ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 津野海太郎著 「読書と日本人」 岩波新書(2016年)

2018年08月17日 | 書評
本は何のために読むか、読書の歴史から時代の変遷を見る 第8回

2) 乱世日本のルネッサンスー室町時代

若き菅原道真の夢だった、「自分だけの閉じた小さな部屋」(書斎)はいつ実現したのだろうか。それは室町時代後期1480年、応仁の乱が収まって後八代将軍足利義政が築いた山荘「東山殿」(慈照寺 銀閣寺)においてであった。東求堂の裏側にある「同仁斎」の学がかかった小さな部屋が日本で初めての書斎です。平安貴族の寝殿造りは、武家の書院造りによってとってかわられたのです。壁や引き戸で区切られた空間、畳敷き・床の間・違い棚・引き違い襖など今日まで続く和風建築の基本が形作られました。広さは四畳半ぐらいです。書院造りには「会所」という社交場が併設されていました。当時の文化人には「実隆公記」という日記で有名な三条西実隆という文人・公家さんがいました。室町期の文化については、私は「日本の乱世 室町時代を歩く」という室町期の文化状況の評論集をまとめました。併せてお読みください。①永井路子著 「太平記」 文春文庫、②山崎正和著 「室町期」 講談社文庫、③世阿弥著 「風姿花伝」 岩波文庫、④水上勉著 「一休文芸私抄」 中央文庫、 ⑤卜部兼好著 「徒然草」 岩波文庫 を総覧したものです。実隆公を論考した原勝郎氏の「東山時代における縉紳の生活」(1917年)は、1485年公家実隆と連歌師宗祇らの源氏物語読書会の事を記しています。身分を乗り越えた自発的な読書や議論の楽しみに基づく学問への欲求が高まっていました。源氏物語が男の読書生活に組み込まれた最初は鎌倉時代の歌人藤原定家に始まります。定家は承久の乱後十数年で、源氏物語、古今集、後撰集、千載集、伊勢物語、大和物語、土佐日記など、おびただしい写本を行いました。この作業は一族の女性の力をフル動員し「青表紙本」となって完成しました。宮廷の女性たちを最初の読者とする源氏物語が、その後定家を始まる古典運動をへて、一般人や武士層にまで広まってゆきました。身分を越えて混合し合うこれが乱世の文化運動です。室町後期から戦国時代の戦乱は階級を越えて人々を混合し溶融して新しい文化を創造することができたのです。大正時代の原勝郎の足利室町時代=ルネッサンス論は1960年代によみがえりました。男性社会を規定した漢文は、9世紀後半に誕生した平かなにとって代わられてゆきます。鎌倉・室町時代には漢文を読む知識人は少なくなりました。1220年頃叡山座主の慈円は歴史書「愚管抄」を和漢混交文(仮名交じり文)で書きました。慈円は摂政関白家九条兼実の弟で、指導的な貴族階級知識人です。彼の時代にはもはや漢文では理解できない世の中になりましたので、漢字仮名交じり文(無論片仮名ですが)で貴族と武士に歴史書を書いたのです。公文書、私文書を問わず家計書、日記、手紙などにいたるまで平仮名交じりの文章が13世紀鎌倉時代に現れ、室町時代に爆発的に増加しました。では目に一文字もない人々にはどうしたら伝達できるのか、国家鎮護の比叡山仏教に対抗する新興庶民宗教であった浄土真宗の中興の祖蓮如上人は「御文」という形で工夫を凝らしました。漢文で書かれた宗祖親鸞の「教行信証」は庶民には到底理解できないので、御文「相手を考え、何事も十分の一に縮め、あっさり理解しやすいようにした。」にしたという。それだけでなく句読点に相当するスペースという間を取って、読みやすい文を心がけた。それに比べると「愚管抄」は男性貴族の漢文調の匂いが強いが、「御文」はやわらかな口語文に近い。蓮如は文によるこけおどし的な威厳という面を振り捨て、ひたすら読みやすいように、大量の平易な文章を全国の宗教拠点に配布したのである。

(つづく)
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読書ノート 津野海太郎著 「読書と日本人」 岩波新書(2016年)

2018年08月16日 | 書評
本は何のために読むか、読書の歴史から時代の変遷を見る 第7回

1) 始まりの読書ー平安時代 (その2)

平安時代の女のカジュアルな読書に対して、先行する漢字男たちのフォーマルな読書は、当然仕事がらみの「学者読み」であった。その好例が菅原道真の「書斎記」という文章に見られます。菅原道真は845年学者の家に生まれ、エリート官僚の国家試験(進士ー秀才―科挙)を目指した。この時期の勉強ぶりを49歳のときに回顧したのがこの文章です。「秀才の資格を取ったとき、父(菅原是善、大学寮の学長だった)が勉強部屋を与え、すだれ、机、本を運んできた。ここは(共同勉強部屋のように)狭く、いろんな奴がやってくる。小刀と筆は間違った箇所を削り取るためのものだが、馬鹿どもは小刀で机を削ったり、書を汚したりする。また学問の方法は抜き書き(抄出)を中心とする。抜き書きは紙に写して利用するのが基本である。従って部屋の中は抜き書きした短冊状の紙ばかり。乱入する連中は、知恵のあるやつはこの紙切れを懐に入れて失敬するし、バカは破いたり捨ててしまう」 この勉強部屋というものは、父が自宅において解説した私塾の大部屋の中に、3メートル四方(6畳弱)の簾で区切った部屋を与えられた。勉強の方法は文献資料を読んで、重要な点と思われる個所を抜き書きして覚えてゆくことであった。カードを作って自分の勉強ノートを作ることが中心の勉強法であった。当時の書籍は写本が中心で、しかも小数であったため学生が自分で所有する書は無かったと思われる。891年での書籍数は1579点であったという。そのような状況で「学者読み」はどのようにして始まったのだろうか。古代の日本には文字がなかった。古事記が記するには、405年百済の王仁が「論語」と「千字文」を伝えたという。遣隋使や遣唐使の最大の目的はできるだけ大量の書籍を中国から輸入するためでした。こうして大和朝廷の官僚機構は、朝鮮百済の力を借りながら、中国の法令集・経典・仏典を懸命に読み解くという姿勢で、日本における「学者読み」の歴史がスタートしました。明治維新後1871年の岩倉遣欧派遣師の役割と同じでした。文武天皇の大宝律令701年によって、律令国家としての国造りのために新官僚育成が喫緊の課題でした。そのために大学寮を作り、学生数は430人だったそうです。その大学寮の最大の教育方針は、知識の集積と文才を持つ人材開発である科挙選抜試験に受かる事でした。当時の寝殿造りの部屋の読書環境はけっして良いは言えません。御簾で囲まれただけの書斎は、隣にある応接談話部屋にいる連中によって容易に破られました。書斎は個室というにはほど遠い建築的構造でした。欧州の学問の方法論は論理が主導したが、東洋の学問は事実の蓄積(歴史)と文学であった。論理よりも記録の暗記と情緒を重視し、試験の結果が官僚としての地位に直結する制度の下では、制度が固定化されると、中身の学問まで固定化されます。空海と共に第18次遣唐使として渡海した菅原清公(道真の祖父)は官僚制の階段を上り、大学寮学頭、文章博士、公卿にまで上り詰め、教授職を世襲制にして菅原家を学問の門閥として不動のものにした。その反面学閥のボスとして君臨し教育や学問を形骸化し、内部から腐敗せしめた。いわば学問が歌舞伎界(梨園)のように形式化したということです。道真は唐の詩人白楽天の詩集「白氏文集」を愛した文人であった。貴族社会においても最も人気のあった白氏文集のブームを作り出した人の一人でした。道真が藤原時平との政争に敗れ九州の大宰府に左遷されたのは、戦国時代の屈原になぞらえることができます。それから約1世紀半を経て平安時代の中頃、女性を中心とした新しい読書の時代が始まったのです。

(つづく)
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読書ノート 津野海太郎著 「読書と日本人」 岩波新書(2016年)

2018年08月15日 | 書評
本は何のために読むか、読書の歴史から時代の変遷を見る 第6回

1) 始まりの読書ー平安時代 」(その1)

冒頭に読書の最大の特徴を次のように定義する。「本は一人で黙って読む。自発的に、たいていは自分の部屋で。」 読書は黙読で文字を読むもので、語りを聴くのではない。読書は学校の教科書ではなく、読みたいから読むものである。そして読書は書斎という自分の部屋で一人で読むものであることを言う。そういう意味で典型的な読書と思われる例が二例が平安時代に見られる。一つは9世紀終わりごろの菅原道真の「書斎記」と、11世紀中頃の菅原高標の女(娘)の「更級日記」です。今我々が読書と呼んでいる行為が日本に根付き始めたのは、概略菅原道真から同じ血筋の菅原孝標の娘にいたる平安時代の中頃の事のようです。菅原孝標の娘は「更級日記」において、「源氏物語」の読書経験を述べています。「これまでトビトビでしか読んだことがなくあまり納得がゆかなかった源氏の物語なのですが、それを第1巻から、誰にも邪魔されず、記帳のなかにこもりっきりで読んでゆく心地はたとえようもない最高のものでした」という。紫式部の源氏物語を読む階層は当時の貴族階級約100人くらいに限定される。源氏物語の面白さが朝廷の女房社会のそとまでひろがり、地方暮らしの中級貴族の娘までその評判が伝わっていたのです。もちろん菅原家は小野家と同じように学問の一族で、左大臣まで登った道真を始め、「蜻蛉日記」で名高い藤原道綱の母は孝標の実母の異母姉であり、孝標の娘の継母の叔父は紫式部の娘賢子と結婚していたという文芸に優れた家系にありました。紫式部は源氏物語をごく身近にいる女房や后のために書いています。閉じられた空間での、宮廷内のお話を書きました。不特定多数の読者は眼中になかったので、話の主語は言わずもがなで、分かるようには書かれていません。目くばせで分かる距離内でのコミュニケーションです。その時代に黙読の習慣は定着していたのでしょうか。玉上琢也は「源氏物語研究」で「源氏音読論」を展開しました。貴族社会のしきたりや社会を、女房らが妃候補のお姫様を教育するために話し言葉で読み聞かせるためのテキストであったという説です。これに対して西郷信綱が「日本古代文学史」で、平安朝の物語文学を、平仮名を使って女たちが書いた散文文学の萌芽ととらえました。複雑な心理描写、繊細な感覚性、文学談義、男女のきわどい恋愛小説として味わえる程度に洗練された文学であると規定しました。西郷は「更級日記の作者こそ源氏物語読者の典型であった。つまり文芸として味われるものとして源氏物語を発見し経験したのだ」と言います。口承による共同体的な古い物語ではなく、限りなく近代小説に近い新しい物語へ「源氏物語」は進化したと主張しました。これを西郷信綱の「源氏物語黙読論」と呼びます。この論争は1950年代から1970年代にかけて行われました。


(つづく)

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読書ノート 津野海太郎著 「読書と日本人」 岩波新書(2016年)

2018年08月14日 | 書評
本は何のために読むか、読書の歴史から時代の変遷を見る 第5回

序(その5)

④ 斎藤孝 著 「読書力」(岩波新書 2002年):
 何のために読書をするかという問いに対する斉藤孝先生の答えは「読書は自己形成のための糧だからである、読書はコミュニケーション力の基礎になるからだ」だそうだ。別に読書を効用論から説く必然性はないが、無意味なことを一杯している人間が読書の意義と効用を聞いてきたらこのような意味があるのだよと諭すことは出来るが、はたしてわかるかな。私達が人間や世の中や自然に興味を持てば、経験と読書は認識への両輪となる。絶対宗教の教えを信じないなら、それ以外に答えがあるのか。本は歴史的な先人や今の世における碩学先達が書いたものであるからには、彼らの考えを聞いてみることは必要である。即ち読書は自分の疑問と思考活動における素地を作るものだ。まず子供のころは読み聞かせで想像力を養うことは重要だ。宮沢賢治の文学は読み聞かせ文学の最大の宝庫である。著者の書いた「声に出して読みたい日本語」は、声を出すことが黙読よりは脳の活性化に役立つらしいという。別に脳の活性化を言わなくとも私は朗読文学(語り文学)という分野は声を出して読むべきと思う。たとえば弾き語り話である「平家物語」、説教話である「徒然草」は朗読でこそ美しいし、分りやすくなるのである。また政治学者丸山真男氏が推薦したように福沢諭吉著「文明論の概略」も声を出して読むと文明開化の響きと志の高さがよく分るのである。大昔江戸時代にはお経や論語の素読は分らなくとも大声で読み覚えるものであった。今では笑われる教育法だが当時は大真面目で覚えたのが後になって骨肉化していたのである。本を自分のものとするために線を引いて読む方法は効果的であると著者は言う。読書をしてきた人間かどうかは、会話において脈絡のある書き言葉で話せるかどうかということだ。最近の高校生の会話は脈絡なく自分のことしか言っていない「携帯を持ったサル」同然の会話である。会話は相手に言っていることをよく聞くことから始まる。そして自分の言葉に直して相手の話を確認することが会話のスムーズな流れになるのである。そのためには語彙が豊富でなければならない。駄洒落も言語遊びとしては高等テクニックを要する。会話での話言葉は単語だけの支離滅裂な脈絡では内容のあるコミュニケーションは出来ない。書き言葉としてきちんと文章になっていることを話しているだろうか。抽象度の高い内容では漢語の語彙は重要である。少しの文語体も使えるようであってほしい。話に格としまりが出るのである。

(つづく)
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読書ノート 津野海太郎著 「読書と日本人」 岩波新書(2016年)

2018年08月13日 | 書評
本は何のために読むか、読書の歴史から時代の変遷を見る  第4回

序(その4)

③ 松岡正剛著 「知の編集工学」(朝日文庫 2001年):

 読書と思索を二元対立的に考えるのではなく、「材料を仕込むことが読書とすれば、思索は加工と編集力かも知れない。」といって、両者には創造も模倣もない編集状態があるだけだという。 テレビや映画を見るには何も必要がない。ただテレビの前や、映画館の座席に坐ればいい。ところが本を読むには机の前に坐るだけでは何も進まない。読もうとする気力や意志や目的がなければならないのである。テレビ・映画は受動的であるなら読書は能動的である。どちらも人生の楽しみであり、楽しみは多い方がいい。静かな環境で誰にも邪魔されずにその本の世界に浸れる、それが読書の醍醐味であり、また本を読む時の姿勢は自分一番楽な姿勢でいいのです。宗教では「座禅」、儒教には「端座書見」、礼儀には「正座」という言葉があるが、そんなことは読書の楽しみを奪うに過ぎない。図書館や研究所は環境が整えられているので、本を読むための施設である。ところが本はどこでも読めるのである。芥川龍之介は英国紳士がいつも傘をステッキ代わりに持ち歩くように、本を片手に持ち歩いたという。また旅は本を持ってゆく人も多い。旅に出かけるのと本を開くのは、未知の世界に踏み出すのと同じことである。本書は編集者のための本というよりは、包括的な情報文化の遊び方という本であり、松岡氏の思想遍歴でもある。イデオロギー中心の堅い思想空間ではなく、イメージの包活力の大きさを知らしめる知の楽しさを説いた本であろう。氏は編集工学センターおよび物語学会を組織して、ユング心理学の神話類型を中心としたマザー母型を究極の原型と考えるようである。松岡氏は今のITやパソコン、インターネットといったデジタル技術の行き着くところに必ずしも信頼していないようで、人間のもっとアナログ(非線形)の力を引き出すことの重要性を、博学知識で多方面の文化現象に分け入って、わくわくするような非線形の構造感覚を推奨する。本書はとても面白く、知的興奮が横溢した本である。「編集工学」という方法の入門書という位置づけであるが、「編集は人間の活動に潜む基本的な情報技術である」という広い入り口を示す。編集とは「切った貼った」をすることだと思われているが、それは編集の機能の一つである。しかし私達の頭の中で起っていることが編集的であり、コミュニケーションの本質も編集的なのである。「情報は1人ではいられない、情報は関係付けられることを待っている」という。編集とは関係を発見すること作業なのである。それは日常的に脳でおきているのだ。自分自身の頭の中で何をどう処理しているのだろうかを考えてみようというのが本書の狙いである。

(つづく)
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