ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

浅田真央 グランプリファイナル ショートプログラム 二位発進

2008年12月13日 | 時事問題
asahi.com 2008年12月12日21時13分
GPファイナル SP首位、男子は小塚、女子は金妍児
 【高陽(韓国)=坂上武司】フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルが12日、当地のリンクで開幕し、女子ショートプログラム(SP)は、3連覇のかかる地元の金妍児(キム・ヨナ)(韓国)がジャンプでミスがあったものの首位。3大会ぶりの優勝を狙う浅田真央(愛知・中京大中京高)は連続ジャンプの二つ目が回転不足となり、0.56点差の2位につけた。男子SPは初出場の19歳、小塚崇彦(トヨタ自動車)が自己ベストの83.90点で、2位に5.64点差をつけて首位に立った。


読書ノート 堂目卓生著 「アダム・スミス」 中公新書

2008年12月13日 | 書評
「道徳感情論」、「国富論」への案内 第3回

序(3)

 政府による市場の規制を撤廃し、競争を促進することによって経済成長率を高め、豊で強い国を作るべきだという経済学の祖アダム・スミスの「国富論」はこのようなメッセージを持つと理解されてきた。しかしスミスは無条件に自由放任主義をそういったのだろうか。本書、堂目卓生著 「アダム・スミス」は「道徳感情論」と「国富論」を読んで、一貫して流れる社会の秩序と繁栄に関する一つの思想体系を提示している。文脈の中のアダムスミスの言い分を再構築するのが目的である。アダム・スミスは生涯二つの著作だけを残した。「道徳感情論」(1759)と「国富論」(1776)である。「道徳感情論」を「国富論」の思想的基礎として重視する解釈が主流になりつつあるという。本書は第一部に「道徳感情論」、第二部に「国富論」を等しい比重で取り上げている。「道徳感情論」では社会の秩序と繁栄を導く人間本性に関する考察、「国富論」では社会の繁栄を促進させる一般原理、重商主義と植民地主義の歴史、今英国がなすべき事が検討されている。「国富論」は「道徳感情論」の考察に基づいて展開されている事が明白である。本書を読んで先ず驚いたのは、いかにも平易に書かれていることだ。極めて単純な定理を導いて結論にいたる様に設計されている。著者の頭が明晰な証拠であろう。経済は複雑に解説しようと思えばいくらでも煙に巻くことが出来る。入門書として読者に恐怖を与えまいとする筆者の心遣いであろうか、引用は簡潔を極め結論は単純である。素人なりに納得できれば次は自分の力で「道徳感情論」、「国富論」を読めばいいという考えらしい。次は本棚に鎮座まします黄色く変色した「国富論」を手にしてみるか。蛇足であるが、本書を読んでその格調の高さ、平易さ、根本的考察は明治開明期の福沢諭吉「学問のすすめ」に近い感激を覚えた。腑に落ちたという感じであった。


読書ノート 辻井喬 上野千鶴子対談 「ポスト消費社会のゆくえ」 文藝新書

2008年12月13日 | 書評
セゾングループの歩みから日本の消費社会を総括し、ポスト消費社会の姿を探る
第9回


1970年代ー1980年代  黄金期 拡大路線と変貌 (1)

 1968年から1982年が西武百貨店の黄金時代である。68年に渋谷百貨店、1973年渋谷パルコ、1975年に池袋店九期改装が続いて、1982年池袋店が単店舗で年間売上日本一になった。まさに上昇気流に乗った時期であった。西友ストアーというスーパーと百貨店の二面作戦がうまくいいっていた時代である。時代は団塊世代が世に出て核家族化が新しい消費生活を生み出した。「手を伸ばすと、そこに新しい僕たちがいた」というキャッチフレーズは当事者たちがまだ手に入れてない未知のライフスタイルを提案する西武百貨店の挑戦であった。西武百貨店の宣伝戦略はいつも時代の先端にいた。当時宣伝の御三家といえばサントリー、資生堂、西武であった。1979年の池袋店十期改装は空前絶後の広告の黄金時代であった。この時代は企業のCI(コーポレーテッドアイデンテティ)つまり、イメージキャンペーンが確かに力を持っていた。商品を売り込むのではなく企業イメージを売り込むのであった。パルコはテナント業という不動産業であるので、企業イメージ広告を打てばよかった。パルコは売るのは空間で商品ではなかった。この時代の広告コピー(クリエーター)として有名な糸井重里などがパルコの周辺で活躍していた。有名人を使うキャラクター広告はCMの敗北である。ところが1982年「おいしい生活」、「うれしいね、サッちゃん」というキャラクター広告が西武に現れ、ここで時代が変化してきたようだ。消費者が小売業に対して求めるものが無くなって来た。自分の生活に支障をきたさない程度に物があれば十分だ。大衆消費社会から個人消費の時代になったというわけだ。市場飽和とも云う。

文藝散歩 「ギリシャ悲劇」

2008年12月13日 | 書評
啓蒙・理性の世紀、紀元前5世紀都市国家アテネの繁栄と没落を描くギリシャ悲劇 第15回

丹下和彦編 「ギリシャ悲劇」 中公新書 (14)

4)ソポクレス 「オイディプス王」-知による自立 (1)

 知が人間を自然の猛威から守り、生活の安定と向上に寄与する有力な武器になった。ギリシャ人が創造した知性の一人がオデュセウスであるなら、オイディプスは今一人の知性の人である。怪物スピィンクスのなぞ掛けを解いてテバイの民を救ったとされる。オデュセウスの知性が文明の道具であるなら、ソポクレスの描いたオイディプスの知性は知る事自体が崇高な目的となる、生きることの意味を探求することであった。劇のストーリを見ておこう。オイディプス治下のテバイに疫病が発生し、国を疲弊させていた。その原因をデルポイの神託に尋ねると、先王ライオスの殺した犯人を探し出して、処刑か追放しなければ疫病は収まらないというクレオンの宣告であった。オイディプスは治者として犯人探しに邁進する。そこに預言者テイレシアスが現れて、オイディプスこそ犯人であるという。身に覚えのないオイディプスは激昂して王妃イオカステの慰めも効果はなかった。しだいに不安になったオイディプスに父親殺しと母子相姦の神託が覆いかぶさる。オイディプスはコリントスの父母の子であると思っていたが、実は捨て子をコリントス王が拾って育てたのである。その捨て子とは先王ライオスと王妃イオカステの生んだ子で、生まれた時に預言者が「父親殺しと母子相姦」を宣告するので、王妃イオカステが山の中に捨てたのであった。ある出来事で先王ライオスを殺害していたオイディプスはテバイに入って王となり母イオカステを妻としたことを知った。過去の秘密を知ったオイディプスは自らの手で目を潰し、盲目となってテバイを離れたのである。

自作漢詩 「雨過江村」

2008年12月13日 | 漢詩・自由詩
作夜雨過山影     作夜雨過ぎ 山影微なり

林疎晴日錦楓     林疎に晴日 錦楓飛ぶ

飢烏曝背空中墜     飢烏背を曝して 空中より墜ち

寒雀廻村樹上     寒雀村を廻り 樹上に帰る
 
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(赤い字は韻:五微 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)