ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 豊下楢彦・古関彰一著  「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書)

2015年06月30日 | 書評
集団的自衛権の憲法解釈変更の閣議決定は日本の安全につながるか  第2回

まず本書に入る前に2014年7月1日発表の「集団的自衛権」に関する国家安全保障会議決定・閣議決定なる文章を見てゆこう。

「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」  2014年7月1日 国家安全保障会議決定・閣議決定 (その2)

 1 武力攻撃に至らない侵害への対処

(1)我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることを考慮すれば、純然たる平時でも有事でもない事態(グレーゾーンのこと)が生じやすく、これにより更に重大な事態に至りかねないリスクを有している。こうした武力攻撃に至らない侵害に際し、警察機関と自衛隊を含む関係機関が基本的な役割分担を前提として、より緊密に協力し、いかなる不法行為 に対しても切れ目のない十分な対応を確保するための態勢を整備することが一層重要な課題となっている。
(2)具体的には、こうした様々な不法行為 に対処するため、警察や海上保安庁 などの関係機関が、それぞれの任務と権限に応じて緊密に協力して対応するとの基本方針の下、各々(おのおの)の対応能力を向上させ、情報共有を含む連携を強化し、具体的な対応要領の検討や整備を行い、命令発出手続を迅速化するとともに、各種の演習や訓練を充実させるなど、各般の分野における必要な取組を一層強化することとする。
(3)このうち、手続の迅速化については、離島の周辺地域等において外部から武力攻撃に至らない侵害が発生し、近傍に警察力 が存在しない場合や警察機関が直ちに対応できない場合(武装集団の所持する武器等のために対応できない場合を含む。)の対応において、治安出動や海上における警備行動を発令するための関連規定の適用関係についてあらかじめ十分に検討し、関係機関において共通の認識を確立しておくとともに、手続を経ている間に、不法行為による被害が拡大することがないよう、状況に応じた早期の下令や手続の迅速化のための方策について具体的に検討することとする。
(4)さらに、我が国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊に対して攻撃が発生し、それが状況によっては武力攻撃にまで拡大していくような事態においても、自衛隊と米軍が緊密に連携して切れ目のない対応をすることが、我が国の安全の確保にとっても重要である。自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第95条による武器等防護のための「武器の使用」の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米国の要請又(また)は同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法第95条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の「武器の使用」を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。

(つづく)

読書ノート 豊下楢彦・古関彰一著  「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書)

2015年06月29日 | 書評
集団的自衛権の憲法解釈変更の閣議決定は日本の安全につながるか 第1回

序(1)

まず本書に入る前に2014年7月1日発表の「集団的自衛権」に関する国家安全保障会議決定・閣議決定なる文章を見てゆこう。
「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」  2014年7月1日 国家安全保障会議決定・閣議決定 (その1)

我が国は、戦後一貫して日本国憲法 の下で平和国家として歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国 とはならず、非核三原則 を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合 憲章を遵守しながら、国際社会や国際連合 を始めとする国際機関 と連携し、それらの活動に積極的に寄与している。こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない。一方、日本国憲法の施行から67年となる今日までの間に、我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している。国際連合 憲章が理想として掲げたいわゆる正規の「国連軍 」は実現のめどが立っていないことに加え、冷戦終結後の四半世紀だけをとっても、グローバルなパワーバランスの変化、技術革新の急速な進展、大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発及び拡散、国際テロなどの脅威により、アジア太平洋地域において問題や緊張が生み出されるとともに、脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。さらに、近年では、海洋、宇宙空間 、サイバー空間に対する自由なアクセス及びその活用を妨げるリスクが拡散し深刻化している。もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすためには、まず、十分な体制をもって力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、国際法にのっとって行動し、法の支配を重視することにより、紛争の平和的な解決を図らなければならない。さらに、我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義 」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。5月15日に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から報告書が提出され、同日に安倍内閣総理大臣 が記者会見で表明した基本的方向性に基づき、これまで与党において協議を重ね、政府としても検討を進めてきた。今般、与党協議の結果に基づき、政府として、以下の基本方針に従って、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な国内法制を速やかに整備することとする。

(つづく)

読書ノート プラトン著 加来彰俊訳 「ゴルギアス」(岩波文庫)

2015年06月28日 | 書評
若い人をとりこにした弁論術・現実的政治論を批判し、哲人政治を志す 第6回 最終回

3) 弁論術批判

 本篇の2つのテーマの一つである弁論術について、その対話の展開の筋書きは別にして、プラトンがその主題になっている弁論術に対して下した批評をまとめておこう。結論は弁論術は技術の名に値するものではなく、敬虔や熟練にすぎないパフォーマンスであり、それがもっぱらにしていることは、大衆への迎合でありへつらいであるということである。技術と経験の判断点は、第1に理論の裏付けがあるかないかである。これを簡単に図示すると次のような関係になる。技術ー理論ー目的は善ー例として医術ー担うのは専門家、これに対し経験ー記憶ー目的は快ー例として料理法ー担うのは弁論家である。第2に、目的や意図の相違による。技術は常に対象の善をめざすが、経験はどうしたら対象の気に入るかと対象の快を狙うだけである。それが本当に対象のためになるのかという点に関しては無関心である。例えば身体を扱うものについては、医術は技術であるが、料理法は経験なのである。医術は科学的であらねばならないが、料理法は味覚を満足させればいいのである。このプラトンの理屈は面白い比喩から成り立っているが、哲学理論には程遠い分かりやすさでは、うまい例え話である。ここで言いたいことは、弁論家は事柄そのものについての知識は持たないで、人を信じ込ませる仕方で説得するだけのことであるという批判である。説得する上で大切なことは、真実ではなく真実らしさ、大衆にどう思われるかの一点にかかっている。物事の本質に迫らないで、物事の可否を論じることはできないことだとすれば、弁論家のやっていることは詐欺である。この弁論術の技術的ありかたから第1幕と第2幕(ゴルギアス、ポロス)は構成されている。そして第3幕(カリクレス)はものごとは快ではなく善を目指すべきだという観点で構成されている。もし本当の意味での弁論家を志すなら、すなわち技術の心得ある優れた弁論家ならば、常に国家国民の善を念頭に置いて行動すべき、国民ひとりひとりの心が成長し、正義の徳が生まれ、反対の悪徳が取り除かれるようにすべきである。ソクラテスは民衆の欲するものが何であろうともそれを充足するだけの人間なら、それは真の政治家ではない、政治家は本来国民の医者でなければならない(苦い薬を処方すること)という。本篇の終わりにソクラテスをして、紀元前5世紀のアテナイの偉大な政治家のほとんどを(テキストクレス、キモン、ミルティアデス、ペリクレス)を、国民の給仕としては有能で在ったかもしれないが政治家としては無能であったと断罪する。そして「ソクラテスこそ現在の政治家である」と言い切るのは、かなり強引な結論である。隠棲生活をし、公生活をできるだけ避けてきた実物のソクラテスのしては逆説にしか聞こえない。ここまでプラトンがいう意図は、哲人政治の思想の萌芽をなす考えを急遽持ち出したかったからである。その意味ではこの「ゴルギアス」はソクラテスから受け継いだ哲学の総まとめであると同時に、プラトン自身の哲学の出発点をなす作品であるといえる。

(完)

読書ノート プラトン著 加来彰俊訳 「ゴルギアス」(岩波文庫)

2015年06月27日 | 書評
若い人をとりこにした弁論術・現実的政治論を批判し、哲人政治を志す 第5回

2) 構造 (その3)

③ 若い政治家 カリクレス: 第1幕では弁論術が政治の術の1亜形として受け取られていること、そして第2幕ではそのような弁論術が当時の青年達に立身出世の手段として、何らの道徳的反省もなく受け入れられ、歓迎されている様を明らかにした。そして最後の第3幕でそうした弁論術を身に着けて、実際の政治活動に活躍している青年政治家カリクレスを登場させる。政治家カリクレスと哲人ソクラテスを対決させることによって、プラトンは本篇の核心の課題である現実政治と哲学を論じようというしている。カリクレスはゴルギアスやポロスとは違って弁論術の職業教師ではなく、アテナイ市民で、教養ある、実生活の経験に裏付けられた青年政治家として登場する。カリクレスの実在性は分からないが、プラトンは決して仮名や虚構の人物を登場させることはないといわれているので、当時の極めて現実的で、徹底した実利主義に立つ一つの典型的な人物像に仕上げたと考えるべきであろうか。カリクレスは文中でそれまでのゴルギアスやポロスがプラトンの誘導によって論理的自己矛盾に陥るのを見て、あまりの非現実的論議にいたたまれず、対話のなかに割り込んでくる。先行する彼ら2人がソクラテスの論理にからめとられたのは、彼らの世間的道徳意識がひっかかっていたからだとみたカリクレスは、ポロスが「心に思っていても、口に出して言わなかった」本根をあからさまに語るのである。カリクレスはポロスの胸にあったと思われる「権力への意思」をむき出しの形で一方的に述べ立て、ソクラテスを罵倒するのである。法律上の正と不正の道徳は表面上の約束で、平等という価値は弱い人間が強者に対して行う共同戦線だとか、強者が弱者を支配し、余計に分配を取るのは自然の理に適っているという。カリクレスは「自然法」と「法律習慣」とを対立させる論法を採り、「力こそ正義である」という優勝劣敗の論理つまり「自然の正義」を主張するのである。カリクレスから見るとソクラテスの正義や道徳は「奴隷の道徳」として軽蔑する。このようなカリクレスの強者の倫理は後世ヨーロッパ文学においては背徳者の立場を代表するものとして、ニーチェの思想に影響を与えた。そしてカリクレスは若い時に哲学をするのはいいとしても、それ相応の年になっても哲学をしていると、この世に生きるすべを心得ぬ人間となり、自分の身さえ守ることはできないし、どんな恥辱を受けるかもしれない。又無実の罪で法定に連れ出されたとしても、告発者の意思次第では死刑になるかもしれないと、ソクラテスの運命を暗示する。ソクラテスは少しもひるまず、得意の粘っこい論理でひとつづつ反論し相手の主張を切り崩してゆき、ついにはカリクレスは対話を放棄する。しかしカリクレスは決して屈服したわけでなく、いわゆる「価値感の相違」でふてくされただけのことである。この両者の論戦こそ本篇の核心である現実政治と哲学の対決を意味し、これは永遠の課題として常に検証を要する問題となった。

(つづく)

読書ノート プラトン著 加来彰俊訳 「ゴルギアス」(岩波文庫)

2015年06月26日 | 書評
若い人をとりこにした弁論術・現実的政治論を批判し、哲人政治を志す 第4回

2)構造(その2)

② 弁論術を学ぶ若い弟子 ポロス: つぎにプラトンは第2幕において、そのような弁論術が当時の社会において、特に若い世代にどのように熱烈に歓迎されていたかを、若き弟子ポロスを使って代弁させる。ポロスはシシリー島のアクラガスの出身でで、早くからゴルギアスに師事し、弁論術に関する入門書を書くほど修業は進んでいた。ポロスは師ゴルギアデスがソクラテスとの問答で窮して沈黙した後で登場する。ソクラテスから弁論術は技術であるどころか、敬虔や熟練に過ぎず(哲学理論がないということ)それはただ民衆への迎合に過ぎないと批判されて、彼は弁論術の現実社会での効用を絶賛することで、弁論実の弁護をするのである。彼は弁論家たちは諸国において実際に有能者として評価され尊敬されているのであって、その力は有力政治家と同じようであると力説する。「弁論家は、ちょうど独裁者にように、誰であろうとも、死刑にしたいと思う人を死刑にする」という。師ゴルギアスが持っていた弁論術の不正な使用に対する道徳的抑制も若い人は持ち合わせていなかった。ポロスにとって権力を持ったものが勝利を手にし、不義不正なものが富栄える社会の諸相こそが現実であった。しかしこの人間像はプラトンの意地の悪い戯画化であろうと思われるが、紀元前5世紀末の戦争と革命の時代に生まれた世代において、良俗がすたれ道義の頽廃した世相が当たり前に見えたのであろうし、若い世代全般に共通する考え方を代表しているとみていいだろう。

(つづく)