悲惨な戦争体験によって日本人は内発的に普遍的価値である憲法9条を選んだ。これは誰にも変えられない日本人の無意識となった。 第6回
2) カントの平和論―哲学的平和論 (その3)
柄谷行人著「トランスクリティーク カントとマルクス」(岩波現代文庫 2014 )によってカント哲学の意義を見てゆこう。
カントは「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」の三批判書を書き、批判哲学を提唱して、認識論におけるいわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。カントの道徳的=実践的とは、善悪の倫理ではなく、自由の問題であった。「自分および他者の人格における人間性を、手段としてではなく目的として行為せよ」という。カントの道徳は漸進的に実践せよという意味で、抽象的であるとはいえアソシエーション(連帯)の実践を要求するのである。だからカントは「ドイツ社会主義の真の創設者」と言われる。他者を手段としてのみ扱う資本制経済において、カントのいう「自由の王国」とはまさにコミュニズムを意味するとされる。共産主義、ユートピア社会主義やアナーキストの主張の先駆をなすが、このような思想は資本制経済の発展の前に消されてしまった。著者柄谷氏は自身をアナーキストと呼び、「社会主義国家」に共感を持ったことは一度もなかったと告白する。にもかかわらずマルクスに敬意をいだいていたという。柄谷氏はマルクス「資本論」は単に経済学の書であるだけでなく、さらには資本の欲動と限界を明らかにし、根底にある人間の交換コミュニケーションに付きまとう困難性を発見する批判の書であるという。資本論には資本制から抜け出す道やユートピア社会コミュニズムは説かれてはいない。それは実践的な課題としなければならないとすると、カントの「純粋理性批判」という書が対極にあるという。柄谷氏は1989年に東欧とソ連が崩壊した時以来、未来について語らなければならないと感じ、カントを考え始めたという。カントは形而上学に対するヒュームの懐疑論を批判した。柄谷氏は嘲笑されてきた共産主義(コミュニズム)という形而上学を取り戻すため、カントの超越論的主体を想定した「純粋理性批判」に着目した。著者は20世紀末から日本でアソシェーショニストの運動NAMを始めた。グローバル資本制の資本ー国家ー国民という三位一体の現状を揚棄する現実の運動が世界で起こっている。人間の主観的能力の限界を超えるという意味で「超越論的」で、主観性の哲学ではなく、モノ自体への転回で、他者を中心とする思考への転回であった。カントの3批判書は、それぞれ科学認識(純粋理性批判)、道徳(実践理性批判)、芸術(判断力批判)を対象とした。どこにおいてもカントは普遍性を要求する。カントが一般性と普遍性を区別したことは近代科学の証明問題に発する。科学認識における実証性の困難はヒュームの懐疑論では、経験の一つから全称命題(普遍性)は導けないとして、法則は慣習的でしかないという。地上にいる限りコペルニクスの地動説は証明できない。仮説として名大を設定した時、より正確に天体運動が記述できるとしても地球が動くことを証明したことにはならない。ギリシャ時代に地球が動くと主張した人がいたが、それはセントラルドグマにはならなかった。ベーコンは実証から帰納して普遍法則が得られるとした。命題の反証可能性を乗り越えたものが真理なのかもしれないが、カントはある命題が普遍的であるのは、アプリオリに先験的に与えられたからではなく、それを反証しようとする他者(批判者)を想定するからであるという。他の主観が賛同する、合意するという共同主観性(共通感覚)が多いから普遍性を持つのではない。カントの時代には形而上学は嘲笑の的であった。形而上学は何ら経験に負わない思念をあたかも実在するかのように取り扱っていたからだ。それでもカントは「純粋理性批判」において、理性の本性が理性に要求する「超越論的批判」に立ち向かった。他人の視線から考察すると強い視差(矛盾、二律背反)を感じる。反省とは他人の視線で自分を見ることであろう。科学における異論も実践的であるほかはない。それは自然が解明できるはずだという「整統的理念」つまり「理論的信」がなければならないという。自然は自分を語らない以上、科学的仮説(現象)を反証するのは、モノではなく未来の他者が語るのである。その他者を先取りすることを「思弁的」と名付けた。それは仮象であってもなくてはならない仮象「超越論的仮象」と考えた。西洋に自然科学が誕生したのはこのような「理論的信」があったがためである。カントは理論もまた仮象であれ、「理論的信」という信仰がなければ成り立たないとしたのである。 カントが理科系(物理)出身者だったことはあまり知られていない。そのせいかどうかカントは数学基礎論から科学哲学に詳しい。分析的であるがために確実だとみなされていた数学をアプリオリな綜合的判断とみなした点でカントの特徴が出ている。ライプニッツは「自同的真理に還元できる」分析的判断のみが真理であると考えた。つまり矛盾律d家で証明できる判断である。カントはヒュームの懐疑論を批判して、「彼は純粋数学は分析的命題だけを含むが、形而上学はアプリオリな綜合的命題を含むという過ちを犯した。数学は形而上学と全く同じに総合的認識とみなさざるを得ない」といった。ユークリッドの「原理」以来、数学は定理が一定の公理から矛盾なく導き出されることにあった。これでは多様な数学の展開は期待できない。カントが数学を総合的判断とみなそうとすることは、プラトン以来の形而上学を批判することであった。
(つづく)
2) カントの平和論―哲学的平和論 (その3)
柄谷行人著「トランスクリティーク カントとマルクス」(岩波現代文庫 2014 )によってカント哲学の意義を見てゆこう。
カントは「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」の三批判書を書き、批判哲学を提唱して、認識論におけるいわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。カントの道徳的=実践的とは、善悪の倫理ではなく、自由の問題であった。「自分および他者の人格における人間性を、手段としてではなく目的として行為せよ」という。カントの道徳は漸進的に実践せよという意味で、抽象的であるとはいえアソシエーション(連帯)の実践を要求するのである。だからカントは「ドイツ社会主義の真の創設者」と言われる。他者を手段としてのみ扱う資本制経済において、カントのいう「自由の王国」とはまさにコミュニズムを意味するとされる。共産主義、ユートピア社会主義やアナーキストの主張の先駆をなすが、このような思想は資本制経済の発展の前に消されてしまった。著者柄谷氏は自身をアナーキストと呼び、「社会主義国家」に共感を持ったことは一度もなかったと告白する。にもかかわらずマルクスに敬意をいだいていたという。柄谷氏はマルクス「資本論」は単に経済学の書であるだけでなく、さらには資本の欲動と限界を明らかにし、根底にある人間の交換コミュニケーションに付きまとう困難性を発見する批判の書であるという。資本論には資本制から抜け出す道やユートピア社会コミュニズムは説かれてはいない。それは実践的な課題としなければならないとすると、カントの「純粋理性批判」という書が対極にあるという。柄谷氏は1989年に東欧とソ連が崩壊した時以来、未来について語らなければならないと感じ、カントを考え始めたという。カントは形而上学に対するヒュームの懐疑論を批判した。柄谷氏は嘲笑されてきた共産主義(コミュニズム)という形而上学を取り戻すため、カントの超越論的主体を想定した「純粋理性批判」に着目した。著者は20世紀末から日本でアソシェーショニストの運動NAMを始めた。グローバル資本制の資本ー国家ー国民という三位一体の現状を揚棄する現実の運動が世界で起こっている。人間の主観的能力の限界を超えるという意味で「超越論的」で、主観性の哲学ではなく、モノ自体への転回で、他者を中心とする思考への転回であった。カントの3批判書は、それぞれ科学認識(純粋理性批判)、道徳(実践理性批判)、芸術(判断力批判)を対象とした。どこにおいてもカントは普遍性を要求する。カントが一般性と普遍性を区別したことは近代科学の証明問題に発する。科学認識における実証性の困難はヒュームの懐疑論では、経験の一つから全称命題(普遍性)は導けないとして、法則は慣習的でしかないという。地上にいる限りコペルニクスの地動説は証明できない。仮説として名大を設定した時、より正確に天体運動が記述できるとしても地球が動くことを証明したことにはならない。ギリシャ時代に地球が動くと主張した人がいたが、それはセントラルドグマにはならなかった。ベーコンは実証から帰納して普遍法則が得られるとした。命題の反証可能性を乗り越えたものが真理なのかもしれないが、カントはある命題が普遍的であるのは、アプリオリに先験的に与えられたからではなく、それを反証しようとする他者(批判者)を想定するからであるという。他の主観が賛同する、合意するという共同主観性(共通感覚)が多いから普遍性を持つのではない。カントの時代には形而上学は嘲笑の的であった。形而上学は何ら経験に負わない思念をあたかも実在するかのように取り扱っていたからだ。それでもカントは「純粋理性批判」において、理性の本性が理性に要求する「超越論的批判」に立ち向かった。他人の視線から考察すると強い視差(矛盾、二律背反)を感じる。反省とは他人の視線で自分を見ることであろう。科学における異論も実践的であるほかはない。それは自然が解明できるはずだという「整統的理念」つまり「理論的信」がなければならないという。自然は自分を語らない以上、科学的仮説(現象)を反証するのは、モノではなく未来の他者が語るのである。その他者を先取りすることを「思弁的」と名付けた。それは仮象であってもなくてはならない仮象「超越論的仮象」と考えた。西洋に自然科学が誕生したのはこのような「理論的信」があったがためである。カントは理論もまた仮象であれ、「理論的信」という信仰がなければ成り立たないとしたのである。 カントが理科系(物理)出身者だったことはあまり知られていない。そのせいかどうかカントは数学基礎論から科学哲学に詳しい。分析的であるがために確実だとみなされていた数学をアプリオリな綜合的判断とみなした点でカントの特徴が出ている。ライプニッツは「自同的真理に還元できる」分析的判断のみが真理であると考えた。つまり矛盾律d家で証明できる判断である。カントはヒュームの懐疑論を批判して、「彼は純粋数学は分析的命題だけを含むが、形而上学はアプリオリな綜合的命題を含むという過ちを犯した。数学は形而上学と全く同じに総合的認識とみなさざるを得ない」といった。ユークリッドの「原理」以来、数学は定理が一定の公理から矛盾なく導き出されることにあった。これでは多様な数学の展開は期待できない。カントが数学を総合的判断とみなそうとすることは、プラトン以来の形而上学を批判することであった。
(つづく)