19世紀前半フランス大革命の動乱期、徒刑囚が偉大なる聖人として生涯を終えるまでの苦悩の物語 第8回 最終回
第5章 「哲学的な部分とユゴーの思想」
最後にこの小説の特徴である「哲学的な部分」について考え、その根底にあるユゴーの思想を見てゆこう。内容としては①貧困または社会主義、②進歩主義思想、③死刑廃止論、④宗教観である。
① 貧困または社会主義: 貧困そのものは「哲学的な部分」というよりも、登場人物の生活描写に赤裸々に描かれている。象徴的まずしさはマリユスが見たテナルディ一家のあばら家の描写である。食事がとれない事や貧乏のリアルな描写はこの小説の全体にわたってこれでもこれでもかと描かれている。19世紀前半のフランスの都会の庶民の貧しさは、同時代の「江戸末期の農民の貧しさに共通するものがある。この小説特有の貧困の代名詞となる「隠語」は解説が必要だと見たのか、強盗団パトロン・、ミネットの場面で、「隠語論」が挿入される。「隠語とは貧困を表現する言語の事である」といって、ほとんどマニアックな隠語収集にかんする彼の蘊蓄を紹介する。ユゴーは、貧困の問題を根底から考えようとすれば、「貧困の言語」、「徒刑囚になった言語」、「闇の住民たちの言葉」としての隠語を取り上げることが不可欠であり有用であると考えていたようだ。このような詳細な隠語研究を行った小説家は古今東西ユゴーを除いて皆無であり、ここにユゴーの独創性がみられるのである。一例を上げるとパリの盗賊の隠語として、「独房」=カストウス(品行方正)、断頭台で首を切られることを「大薪」と表現し、裁判にかけられることを「束ねられる」などと表現する。ユゴーはグロテスクなものと崇高なものが結び付くとロマン主義の新しい美が生まれると言っている。徒刑囚と聖人が結び付くジャン・ヴァルジャンはそのロマン主義美学の具体的な例だと見られる。レ・ミゼラブルの序文で「この地上に無知と貧困がある限り、本書のような書物も無益ではあるまい」というのである。国の産業革命が生み出す貧困は、この時期の焦眉の社会・政治的な課題であった。1948年マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を書くにもこのような背景があったからである。貧困はフランスだけではなく人類の永遠の問題であり、金融資本主義に隷従する現代社会の地球的現実となっている。ユゴーは資本主義社会の貧困という社会問題をいち早く告発した作家の一人であった。19世紀初期の貧困は、マルクスが定義する「労働者階級」というよりは、ルンペン・プロレタリアート、すなわち社会に不安をを醸す「危険な階級」の貧困である。ユゴーは自分が社会主義者になったのは1828年の頃からだと言い、「死刑囚最後の日」や「クロード・グー」は貧しい労働者を主人公とした物語である。社会主義ということばが使われたのは1833年になってからというので、ユゴーのいう社会主義とは社会問題に関心のある者、すなわち左翼という意味で理解していた。ユゴーの友人には、労働組織論のルイ・ブランがいたし、キリスト教社会主義者ラムネ―やプルードン、「個人主義と社会主義」のピエール・ルル―、空想社会主義者のサン・シモン、フーリエらがいた。ユゴーの社会主義とは、富の生産と分配の問題であり、外部の公共の生産力、内部の個人の幸福という二つのものが結び付くことが理想で、私的所有はフランス革命の成果として認めていた。これをユゴーの社会思想の根本と言えるが、革命による新しい共和国における自由、平等、友愛の未来が輝かしいものとして不動の政治思想を持っていた。ユゴーはレ・ミゼラブルで語っているのは、社会主義の原則と理想だけであって、そこへいたる政治的プロセスには全く言及していない。むしろ彼は物質的社会主義を警戒し、「腹だけの社会主義」は政府や資本家に隷従する道だという。詩人ユゴーの限界があり、経済の問題より政治の問題を優先して考え、ユゴーの社会主義は社会共和主義の理想の中に統合された。
② 進歩主義思想: レ・ミゼラブル第4部第十篇に、1832年6月5日の悲劇的な蜂起の叙述がある。歴史の重大事件となれなかった暴動について取り上げる理由は何だろうか。この共和党の蜂起については共和派将軍「ラマルクの葬列の暴動」ともいわれる。この騒動が起きたのはユゴーが30歳の時で、騒動の噂を聞いてソモンのパサージュに駆け付けて30分ほど立ち会っただけであった。この時はむしろ騒動を冷ややかに見ていた。反政府運動を「暴動」と「蜂起」に分け、暴動は物質的な問題から生まれもっとも忌まわしい蛮行に堕する時があるのに対して、ユゴーは蜂起は精神的な現象であり、もっとも神聖な義務となるのでこれを評価したいという。32年の「六月蜂起」には、その急速な勃発においても悲壮な消滅においても、共和国の理想に殉じようとする高邁さがあったという。だから48年の「六月暴動」の反乱よりも、32年の六月蜂起の方がフランス革命の理念を高めるものとして理想化し、「フィクションのリアリティ」として記述したかったのであろう。この自然発生的な民衆反乱と「ABC友の会」のメンバーの壮烈な戦いの描写は読者に感銘を与えた。「勝利は壮麗であり、敗北は崇高である」といって、ユゴーはもう10年続いている第2帝政に対する民衆の戦いを促すという意味があったのであろう。「共和国万歳」と叫んで死ぬ共和国の理想を、普遍的な人類の進歩の理想と信じるが故の壮烈な敗北を生き生きと描いた。進歩は人間の存在理由であり、人類の歴史は進歩の歴史であるという「進歩史観」を信じれば、6月の蜂起者の挫折も進歩に沿ったものとして正当化され崇高なものになるのである。ユゴーの言う進歩とは彼の社会主義と同様に物質的、地上的なものにとどまらず、精神的、形而上学的なものに関わるという特徴がある。「進歩」こそがこの小説の真の主題であり、彼自身の全思想だと考えた。19世紀当時はコンドルセ「人間精神進歩の史的展望」といった進歩思想が流行していたが、進歩思想に対峙するものが懐疑主義である、この思想の系譜も根が深い。気高い魂を忘れ享楽が道徳と心得て、手取り早く物質的な事(貨幣至上主義経済)だけに気を取られている反知性主義的ないわゆる世界のグローバル化の進展がその代表である。にもかかわらずユゴーの楽観的な「進歩」観には、超時代的な人間性への信頼と期待の原則が貫かれている。
③ 死刑廃止論: この小説でミリエル司教が処刑に立ち会う場面で、ギロチンに打ち費がれ立ち直れない司教の姿を描いている。「獣性から義務への前進」の一つの例として死刑廃止の訴えを行う。そいう意味でルイ・フィリップス治世で一度も死刑が執行されなかったことを褒め称えている。ユゴーの政治的立場はいろいろ変化したが、一貫しているのは死刑廃止論であった。刑場に群がり興奮する人間の不思議な感情(「怖いもの見たさの残虐趣味)は実際ユゴーの時代の現実でもあった。死刑問題に最初に取り組んだのは、1829年「死刑囚最後の日」という中編小説を刊行したことであった。序文において死刑賛成論者にむけて死刑の無用性を説いた。ユゴーは議院活動によって本格的に死刑制度の廃止に向かう。1848年「二月革命」の憲法にすべての犯罪に対する死刑廃止を盛り込んだ。「死は神にしか属さない」、「人間の命の不不可侵性」に基づく死刑反対という信念は貫かれた。
④ 宗教観: 1864年から1962年の98年間、レ・ミゼラブルは教会の禁書リストに入っていた。ユゴーが自らの宗教観を述べているのは、第2部第7篇プチ・ピクピュス修道院のことを紹介したあとの「余談」である。その初めに「この小説は無限を主人公とする劇である。人間は脇役である」と述べる難解な部分がある。実は「無限」は「進歩」と並んでユゴー思想の二大キーワードである。この「無限」は使われ方からして、超越的な存在、ほぼ神の同義語とみなしうる。「進歩は目的であり、理想は典型である。理想とは何か。神である。理想、絶対、完全、無限。これらは同じ言葉である。」と言っているので無限とは神の属性とみて間違いない。「外部(上)に無限があると同時に、私たちの内部(下)にも無限があるのではないか。上の無限が神であり、下の無限が魂である。祈ることにより下の無限を植えの無限医触れ合わせることができる。すなわち良心=魂、無限の自我、それこそ神なのだといっている。ユゴーは無限=神という信念に基づいて、人間の祈りには深い敬意を払いながら、修道院制度を時代錯誤的な、自由のない非人間的制度だと断じる。同じ観点から修道院制度のみならず教会組織を批判している。「神父を遠ざけることは、神を遠ざけることではない。人間が余りに多すぎる所に、神はもはや充分に存在しない」という。フランス革命によって打倒されたカトリックの勢力は王政復古に合わせて権力と影響力を回復しようとした。1850年「教育の自由」の名のもとに教会が初等教育を独占するファル―法であった。ユゴーはこの反動的法案に猛然と反対した。ユゴーはヴォルテール主義で反教権主義の影響を受け、「個別のいろいろな宗教には反対だが、宗教そのものには賛成する」と断言し「何かを信じ祈る宗教は肯定する」という。ユゴーはいかなる政治権力からも、宗教権威からもあくまで自由な立場を貫き、カトリック教会の反感を買った。これは宗教論としては「理神論とキリスト教の中間」とか「無教会派のキリスト教」、「理神論左派」とか言われるそうだ。
(完)
第5章 「哲学的な部分とユゴーの思想」
最後にこの小説の特徴である「哲学的な部分」について考え、その根底にあるユゴーの思想を見てゆこう。内容としては①貧困または社会主義、②進歩主義思想、③死刑廃止論、④宗教観である。
① 貧困または社会主義: 貧困そのものは「哲学的な部分」というよりも、登場人物の生活描写に赤裸々に描かれている。象徴的まずしさはマリユスが見たテナルディ一家のあばら家の描写である。食事がとれない事や貧乏のリアルな描写はこの小説の全体にわたってこれでもこれでもかと描かれている。19世紀前半のフランスの都会の庶民の貧しさは、同時代の「江戸末期の農民の貧しさに共通するものがある。この小説特有の貧困の代名詞となる「隠語」は解説が必要だと見たのか、強盗団パトロン・、ミネットの場面で、「隠語論」が挿入される。「隠語とは貧困を表現する言語の事である」といって、ほとんどマニアックな隠語収集にかんする彼の蘊蓄を紹介する。ユゴーは、貧困の問題を根底から考えようとすれば、「貧困の言語」、「徒刑囚になった言語」、「闇の住民たちの言葉」としての隠語を取り上げることが不可欠であり有用であると考えていたようだ。このような詳細な隠語研究を行った小説家は古今東西ユゴーを除いて皆無であり、ここにユゴーの独創性がみられるのである。一例を上げるとパリの盗賊の隠語として、「独房」=カストウス(品行方正)、断頭台で首を切られることを「大薪」と表現し、裁判にかけられることを「束ねられる」などと表現する。ユゴーはグロテスクなものと崇高なものが結び付くとロマン主義の新しい美が生まれると言っている。徒刑囚と聖人が結び付くジャン・ヴァルジャンはそのロマン主義美学の具体的な例だと見られる。レ・ミゼラブルの序文で「この地上に無知と貧困がある限り、本書のような書物も無益ではあるまい」というのである。国の産業革命が生み出す貧困は、この時期の焦眉の社会・政治的な課題であった。1948年マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を書くにもこのような背景があったからである。貧困はフランスだけではなく人類の永遠の問題であり、金融資本主義に隷従する現代社会の地球的現実となっている。ユゴーは資本主義社会の貧困という社会問題をいち早く告発した作家の一人であった。19世紀初期の貧困は、マルクスが定義する「労働者階級」というよりは、ルンペン・プロレタリアート、すなわち社会に不安をを醸す「危険な階級」の貧困である。ユゴーは自分が社会主義者になったのは1828年の頃からだと言い、「死刑囚最後の日」や「クロード・グー」は貧しい労働者を主人公とした物語である。社会主義ということばが使われたのは1833年になってからというので、ユゴーのいう社会主義とは社会問題に関心のある者、すなわち左翼という意味で理解していた。ユゴーの友人には、労働組織論のルイ・ブランがいたし、キリスト教社会主義者ラムネ―やプルードン、「個人主義と社会主義」のピエール・ルル―、空想社会主義者のサン・シモン、フーリエらがいた。ユゴーの社会主義とは、富の生産と分配の問題であり、外部の公共の生産力、内部の個人の幸福という二つのものが結び付くことが理想で、私的所有はフランス革命の成果として認めていた。これをユゴーの社会思想の根本と言えるが、革命による新しい共和国における自由、平等、友愛の未来が輝かしいものとして不動の政治思想を持っていた。ユゴーはレ・ミゼラブルで語っているのは、社会主義の原則と理想だけであって、そこへいたる政治的プロセスには全く言及していない。むしろ彼は物質的社会主義を警戒し、「腹だけの社会主義」は政府や資本家に隷従する道だという。詩人ユゴーの限界があり、経済の問題より政治の問題を優先して考え、ユゴーの社会主義は社会共和主義の理想の中に統合された。
② 進歩主義思想: レ・ミゼラブル第4部第十篇に、1832年6月5日の悲劇的な蜂起の叙述がある。歴史の重大事件となれなかった暴動について取り上げる理由は何だろうか。この共和党の蜂起については共和派将軍「ラマルクの葬列の暴動」ともいわれる。この騒動が起きたのはユゴーが30歳の時で、騒動の噂を聞いてソモンのパサージュに駆け付けて30分ほど立ち会っただけであった。この時はむしろ騒動を冷ややかに見ていた。反政府運動を「暴動」と「蜂起」に分け、暴動は物質的な問題から生まれもっとも忌まわしい蛮行に堕する時があるのに対して、ユゴーは蜂起は精神的な現象であり、もっとも神聖な義務となるのでこれを評価したいという。32年の「六月蜂起」には、その急速な勃発においても悲壮な消滅においても、共和国の理想に殉じようとする高邁さがあったという。だから48年の「六月暴動」の反乱よりも、32年の六月蜂起の方がフランス革命の理念を高めるものとして理想化し、「フィクションのリアリティ」として記述したかったのであろう。この自然発生的な民衆反乱と「ABC友の会」のメンバーの壮烈な戦いの描写は読者に感銘を与えた。「勝利は壮麗であり、敗北は崇高である」といって、ユゴーはもう10年続いている第2帝政に対する民衆の戦いを促すという意味があったのであろう。「共和国万歳」と叫んで死ぬ共和国の理想を、普遍的な人類の進歩の理想と信じるが故の壮烈な敗北を生き生きと描いた。進歩は人間の存在理由であり、人類の歴史は進歩の歴史であるという「進歩史観」を信じれば、6月の蜂起者の挫折も進歩に沿ったものとして正当化され崇高なものになるのである。ユゴーの言う進歩とは彼の社会主義と同様に物質的、地上的なものにとどまらず、精神的、形而上学的なものに関わるという特徴がある。「進歩」こそがこの小説の真の主題であり、彼自身の全思想だと考えた。19世紀当時はコンドルセ「人間精神進歩の史的展望」といった進歩思想が流行していたが、進歩思想に対峙するものが懐疑主義である、この思想の系譜も根が深い。気高い魂を忘れ享楽が道徳と心得て、手取り早く物質的な事(貨幣至上主義経済)だけに気を取られている反知性主義的ないわゆる世界のグローバル化の進展がその代表である。にもかかわらずユゴーの楽観的な「進歩」観には、超時代的な人間性への信頼と期待の原則が貫かれている。
③ 死刑廃止論: この小説でミリエル司教が処刑に立ち会う場面で、ギロチンに打ち費がれ立ち直れない司教の姿を描いている。「獣性から義務への前進」の一つの例として死刑廃止の訴えを行う。そいう意味でルイ・フィリップス治世で一度も死刑が執行されなかったことを褒め称えている。ユゴーの政治的立場はいろいろ変化したが、一貫しているのは死刑廃止論であった。刑場に群がり興奮する人間の不思議な感情(「怖いもの見たさの残虐趣味)は実際ユゴーの時代の現実でもあった。死刑問題に最初に取り組んだのは、1829年「死刑囚最後の日」という中編小説を刊行したことであった。序文において死刑賛成論者にむけて死刑の無用性を説いた。ユゴーは議院活動によって本格的に死刑制度の廃止に向かう。1848年「二月革命」の憲法にすべての犯罪に対する死刑廃止を盛り込んだ。「死は神にしか属さない」、「人間の命の不不可侵性」に基づく死刑反対という信念は貫かれた。
④ 宗教観: 1864年から1962年の98年間、レ・ミゼラブルは教会の禁書リストに入っていた。ユゴーが自らの宗教観を述べているのは、第2部第7篇プチ・ピクピュス修道院のことを紹介したあとの「余談」である。その初めに「この小説は無限を主人公とする劇である。人間は脇役である」と述べる難解な部分がある。実は「無限」は「進歩」と並んでユゴー思想の二大キーワードである。この「無限」は使われ方からして、超越的な存在、ほぼ神の同義語とみなしうる。「進歩は目的であり、理想は典型である。理想とは何か。神である。理想、絶対、完全、無限。これらは同じ言葉である。」と言っているので無限とは神の属性とみて間違いない。「外部(上)に無限があると同時に、私たちの内部(下)にも無限があるのではないか。上の無限が神であり、下の無限が魂である。祈ることにより下の無限を植えの無限医触れ合わせることができる。すなわち良心=魂、無限の自我、それこそ神なのだといっている。ユゴーは無限=神という信念に基づいて、人間の祈りには深い敬意を払いながら、修道院制度を時代錯誤的な、自由のない非人間的制度だと断じる。同じ観点から修道院制度のみならず教会組織を批判している。「神父を遠ざけることは、神を遠ざけることではない。人間が余りに多すぎる所に、神はもはや充分に存在しない」という。フランス革命によって打倒されたカトリックの勢力は王政復古に合わせて権力と影響力を回復しようとした。1850年「教育の自由」の名のもとに教会が初等教育を独占するファル―法であった。ユゴーはこの反動的法案に猛然と反対した。ユゴーはヴォルテール主義で反教権主義の影響を受け、「個別のいろいろな宗教には反対だが、宗教そのものには賛成する」と断言し「何かを信じ祈る宗教は肯定する」という。ユゴーはいかなる政治権力からも、宗教権威からもあくまで自由な立場を貫き、カトリック教会の反感を買った。これは宗教論としては「理神論とキリスト教の中間」とか「無教会派のキリスト教」、「理神論左派」とか言われるそうだ。
(完)