ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

六月の労働統計  「物価上がって給与下がる」ではやりきれない

2008年07月31日 | 時事問題
asahi.com 2008年7月31日11時33分
夏賞与減り給与総額6カ月ぶり減少 6月の勤労統計
 厚生労働省が31日発表した6月の毎月勤労統計(速報)によると、常用労働者1人あたりの現金給与総額は前年同月比0.6%減の46万3013円で、6カ月ぶりに減少に転じた。企業業績の悪化を受けて、夏のボーナスなどが1.5%減の19万2535円と減少したことが響いた。
 物価の高騰を計算に入れた「実質賃金指数」は2.9%減で、02年12月以来の大幅な減少となった。
 総実労働時間は1.4%減の154.1時間で、そのうち残業時間は1.8%減の10.5時間。特に製造業の残業は大幅な減少が続いている。 常用労働者の総数は1.5%増の4513万1千人。

石油高騰など製造業の景気減退が労働環境を引き下げた。

美術散歩 朽木ゆり子著 「フェルメール全点踏破の旅」 集英社新書ヴィジュアル版

2008年07月31日 | 書評
17世紀オランダの風俗画家フェルメールの全作品 第1回 

フェルメール展が日本で開催されて以来、フェルメールの絵画に対する日本人の関心が高まった。フェルメールの作品「真珠の耳飾の少女」をモデルにした映画も人気となった。女性を書いた作品が多いが、心を癒されたという記事が多かった。そして2008年8月2日から4ヶ月間上野の東京都美術館でフェルメール展が開かれる予定である。今回来日する作品は「手紙を書く夫人と召使」、「小路」、「ワイングラスを持つ娘」、「リュートを弾く女」、「マルタとマリアの家のキリスト」、「ディアナとニンフたち」、「ヴァージナルの前に座る若い女」の7点である。内5点が初来日であるそうだ。またこれを機会に日本のフェルメール熱が再燃する事は確かだ。フェルメールの描く単身女性の立ち姿が崇高さと力強さに満ちていると著者朽木ゆり子氏はいう。宗教画を描いているわけではないのだが、宗教的な物を感じているのかもしれない。17世紀のオランダ画家フェルメール(1632-1675)はオランダのデルフトに生まれ、描いた絵は生涯37枚しか残っていない。日常的な題材を象徴的な美にまで高める才能、寡黙な世界、技術的な完成度は見る者を引きずり込まずにはいられない様だ。

読書ノート ポール・ポースト著 山形浩生訳 「戦争の経済学」 バジリコ

2008年07月31日 | 書評
<戦争のケインズ型公共投資説を検証する 第7回
第2章 実際の戦争経済:アメリカの戦争 (2)

第二次世界大戦(1941-1945)

戦争前のアメリカの1939年GDP成長率は7.9%だった。平均失業率は15.9%であった。第二次世界大戦の戦場は欧州と北アフリカ、アジアであった。アメリカはハワイで被害を受けたものの、概ねアメリカ以外で闘われた。この時期、同盟国のイギリス、ソ連へ武器を売って貿易収支は戦争中大幅に黒字となった。平均して毎年の軍事支出はGDPの30%以上になって、財政赤字も1943年には30%になった。戦争費用の調達は増税と紙幣の印刷であった。連邦準備制度は(日本の日銀に相当)金利を低くして安上がりの負債とした。膨大な資金調達はアメリカの経済構造を自由経済から再び国家計画経済に変えた。貿易収支は1942年から1944年まで輸出が輸入の2倍を超えていた。飛行機生産は1941年では米英ソ連はそれほど差はなかった(日本はアメリカの1/4)が、1944年にはアメリカが群を抜いて高くなった。兵員動員は陸軍だけで900万人を超した。失業率は3.9%に下った。インフレは8%に上がった。GDP成長率は20%以上であった。第二次世界大戦は戦争の鉄則と戦争のインフレのどちらも見事に例証できる。

読書ノート 「勝間和代著 「お金は銀行に預けるな」 光文社新書

2008年07月31日 | 書評
リターンの変動は管理できない。管理出来るのはリスクだけ 第8回 >
定期預金と国債

 銀行の5年定期の金利は、東京UFJ銀行の場合300万円以上預けて0.65%です。一方5年もの国債は2007年10月の新発債の利回りは1.25%です。銀行は私達の預金を国債に投資して0.65%のサヤを抜いているのです。銀行の儲けは定期預金と住宅ローンで、普通預金はサービスに過ぎません。「円の金利の標準は国債の金利で決まる」、「金利は通常期間が長くなるほど高くなる」、「リスクがある金利は国債金利より高い」と云うのが国内金融商品の原則です。銀行や証券会社がこの国債を積極的に売らないのは、一つは手数料が高くないことと、この利ざや抜きを消費者に覚られたくないからです。

文藝散歩 「御伽草子」 市古貞次[校註] 岩波文庫

2008年07月31日 | 書評
室町時代以降 庶民文学の始まり  第1回

平安時代に始まる物語文学の伝統は鎌倉時代にも綿々と続けられたが、公家勢力の衰退と共にしだいに衰えてゆき、平家物語、徒然草、日記文学、今昔物語、宇治拾遺物語などの説話文学の伝統の上に傑作は出なくなった。南北朝時代が公家貴族勢力と武家地頭勢力の完全な交代時期であり、文学にも貴族文学から庶民大衆文学へ移行した。説話文学の読み手はやはり貴族・僧侶階層の知識人であったが、その伝統の流れで幅広い読者を勝ちえたのが短編物語である。室町時代から江戸時代初期までの約300年間に作られた作品は500篇にも達するといわれる。室町時代には絵入り写本で行われたが、江戸時代の印刷技術である絵入り板本として板行された。そのなかから板元が23篇を編集して出板したのが「御伽草子」、「御伽草紙」と名づけた叢書がこの本である。この叢書は室町時代から江戸時代にかけて出された色絵入り奈良絵本に基づいており、現在揃いで残っているのは1661年「大阪心斎橋順慶町 書林渋川清右衛門」二十三冊版である。1729年になると「祝言御伽文庫」(二十三冊または三十九冊)という名で売られていた。江戸時代後期には23篇以外の話も入れているが、23篇に限定して室町時代物語または中世小説と呼ぶ事も行われている。