ブログ 「ごまめの歯軋り」

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あおによし奈良の都(19) 興福寺南円堂

2012年06月12日 | 京都案内
南円堂(重文)は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。木造不空羂索観音坐像(国宝)、木造四天王立像(国宝)を安置する。

あおによし奈良の都(18) 興福寺東金堂

2012年06月12日 | 京都案内
東金堂(国宝)は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。銅造薬師三尊像(重文)、木造維摩居士(ゆいまこじ)坐像(国宝)、木造文殊菩薩坐像(国宝)、木造四天王立像(国宝)、木造十二神将立像(国宝)など国宝級の奈良時代の彫刻が残っている。

あおによし奈良の都 (17) 興福寺五重塔

2012年06月12日 | 京都案内
興福寺は、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三箇所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。