯、等峙の湯、宝膩の湯、大湯という。その湯の東に自然の氷室がある。岩室の門は方一丈ばかり、縦横四丈である。
● 餅の的: (「塵袋」より) (記にいう) この記事は本書豊後国風土記総記の記事に同じなので省略する。
□ 肥前国
● 領巾揺岑: (「万葉集註釈」より) (肥前国風土記にいう) 松浦県の東6里に領巾揺(ひれふり)岑があって、頂に沼がある。昔、宣化天皇の時代、大伴紗手比古を派遣して任那国を平定した。この岡を通過した時、篠原村に乙等比売という娘がいた。紗手比古はこの娘に恋をして結ばれた。翌日別れるとき娘はこの峯に登って領巾を振った故にこの名が付いた。
● 鏡の渡り: (「和歌童蒙抄」より) (肥前国風土記にいう) 前の領巾揺岑の記事に全く同じ。
● 杵嶋山: (「万葉集註釈」より) 杵島郡の南2里に一つの山があった。この山から、南西の方向から東北の方向に3つの連峰が見えた。杵島という。坤に比古神、中に比売神、艮に御子神という。郷の男女はいい季節になると、手を取って山に登り宴をした。歌一首を添える。
● 与止姫神: (「神名帳頭註」より) (風土記にいう) 第30代欽明天皇の25年、肥前国佐嘉郡に与止(よど)姫の神が鎮座された。豊姫、淀姫という。
□ 肥後国
● 肥後国: (「釈日本紀」より) (肥後国風土記にいう) 肥前国風土記総記と全く同じ記事なので省略する。
● 迩陪魚: (「釈日本紀」より) (肥後国風土記にいう) 玉名郡長渚浜、昔、景行天皇が熊襲を討伐して帰る御船がこの浜に泊まった。船に多くの魚が寄って来たので、吉備国の朝勝見が釣りをして天皇に献じた。天皇に魚の名を問われたが知らなかったので、天皇は「多くいることを尓倍佐尓(にべさに)という。この魚は尓倍魚と呼ぶ」と言われた。
● 阿蘇郡: (「阿蘇家文書」より) (肥後国風土記にいう) 昔、景行天皇が玉名郡長渚浜を立って、この地を巡って国見をなされた。野原が広くて人が見えなかったが、二人の神が現れた。阿蘇都彦と阿蘇都媛が「ここにいる」というので、阿蘇郡と名付けた。
● 阿宗岳: (「釈日本紀」より) (筑紫国風土記にいう) 肥後国閼宗(あそ)県の西南20余里に禿山があった。頂きに霊感の沼があった。石壁が垣を為し、白緑の淵があった。波は五色、水には毒があった。名付けて苦水という。岳が中央に聳えて4つの県を含む。諸々の川の源が流れだした。故に中岳と呼び、閼宗の神宮となった。
● 水嶋: (「万葉集註釈」より) (風土記にいう) 球磨県の乾の方七里に海中に嶋があった。周囲70里、なずけて水嶋という。寒水を出す。
□ 日向国
● 日向国: (「釈日本紀」より) (日向国風土記にいう) 景行天皇、児湯(こゆ)郡丹裳の小野に遊行され、次のように言われた。「この国は東海の扶桑(ひいずるかた)に向かっている。、日向と呼ぶべし」
● 吐濃峯: (「塵袋」より) (かの国の記にいう) 児湯(こゆ)郡吐濃峯に吐乃の大明神がおられる。昔、神功皇后が新羅を討って、この神を招来し、船の舳を守らせた。韓国より帰還され韜馬(うしか)峰で弓を射ると、土の中から黒い頭をした男女が出てきて祝い部として仕えた。子孫は繁栄したが、疫病が蔓延して死に失せた。これは神人を国役に使ったので吐乃の大明神が怒られたからである。
● 知鋪郡: (「釈日本紀」より) (日向国風土記にいう) 臼杵郡知鋪(ちほ)郷(宮崎県臼杵郡高千穂町)、瓊瓊杵尊が天より高千穂の二上山に降臨された。その時天暗く昼夜の区別もないほどであった。大鉗・小鉗という土蜘蛛が現れ、皇孫命が稲の千穂を抜いて揉んで籾として周囲に投げ散らすと明るくなるといった。故に千穂となずける。
● 高日山: (「釈日本紀」より) (日向国風土記にいう) 宮崎郡高日村、瓊瓊杵尊が天降って剣の柄をこの地においた。故に剣柄(高日)村と呼んだ。多加比ともいう。
● 韓栗生村: (「塵袋」より) (風土記にいう) くしぶの木が多かった故に栗生村と呼ぶ。くしぶの木ではなく小栗の木が多い地という。昔、かさむ別という人、韓の国に渡ってこの木を持ち帰り植えたという。
□ 大隅国
● 必志里: (「万葉集註釈」より) (大隅国風土記にいう) 昔、この村の中に海の州(ひし)があった。故に必志里と呼ぶ。
● 串卜郷: (「万葉集註釈」より) (大隅国風土記にいう) 昔、国を作った神は、人を派遣してこの村の様子を探らせた。「髪梳(くしら)の神あり」との報告があったので、故に久西良の郷と呼んだ。今は串卜郷という。
● 耆小神: (「塵袋」より) (風土記にいう) シラミの子を「きさし」という。沙虱の訓を耆小神(きさしむ)という。
● 醸酒: (「塵袋」より) (風土記にいう) 大隅の国には、村の男女を集めて米をかみ、酒船に入れさせる。酒の香りが出てくると、また集まってこれを飲む。なずけてくちかみの酒という。
□ 薩摩国
● 竹屋村: (「塵袋」より) (風土記にいう) 皇祖瓊瓊杵尊が日向国知鋪(ちほ)郷栗生山に降臨されてから、薩摩国閼駝(あた)郡の竹屋村に移られた。この村土着の竹屋守の女に二人の子を産ませた。竹を刀にして臍の緒を切ったという。
□ 壱岐国
● 鯨伏郷: (「万葉集註釈」より) (大隅国風土記にいう) 昔、熊鰐(海神)が鯨を追うと鯨は島陰に隠れた。故に鯨伏(いさふし)郷という。ワニも鯨も石に化した。一里を隔てて在る。俗に鯨を伊佐(いさ)という。
● 朴樹: (「塵袋」より) (壱岐の島の記にいう) 常世の社に朴の木(えのき)があった。鹿の角のような枝があった。
(完)
6) 逸文(その7)
□ 豊前国
● 鹿春郷: (「宇佐宮託宣集」より) (豊前国風土記にいう) 田河郡(今の福岡県田川郡香春町)鹿春郷に河あった。鮎が採れる。その源は郡の東北の杉坂山より出て、西に流れ真漏河に合流する。せせらぎが清いので清河原村と名付けた。今、鹿春(かはる)里というのは訛ったのである。昔、新羅の神が天下ってこの地に来て河原に住み着いた。鹿春神という。北に山があり、頂上には沼がある。
● 鏡山: (「万葉集註釈」より) (豊前国風土記にいう) 田河郡鏡山、昔、神功皇后がこの山から国見をしていった。「天の神、地の神も私のために幸を給え」と、鏡を置いて祈った。その鏡はたちまち石になって山にある。故に鏡山という。
● 広幡八幡大神: (諸社根元記」より) (ある書に曰) 菱形山広瀬八幡の大神(宇佐八幡)が郡家の東、馬城の頂に居ます。神亀4年、神の宮を作り奉る。因って広瀬八幡の大神の宮と名付けた。
● 宮処郡: (中臣祓気吹抄」より) (豊前国風土記にいう) 昔、天孫ここから日向の旧都に天下った。この地は天照大神の都であった。
□ 豊後国
● 氷室: (「塵袋」より) (記にいう) 豊後国速見郡に温泉がある。そこには四つの湯があった。珠灘の湯、等峙の湯、宝膩の湯、大湯という。その湯の東に自然の氷室がある。岩室の門は方一丈ばかり、縦横四丈である。
● 餅の的: (「塵袋」より) (記にいう) この記事は本書豊後国風土記総記の記事に同じなので省略する。
□ 肥前国
● 領巾揺岑: (「万葉集註釈」より) (肥前国風土記にいう) 松浦県の東6里に領巾揺(ひれふり)岑があって、頂に沼がある。昔、宣化天皇の時代、大伴紗手比古を派遣して任那国を平定した。この岡を通過した時、篠原村に乙等比売という娘がいた。紗手比古はこの娘に恋をして結ばれた。翌日別れるとき娘はこの峯に登って領巾を振った故にこの名が付いた。
● 鏡の渡り: (「和歌童蒙抄」より) (肥前国風土記にいう) 前の領巾揺岑の記事に全く同じ。
● 杵嶋山: (「万葉集註釈」より) 杵島郡の南2里に一つの山があった。この山から、南西の方向から東北の方向に3つの連峰が見えた。杵島という。坤に比古神、中に比売神、艮に御子神という。郷の男女はいい季節になると、手を取って山に登り宴をした。歌一首を添える。
● 与止姫神: (「神名帳頭註」より) (風土記にいう) 第30代欽明天皇の25年、肥前国佐嘉郡に与止(よど)姫の神が鎮座された。豊姫、淀姫という。
□ 肥後国
● 肥後国: (「釈日本紀」より) (肥後国風土記にいう) 肥前国風土記総記と全く同じ記事なので省略する。
● 迩陪魚: (「釈日本紀」より) (肥後国風土記にいう) 玉名郡長渚浜、昔、景行天皇が熊襲を討伐して帰る御船がこの浜に泊まった。船に多くの魚が寄って来たので、吉備国の朝勝見が釣りをして天皇に献じた。天皇に魚の名を問われたが知らなかったので、天皇は「多くいることを尓倍佐尓(にべさに)という。この魚は尓倍魚と呼ぶ」と言われた。
● 阿蘇郡: (「阿蘇家文書」より) (肥後国風土記にいう) 昔、景行天皇が玉名郡長渚浜を立って、この地を巡って国見をなされた。野原が広くて人が見えなかったが、二人の神が現れた。阿蘇都彦と阿蘇都媛が「ここにいる」というので、阿蘇郡と名付けた。
● 阿宗岳: (「釈日本紀」より) (筑紫国風土記にいう) 肥後国閼宗(あそ)県の西南20余里に禿山があった。頂きに霊感の沼があった。石壁が垣を為し、白緑の淵があった。波は五色、水には毒があった。名付けて苦水という。岳が中央に聳えて4つの県を含む。諸々の川の源が流れだした。故に中岳と呼び、閼宗の神宮となった。
● 水嶋: (「万葉集註釈」より) (風土記にいう) 球磨県の乾の方七里に海中に嶋があった。周囲70里、なずけて水嶋という。寒水を出す。
□ 日向国
● 日向国: (「釈日本紀」より) (日向国風土記にいう) 景行天皇、児湯(こゆ)郡丹裳の小野に遊行され、次のように言われた。「この国は東海の扶桑(ひいずるかた)に向かっている。、日向と呼ぶべし」
● 吐濃峯: (「塵袋」より) (かの国の記にいう) 児湯(こゆ)郡吐濃峯に吐乃の大明神がおられる。昔、神功皇后が新羅を討って、この神を招来し、船の舳を守らせた。韓国より帰還され韜馬(うしか)峰で弓を射ると、土の中から黒い頭をした男女が出てきて祝い部として仕えた。子孫は繁栄したが、疫病が蔓延して死に失せた。これは神人を国役に使ったので吐乃の大明神が怒られたからである。
● 知鋪郡: (「釈日本紀」より) (日向国風土記にいう) 臼杵郡知鋪(ちほ)郷(宮崎県臼杵郡高千穂町)、瓊瓊杵尊が天より高千穂の二上山に降臨された。その時天暗く昼夜の区別もないほどであった。大鉗・小鉗という土蜘蛛が現れ、皇孫命が稲の千穂を抜いて揉んで籾として周囲に投げ散らすと明るくなるといった。故に千穂となずける。
● 高日山: (「釈日本紀」より) (日向国風土記にいう) 宮崎郡高日村、瓊瓊杵尊が天降って剣の柄をこの地においた。故に剣柄(高日)村と呼んだ。多加比ともいう。
● 韓栗生村: (「塵袋」より) (風土記にいう) くしぶの木が多かった故に栗生村と呼ぶ。くしぶの木ではなく小栗の木が多い地という。昔、かさむ別という人、韓の国に渡ってこの木を持ち帰り植えたという。
□ 大隅国
● 必志里: (「万葉集註釈」より) (大隅国風土記にいう) 昔、この村の中に海の州(ひし)があった。故に必志里と呼ぶ。
● 串卜郷: (「万葉集註釈」より) (大隅国風土記にいう) 昔、国を作った神は、人を派遣してこの村の様子を探らせた。「髪梳(くしら)の神あり」との報告があったので、故に久西良の郷と呼んだ。今は串卜郷という。
● 耆小神: (「塵袋」より) (風土記にいう) シラミの子を「きさし」という。沙虱の訓を耆小神(きさしむ)という。
● 醸酒: (「塵袋」より) (風土記にいう) 大隅の国には、村の男女を集めて米をかみ、酒船に入れさせる。酒の香りが出てくると、また集まってこれを飲む。なずけてくちかみの酒という。
□ 薩摩国
● 竹屋村: (「塵袋」より) (風土記にいう) 皇祖瓊瓊杵尊が日向国知鋪(ちほ)郷栗生山に降臨されてから、薩摩国閼駝(あた)郡の竹屋村に移られた。この村土着の竹屋守の女に二人の子を産ませた。竹を刀にして臍の緒を切ったという。
□ 壱岐国
● 鯨伏郷: (「万葉集註釈」より) (大隅国風土記にいう) 昔、熊鰐(海神)が鯨を追うと鯨は島陰に隠れた。故に鯨伏(いさふし)郷という。ワニも鯨も石に化した。一里を隔てて在る。俗に鯨を伊佐(いさ)という。
● 朴樹: (「塵袋」より) (壱岐の島の記にいう) 常世の社に朴の木(えのき)があった。鹿の角のような枝があった。
(完)