ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝散歩 モンテーニュ-著 荒木昭太郎訳 「エセー」 中公クラシック Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ (2003年3月)

2018年06月17日 | 漢詩・自由詩
16 世紀フランスのモラリスト文学の祖モンテーニュ-の人間学 第2回

序(その2)

モンテーニュ-の城館はフランス西南部のペリゴール地方のブドウ畑の丘の上にある。城壁の高さは7ー8mの石垣に囲まれた館の南の角に、直径10m、高さ12mの円筒形の塔がある。1階はシャペル、2階は寝室、3階は「読書室」となり、さわやかな風が吹き抜ける構造となっている。ここに、モンテーニュ-は1571年2月28日に、17年間にわたる裁判官の生活から退き、引退生活を送ることになった。その部屋の壁面に「残っている日々を安息と平安のうちに過ごすことができるようにと、博学な女神の胸に引きこもることにした」という文を刻んだ。そして死ぬまでここで日常生活の雑用から可能な限り離れて自分一人の自由な空間を設定し、読書と思索の日々を送った。モンテーニュ-の生きた16世紀中頃から末期のフランスは、1959年のカトー・カンブレジスの和約によってスペインとの講和が成立し、半世紀も続いたイタリア戦争に終止符を打ったが、国内ではカトリックとプロテスタント両派の対立が激化し、内戦時代となっていた。モンテーニュ-の立場は穏健中道のカトリック王党派で、ボルドー市の商業市民階層がそれを支持した。1568年に父が死去し、家督相続、領地経営のために、これまで勤めていたボルドー最高法院評定者の職を辞しその位を去った。この進路転換によってモンテーニュ-は政治と社会の表面から退避し、自己の一層の教化に向かうわけであるが、1572年8月の恐るべき「サン・バルテルミー虐殺事件」から身を離すというきわどい幸運につながった。こうしてモンテーニュ-は自己の内面のの探求と人間性一般の省察に向かった。書斎に腰を据えた彼は、些細な事をも主題として古今東西のの様々な書物に接して記し留めることを始めた。とりわけプルタルコスの「対比列伝」、「論理論集」を愛読したという。哲学書、歴史書、回想録から、戦争、儀礼、習俗、臆病、悲しみ、恐れなどの主題を取り上げた。そして読後感想文のような「エセー」を書き始めた。数多くの事例を列挙し、相対的な視点に立って対比しながら考察する彼の独特の思考方式が確立されてゆく。1563年の親友ラ・ボエシーとの死別はモンテーニュ-に強い衝撃を与えた。それを契機に彼はルクレチウスの「事物の本質」についてを精読し、個人の生死から人間全般の自然における位置について徹底した施策を展開した。そして1571年以降「哲学すること、それはどのように死ぬかを学ぶことだ」という心構えで死に立ち向かうモンテーニュ-のエセーの変わらぬ姿勢が出来上がった。このころセネカの「書簡」を熱心に読み、セネカ、小カトー、ラ・ボエシーの死に対する思考と行動を模範とした。読む本から考察の材料を得、また内心深く考える課題の糸口を書物に求める仕事を倦むことなく追求した。1576年、モンテーニュ-は「私は判断を中断する」という文字とテンビンの図柄を刻んだ銅のメダルを作った。このころ彼はセクスツゥス・エンペイリコスの「ピュロン主義概説」を読み込んでおり、懐疑主義思想に強く染められた。彼の場合、これは独断を排し、現実に対して慎重に対処する思考方式であった。彼は最初から神の意志を云々することを「思い上がり」と見て、人間の理性による納得を根本とする考えを否定しており、人間を自然界の一員として広大な自然の力の中でとらえる思想を持っていた。それは長大な「レーモン・スポン弁護」(第2巻12章)に結実した。「私は何を知っているのか ク・セ・ジュ」という有名な句がある。認識論において人間の優越意識を攻撃し、様々な論証を展開している。柔軟な思考の回転、自在な問題の処理ができるのは、彼の判断力が活発に働くからである。自分の判断力の試し、それが「エセー」の本質である。モンテーニュ-はラテン語教育を受けルネッサンスの人文主義的知識と先進イタリア文明にに強い影響を受けた。人間社会の基本構造は伝達の方式、言語体系によって成り立っているとの認識から、「我々は述べる言葉によって初めて人間であるのであり、お互い同士結びついているわけである」という。この認識が成立のと並行して、内容や材料の面で自己と他者の連関の問題が現れて来る。1580年エセー初版本の序文に「読者に」を書いて、ここで自分自身のことを材料にすると宣言し、私的個人的な利用を考えた刊行物であるという自負心を示した。自信にあふれた自己描写は、フランスの「モラリスト文学」すなわち「行動し生活する人間を観察し、個と普遍を連結する展望のなかに省察を加え、独自の表現に具体化した文学」の出発点となった。この1578年から1580年にかけての時期には、キケロ、カエサル、ウェルギリウス、ホラチウスらの著作を読んでさらに厚みを増した思考が「エセー」群に加わった。この時期のモンテーニュ-は、克己と節制を含んだ快楽の充足を、慎重さと謙虚さの上に立つ思考の活動を、そして拘束を排した人間の資質、能力の発揮を主張している。こうして1580年に「エセー]初版本2巻94章をボルドーの書店から刊行した。

(つづく)


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筑波子 月次絶句集 「雪 梅」

2013年02月08日 | 漢詩・自由詩
江頭千樹両三枝     江頭千樹 両三の枝

破蕾清香老木知     破蕾し清香 老木知る

忍凍寒梢残雪外     凍を忍び寒梢 残雪の外
  
紅梅始発出天姿     紅梅始て発し 天姿を出す


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(韻:四支 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(考えるところがあり、明日より漢詩のアップを中断します)
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筑波子 月次絶句集 「観 梅」

2013年02月07日 | 漢詩・自由詩
詩朋痩身喜春回     詩朋痩身 春の回るを喜び

酒友紅顔尋白梅     酒友紅顔 白梅を尋ぬ

郁郁南枝香苑圃     郁郁と南枝 苑圃に香ひ
 
黄黄霽月動桜台     黄黄と霽月 桜台に動く



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(韻:十灰 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
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筑波子 月次絶句集 「立春香」

2013年02月06日 | 漢詩・自由詩
節分陰退入新陽     節分陰退き 新陽に入り

暖律寒消麗日長     暖律寒消え 麗日長し

岸柳三春迎月浄     岸柳三春 月を迎えて浄く
 
江梅二月送風香     江梅二月 風を送って香し


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(韻:七陽 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
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筑波子 月次絶句集 「雪後天」

2013年02月05日 | 漢詩・自由詩
柳條初放望晴川     柳條初て放つ 晴川を望み

寒冷青空雪後天     寒冷なり青空 雪後の天

方是皎然新世界     方に是れ皎然たり 新世界
 
江東二月別坤乾     江東二月 別乾坤


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(韻:一先 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
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