電力のグリーン化による脱原子力社会のシナリオ 第18回
3) 脱原発住民運動 (2)
ここに再生可能エネルギーによる町おこしの例を3題取り上げている。ひとつは山形県立川町の風力発電事業である。1989年の「ふるさと創生1億円事業」に応募して、1993年町営の100kWの発電用風車3基を設置し、1992年から始まった「余剰電力買取制度」によって東北電力に販売された。1996年には400kWの風車2基をによって全国初の民間売買会社が事業を開始した。1998年から町が出資して第3セクター方式となった。町には2011年現在風車14基、7850kWの設備用量がある。次の例は岩手県葛巻町の風力発電所である。袖山高原に第3セクターのエコワールド葛巻風力発電所の400kW風車3基があり、上外川高原にはJパワーの1750kWの風力発電機12基が2003年より運転している。これは1万5000世帯分に相当する。ミルクとワインとクリーンエネルギーが待ちのキャッチフレーズである。上の2例が「自治体風車」だとすれば、3つ目の例は北海道濱頓別町の「市民風車」である。生活クラブ生協北海道を主体となって、チェルノブイ事故の翌年1987年に泊原発1・2号機の運転を巡って道民投票の実施運動が盛り上がった。1996年には泊原発3号機計画反対署名運動が起きた。これらの運動は原発を止めることにはならなかったが、1999年運動の中心がグリーン電気料金運動を起こし、北海道グリーンファンドという寄付金募集をおこなった。2000年に1口50万円の出資を呼びかけ1億4000万円が集まり、事業運営にトーメンジャパンの協力を得て、濱頓別町に出力990kWの風車設置が決まった。事業主体は「北海道市民風力発電」が発足した。平均の設備利用率は実績27%であった。日本の現状では太陽光発電は収益性や事業性は期待できなかったが、風力発電事業はすでに欧米では営利事業として運営されていた。著者の長谷川公一氏はこの事業は「地域性、運動性、事業性」の成功例として高く持ち上げている。風力発電を洋上大規模化施設とするか、欧州のようにデンマークでは小規模事業者による「農民風車」の例もあるが概して大規模化には向かないとしている。
(つづく)
3) 脱原発住民運動 (2)
ここに再生可能エネルギーによる町おこしの例を3題取り上げている。ひとつは山形県立川町の風力発電事業である。1989年の「ふるさと創生1億円事業」に応募して、1993年町営の100kWの発電用風車3基を設置し、1992年から始まった「余剰電力買取制度」によって東北電力に販売された。1996年には400kWの風車2基をによって全国初の民間売買会社が事業を開始した。1998年から町が出資して第3セクター方式となった。町には2011年現在風車14基、7850kWの設備用量がある。次の例は岩手県葛巻町の風力発電所である。袖山高原に第3セクターのエコワールド葛巻風力発電所の400kW風車3基があり、上外川高原にはJパワーの1750kWの風力発電機12基が2003年より運転している。これは1万5000世帯分に相当する。ミルクとワインとクリーンエネルギーが待ちのキャッチフレーズである。上の2例が「自治体風車」だとすれば、3つ目の例は北海道濱頓別町の「市民風車」である。生活クラブ生協北海道を主体となって、チェルノブイ事故の翌年1987年に泊原発1・2号機の運転を巡って道民投票の実施運動が盛り上がった。1996年には泊原発3号機計画反対署名運動が起きた。これらの運動は原発を止めることにはならなかったが、1999年運動の中心がグリーン電気料金運動を起こし、北海道グリーンファンドという寄付金募集をおこなった。2000年に1口50万円の出資を呼びかけ1億4000万円が集まり、事業運営にトーメンジャパンの協力を得て、濱頓別町に出力990kWの風車設置が決まった。事業主体は「北海道市民風力発電」が発足した。平均の設備利用率は実績27%であった。日本の現状では太陽光発電は収益性や事業性は期待できなかったが、風力発電事業はすでに欧米では営利事業として運営されていた。著者の長谷川公一氏はこの事業は「地域性、運動性、事業性」の成功例として高く持ち上げている。風力発電を洋上大規模化施設とするか、欧州のようにデンマークでは小規模事業者による「農民風車」の例もあるが概して大規模化には向かないとしている。
(つづく)