ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 小保方晴子著 「あの日」 (講談社 2016年1月)

2017年04月30日 | 書評
STAP幹細胞問題をめぐる前代未聞の理研ODBスキャンダルはどうして起こったのか 第5回

3) 論文疑惑問題と論文撤回のスキャンダル (その1)

 前の第1章と第2章を前半とすると、次から後半の論文スキャンダルの様相に入る。非難誹謗悪罵などネットや週刊誌で使われる言葉は激烈で煽動的であるので本読書ノートでは繰り返さない。同様ににいっわれなき暴言に苦しむ小保方氏の泣き言や恨みつらみの言葉も感情的・個人的であるのでやはり省略したい。やりとりの事実関係だけを述べたい。モーツアルトの「レクイエム」依頼の使者があの世からの使いに見えたように、スキャンダル事件は1通のメールが理研竹市先生に届いたことで開始された。記者会見から1週間ほどして分子生物学会会員の連名で「PCRのゲル写真の使いまわしがある。悪質な研究不正を行う人だから小保方女史を信用しないように」という疑義の内容だったが、竹市先生は「同業者の嫉妬だね」と言われた。小保方氏はさっそく疑義のかかった博士論文の原著論文を読み返して、ゲル写真の疑義とは別に、テラトーマ写真は未発表のデータであったがネイチャー誌に記載した方法とは違っていたので、掲載の方法としては不適切であったことに気が付いて、小保方女史はそのミスに愕然としたという。笹井先生及び常田先生と相談して、米ネイチャー誌への報告と訂正の依頼を急いで出すことになった。ところが報道やインターネットで大きな反響となったのはゲル写真の方だった。論文発表して2週間後竹市先生から「外部からの告発を受けて、ネイチャー論文に対して調査委員会を立ち上げます」という連絡があり、第1次調査委員会が構成された。調査委員会が注目したデーターはTCR遺伝子再構成の電気泳動の図であった。電気泳動写真の切り貼りについては分子生物学会によるマニュアルは白線を入れる事であったが、バントの有無だけを見る定性的図ではその必要はないし、改竄を疑われる行為ではなかったと小保方氏は理解していた。ネット上やテレビ報道が過熱するにつれ、調査員会の態度が高圧的になっていった。3月にはいると分子生物学会の大隅典子理事長から声明が出され、「ネットや報道で問題点が指摘されているように、第1著者と名指しで疑義を表明し、理研が適切な対応をするように」という内容であった。ネイチャーへの通報も異常な数に上ったが、このほとんどが日本の学者からのものであった。生物学者という専門団体が自主的に行う指摘とは違い、ネットや報道を背景として疑義を正す風潮は、2011年3月11日の原発事故以来の専門家不信の世情を反映している。そしてネット(理研の研究者が発信している)上では笹井先生をターゲットとすると言明する書き込みもあった。理研内部の勢力争いが表面化していることをうかがわせた。ところが論文著者らは自らで再解析し検討することを止められているなかで、若山氏は著者でありながら自分の意見やデータを社会に向けて発現することが許されていた。3月10日NHKの取材に対して若山氏は「論文を撤回した方がいい」と発言し、世論に火をつけた。2014年3月25日「小保方氏に渡したマウスと、若山氏が解析したSTAP幹細胞のマウス系統が違う」という報道が出た。若山氏が理研のマウスを所有していることが窃盗に当たるという矛盾があるが、報道内容はすべて若山氏からリークした一方的な情報だけが報道記事となっていた。こうして報道界は若山氏を取り込んでスクラムを組み、小保方氏と笹井先生に対する魔女裁判、社会的制裁という様相が顕著となった。報道関係者は自分らの記事が社会の正義だとして、みんなで決めた悪に対してはどんなのにいじめたり罵倒しても許されると信じているようであった。パッシング・ストレスの限界から論文撤回と辞意やむなしと小保方氏が理研幹部に相談すると、辞意は理研本部でもみ消しになり、論文撤回はアメリカハーバード大学の反対でとん挫した。そして笹井先生が入院した。理研内では小保方氏を擁護する人はいないことが分かって、3月中旬弁護士を付けることにした。3月31日調査委員会の最終報告を聞くため弁護士3名と理研河井理事の所長室にはいった。委員会の結論は「ねつ造と改竄」と告げられ、4月1日調査委員会の発表が行われた。専門家と称する人たちは報道に媚びる様に小保方パッシングに興じていた。承服できない内容に対しては10日以内に不服申請書を提出する必要があったが、報道陣に囲まれ移動も外出もできないので弁護士が大手報道機関に抗議した。4月6日には小保方氏は体が動かないということで入院となった。4月9日小保方氏は記者会見場に向かうが報道陣に囲まれ身動きができなかったが、弁護士と医師2名に付き添われて記者会見をした。内容は不服申し立てのことであったが、理研CDB内部には悪意を持ってマスコミに情報を流していることは明確であった。4月16日には笹井先生の記者会見が行われた。理研では3月中旬に「自己点検検証委員会」が立ち上がり、論文作製上の自己点検が開始された。点検され修正された論文はかなりの数に上がったと理研の事務はいう。一人を除くほとんどの調査委員の過去の論文に疑義があがるという異常事態に陥った。ネイチャ―論文筆者らに対する圧力が高まり、理研内部では笹井氏の個人攻撃が起きた。理研CDBの幹部GDがマスコミに情報をリークしていた。5月8日不服申し立ては却下されたと正式な発表があった。誤った、悪意を持った情報がながれ、報道機関が個人攻撃に偏った記事をかくなかで、それにかき消されるように科学的真実の議論は遠のき、理研内部でも魔女裁判化していた。

(つづく)

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読書ノート 小保方晴子著 「あの日」 (講談社 2016年1月)

2017年04月29日 | 書評
STAP幹細胞問題をめぐる前代未聞の理研ODBスキャンダルはどうして起こったのか 第4回

2) STAP幹細胞研究とネイチャー論文(アーティクルとレター)のまとめ(山梨大学と理研ODB)

 2012年3月より、若山研究室では急いで幹細胞株化の論文を仕上げるよう、研究室メンバーをフルに使って良いことになった。未承認のままヒト細胞を使った実験も先行させることを指示された。幹細胞株化実験と並行して、体細胞にストレスを与えるとOct4陽性細胞塊ができ、その細胞塊からキメラマウスができるところまでを論文にする作業が指示された。このように急に若山先生から論文投稿を急ぐために、実験や論文へのメール指示が多くなった。通常の科学雑誌でh論文はレビューワーに回され、ネイチャー、サイエンス、セルといったトップジャーナルではレビューワーに回す前に第1回目のふるいを掛けほとんどは不採択となる。理研CDBでは若手PI(主任研究員)には2名の経験豊かな幹部研究者がコンサルティングGD(グループリーダとして、相談に応じることになっている。若山研のGDは西川伸一先生と相澤慎一先生であった。西川先生はOct4陽性細胞になった細胞に遺伝子再構成(リンパ球ではTCR再構成という)があるはずだという助言があり、実験の結果TCR再構成を示すバンドが確認された。この実験結果を追加してネイチャーに投稿、続いてセルに投稿したが結果は不採択であった。若山先生より、スフェア―細胞からのキメラは胎児だけでなく胎盤も形成するようだという結果を受けた。この発見はスフェア細胞がES細胞の多能性を超える分化能を有していることを示唆していた。若山研では論文のストーリーに合わせた実験計画が示され、幹細胞株化された細胞実験はどんどん進められた。こうして若山先生はSTAP細胞からES細胞様の細胞株と、キメラマウスを作製した時にSTAP細胞と同様に胎児と胎盤形成能を持つ性質のあるF1幹細胞の2種類の幹細胞株の樹立したことになった。次々とクローン化された細胞株が提案され、それを支持する実験が進められる中で小保方氏は自分の思いとかけ離れてゆく違和感を覚えたという。2012年8月若山先生は幹細胞の特許申請手続きを開始され、若山先生自身に51%、小保方氏に39%、バカンティ氏と小島氏の5%づつと配分した。春から投稿してきたスフェア―論文はサイエンスからも不採択となった。若山先生は「同じ論文は2度投稿することはできないので、幹細胞株化の論文を加えて2報を、一番コメントが優しいネイチャーに投稿しよう」と提案され、かつES細胞の混入による可能性を否定するため「ES細胞は同時に培養していない」という記述を加えた。2012年10月、iPS細胞のノーベル賞受賞の発表があった。この発表は若山先生に強い衝撃を与えたようで、ヘンな言動が見られた。若や先生の実験にはコントロール実験がなく、ストーリーに合うデーターのみを採用し、合わないデータは無視しるという姿勢で、ストーリーに向けてがむしゃらに走るという態度であったと小保方氏は述べている。小保方氏自身は再現することができない幹細胞株化の実験補助に翻弄され悩んでいたという。科学研究では最初に発表された論文のシニア―オ―サ―が第一発見者と認知される。バカンティ先生がシニア―オ―サ―となるスフェア―論文と若山先生がシニア―オ―サ―となる論文の同時投稿ではハーバード大学の先行性が薄まること、そして特許配分をめぐって著者間に不穏な空気が流れていたという。小保方氏は若山先生の都合に振り回され嫌気がさし「アメリカに戻りたい」と友人に打ち明け、東京女子医大の大和先生やハーバード大学の小島先生からは、山梨大学にはついてゆかない方がいいという助言がなされた。2012年10月小保方氏は若山研を離れ。アメリカに帰る決心をした。

 今後の研究方向を話し合うためにアメリカに出向いたとき、理研の西川副センター長より「小さな研究室のPIのユニットリーダーに立候補しないか」という誘いがあった。バカンティ先生は理研のPIなら応援するという賛意を戴いた。21012年12月21日に採用面接を受け、笹井先生を論文指導者として紹介された。これが運命的(いいか悪いか知らないが)笹井氏との出会いとなった。笹井先生の論文方針は「現在投稿している論文をアーティクルとして、若山氏が進めている幹細胞株化をレターとして同時にだす」ことになった。笹井氏はネイチャ-の論文を投稿して拒否にあったことは一度もないという論文作成の天才ともいわれたいた人である。そして12月26日細胞のネイミングを「SATP(刺激惹起性多能性獲得)」細胞という提案があった。年末年始はアメリカハーバード大学で実験をした後理研ODBに戻って論文書き直しが始まった。年初めに若山氏は山梨大学に移籍されて理研を去った。そして小保方氏は正式に理研の職員となった。小保方研究室にはアドバイザーとして西川先生と相澤先生の二人が付いた。3月11日、出版社に投稿を行う責任著者として、アーティクルの責任著者はバカンティ先生、レターの責任著者は若山先生のみであるが、窓口と責任著者として小保方氏も責任著者に加わって、ネイチャーへのweb投稿を行った。4月4日ネイチャーより「リバイス」(訂正 ただし6か月以内)の返事が来た。丹波先生も加わって笹井研でリバイス方針会議が開かれた。リバイスの間に特許配分に関する著者間の折衝が行われたが、ハーバード大学と若山先生との間の溝は埋まらなかった。オ―サ―シップという論文の著者の順番について、論文の第一栄誉を与えられるシニアオ―サ―(ラストオ―サ―)については、アーティクルはバカンティ先生、レターは若山先生となった。要求されたリバイス内容は若山先生関係のSTAP細胞株樹立のものが多かった。小保方氏は何度もSTAP細胞株樹立の実験を行ったが再現することはできなかったという。笹井氏がレター論文著者に加わってほしいという若山先生の依頼があった。若山先生が笹井先生に論文化の主導権を渡すことは、若山先生が論文への責任を放棄するように小保方氏には見えた。またネイチャー編集部よりアーティクル論文のSTAP細胞株化のデーターの一部を加える様にという指示が出された。小保方氏自身が再現に成功していない細胞株化が論文の最後を飾ることになり、小保方氏は戸惑った。2013年4月7日ネイチャーへの修正論文を提出し、次世代シーケンサーによる遺伝子解析データを追加して、11月15日コメントに沿った再投稿を行った。2013年12月21日、ネイチャー誌より正式に論分のアクセプトの知らせが来た。受理から短期間での出版、海外メディア向けの記者会見、そして理研CDBの記者会見の準備があわただしく行われる中で、小保方研究室の立ち上げとスタッフの募集も行われた。2014年1月28日、13時より国内記者会見、23時より海外メディア記者会見が行われた。国内記者会見の司会は笹井先生、小保方女史のプレゼンテーションが行われた。笹井先生によるiPS細胞との比較説明が分かり易かったようで、報道ではiPSよりも簡単に万能細胞ができると大きく紹介されることになった。29日の夜から報道合戦が始まった。どこの世界のことかと思うような違和感を覚えたと小保方女史は振り返っていう。

(つづく)

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読書ノート 小保方晴子著 「あの日」 (講談社 2016年1月)

2017年04月28日 | 書評
STAP幹細胞問題をめぐる前代未聞の理研ODBスキャンダルはどうして起こったのか 第3回

1) 小保方氏の研究業績 スフェア細胞の確立(ハーバード大学バカンティ研究室)  (その2)

 バカンティ先生によりPNSAという雑誌に投稿された論文は「訂正(リヴァイス)」という回答があり、キメラマウス作製を必要とする見解であった。何度かの応答の後の決定は「採択せず(リジェクト)」であった。多能性幹細胞の研究では、やはり①Oct4などの多機能マーカー発現の確認、②生体外・生体内出の分化機能の確認、③キメラマウスの作製が実験の定石のようになっていた。その時PNSA志に東北大学の「ミューズ細胞」論文が掲載され、日本で第三の多機能性幹細胞して話題になっていることが知らされた。東北大学の論文ではヒト細胞が用いられ、キメラマウスの実験は求められないことがみそであった。東京女子医大大和雅之研究室にはES細胞を扱ったことがないので、東京女子医大大和先生、ハーバード大学小島先生、早稲田大学常田先生そして小保方氏ら5人で、2010年7月20日キメラマウス作製の第一人者であった理研ODB(神戸)の若山先生に協力依頼に出向いたという。若山先生の言うことには、ES細胞であってもキメラマウスのできやすさにはばらつきがあること、そして結果は実験者の手技によるところが大きいとことであった。キメラマウスができるには、まず初期胚とスフェア細胞が融合してくれなければならない。他の細胞と融合した初期胚のことを「キメラ胚」と呼ぶ。融合法には針で刺す注入法、凝集法などがあり、若山氏の実験では予想以上にうまくキメラ胚が得られた。キメラ胚はすでに着床状態にある(偽妊娠下)母マウスの卵管か子宮に移植される。2回の実験ではキメラマウスが生まれなかったり、ほんの一部の皮膚にDRFの蛍光発色が確認されただけだった。しかしパンダ上のキメラマウスではなく組織を作っているというより、組織内に散在しているようであった。一方東京女子医大側グループの小保方氏らは、効率のいいOct4陽性細胞の作製法を検討する中で、LIF(白血病抑制因子)を培地に添加することや、細いガラス管に何度も通すことのストレス処理によってスフェア幹細胞出現が高まった。生体内で高い頻度で現れないスフェア幹細胞は実験系において効率化されうる希望を生んだ。小保方氏は博士課程終了後の進路としてハーバード大学のバカンティ先生の博士研究員の道を選択した。「スフェア幹細胞」のテーマで博士審査会と博士論文を申請した。あわただしい中で論文訂正を行い最終期限に提出することができたが、最終でないバージョンを製本屋に出したことが後日の大問題になったのである。こうして博士号を取得し留学を決めた。ビザ申請に手間取っている間、神戸の理研CDBの若山研究室にOct4-GRFマウス(Oct4遺伝子を持てば緑色に光るマウス)を使った実験を実習した。実験を重ねるにつれ、最初光っていなかった体細胞(Oct4陰性)がストレスを加えることで光りはじめる(Oct4陽性に変化する)現象を捉えることができた。様々なストレス条件を試みるうちに、細いガラス管を通すストレス、浸透圧を加えるストレス、ストりプトリジンO薬剤暴露ストレス、熱ストレス、低栄養(飢餓状態)ストレスなどで、小さな幹細胞が生まれる頻度が高まった。ストレスに共通してことは、細胞壁に損傷を与えることであった。体細胞の細胞質に細胞の分化を維持する因子があるという仮説に気が付いた。こうした細胞質を操作して幹細胞化するアイデアに強く引きつけられたと小保方氏は回想している。ES細胞でもミトコンドリアの数は少なく、細胞維持因子はミトコンドリアの内にあるかもしれない。そこでOct4陽性スフェア細胞のミトコンドリアに注目して、その活性遺伝子発現量が普通の細胞に比べて減少していることが分かった。アメリカ留学ビザが下りた時若山先生から、理研研究員のポストのオファーを受けたが、ハーバード大学の約束から結局アメリカに旅立った。日本に帰ってきてからもストレス条件の実験は続き、細胞膜修復因子としてミトコンドリアのアデノシン三リン酸(ATP)というエネルギー関連核酸に注目した。ストリプトリジンOで体細胞膜に穴をあけ、ATPを添加した。弱酸性に培養緩衝液のPH(PH7.4 →5.7)が変化した。ストリプトリジンO薬剤処理はあってもなくても構わずに、ATP酸処理に曝すだけで緑に光る細胞塊の創出が可能になった。生体内で損傷した部位にOct4陽性スフェア細胞が生み出されるかどうかの実験を行った。外傷モデル、逆流性食道炎モデル、リンパ球モデルにおいて蛍光顕微鏡の色フィルターを変えて(陽性細胞は緑フィルター、死細胞は赤フィルター)、ストレスをかけたのちの自家蛍光ではなく、緑に光る細胞の存在を確認した。理研の若山先生はあくまでキメラマウス作製が最重要データーであり、iPS細胞のような無限増殖幹細胞の可能性を追うべきだ」という見解である。マウスのiPS細胞は赤ちゃんマウスの細胞から作製されているので、スフェア細胞の作製の場合も赤ちゃんマウスから出発すべきだという若山先生の助言は的中し、Oct4陽性細胞の頻度は数倍に上がった。生体内で若齢の方が損傷部位に現れるOct4陽性の数が多いとしたら、この現象が組織の維持・修復に役立っていると考えられた。2011年10月ごろから若山研究室はキメラマウス作製計画が本格的に行われたが、何度やってもES細胞のようなキメラマウスはできなかった。小保方氏はこのOct4陽性スフェラ幹細胞からキメラマウスができないのも重要な結果の一つで、彼女自身はストレス細部の変化現象を論文化しようと考えていた。若山氏はクロ―マウスを作り易い系統のマウスがあり、ES細胞にもES細胞を作り易いマウスの系統があるので、Oct4陽性スフェラ幹細胞のキメラマウス系統を検討したいという考えであった。若山氏はキメラ細胞ができたという連絡を受け取ったが、その現場に立ち会うことも、その手法の詳細も実技の伝授も明らかにされなかった。すべては若山氏の腕のせいにされた。ここで10年の理研PI任期が切れた若山先生は2013年4月から山梨大学教授として転出された。ここまでの小保方氏は細胞組織培養の研究者であり、若山先生は胚操作の経験豊富なクローン技術者であるという印象で描かれている。

(つづく)
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読書ノート 小保方晴子著 「あの日」 (講談社 2016年1月)

2017年04月27日 | 書評
STAP幹細胞問題をめぐる前代未聞の理研ODBスキャンダルはどうして起こったのか。 第2回

1) 小保方氏の研究業績 スフェア細胞の確立(ハーバード大学バカンティ研究室) (その1)

 小保方氏は卒論研究を早稲田大学応用化学科常田研究室にて行う。常田研究室は環境問題をテーマとした研究室であったが、大学院の修士課程では組織工学(細胞と足場となる材料を用いて生体外で移植可能な組織を作り出す)による再生医療を志したという。組織工学は1993年ハーバード大学のバカンティ教授が人の耳を背負ったマウスの発表に端を発する。バカンティ教授は生体高分子で人の耳の形を成形し、軟骨細胞を培養し、免疫不全マウスに移植したのである。医学と工学の連携で嗄声医療研究の先駆けとなった。2006年共同研究相手の東京女子医大先端生命医学研究所大和雅之研究室で研究することになった。そこではマウス真皮由来の繊維芽細胞3T3細胞を用いた「細胞シート」技術による再生医療の研究を進めていた。なお2006年は京都大学の山中伸弥教授らがマウスの人工多能性幹細胞(iPS細胞)の研究成果を発表した年であった。ここで発生生物学の知識をみてゆこう。受精卵は最初「全能性」とよばれる、胎児と胎盤(胚胎外組織)のすべての組織を形成できる能力を持つ。胎児を形成する細胞は、体のどんな組織にもなれる「多能性」を持つ。皮膚、骨、内臓、血液など特定の機能を持った細胞に変化することを「分化」と呼ぶ。遺伝子DNAを包むたんぱく質の構造に変化がおき、徐々に発現不要な遺伝子情報部分に鍵がかかり、特定の細胞に必要な遺伝子しか発現されなくなる。この組織分化の変化を「エピジェネティクス」と呼ぶ。iPS細胞以前には、分化した細胞の核を、あらかじめ核を除いた未受精卵の中に移植する「核移植」と呼ばれるクローン技術が細胞を初期化できる唯一の方法であった。iPS細胞は、分化した細胞に特定の4つの遺伝子を人工的に発現させるだけで細胞の初期化が行える画期的な技術となり、2012年山中教授はノーベル賞を受賞した。さて小保方氏は東京女子医大大和雅之研究室で、ラット口腔粘膜上皮細胞シートの作成を研究テーマとした。表皮は外肺葉系細胞であり、真皮は中胚葉の間葉系細胞である。1975年グリーン博士はやけど治療のため、増殖を止めた真皮細胞(3T3細胞)から上皮シートを作成した。この方法は目的の細胞培養に必要な増殖因子を送るために「フィーダーレイヤー法」と呼ばれる。上皮細胞シート移殖には自分の組織を用いる「自家移植」と、他の個体のそれを移殖する「他家移殖」がある。小保方氏の研究計画は「自家移植」であった。表皮の採集や培養実験の詳細は省く。移植後の上皮細胞の組織学的解析はケラチンの免疫染色法で光学顕微鏡観察で行われた。2007年シカゴで行われたバイオマテリアル学会で小保方氏は研究成果を口頭発表した。こうして東京女子医大大和雅之研究室での修士課程は修了した。博士課程は学術振興会特別研究員制度のD1に選ばれハーバード大学の小島宏司氏の紹介で。、2009年9月1日小保方氏はボストンのハーバード大学バカンティ教授の研究室に留学した。バカンティ先生が作った組織工学技術を用いて、小島先生は羊の気管を作る研究をおこなっておられ、最初小保方氏には羊の鼻腔粘膜上皮細胞シートを作ることが研究テーマになったという。軟骨組織である人工気管に上皮細胞シートを貼る「上皮・間充織相互作用」を目的とした研究の一環のテーマであった。細胞培養はインサート(下面に無数の小さな穴が開いて栄養を供給する)という培養皿を用いた。2001年バカンティ先生が提唱した概念で、胞子(スポア)のように環境ストレスに強い共通の幹細胞(胞子様幹細胞)が全身の組織に存在して、組織の修復・維持を担っているという説が一般的で、バカンティ先生は「スーパー幹細胞」の存在を予想した。骨髄からから採取した細胞を細いガラス管の中で20-30分通りし続け、小さな細胞のみを集めて無血清培地で培養すると「スフェア」と呼ばれる球状の細胞塊の形成が見られる。細胞膜表面たんぱくであるc-Kitは造血幹細胞や、骨など間葉系細胞に見られる。c-Kit陽性細胞がすべての幹細胞のマーカーたんぱく質ではないかという説もある。小保方氏はスフェア細胞から発現RNAを抽出し、逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)でcDNAを合成した。電気泳動バンドから「各組織に特異的な細胞になる前の幼弱な性質を保持している」遺伝子としてOct4を確認した。そこで代表的な成体幹細胞である間葉系幹細胞と神経系幹細胞が分化可能な細胞のすべてに分化できる能力を、このスフェア細胞から示すことが課題と考えた。この小保方仮説に沿った研究チームが結成され実験が始まった。
小保方仮設①: 「スポア様幹細胞はさまざまな組織から採集可能であり、かつ各組織に特異的な細胞になる前の幼弱な性質を保持している」を示すため、手分けして各組織のOct4遺伝子陽性細胞を調べた結果、中肺葉と内肺葉由来のスフェアではおよそ20個に1個で検出され、外肺葉由来スフェアでは50個に1個と低いhんどであるが検出された。こうしてスフェア細胞にOct4という多能性を示す遺伝子の発現がある事が示された。
小保方仮設②: 「スポア様幹細胞は現在存在が確認されている成体幹細胞の分化能を遥かに勝るのではないか」 細胞の分化能は「三胚葉の由来のすべての細胞に分化する能力」とされる。三胚葉とは外胚葉神経系、中胚葉である骨系、内胚葉である内臓系の三つの培地で培養し、細胞の形態変化、たんぱく質の免疫染色などを行い、スフェア細胞が三葉系すべての細胞種に分化できる証拠を得た。ES細胞などの多能性幹細胞は生体内に移植するとテラトーマを形成するが、スフェア細胞にはテラトーマを形成することはなかった。多能性を示す3つ目の方法とはキメラマウスの作製はバカンティ研究室では取り組むことはできなかった。この成果はバカンティ先生によりPNSAという雑誌に投稿された。1年のハーバード留学が終り、小保方氏は日本に帰国した。

(つづく)
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読書ノート 小保方晴子著 「あの日」 (講談社 2016年1月)

2017年04月26日 | 書評
STAP幹細胞問題をめぐる前代未聞の理研ODBスキャンダルはどうして起こったのか。 第1回



 小保方晴子著 「あの日」(講談社2016年1月)を読了して、全容の概要をまとめます。まず、研究者としてのすべてを否定され、地位を奪われた小保方さんの無念が伝わってきます。現役時代に同じような分野の研究をしてきた私にとって、書いてある生物科学的な内容はよくわかりました。「あの日」とはアメリカ留学に旅立った希望に満ちた日(2008年9月1日)のことだろうと思います。部外者の私としては、この書は「小説」と読んでもいいのですが、内容は100%科学と科学者の問題です。当たっているかどうは分りませんが、このスキャンダルの構図は以下のように思いました。

①  抗争の構図は、京都大学山中教授のiPS細胞再生技術に遅れを取った理研再生科学総合研究センターCDBの幹部研究者GDらの抗争です。登場主要人物は、自殺された小保方さんの論文指導者で副センター長笹井先生と、告発者として登場する山梨大学教授若山先生(その前は理研CDBの主任研究者PIだった)と、そして理研CDBの複数の幹部研究者です。彼らが小保方氏が東京女子医科大学のオーバードクター研究員としてアメリカ・ハーバード大学バカンティ教授と共同研究したいわゆる「STAP幹細胞」に注目し、クローン技術で有名であった魔法の手を持つと言われた若山氏が「STAF幹細胞」をキメラマウスで発現させるために理研に取り込んだことに端を発します。
② 私が理解できる範囲では小保方氏の「STAP幹細胞」(スフェア細胞)までは確実に再現できる学問的業績だと思う。問題は、それを先行するIPSを超える技術だと宣伝したものの、キメラマウス作製過程の再現性の問題があって若山氏はできたというが(ネイチャ―レターの部分)、検証実験では確認できなかったことに分けて考える必要があります。どうもこのキメラマウスの件は若山氏の先走りで再現が採れないことを黙っていたこと、およびそれが話題になることを避けるために論文撤回策動を行い、小保方さんに全責任を押し付けたことがこのスキャンダルの真相ではないだろうか。私はこの騒動の報道を見ていて、最初に感じたのが若山氏の怪しげな立場と言動であった。このスキャンダルは若山氏の正義感から出たものではなく、自己の責任を隠すための策動だと私は直感した。主著者として恥ずべき姿勢である。糾弾されるのは小保方氏ではなく、若山氏であった。それを覆い隠したのがメディアの魔女狩り的大報道であった。目くらましの術にたけた若山氏は恥ずかしくないのだろうか。確信犯が恥ずかしがるわけでもないが、それを許している理研組織の腐敗の罪の方が大きい。
③ ネイチャー掲載論文(論文とレター)の反響が大きく報道され、STAP細胞に過剰な期待が先走りしたため(iPS細胞再生技術とは研究レベルが違い過ぎるのは明白だったが)、疑惑が発生した時かえってメディアの反動が大きすぎた。
③ 昔からネイチャーやサイエンス掲載論文の何割かは「ガセネタ」といわれ、生物学研究の先陣争いは過熱していた。間違いや先走りは日常茶飯事であった。
④ 理研幹部研究者にSTAP細胞反対派(というより個人的抗争)が、第3者が知ることができない情報、データーを執拗にメディアにリークし、デマ騒動を煽った。チーフ著者であった若山氏自身の告発(ゲル電気泳動写真の誤引用)を引き金にして、理研内の反対派が結束し、それに理研幹部連が絡んで内部スキャンダルが理研を覆い尽くした。ここからがスキャンダルの始まりである。2,3の幹部は小保方氏擁護にまわったが、反対派がリークする怪しげな情報によってメディアの小保方叩きは収まらなかった。
⑤ メディア全体の「社会的制裁」は峻烈を極め、科学的業績の判別が不可能になった。そのメディアを利用し事態を有利に展開した若山氏と「STAP幹細胞」反対派の全面勝利となり、笹井氏は自殺した。若山山梨大学教授は最初STAF細胞を研究に取り込み、ネイチャ論のチーフ著者(論文の最期に書かれる著者)であったにもかかわらず、論文の取り下げを主張したという矛盾は説明できない。論文の主著者が掲載されるまでデータの瑕疵に気が付かなかったとは奇異の思える。論文の主著者は論文の訂正や擁護に回るはずの若山氏が若い研究者に全責任を転化するという倫理観の欠如はいただけない。これは罠としか思えない。自分がチーフ著者である立場と責任をすっかり忘れているほど厚顔無恥であったのだろうか。理研内における抗争の相手として笹井副センター長を陥れるために、その部下であった小保方氏をエスケープゴートに仕立て上げ、小保方氏を叩き潰すことで笹井氏の追放を狙った一幕の惨劇であった。理研アカデミズムの内幕はそれほどえげつない政治的手法がまかり通るような世界であった様だ。
⑥ 理研の調査委員会構成の摩訶不思議さと結論ありきの高圧的姿勢は、政府の専門家審議会の常套的手段とそっくりである。告発者でかつ論文チーフ著者である若山氏が、自分も被告であるにもかかわらず、調査委員会に出入りしデータ、情報を提供していたという。調査する主体と被告者が一体化していた事実は理研の幹部連の腐敗ぶりを如実に表している。つまり理研CDB全体がSTAP細胞全否定派で占められていたこと、そして若山氏が鵺的存在で自分の責任は免れる立場にあったことを示す。調査委員会しか知らない内部情報ががメデァにリークされ、メディアの世論形成が理研幹部の思い通りになった。なんか今の政治手法を見ているようです。
⑦ そしてこのスキャンダルは文科省も絡んだ「理研CDB解体論」にまで発展した。内部スキャンダルは外部に利用される。
⑧ 早稲田大学の小保方氏の博士号剥奪は、メディアにこびた前代未聞の茶番劇である。さらに分子生物学会会長の数度の声明は、メディアの火花を避ける自己保身と誰かの根回しが感じられ、生物科学アカデミアのどろどろした体質が感じられる。 ⑧ このスキャンダルには、弱いものを叩きのめすという奴隷根性むき出しのメディアの暴力性、そしてジェンダー論も絡んでいるようです。ジェンダー論の大御所上野千鶴子先生のからの追求を期待します。
⑨ もっとも弱い若い女性を叩くというサディスチックな隠微な体質を持つメディアは、そんなことをするより、政府にたいして健全な意見を言うべきです。電波法を引き合いにして営業停止をちらつかせて政府にたいする反対意見を封じ込め、大政翼賛会を作ろうとする安倍政権に対して、きちんとものをいうべきです。
⑩ 小保方さん、正しいと思う様に生き抜いてください。自殺しないでください。いずれ真相が明らかになり、名誉回復がやってくることを祈ります。政治家も一度は刑務所に入らなければ本物ではないと言われます。かってプルサーマル原発燃料問題で政府を厳しく追及した佐藤栄作福島県知事は汚職問題をでっちあげられ、知事の職を追われました。権力の前に曝された個人は無力かもしれませんが、信念を曲げない人が立派です。

以下のまとめには、小保方氏の個人的感想や個人的言動はできるだけ避けて、科学的事実だけで語らしめることにします。パッシング拷問を受けた人、自殺した人の気持ちを取り上げないのはおかしいですが、感情的な敵味方論に陥らないためにはやむを得ません。又このスキャンダルの全貌を理解するには、小保方氏の手記だけでは不十分と思われる。笹井芳樹氏、若田山梨大学教授の二人の人物を併せ考えなければならない。それにはかなりの調査が必要で、読書ノートの範疇ではない。だからこの問題を考える上でのとっかかりとして小保方氏の手記をまず取り上げると了解したい。笹井氏の遺書さえ私達には読めない状況で、ネット上では様々な情報が飛び交っており、いちいち取り上げていたら混乱するばかりである。ただ不思議なことに、笹井氏と若山氏では役者が違いすぎる。笹井氏は京都大学医学部卒で京都大学再生医科学研究所教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)グループディレクター、同 副センター長である。かたや若山氏は茨城大農学部獣医学科卒で、学歴だけの問題ではないが学力が違い過ぎるのである。学者とテクニシャンを比較するようなもので普通なら喧嘩にもならない。そして若山氏は英語が大の苦手だという。こんな初歩的なことさえ疑問なのである。報道されない何か裏がありそうに思われる。理研という伏魔殿の組織にもメスを入れなければならない。

(つづく)
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