ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 井田 茂 著 「系外惑星と太陽系」 (岩波新書2017)

2018年12月13日 | 書評
ハッブル宇宙望遠鏡

天文学の進歩で相次いで発見される系外惑星と太陽系を比べると、多様な惑星の進化が見える 第3回

序(その3)

① 野本陽代、R・ウイリアムズ著 「ハッブル望遠鏡が見た宇宙」(岩波新書 1997年)
地上約600km上空の地球周回軌道をまわる「ハッブル望遠鏡」(長さ13.1メートル、重さ11トンの筒型)は、1986年のスペースシャトルチャレンジャー号の悲劇的な事故のために打ち上げ延期を余儀なくされたが、1990年予定より4年遅れて打ち上げられた。ところが直後に直径2.4mの反射鏡の周辺球面誤差のために球面収差という深刻な光学的欠陥が分かり、光軸周りの光だけを利用するソフト変更で15%の暗い望遠鏡で使用したが、1993年第1回サービスミッションで補正光学系を挿入して収差問題は解決した。それ以来バッフル望遠鏡は順調に機能し、数々の予想もしなかった発見がなされ、ブラックホールやビッグバンの情報が得られつつある。宇宙は超高温・超高密度な状態から、ビッグバンと呼ばれる爆発的な膨張によって誕生した。それから140億年の間に、銀河・星・惑星が形成され、その惑星の一つに生命が誕生した。この宇宙の進化を極めるのが天文学である。天文学者にとって主たる研究手段は望遠鏡であり、地球大気の影響を受けない明るい望遠鏡は夢であった。1970年代に始まるNASAのスペースシャトル計画によって地球周回軌道を回る望遠鏡の可能性が開け、アメリカ科学アカデミーの計画がやがてバッフル望遠鏡として実現した。第1回の修理が終わったばかりのバッフル顕微鏡は1994年1月より素晴らしい画像を送り始めた。オリオン星雲・渦巻銀河M100・大マゼラン星雲などこれまで見たことのない鮮明なカラー写真を送ってきた。それ以降天文学の学界や会議で発表される研究はハッブル望遠鏡なしでは語られないほどである。ハッブル望遠鏡によってはじめて観察できるようになった成果は、誕生して間もないころの姿をとどめる遠くの宇宙であった。バッフル望遠鏡は当初15年の運用期間の予定(1990-2005年)であったが、次のようなサービス修理を行いながら、今なお運用されている。ハッブル望遠鏡は宇宙の始まりについていろいろな情報を発見した。地球の位置を宇宙の階層であえて書くとしたら、「大宇宙、おとめ座超銀河団、局所銀河群、天の川銀河、オリオン腕、太陽系、地球」となる。重力でのみ結ばれた集団を、星→星団→銀河→銀河団→超銀河団となずける。その構造は決して一様ではない。銀河が10億個も入る何もない空間「ボイド」、5億光年も延々とつながる銀河の壁「グレートウォール」、銀河を引き付ける巨大な重力源「グレートアトラクター」などの大規模構造が続々発見されている。私たちが住む天の川銀河が属する局所銀河群は、銀河団としては半径が300万光年、構成メンバーが30余りしかない、小さな銀河群である。大小マゼラン雲、アンドロメダ銀河が仲間である。左の写真は220万光年離れたアンドロメダ銀河の中心にある一番明るい球状星団G1ですくなくとも30万個の星が含まれている。アンドロメダ銀河には2つの核があり、暗いほうが銀河の中心で明るい核は周辺にある。これは銀河がほかの銀河を飲み込んだ結果ではないかと推測される。次にちょうこくしつ座の「車輪銀河」は、5億光年のかなたにある。約2億年前大きな銀河の中心を小さな銀河が突き抜け、その衝撃波が周りの物質と衝突してリングが作られた。その証拠は近くに2つの銀河が存在するからである宇宙誕生のころ銀河同士のニアミスや衝突はたえず起きていたようだ。星が爆発的生まれている領域(スターバースト銀河)が、さんかく座の渦巻銀河M33やちょうこくしつ座の銀河NGC253、渦巻銀河M51などにみられ、星の密度は極めて高く、明るさは太陽の1億倍、質量は太陽の4億倍もある。活発な活動をしている銀河M87は約5200万光年の距離にあって、500光年の長さを持つガスの円盤が見つかった。中心に太陽30億個分の質量を持つブラックホールが存在する。1996年6月ハッブル望遠鏡は約90億光年のかなたのクエーサー(準恒星状電波源 活動銀河核の一種)を発見した。上の天体は約70億光年の先にある楕円銀河である。クエーサーにエネルギーを提供しているのはブラックホールである。ブラックホールに星が落ち込むとき強烈な放射があるからである。宇宙の距離に指標となるセファイド型変光星を用いた観測で、2つに銀河の距離を求め、宇宙の膨張速度は距離の2乗に比例する原理で宇宙の年齢をを求めて推算すると、宇宙の年齢は140億年と考えられている。

(つづく)
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読書ノート 井田 茂 著 「系外惑星と太陽系」 (岩波新書2017)

2018年12月12日 | 書評
ケプラー宇宙望遠鏡

天文学の進歩で相次いで発見される系外惑星と太陽系を比べると、多様な惑星の進化が見える 第2回

序(その2)

 太陽系と同じような惑星群銀河系の他の星々にも惑星が存在するだろうと考えられた。1940年頃から系外惑星の探索が行われたが、地上の直視望遠鏡では観測技術上の未熟により何も発見されなかった。だが1995年にケプラー宇宙望遠鏡が突如系外惑星を捉えた。発見されたのは中心の恒星のすぐ近くを4日間で高速回転するガス惑星(ホット・ジュピター)だった。ついで水星のように偏心した楕円軌道を巡るガス惑星(エキセントリック・ジュピター)だった。太陽系の惑星の常識を打ち破ったのである。木星よりははるかに小さく地球程度の岩石惑星と考えられる「スーパーアース」も今世紀に入って発見された。測定精度の著しい向上が多様な惑星の存在を実証したのである。分厚い水(水深1000Km)をもつM型星の惑星らは、自然と地球・太陽中心主義を打ち砕いた。心理学的に「無限」への恐怖に近い感情や唯一であるという「孤独感」も、宇宙像の観測精度向上の上に立って新しい宇宙像を描く過程で処理しなければならない。唯一の宇宙(ユニバース)から「マルチバース」は実証不可能である。それは哲学であるかもしれない。いま日本そして世界では人の興味が地球外生命に向かっている。これは夢かも知れないが2016年には隣の恒星のプロキシマ・ケンタウリに、海を持つかもしれない地球サイズの惑星が発見された。2018年にはトランジット(食観測)法で全天探索を行うTESS宇宙望遠鏡の打ち上げが予定されており、ハッブル宇宙望遠鏡を遥かに凌ぐ口径6.5mのジェームス・ウエップ宇宙望遠鏡(JWST)の打ち上げも真近かである。2020年には地上の超大型望遠鏡(TMT,E-ELT)が登場し系外ハビタブル惑星観測に加わる予定である。超大規模電波望遠鏡群(SKA)にも期待が持たれる。まるで素粒子論における高エネルギー粒子衝突装置の拡大競争のような大規模天文学装置時代がやって来た。莫大な国家予算を費やすることは間違いない。

 本書の著者井田茂氏の本を読むのは初めてですので、氏のプロフィールを紹介する。井田 茂氏は、日本の惑星科学者。専門は、惑星物理学である。1960年:東京都に生まれる。1984年京都大学理学部物理系卒業。1989年3月東京大学大学院理学研究科地球物理学専攻博士課程修了、理学博士号を取得。1990年東京大学教養学部宇宙地球科学教室の助手となる。1993年東京工業大学理学部地球・惑星科学科助教授となる。1995年:カリフォルニア大学サンタクルーズ校、コロラド大学ボルダー校に留学。2006年東京工業大学理学部地球惑星科学科教授に就任。2007年日本天文学会林忠四郎賞受賞(「惑星系形成過程の理論的研究」) 主な著書に「地球外生命」(共著 岩波新書)、「系外惑星」(ちくまプリマ―新書)、「系外惑星の事典」(共著 朝倉書店)、「一億個の地球」(共著 岩波科学ライブラリー 1999年)、井田茂 「異形の惑星 - 系外惑星形成理論から」( 日本放送出版協会〈NHKブックス〉2003年)、「系外惑星』」(東京大学出版会、2007年)、「スーパーアース」( PHP研究所、2011年)などである。天文学関係の本を読んだことも少ないが、次の3冊が関係すると思われるので、本書に関係する部分の概要を示しておこう。

(つづく)

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読書ノート 井田 茂 著 「系外惑星と太陽系」 (岩波新書2017)

2018年12月11日 | 書評
銀河系とケプラー宇宙望遠鏡の探索する範囲 (ミルキーウエイ)

天文学の進歩で相次いで発見される系外惑星と太陽系を比べると、多様な惑星の進化が見える 第1回

序(その1)

天の川として夜空に見える銀河系は、恒星が数千億個も集まったものである。最近の観測データによると太陽に似た恒星系には、そのなかの10-20%の恒星の周りに地球と同じくらいの大きさで、かつ液体の水を持つ惑星があるのではないかと推定されている。その中には生物が生きている可能性が考えられるという意味で「ハビタブル惑星」と呼ぶこともある。惑星は恒星に伴って回転しているので、地球のような惑星は数百億個あることになる。太陽系以外の惑星を「系外惑星」と呼ぶ。地球と同じような棋道、質量を持つ惑星も数多く存在しているのではないかと期待する人もいる。「我々は何処から来たのか、我々な何者なのか、我々は何処へゆくのか」(ゴーギャンの言葉)は人類への問いであり、生物学はこの問いに答えようとしている。これを生物科学(私の科学)という。これに対して宇宙論や素粒子物理学は天空の科学(彼岸の科学)といって、近年目覚ましく進展した。重力波、ヒッグス粒子、11次元超ひも理論、ブラックホール、ダークエネルギーらは人体から遠く離れた次元の科学である。系外惑星研究は天空の科学であるが、地球や生物とも深くつながっている。そういう意味で太陽系と系外惑星の比較は、共通点と差異に注目して議論してゆかなければならない。本書は「第2の地球」、「地球たち」、「ハビタブル惑星」という言葉が何を意味するかを考えるものである。ハビタブルという言葉の定義もあるようなないような状態ではあるが、惑星の質量、軌道と恒星の温度から、惑星「地球たち」の温度が決まり、そしてエネルギーと水・炭素・窒素の元素が供給されるかどうかだとすれば、地球に瓜二つでなくてもいい惑星だけでなく衛星もその候補になってくる。これは非常に広い(緩い)生命発生条件となる。一方、地球・太陽系中心主義はこれまでの天文学において常に中心にあった。特にそれはキリスト教の西欧文明のテーゼであった天動説からまず地動説にコペルニクス的転回を成し遂げ。ケプラーは精密な観測データーを解析して、コペルニクスやガリレイによる単純な地動説を超え、ニュートン力学の誕生に結び付いた。地球は惑星であるので、生物は惑星のどこにいても不思議ではないという「多世界論」はキリスト教を激しく衝突した。「地球は神に選ばれた特別な場所」でなくてもいいのである。ところが19世紀の天文学の進展と分光観測によって大気の組成や温度が測定され、太陽系で生命が住めるのは地球しかないことが分かった。太陽系にハビタブル惑星の可能性がなくなったので、系外惑星の探索に向かった。太陽は銀河を構成する無数の恒星の一つで、銀河系も宇宙に無数にある銀河に一つだということが分かり、太陽も宇宙の中心ではなくなった。太陽系と同じような惑星群銀河系の他の星々にも惑星が存在するだろうと考えられた。

(つづく)
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読書ノート 小熊英二・高賛侑・高秀美 編 「在日二世の記憶」 集英社新書(2016年)

2018年12月10日 | 書評
戦後日本社会で差別とアイデンティティに苦しんで生きた在日二世の活躍のオーラルヒストリー 第25回 最終回

50) 「ヘイト・スピーチを許さぬ裁判闘争の勝利」 金尚均 男 1967年生まれ

大阪市東淀川で生まれました。朝鮮人と言われて喧嘩はよくしましたが、特別民族教育に触れることもなく育ちました。立命館大学法学部に入った時は本名で行こうとしました。大学時代は在日朝鮮人留学同盟に入り積極的に活動を行いました。大学院に進んだとき指導教授から、「日本の国法で外国人が教員になったことはない」といわれて、大学院を中退し、ドイツのボン大学に行きました。ところが1996年には山口大学経済学部講師に採用され、98年には福岡の西南学院大学法学部助教授になりました。そして2001年京都の龍谷大学で助教授になり、後教授となりました。龍谷大学から再びドイツボン大学に留学し、12年にギーセン大学の客員教授となりました。2007年日本の刑法の政治的・恣意的な運用を示す事件が起きました。道路交通法の車庫飛ばしという軽微な違反で、滋賀県警が朝鮮初級学校に捜査に入ったことです。大勢の警官が学校に入って捜査すというのは、前代未聞の事件でした。また2009年12月京都第一初級学校に対する襲撃事件が起こりました。在特かいのメンバーが「勧進橋児童公園を学校が占拠しているので襲撃する」と街宣車でわめいていました。公園の使用については50年ほど前住民と市と学校で協定して使用させてもらっていましたが、2010年1月に退去することで話し合いがついていました。私は連絡を受けて慌てて駆けつけますと、在特会のメンバーは11人で、「スパイの子」とかネトウヨから拾ってきた言葉しか話せない輩で、話の通じる相手ではなかった。現場には7人の警察官がいましたが、何もしないで威力妨害、器物破損が行われていてもすぐさま逮捕しない、こうした警察の恣意的な対応が在特会の無謀な集団行動を許しているかのようでした。12月8日に保護者会を開きました。私は刑事告訴を提起し、京都弁護士会も非常に協力していただき、名誉棄損で刑事告訴をしました。警察は侮辱罪に落としてくれないかと行ってきました。侮辱罪は一番軽い刑です。警察は侮辱罪で起訴しました。その後も在特会のヘイトデモが行われたので、街宣禁止の仮処分申請を行い、地裁の仮処分が出ました。弁護団は地裁に間接強制申請を行い100万円の罰金支払い命令が出ました。2010年6月京都地裁の民事訴訟を起こしました。日本人を中心とした「こるむ」という支援者組織ができたことが励ましになりました。刑事裁判では2011年4月襲撃した在特会4人に懲役1年から2年、執行猶予4年の判決が出ました。民事裁判は2013年10月京都地裁で出ました。名誉棄損であり、威力業務妨害で民族教育権を侵害したという判決です。損害賠償金1226万円、学校の半径200以内で街宣活動禁止です。在特会は控訴してきましたが2014年7月大阪高裁の判決が出て一審判決が支持されました。第1初級学級は2013年に合併して京都朝鮮初級学級が移転し醍醐に新校舎が出来ました。ドイツではヘイトスピーチは民扇動罪と同様刑事罰が重く、最長刑罰5年です、EUは加入条件の一つにヘイトスピーチ規制を入れています。アメリカにはヘイトクライム法があります。だから日本は世界でも奇異なくらいヘイト無法国なのであります。国連の人権委員会から何度も勧告をうけているのもかかわらず改善の様子がない。その理由の一つは表現の自由を挙げて国連人種差別撤廃条約第4条(a),(b)項を留保しています。表現の自由を侵さない限り適用するという条件付きなのです。ところがヘイトスピーチは表現の自由の問題ではないのです。差別用語撤廃問題と関連しています。古典文の差別用語でさえ但し書きを添えないと使えません。現代文は全く使用禁止です。(つんぼ、めくら、びっこ、てんこ・・・)

(完)
 
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読書ノート 小熊英二・高賛侑・高秀美 編 「在日二世の記憶」 集英社新書(2016年)

2018年12月09日 | 書評
戦後日本社会で差別とアイデンティティに苦しんで生きた在日二世の活躍のオーラルヒストリー 第24回

「在日二世 50人の記憶」  要約
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39) 「在日済州島出身者にも深い傷跡残した4・3事件の完全解決を」 呉光現 男 1957年生まれ
大阪市生野区猪飼野(現中川)で6人兄弟の末っ子に生まれました。猪飼野は日本最大級のコリアタウンで、住民の5人に一人は在日朝鮮人であり、その半分は済州島にルーツを持つと言われています。済州島は朝鮮半島南部にうかぶ大きな島ですが、耕地が少なくとても貧しい島です。島民の多くが朝鮮本土や日本に出稼ぎに行きました。戦前は済州島の人口の1/5が日本に渡った。父は生野に来てから、飴売り、軍靴製造、ガラス製造、廃品回収、プラスチック工場などをしていました。プラスチック工場は1970年代のオイルショックで受注が減り倒産しました。高校時代に「朝鮮文化研究会」に入りましたが熱心ではなく、テニスに明け暮れた青春でした。文学書を読んでいて、たまたま金石範の「鴉の死」を読むと、4・3済州島事件をテーマにした小説でした。このことを父に話すと頭を殴られましたが、なぜ殴られたのかさっぱりわかりませんでした。父母は日本語が読めません。大阪市立大学文学部に入学し在日韓国学生同盟に所属し、朝鮮の歴史を勉強しました。大学卒業後、キリスト教聖公会地域活動団体である「生野地域活動協議会」で10年間働きました。済州4・3事件は南北分断に反対する武装蜂起に端を発して、李承晩政権が鎮圧した過程で、島民の1割以上の3万人近くが犠牲になった悲劇です。1948年5月南だけの選挙に反対する蜂起が始まり、8月大韓民国樹立によって済州島焦土作戦(内乱鎮圧)が展開され、続いて1950年の朝鮮戦争と重なって、3万人近くの島民が殺されたと言われます。韓国政府はこれを「共産暴動」と烙印を押しました。4・3事件の前後弾圧を恐れて日本に逃れた人の数は1万人以上になると見られます。それ以来島民は事件について口をふさぎ、語ることを憚りました。しかし1980年の韓国民主化の流れの中で事件を見直す動きが高まった。2000年に「済州4・3事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法」が制定され、盧泰愚政権は国家権力の過ちを公式に謝罪しました。1988年に東京で「追悼記念講演会」が開かれ、これに感銘を受けて1991年大阪でも追悼シンポジウムが行われ、事件50周年の1998年に大阪で大集会をやろうと実行委員会が作られ私も参加しました。2000年に「在日済州4・3事件犠牲者遺族会」が作られ、事務局長になり、2011年にはその会長になりました。2008年の60周年大阪体験者証言集会で半世紀の沈黙を破ってはじめて惨劇の様子を聴くことが出来ました。朴槿恵大統領は2014年から4月3日を「国家追悼の日」に制定しました。

41) 「被爆者二世として何かせにゃいけん」 韓政美 男 1957年生まれ
1945年8月6日は母が9歳の時のことです。実家は原爆ドームから600m離れた川の向こうにありました。母は被爆者手帳を持っていますが、私達にはその時疎開していて後で広島市に入って被曝したという風に語っていました。ところがあとになって、もろに被曝したことを教えてくれました。日本人の中にある被爆者に対するハンディ+朝鮮人に対す差別を恐れて軽度の被ばくを装っていたのでしょうか。母は乳がん、子宮がんをやりました、弟はがんの合併症になりました。母の父は胃がんで亡くなり、やはり被ばくによる発がんではないでしょうか。母は被ばくの後小学校3年で中退し、家計を助けるため幼いながら闇市でよう働きました。家は貧乏人の典型で、父はニコヨン(失業対策土木事業)で働き、わたしはプロ野球の広島カープに入るんだという野球少年でした。父が総連の分会長をやっていたので、高校から朝鮮学校へゆきました。朝鮮学校は私を変えてくれたので、朝鮮大学にいって教師になろうと思い1976年外国語学部に入学しました。大学生の時1979年に広島・長崎被爆者実態調査団が広島に来て被爆者の証言の掘り起こしを行いました。母も重い口を開き始め、その時昔聞いた話とは違うことに気が付いたのでした。1980年に大学を卒業して広島朝鮮中高級学校の教師になりました。以来20年以上在日朝鮮人被爆者問題を中心とする平和教育に努めました。2004年に総連広島本部教育ぶちょうになり、2010年には広島朝鮮学園理事長になりました。2014年総連御広島市北支部委員長になったのですが、2015年に広島朝鮮人被爆者二世の会の会長になり、総連本部副委員著を兼任しました。広島で被爆した朝鮮人は約5万人で、うち3万人が死亡し、2万人が後遺症で苦しんでいる。被曝朝鮮人二世の数は400人ぐらい(広島県朝鮮人被爆者協議会の名簿で170人なので、全国的調査をすれば)だろうと言われている。又被爆者の中で北の共和国にいる朝鮮人だけが外されている問題があります。北朝鮮への特別な差別は、高校無償化の事と併せ、被爆者の差別も日本政府の対応を問題としなければならない。

(つづく)
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