ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

日本産しいたけ 貴重品 一時的なブームで終らないように

2008年12月29日 | 時事問題
qasahi.com 2008年12月29日
国産シイタケ、人気で高値 中国産敬遠、増産追いつかず
 鍋に、おせちに、お雑煮に……とこの季節の食卓に欠かせないシイタケの市場に、ちょっとした変化が起きている。中国産に押され低迷してきた国産シイタケが、消費者の安全志向から人気が復活。特に国内の生産量が減っている乾(ほし)シイタケの需要が増えている。ただ、いいダシをとるために山の原木で育てなければならない乾シイタケの生産は重労働。「追い風」のはずの現場は高齢化が進み、増産も難しくなっている。


環境問題  ブライアン・フェイガン著 「古代文明と気候大変動」  河出文庫

2008年12月29日 | 書評
人類の運命を変えた気候の2万年史 第2回

序(2)

 氷河期末期から「完新世」(約18000年前)になると地球は急速に温暖化した。その原因は地軸の移動による太陽輻射熱の増加であるが、太陽を一杯受けた地球は、氷河の覆う苛酷な環境からあたたかな森林と生物の温床に変わった。人間はそれまでの動物の狩猟生活から、安定した採集生活に切り替え、一つの地に定住し農耕を開始した。石器時代から縄文時代にはいるのだ。その後灌漑設備や都市を築くようになり、多少の気候変動には対応しうるようになった。こうして文明が始まるのであるが増え続けた人口がその地の環境収容能力を超えるだけでなく、多くの人口を抱えた社会システムが気候変動に対処する能力を失う事になった。規模の拡大が企業の機敏性を失って負債に圧し潰されるようなものである。「食物商売は大きくすれば潰れる」という格言があてはまる。飢饉や飢餓を社会が救えなくなり、多くの人が餓死し、生き残った者は豊かな土地を求めて離散する。難民化するのだ。家族・部族という小規模でしか行動できない。中国の王朝が寒冷期になると滅亡するのは、食えなくなった農民が離散し国(システム)が破れるからである。システムの建て直しが新王朝の誕生となることは、綿々と続いた中国王朝の歴史である。18世紀後半から地球は温暖化の周期にはいる。20世紀は稀に見る気候に恵まれた世紀であった。この先はどうなるかは分らない。寒冷化すると云う学者もいるし、人間の活動による炭酸ガスの増加でさらに温暖化すると云う学者もいる。しかし気候の変動は人類が温室効果ガスを増やそうが減らそうが、いずれかならず起る。地軸の変動とかマグマの対流や、太陽活動の核融合をコントロールする事など到底不可能であるからだ。


読書ノート 梅棹忠夫著 「文明の生態史観」  中公クラシックス

2008年12月29日 | 書評
京都学派文化人を代表する文化人類学者 第6回

新文明世界地図-比較文明論へのさぐり

 1957年1月の「日本読書新聞」に出た。体系的な比較文明学の樹立に向けてのラフスケッチである。梅棹氏は文明の研究は総合と洞察を武器にせざるを得ないので、所詮文明論或いは文明批評であって「学」にはならないかもしれないといいながら、世界の歴史のばらつきと分布を問題にしている。「伝統と革命」では第1地域と第2地域の社会の変革の度合いを比較し、第1地域は綿々と社会は連続的変化をし、第2地域ではご破算に近い社会の破壊が起きるという。「開拓者と原始林」では南北アメリカの開発が、北米では自然が相手、南米では原始林と隣り合わせの文明であったという。これまでの文明はすべて原始林を破壊しつくした。その結果が砂漠であるとも言われる。「工業と技術」では産業革命に成功した第1地域ではブルジョワジーという技術者と資本家がいたが、第2地域では専制君主しかいなかった。「貧乏と飢え」では打2地域の巨大専制帝国が残したのは夥しい貧民であった。「鉄道と飛行機」では輸送網と通信網の整備は社会のネットワークとして行き渡る事であって、支配の道具として利用されることではない。「貴族と庶民」では第二次世界大戦後、貴族制度は廃止されたが、経済成長の結果、日本を始め中産階級の台頭が著しい。大衆消費社会の出現である。「家族と超家族」では、近代家族制度は「家督相続」の廃止であった。第2地域ではもともと均等相続であり、封建制の遺物はなかったが、部族・地縁社会という超家族集団に縛られている。「働く女性」では文明国では一夫一妻制が基本である。資本主義は女性の労働力が必要といううことで女性を家族のくびきから開放した。選挙制度、労働制度、男女同権など女性の活躍は著しい。「学校と新聞」では教育の普及とメディアの発達を論じ、第2地域ではメディアは国家権力によって制約を受け、世論は存在しないようだ。「個性的個人と残虐行為」では個人主義の発達を論じて、第2地域での集団主義を批判している。「一神教の神」では宗教支配力が第2地域で強く、第1地域では聖俗分離が進んでいる事を論じた。「官僚と官僚主義」では、現在では全世界的に官僚の時代であるとし、絶対主義での官僚群の成立と中央集権国家政府官僚による全国支配の体制から過度の集中によるア官僚の腐敗、非能率は目にあまるものがあり、第1地域ではあたらしい分散の時代が望まれるという。さてこのような観点、或いはキーワードで世界の文明の特徴が解析できるのだろうか。成果は出たのだろうか。



読書ノート 今西錦司著 「生物の世界」 中公クラシックス

2008年12月29日 | 書評
棲み分け理論からダーウインの自然淘汰進化論批判まで  第11回

第4章 「社会について」(2)

 生物の中に環境的性質が存在し、環境の中に生物的性質が存在することは、生物と環境が別々のものではない事をいうが、しかし生物が簡単に環境を変えられるということではない。今西氏は単純な環境決定論を退け、環境と生物の相互作用を主張するのである。植物の炭酸同化作用で地球の酸素ガス濃度が高まり、陸棲脊椎動物の進化が一斉に進んだことも生物の環境への働きかけである。目的を持って主体的であるかどうかは別にして。似たもの同士がかたまって存在する事は植物、動物の特色である。混沌化せず一定の構造と平衡が生物世界に認められる。これを社会という。同種は同じ生活内容を共有し、ある距離内に存在する。それは繁殖のための血縁関係、地縁関係でもある。異性はぶつかりあう距離内に居なければめぐり合えない。繁殖は種の維持には欠かせないからだ。同種の生活内容が似ているということは、同種は同じ環境を要求している事である。同じ生活内容を持つものが集まって環境を棲み分けている。形態(分類学)にその生活形を合わせて考えるのが「生態学」である。すると同じ種の個体は血縁関係と地縁関係で結ばれた生活形を同じくする生物であると定義できる。同種の個体の集まりは個体維持のため、他の種との摩擦を避け平衡状態を実現する傾向の結果といえる。個体維持のためには先ず食物の獲得が必要で、そのため環境の一定の空間(縄張り)が必要となる。生物の生活にとって繁殖よりも植物獲得の時間が圧倒的である。

 ここで今西氏は専門の昆虫や草食動物、蟻などの例を取って種の生活圏を例証するが、面白いが煩雑なので省略する。そこで今西氏の着眼点は種の中に「社会」という生活にとって根源的な概念を導入する事である。捕食関係の無い同種の生活形が最も安定した社会である。地上では棲息条件が不揃いであるがために多種類の生物が繁栄してきたと主張する。棲息地の変化に適応した種の形成である。種には棲み分け社会で摩擦を減らしているが、これを相容れないもの同志の場における平衡を図る生物の相補的同位社会と定義する。植物社会は簡単なので森林と云う一定の景観(同位社会)を作りやすい。動物の場合はもっと複雑で、渓流における魚と水中昆虫の棲み分けに見るような同位社会の階層がみられる複合同位社会がある。その典型が食物で結ばれた食物連鎖という支配相互関係がある。個体数では食われるほうが大である。体の大きい食う種は体の小さな食われる種に寄生している関係でもある。今西氏はこれを種の必要不可欠な社会的機能とか、円満な解決のための分業関係という。支配被支配関係の固定化によって、闘争という摩擦を避けているという言い方をするものだから、今西氏を反動の親方と見る反今西学派の人々がいる


自作漢詩 「客中歳晩」

2008年12月29日 | 漢詩・自由詩
寒風騒吼異郷     寒風騒吼 異郷の天

酒醒蕭然暁燭     酒醒め蕭然と 暁燭の前

幾刻夢中看故国     幾刻ぞ夢の中に 故国を看る 
 
不眠獨座過残     眠ず獨座し 残年を過ぐ 

○○○●●○◎
●●○○●●◎
●●●○○●●
●○●●●○◎
(赤い字は韻:一先 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)