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アリストテレス著 「詩学」
ホラティウス著 「詩論」
ホラティウス著 「詩論」
岩波文庫(1997年1月)
概論
1) アリストテレス 「詩学」
(1) 論述の範囲、詩作と再現、再現の媒体について
この書で論じる範囲について決めておく。詩作の種類がそれぞれどの様な機能を持っているか、詩作が優れたものになるには筋がどのように組み立てなければならないか、詩作がどれだけの要素から、またどの様な種類の要素から成り立っているのかについて論じることにする。叙事詩と悲劇の詩作、そして喜劇とディーチュラボスの詩作、アウロス笛とキタラ―琴の音楽、これらすべてはまとめて再現といえる。これらは、媒体、対象、方法を異にしている。叙事詩らの技術においても、すべてリズムと言葉と音曲によって再現を行う。音曲なしでリズムだけ再現するのは舞踏家の技術である。舞踏家はリズムによって人間の性格、苦難、行為を再現するからである。言葉だけを用いるかあるいは韻律を伴う言葉を用いる再現がある。韻律には二種類ある。韻律に詩作する(ポイエイン)を結び付けて、エレゲイア詩人とか叙事詩人と呼んでいる。詩人をポイエーテースと呼ぶのは韻律によってである。韻文で論文を発表するなら詩人といわれる。すべての媒体、すなわちリズム、歌曲、韻律を使用している再現がある。ディーテゥラムボスの詩作とノモスの詩作、悲劇と喜劇である。
(2) 再現する対象の差異について
再現をする者は行為する人間であるから、優れた人も劣った人も再現する対象となる。ホメーロスはより優れた人物を、クレオポーンは普通の人物を、パロディを創ったヘーゲモーンはより劣った人物を再現した。悲劇はより優れた人物の再現を狙い、喜劇は劣った人物の再現を試みるのである。
(3) 再現の方法の差異について 劇という名称の由来について 悲劇・喜劇の発祥地についてのドーリス人の主張
再現は次の三つの違いがある。
①どのような媒体で
②何を対象として
③どのような方法でおこおなわれるかという点である
ソホクレーヌはホメーロスと同じ種類(悲劇)の再現者である。それゆえ悲劇と喜劇はドラマ(劇)という名前で呼ばれる。悲劇と喜劇は行為する人間を再現するからである。ドーリス人は悲劇も喜劇も自分たちが創ったという。ギリシャ本土のメガラ人、シケリアのメガラ人なども自分らこそがと名乗りを上げている。
(4) 詩作の起源とその発展について
一般に二つの原因が詩作を生み、それらは人間の本性に根差しているようである。
①再現(模倣)することは子供のころからの人間の本性であり、再現によってものを学ぶのは、ほかの動物と違って人間の特性である。
②再現されたものを喜ぶことも人間の自然な傾向である。学ぶことは哲学者のみならず、他の人にとって最大の楽しみである。絵の鑑賞の喜びも似たところがある。
再現することが音曲、リズム(韻律)とともに人間の本性に備わっている。作者固有の性格によって詩作は二つの方向に流れたまじめな人は優れた人間の行為を好む人を描いた賛歌と頌歌を作り、軽い性格の人は劣った人間を再現する諷刺詩を作った。ホメーロスは高貴なことがらに関して最大の作者であった。劇的な再現を行った。諷刺詩の作者は喜劇作者となり、叙事詩の作者は悲劇作者となった。そして舞踏、韻律、合唱団コロス、役者の要素が時代とともに変遷した。(劇の発展史についてはアリストテレスの見解は錯誤しているので注意)
(5) 喜劇について 悲劇と叙事詩の相違について
喜劇は比較的劣っている人たちを再現するものである。劣るといっても劣悪ではなく、滑稽である。滑稽は苦痛を与えず、危害も加えない一種の欠陥である。喜劇の来歴は、最初まじめに扱われなかったのでよく分からないままである。喜劇の筋を作ることを始めたのはエピカルモスとボルミスで、シケリアから伝わった。アテーナイのクラケースが最初に普遍的な筋書きを作った。叙事詩が韻律を伴う高貴な事柄の再現である点は悲劇と同じである。叙事詩と悲劇が異なるのは、叙事詩がテキスト形式で、韻律の使用は一部であり、その再現の長さが大きく異なる。構成要素は悲劇にあるものすべてが叙事詩にあるわけではない。
(6) 悲劇の定義と悲劇の構成要素について
悲劇とは、一定の大きさを具えた完結した高貴な好意の再現であり、麗しい言葉を使用し、叙述ではなく、行為する人物によって行われ、憐れみと怖れを通じて感情の浄化を達成するものである。韻律と音曲によって仕上げる。悲劇では行為する人びとが再現を行うのであるから、視覚的効果が要素の一つとなる。次に歌曲と語法が悲劇の要素となる。行為する人々には性格と思想によって行為の二つの原因をなす。行為の再現とは筋(ミュートス)のことである。筋とは出来事の組み立て方のことである。従ってすべての悲劇は必ず六つの構成要素をもち、これらの要素によって悲劇の性質が決められる。
①筋
②性格
③語法
④思想
⑤視覚的装飾
⑥歌曲である
これら六つの要素の中で最も重要なものは筋、すなわち出来事の組み立て方である。悲劇は行為と人生の再現である。人生の目的は行為であって性質ではない。筋は悲劇の目的であり、目的は何にもまして重要である。悲劇が人の心をもっともよく動かす要素は、筋を構成する部分としての反転と認知である。従って住自派悲劇の原理であり、いわば魂である、二番目に性格である。三番目に思想である。思想とは語るにふさわしいことを語る能力の事である。これは弁論では政治学の事である。四番目に語法がくる。語法とは言葉による意味伝達のことである。残った要素のなかで、歌曲は感覚的な魅力を添える。視覚的装飾は観客の心を惹きつけるものであるが、詩作には一番遠い要素である。
(7) 筋の組み立て、その秩序と長さについて
悲劇は一定の大きさを持つと定義したが、全体ははじめと中間と終りを持つ。巧みに組み立てられた筋は、この形式(はじめ、中間、終り)を守らなくてはならない。正しく配列されているだけでなく、全体の大きさと秩序が重要である。筋の場合もそれは一定の大きさを持ち、しかもその長さは容易に全体を記憶できるものでなくてはならない。
(8) 筋の統一について
筋は登場人物が一人であれば統一があるというものではない。人物には数限りない出来事が起きるからである。「へ―ラクレース物語」や「テーセウス物語」の作者は、登場人物は一人だからといって統一は出来上がらなかった。ホメーロスはこの点でも「オデュセイア」は、起こったすべての事を取り込まなかった。出来事は関連性を持って次から次へ連なっていなければ、話の筋は流れない。統一ある行為とは一つの全体としての行為を再現するものでなければならない。
(9) 詩と歴史の相違、詩作の普遍的性格、場面偏重の筋、驚きの要素について
詩作は、すでに起こったことを語るのではなくて、起こりそうなこと、ありそうな仕方で起こる可能性を語ることにある。歴史家と詩人は韻文で語るかどうかではなく、歴史家は起こったことを、詩人は起こる可能性のあることを語る点で大きく異なる。従って詩作はむしろ普遍的なことを語り、歴史は個別的なことを語る。喜劇については、ありそうにもないことに基づいて筋を作る。悲劇の場合、作者らは実在した人物たちに固執する。詩人は再現を行う故に詩人であり、行為を再現するので、韻律よりはむしろ筋を作るものでなかればならない。再現は完結した行為だけでなく、怖れと憐れみを引き起こす出来事の再現である。このような出来事は予期に反して因果関係によって起こる場合に最も効果的である。
(10) 単一な筋と複合的な筋について
筋には単一なものと複合的なものがある。単一な好意というものは、継続的な一つのまとまった行為がなされ、逆転、認知を伴わないで変転が生じる場合である。複合的な行為とは、その行為の結果として認知あるいは逆転を伴って変転が生じる場合である。逆転と認知は筋の組み立てから生じるものでなくてはリアリティがない。先に生じた出来事から必然的に起こる結果であるか、ありそうな仕方で怒る結果でなくてはならない。
(11) 逆転と認知、苦難について
逆転とはこれまでとは反対の方向に行為(劇の筋)が転換(劇的転換)することです。ありそうな仕方で、必然的な仕方で起こることが求められます。認知とは無知から知ることによって、例えば愛から憎しみへと転換することです。それは逆転と同時に起こります。認知によっては逆転を伴う場合、憐れみとか恐れがを引き起こす。悲劇とはこういった行為の再現であることを前提とする。逆転と認知は筋の二つの要素であるが、第三の要素は苦難である。苦難とは人が破滅したり苦痛を受けたりする行為のことである。死、負傷、裏切りなどがそれにあたる。
(12) 悲劇作品の部分について
量的な意味での区分で悲劇作品が区分けされる部分は次のようである。
①はじまりの部分
②俳優の対話と所作の部分
③終りの部分
④合唱隊コロスの部分である。俳優の歌や哀悼の歌は特定の悲劇作品にしか認められない。
(13) 筋の組みたてにおける目標について
優れた悲劇の組み立ては単一なものではなく、複合的なものでなければならない。そして怖れと憐れみを引き起こす出来事の再現でなければならない。そのために避けるべきことは、
①善い人が幸福から不幸に転じることは避ける
②悪人が不幸から幸福になってはいけない
③全くの悪人が幸福から不幸になることは憐れみも恐れも起こさないから避けるべきである
④中間にある人間は何らかの過ちによって不幸になる者であり、大きな名声や富を持つものである
したがって優れた悲劇の筋は、むしろ単純である。伝承に基づく話は何でもかんでも筋に取り込んではならない。
(つづく)
1) アリストテレス 「詩学」
(1) 論述の範囲、詩作と再現、再現の媒体について
この書で論じる範囲について決めておく。詩作の種類がそれぞれどの様な機能を持っているか、詩作が優れたものになるには筋がどのように組み立てなければならないか、詩作がどれだけの要素から、またどの様な種類の要素から成り立っているのかについて論じることにする。叙事詩と悲劇の詩作、そして喜劇とディーチュラボスの詩作、アウロス笛とキタラ―琴の音楽、これらすべてはまとめて再現といえる。これらは、媒体、対象、方法を異にしている。叙事詩らの技術においても、すべてリズムと言葉と音曲によって再現を行う。音曲なしでリズムだけ再現するのは舞踏家の技術である。舞踏家はリズムによって人間の性格、苦難、行為を再現するからである。言葉だけを用いるかあるいは韻律を伴う言葉を用いる再現がある。韻律には二種類ある。韻律に詩作する(ポイエイン)を結び付けて、エレゲイア詩人とか叙事詩人と呼んでいる。詩人をポイエーテースと呼ぶのは韻律によってである。韻文で論文を発表するなら詩人といわれる。すべての媒体、すなわちリズム、歌曲、韻律を使用している再現がある。ディーテゥラムボスの詩作とノモスの詩作、悲劇と喜劇である。
(2) 再現する対象の差異について
再現をする者は行為する人間であるから、優れた人も劣った人も再現する対象となる。ホメーロスはより優れた人物を、クレオポーンは普通の人物を、パロディを創ったヘーゲモーンはより劣った人物を再現した。悲劇はより優れた人物の再現を狙い、喜劇は劣った人物の再現を試みるのである。
(3) 再現の方法の差異について 劇という名称の由来について 悲劇・喜劇の発祥地についてのドーリス人の主張
再現は次の三つの違いがある。
①どのような媒体で
②何を対象として
③どのような方法でおこおなわれるかという点である
ソホクレーヌはホメーロスと同じ種類(悲劇)の再現者である。それゆえ悲劇と喜劇はドラマ(劇)という名前で呼ばれる。悲劇と喜劇は行為する人間を再現するからである。ドーリス人は悲劇も喜劇も自分たちが創ったという。ギリシャ本土のメガラ人、シケリアのメガラ人なども自分らこそがと名乗りを上げている。
(4) 詩作の起源とその発展について
一般に二つの原因が詩作を生み、それらは人間の本性に根差しているようである。
①再現(模倣)することは子供のころからの人間の本性であり、再現によってものを学ぶのは、ほかの動物と違って人間の特性である。
②再現されたものを喜ぶことも人間の自然な傾向である。学ぶことは哲学者のみならず、他の人にとって最大の楽しみである。絵の鑑賞の喜びも似たところがある。
再現することが音曲、リズム(韻律)とともに人間の本性に備わっている。作者固有の性格によって詩作は二つの方向に流れたまじめな人は優れた人間の行為を好む人を描いた賛歌と頌歌を作り、軽い性格の人は劣った人間を再現する諷刺詩を作った。ホメーロスは高貴なことがらに関して最大の作者であった。劇的な再現を行った。諷刺詩の作者は喜劇作者となり、叙事詩の作者は悲劇作者となった。そして舞踏、韻律、合唱団コロス、役者の要素が時代とともに変遷した。(劇の発展史についてはアリストテレスの見解は錯誤しているので注意)
(5) 喜劇について 悲劇と叙事詩の相違について
喜劇は比較的劣っている人たちを再現するものである。劣るといっても劣悪ではなく、滑稽である。滑稽は苦痛を与えず、危害も加えない一種の欠陥である。喜劇の来歴は、最初まじめに扱われなかったのでよく分からないままである。喜劇の筋を作ることを始めたのはエピカルモスとボルミスで、シケリアから伝わった。アテーナイのクラケースが最初に普遍的な筋書きを作った。叙事詩が韻律を伴う高貴な事柄の再現である点は悲劇と同じである。叙事詩と悲劇が異なるのは、叙事詩がテキスト形式で、韻律の使用は一部であり、その再現の長さが大きく異なる。構成要素は悲劇にあるものすべてが叙事詩にあるわけではない。
(6) 悲劇の定義と悲劇の構成要素について
悲劇とは、一定の大きさを具えた完結した高貴な好意の再現であり、麗しい言葉を使用し、叙述ではなく、行為する人物によって行われ、憐れみと怖れを通じて感情の浄化を達成するものである。韻律と音曲によって仕上げる。悲劇では行為する人びとが再現を行うのであるから、視覚的効果が要素の一つとなる。次に歌曲と語法が悲劇の要素となる。行為する人々には性格と思想によって行為の二つの原因をなす。行為の再現とは筋(ミュートス)のことである。筋とは出来事の組み立て方のことである。従ってすべての悲劇は必ず六つの構成要素をもち、これらの要素によって悲劇の性質が決められる。
①筋
②性格
③語法
④思想
⑤視覚的装飾
⑥歌曲である
これら六つの要素の中で最も重要なものは筋、すなわち出来事の組み立て方である。悲劇は行為と人生の再現である。人生の目的は行為であって性質ではない。筋は悲劇の目的であり、目的は何にもまして重要である。悲劇が人の心をもっともよく動かす要素は、筋を構成する部分としての反転と認知である。従って住自派悲劇の原理であり、いわば魂である、二番目に性格である。三番目に思想である。思想とは語るにふさわしいことを語る能力の事である。これは弁論では政治学の事である。四番目に語法がくる。語法とは言葉による意味伝達のことである。残った要素のなかで、歌曲は感覚的な魅力を添える。視覚的装飾は観客の心を惹きつけるものであるが、詩作には一番遠い要素である。
(7) 筋の組み立て、その秩序と長さについて
悲劇は一定の大きさを持つと定義したが、全体ははじめと中間と終りを持つ。巧みに組み立てられた筋は、この形式(はじめ、中間、終り)を守らなくてはならない。正しく配列されているだけでなく、全体の大きさと秩序が重要である。筋の場合もそれは一定の大きさを持ち、しかもその長さは容易に全体を記憶できるものでなくてはならない。
(8) 筋の統一について
筋は登場人物が一人であれば統一があるというものではない。人物には数限りない出来事が起きるからである。「へ―ラクレース物語」や「テーセウス物語」の作者は、登場人物は一人だからといって統一は出来上がらなかった。ホメーロスはこの点でも「オデュセイア」は、起こったすべての事を取り込まなかった。出来事は関連性を持って次から次へ連なっていなければ、話の筋は流れない。統一ある行為とは一つの全体としての行為を再現するものでなければならない。
(9) 詩と歴史の相違、詩作の普遍的性格、場面偏重の筋、驚きの要素について
詩作は、すでに起こったことを語るのではなくて、起こりそうなこと、ありそうな仕方で起こる可能性を語ることにある。歴史家と詩人は韻文で語るかどうかではなく、歴史家は起こったことを、詩人は起こる可能性のあることを語る点で大きく異なる。従って詩作はむしろ普遍的なことを語り、歴史は個別的なことを語る。喜劇については、ありそうにもないことに基づいて筋を作る。悲劇の場合、作者らは実在した人物たちに固執する。詩人は再現を行う故に詩人であり、行為を再現するので、韻律よりはむしろ筋を作るものでなかればならない。再現は完結した行為だけでなく、怖れと憐れみを引き起こす出来事の再現である。このような出来事は予期に反して因果関係によって起こる場合に最も効果的である。
(10) 単一な筋と複合的な筋について
筋には単一なものと複合的なものがある。単一な好意というものは、継続的な一つのまとまった行為がなされ、逆転、認知を伴わないで変転が生じる場合である。複合的な行為とは、その行為の結果として認知あるいは逆転を伴って変転が生じる場合である。逆転と認知は筋の組み立てから生じるものでなくてはリアリティがない。先に生じた出来事から必然的に起こる結果であるか、ありそうな仕方で怒る結果でなくてはならない。
(11) 逆転と認知、苦難について
逆転とはこれまでとは反対の方向に行為(劇の筋)が転換(劇的転換)することです。ありそうな仕方で、必然的な仕方で起こることが求められます。認知とは無知から知ることによって、例えば愛から憎しみへと転換することです。それは逆転と同時に起こります。認知によっては逆転を伴う場合、憐れみとか恐れがを引き起こす。悲劇とはこういった行為の再現であることを前提とする。逆転と認知は筋の二つの要素であるが、第三の要素は苦難である。苦難とは人が破滅したり苦痛を受けたりする行為のことである。死、負傷、裏切りなどがそれにあたる。
(12) 悲劇作品の部分について
量的な意味での区分で悲劇作品が区分けされる部分は次のようである。
①はじまりの部分
②俳優の対話と所作の部分
③終りの部分
④合唱隊コロスの部分である。俳優の歌や哀悼の歌は特定の悲劇作品にしか認められない。
(13) 筋の組みたてにおける目標について
優れた悲劇の組み立ては単一なものではなく、複合的なものでなければならない。そして怖れと憐れみを引き起こす出来事の再現でなければならない。そのために避けるべきことは、
①善い人が幸福から不幸に転じることは避ける
②悪人が不幸から幸福になってはいけない
③全くの悪人が幸福から不幸になることは憐れみも恐れも起こさないから避けるべきである
④中間にある人間は何らかの過ちによって不幸になる者であり、大きな名声や富を持つものである
したがって優れた悲劇の筋は、むしろ単純である。伝承に基づく話は何でもかんでも筋に取り込んではならない。
(つづく)