ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

経済問題 春山昇華著 「サブプライム後に何が起きているのか」 宝島新書

2008年12月03日 | 書評
格付け信用の失墜とレバレッジ手法の終焉 第5回

2) 救世主の国富ファンド

これまでの金融の歴史では誰かが窮地に陥ったら、奉加帳をまわして救済資金が集められた。しかし今回この奉加帳方式は機能しなかった。90年代より金融危機関は自己資本規制(バーゼルⅠ&Ⅱ)によって、野放図な拡大路線は取れなくなっている。商売の規模に応じた資本金規模が求められるのであるが、経営者は株価の下がる増資や自社株ストックオプションは避けるものである。銀行には余裕のお金は何処にもなかった。銀行はリスク上許される限りのレバレッジを掛けた嵩上げ商品開発(証券化)に努めてきた。つまりオフバランス(簿外)を大々的に進展させた「レバレッジ経営」をしていたのである。すると資金に余裕のある者は,先進国金融機関以外に求めざるを得ない。そこで登場したのが、アジア・中東の国冨ファンドである。

国冨ファンドとは国家機関(ソブリン)が主体となって運用するファンドである。IMFの推定によると、268兆円の資産規模で、ヘッジファンドの2倍の資産規模を誇る。その資金源は石油・ガスなど天然資源の輸出による貿易黒字か、商品の輸出による貿易黒字である。貿易黒字によって外貨の蓄積、外貨準備高をたくさん持っている。天然資源の輸出による貿易黒字国にはアラブ首長国連邦、サウジアラビア、クエート、カタール、オーストラリア、リビア、アラスカ、ブルネイ、マレーシアなどがあり、商品の貿易黒字国にはシンガポール、中国、香港、韓国などがいる。世界で唯一、貿易時の支払いに使用される米ドルを持つアメリカだけが巨額の貿易赤字に耐えられる。アメリカの貿易赤字の累積額がすなわち国富ファンドの資金源である。政府系ファンドといえば年金、郵貯などもファンドではあるが、資金に余裕は無いし、長期の貸付にはリスクが大きいので出来ない。短期的な時価評価に煩わされない巨額の投資が可能な余裕のある資金が中東の石油系ファンドである。秘密のベールに包まれ、国民の監視から免れた資金とは中東の王政国家や社会主義国家資金である。すなわち民主主義議会(民意)が存在しない独裁国家が便利である。

中東イスラム圏でな「利息のある貸付業務を行っている企業への出資・投資は禁止」されている。イスラム金融とアメリカ金融が共存共栄できるかどうかは不透明である。しかし近年の中東諸国や中国が資金の再配分の権力を持ちつつある。覇権が移動しているのだろうか。覇権とは権利と義務が表裏一体の関係にある。義務とは貿易決済で必要とする流動性のある通貨を潤沢に供給する事である。アメリカは膨大な貿易赤字を海外からの資金流入で埋め合わせるという自転車操業が出来る経済大国である。日本や中東や中国がアメリカへの商品輸出に依存している限り、覇権国家とはいえない。ましてドルに代わる事は未だ想像もつかない。


読書ノート 三村芳和著 「酸素のはなしー生物を育んだ気体」 中公新書

2008年12月03日 | 書評
27億年前、光合成によって酸素ガスが出来ると、生物は一気に進化した
 第12回   最終回


6.酸素と人体医学

著者は医者として色々な酸素医学の話題を提供する。人は1日700グラムの酸素を消費する。その95%はミトコンドリア内でエネルギーとなるATP生産に使われ、1-2%の酸素が電子伝達系で活性酸素に変わる。この活性酸素が免疫や老化に関るのである。水分子をきる時に酸素フリーラジカルが発生し体内の成分を破壊するので、遺伝子損傷、細菌への攻撃、老化に関係する。そのため最近、抗酸化食品が売れている。どのくらい効果があるのかは不明であるが。「虚血・再還流・傷害」という外科的損傷が起きるのは、無酸素状態でキサンチン脱水素酵素が酸化酵素に転化し、これが酸素を活性酸素に変化させるからである。抗体と白血球が体内に侵入した細菌に酸素を浴びせて破壊する。血管などの傷の再生には白血球のマクロファージが酸素濃度勾配を検知して血管新生を刺激するのである。手術後の傷の直りには高酸素治療が有効である。血液中の酸素分圧が下がる(1-15mmHg)と嫌気性代謝に替わり乳酸がたまって疲労の原因になる事はよく知られている。ガンの進展・転移に転写因子HIF-1αが関係している。これはHIF-1αが血管新生因子VEGFを活性化させ、がんの生育を助けるからである。がんの転移には、低酸素状態で転写因子HIF-1ががん細胞に結合マークを付けて(ケモカイン受容体)、臓器細胞に着床させるのである。

文藝散歩 「ギリシャ悲劇」  中公新書・岩波文庫

2008年12月03日 | 書評
啓蒙・理性の世紀、紀元前5世紀都市国家アテネの繁栄と没落を描くギリシャ悲劇 第5回 


丹下和彦編 「ギリシャ悲劇」 中公新書 (4)

1) アイスキュロス 「ペルシャ人」
ギリシャ人、特にアテネ人にとって自由という概念が固有の伝統的価値観であった。ペルシャ人の来寇を撃退し独立と自由を守ったことは、アテネ人にとって自由を国是とする熱血的な愛国精神をもたらした。ペルシャ戦争を自由を守るための戦争と規定した「テミストクレスの民会決議碑文」を心に止める必要がある。

2) アイスキュロス 「オレステイア三部作」
ギリシャに伝統的な概念としてヘロドトスも挙げていた「法」の概念である。復讐は力の正義であり、報復には報復の循環が生じる。母親殺害というう事態は従来の力の正義だけでは収拾出来なくなった。法の正義の確立は、新しい市民社会の成立に必須の要件であった。アテネ内部の政治的内紛(改革派ペリクレスと保守派キモンとの対立抗争)はペリクレスの勝利で避けられた。法的社会礼賛はギリシャ民族が持つ部族の論理からの脱却である事が強調される。

3) ソポクレス   「アンティゴネ」
死んだ兄の埋葬をとり行おうとするアンティゴネの英雄的行為は、神の法と現世の人間の法との論争である。アリストテレスはソポクレスが「人間をそうあるべき如くに描く」と言ったが、生への絆を断ち切れない人間味溢れる英雄として肯定的に表現されている。美を愛し知を愛する存在として英雄的に人間が描かれている。

4) ソポクレス   「オイディプス王」
ここでは知の問題が描かれている。テバイの悪疫の原因追求に自分の存在をかけて、自分の出自まで明らかにせざるをえないオイディプス王の悲劇である。知性によってこの世界を捉えなおすことを止められない人間の知性の自立問題である。「知の愛好者」である。

5) エウリピデス  「メディア」
アリストテレスはエウリピデスを「人間をありのままに描く」といった。自分を裏切った夫に復讐するために、子供まで殺す罪深い所業は激情チューモスのせいである。激情・非理性が犯行を計画するのである。理性の網から漏れた感性が、しばしば人間を突き動かして思いもよらない行動へ走らせる。こうした情念の奔流はやはり人間の中に厳然として存在する。

6) エウリピデス  「ヘレネ」
繁栄に驕ったアテネ共同体は前416年にメロス事件の暴虐を起こし、そしてシチリア遠征艦隊の壊滅的敗北を喫す。こうした知性の衰退がアテネを衰退に導いた。トロイ戦争を題材に一人の女ヘレネの幻の姿と、エジプトに幽閉された本当のヘレネの認識をめぐる知の病を描いた。表面的には脱出劇に過ぎないが、内面は真実と幻が区別できない錯乱した精神を描いているのである。

7) エウリピデス  「キュクロポス」、「オレステス」、「バッコスの信女」三部作
キュクロポスは笑劇でありながら、知と法も嘲笑とパロディの対象でしかない。 エウリピデスは三部作で法秩序への反乱という視点から捉えた。パロディと云う形を取りながら、「オレステス」では母親殺しの罪で死刑の判決を受けたオレステスが、血縁関係よりも利害関係からなる党派の力を重視して法を無視して生き延びるのである。オレステスは罪を犯したという意識に苛まれながら助命嘆願とという行為に出て、英雄も地に落ちたのである。最期の「バッコスの信女」では新興宗教を弾圧する現世の王の権威も、卑猥な興味から殺害される羽目になる若き王オレステスの喜劇である。病んだ知に支配された行く先はいつも破滅である。悲劇詩人エウリピデスは病んだ知の病理解剖を行うのである。


自作漢詩 「江村黄昏」

2008年12月03日 | 漢詩・自由詩
犬睡江邊農夫     犬睡る江邊 農夫の家

橋西白水漱寒     橋西白水 寒沙に漱ぐ

老垂紅葉山新痩     紅葉老垂し 山新たに痩せ

眺望黄昏日自     眺望す黄昏 日自ら斜なり 

●●○○○●◎
●○●●●○◎
●○○●○○●
●●○○●●◎
(赤い字は韻:六麻七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 バッハ「ミサ曲ロ短調」

2008年12月03日 | 音楽
バッハ 「ミサ曲ロ短調」 BWV232
カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団 
ソプラノ:マリア・シュターダ アルト:ヘルタ・テッパー テノール:エルンスト・ヘフリガー 
バス:フィッシャー・ディースカウ バス:キート・エンゲン
ADD 1961 ARCHIV(CD2枚組)

冒頭のキリエエレイソン(主よ憐れみたまえ)の始め4小節に、すべての存在をかけ、心の底から搾り出す許しを請う叫びを聞け!わずか数十秒の最大の聞きどころである。リヒターの活動のピークは1950年代中頃から1960年代中頃といわれ、この録音は最もリヒターの集中力の凄まじさを堪能できる録音である。